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串田孫一の覚書 山と音楽のエッセー
Memoirs of Magoichi Kushida: Essay on mountains and music.
山にひょっこり登ってきた串田は少しの語らいをして山を下りた。強い風が吹いていた。手塚は串田に向かって大きな声で呼びかけた。風が声をかき消したようであった。串田は黙って里へ向かっていった。教養深い串田はとうきょうFMでの音楽の絵本で広く知られるようになる。
串田孫一の覚書 山と音楽のエッセー
執筆 甲斐鐵太郎

串田孫一の覚書 山と音楽のエッセー
執筆 甲斐鐵太郎

旅のエッセー集 甲斐鐵太郎

串田孫一の覚書 山と音楽のエッセー 甲斐鐵太郎

串田孫一の覚書 山と音楽のエッセー 甲斐鐵太郎

音楽の絵本 「冬の記憶」 串田孫一 詩と朗読
https://www.youtube.com/watch?v=r36QlU89CLE

水彩画は串田孫一のもの。霧ケ峰高原と車山かいわいのように見える

串田孫一 - Wikipedia

串田孫一の随筆に憧れておりました。穏やか。登山からの身の引き方見事でした。ヴィバルディ、モーツァルト、ラフマニノフ、パガニーニがこんなにも懐かしく、優しい。FM東京の放送は日曜の朝だった、串田のお声が心を穏やかにさせてくれた。管楽のための小交響曲。

モーツァルトの手紙から/串田孫一  串田孫一の書斎を復元したある美術館のようす

串田孫一の実際の書斎は調べもののために机まわりは散らばっている。当たり前のことである。整然としておきたくても机まわりは散らばる。誰かがこのことを事例にしてエントロピー増大の法則を説いていた。書斎にはルンペンストーブが置かれ、これを取り巻いてウインザーチェアがある。編集者がやってきたときにはこれ幸いと長い語らいをしていた筈である。

(タイトル)

串田孫一の覚書 山と音楽のエッセー 甲斐鐵太郎

(本文)

 霧ケ峰高原の車山肩にあるコロボックルヒュッテの手塚宗求と櫛田孫一は長い交流があった。串田がコロボックルヒュッテに泊まり、また手塚と4月の後立山連峰に登った時には串田のキスリングにはカンダハーのビンディングが付いたスキーが載っていた。手塚宗求は串田孫一を説明するウッキペデイアにはない身の上話を記録している。終戦直後の串田の家族のことである。

 長い親交がある日突然終わる。山にひょっこり登ってきた串田は少しの語らいをして山を下りた。強い風が吹いていた。手塚は串田に向かって大きな声で呼びかけた。風が声をかき消したようであった。串田は黙って里へ向かっていった。

 教養深い串田はとうきょうFMでの音楽の絵本で広く知られるようになる。ヴィバルディ、モーツァルト、ラフマニノフ、パガニーニなどの管楽のための小交響曲と串田の詩やエッセーの朗読で構成された番組。1965年4月3日、FM東海から放送された串田孫一「音楽の絵本」はTOKYO FM「音楽の絵本」に変って30年間続いた。私は初期のころソニーのFMステレオラジオ(左右分離タイプ)で聞いていた。その後に『若き日の山』『山のパンセ』など串田孫一の書き物に魅了され、またその絵画に啓発されるのである。TOKYO FM「音楽の絵本」の録音の幾つかが出てきたことに大きな喜びを覚えている。

 串田孫一の山のエッセーと、とうきょうFMでの音楽の絵本に表出しているものは手塚宗求が特別な意図を持たずに書き残したコロボックルヒュッテでの別れのシーンに隠されているようでならない。手塚宗求が本に書いている串田孫一の身の上話はここでは触れない。身の上のそうした事情があるならばと腑に落ちることがある。
(2024年11月12日 記)

モーツァルトの手紙から/串田孫一

音楽の絵本 「冬の記憶」 串田孫一 詩と朗読
音楽の絵本 1500回記念 最終回.。
串田孫一さんの随筆に憧れておりました。穏やか。登山からの身の引き方見事でした。ヴィバルディ、モーツァルト、ラフマニノフ、パガニーニがこんなにも懐かしく、優しい。FM東京の放送は日曜の朝だった、串田さんのお声が心を穏やかにさせてくれた。管楽のための小交響曲。

串田孫一「岩」

音楽の絵本1.wmv

串田孫一 音楽の絵本1

串田孫一 音楽の絵本2

串田孫一 音楽の絵本3

串田孫一 音楽の絵本4

串田孫一 音楽の絵本5

串田孫一 音楽の絵本6

串田孫一 音楽の絵本7

串田孫一 音楽の絵本8

串田孫一 音楽の絵本9

串田孫一 音楽の絵本10

串田孫一 音楽の絵本11

串田孫一 音楽の絵本12

串田孫一 音楽の絵本13

串田孫一 音楽の絵本14

串田孫一 音楽の絵本15

串田孫一 音楽の絵本16

串田孫一 音楽の絵本17

串田孫一 音楽の絵本18

串田孫一 音楽の絵本19


音楽の絵本「氷」
1968年夏FM東海から放送された串田孫一「音楽の絵本」テーマは「氷」。詩とお話の1部が残ってました。

FM東京「音楽の絵本」1990年09月30日

TOKYO FM「音楽の絵本」1991年05月05日OP

音楽の絵本 - 平凡社
30年間続いたFM放送の名番組「音楽の絵本」より、珠玉の詩とエッセイを精選。串田孫一さんの朗読とこころ癒される音楽が入った1500回記念放送「冬の記憶」を収録したCD付き。

串田孫一「岩」

モーツァルトの手紙から/串田孫一

燃えろよ燃えろ 串田孫一作詞・フランス民謡 杉並児童合唱団

もえろよもえろ【童謡】作詞:串田孫一 / フランス民謡 / キャンプファイヤー / キャンプソング ♪

【キャンプソング】もえろよもえろ 串田孫一作詞・フランス民謡 キャンプソング

もえろよもえろ  串田孫一作詞・フランス民謡 campfire song

(675) 光の五線譜予告編 - YouTube


音楽の絵本/串田孫一

音楽の絵本
1965(昭和40年)4/3~ 星7月10日(土)
1966(昭和41年) 月4月29日(土)
1967(昭和42年) 太陽4月29日(土)
1970(昭和45年) 流星9月28日(月)
1972(昭和47年) 冬の星座1月30日(日) 銀河7月2日(土)
1973(昭和46年) 金星10月21日(日) 火星11月18日(日)
1975(昭和50年) 新しい太陽1月5日(日)
1976(昭和51年) オリオン星座1月11日(日) 氷河の星8月1日(日) 星の採集9月12日(日) 旅の一番星11月14日(日)
1978(昭和53年) 星の伝説7月16日(日) 天文台11月26日(日)
1980(昭和55年) 星の話6月1日(日)
1981(昭和56年) 地球5月31日(日) プラネタリウム8月23日(日)
1983(昭和58年) 三日月1月23日(日)
1986(昭和61年) 箒星3月30日(日)
1989(平成元年) 一番星12月4日(日)
1990(平成2年) 宇宙3月4日(日)
1991(平成3年) 七夕7月7日(日)
1993(平成5年) 羊飼の星2月14日(日)

音楽の絵本「星の話」(1980年6月1日放送)

1970年6月1日、東京天文台の古畑正秋さんと対談をした。早めに出て、途中で買い物をしたり、偶然出会った古い友だちと立ち話をしたりして会場へ行った。これを掲載する雑誌の方では特にテーマを考えているわけではなく、私たち二人の星の話を今年の夏に出る雑誌に載せたいというだけで編集部の人も特に星に興味を持っているわけではない。初めてお目に掛かる古畑さんも積極的に話をされる方ではないし私は専門家の前に座らされた素人であるから話がうまくまとまらない。私は、冬、霧ケ峰で夜10時ごろに、雪の中を歩いていると奇妙な光がゆっくりと水平に流れていくのを見たのを思い出して、その話をした。これは私だけが目撃したわけではなく帰ってきて新聞を見ると怪しい光を見たという報告が各地から新聞社にも集まったらしくかなり大きく扱われていた。古畑さんは、そのことを記憶してはおられなかったが私が詳しく話すのを黙って聞いておられてから「それは流星です」と言われた。患者に詳しく体の悪いところの説明をさせて何も診察もせずに「それは肝臓です」と言われたのと似ているのではないかと思った。帰りは自動車が用意してあって、私たちは同方向なので一緒に乗ったがその古畑さんは車の中ではいろいろ星の観測についての面白い話をされた。

木曽の山中に観測するには良い場所があるが、そんなことをいったところで、すぐに予算を通してもらえるわけではない。三鷹の東京天文台などは今はもう最悪の状態でなにもできない。「それではどうしていらっしゃるのですか」と尋ねると「早寝をして、朝早く起きて、小鳥の観察をしています」と、まじめな口調で話しておられた。

5月24日(日)晴れ時々曇り 音楽の絵本(串田孫一) - 星と天界の音楽と(星のソムリエのブログ)
毎週日曜日の朝にFM東京で串田孫一さんの朗読「音楽の絵本」が放送されていました。唯一エアチェックしてある「星の話」を時々引っ張り出して懐かしんでいます。

読書/詩歌・音楽 『音楽の絵本』(串田孫一 平凡社 2002年12月) - (新)緑陰漫筆
 詩人にして随筆家、また哲学者でもある串田孫一は、東京外国語大学を退官した1965年から、30年の長きに渡ってラジオ放送FM東京のパーソナリティをつとめた。深夜12時から流れる番組「音楽の絵本」では、串田が数々の音楽の流れる中、自作の詩を朗読し、またエッセイを紹介した。深夜の大都会の闇のしじまに流れる串田孫一の美しくも魅力的な詩の朗読と音楽は、数多くのファンを集めた。

 1965年年の4月3日の第一回の放送では、「扉」と題する詩が朗読された。

  扉をあければ 星の空
  春は匂いとなって あじさいの芽吹きに戯れ
  暗い大地に滲み込む
  ひいらぎの葉が銀細工
  土手の向こうの流れは 涸れているが
  蛙たちの 真面目くさった語り合いは
  今年もやがて 聞かれるだろう

 詩の朗読のバックに流れるテーマ曲は、ヴィヴァルディの室内協奏曲 ニ長調(RV94)の第二楽章です。心がゆるやかになり、穏やかになり、もやもやしていた想いが溶け去ってゆく。演奏は、マクサンス・ラリュー五重奏団。さらにモーツアルトのピアノソナタ第15番、グノーの管楽のための小交響曲、グリーグのバイオリンソナタ第3番、パガニーニの「ロッシーニのオペラ「モーゼ」の主題による伴奏と変奏曲など心に染み入るような調べが流れる。

 そのようにして朗読された詩やエッセイをあつめ、流れた音楽を一枚のディスクにおさめて一冊の本となった。もう10年以上も前のものだが、この初版本は私にとっては宝物のようなもである。

 この放送の最後となった1994年の「冬の記憶」およびそのほか好きな詩とエッセイををニ、三ここに記しておく。

冬の記憶
 遥か遠くの
 何処かへ行ってしまったはずの
 冬の記憶が
 足音をたてずに 纏いついてきました
 挨拶をなさい
 そして何処から来たのか
 嘘をつかずに 話してごらんなさい
 沼の底から 泡の中に入って
 浮かんできたのではありませんか


 古い本を開くと
 栞が落ちた
 栞に使った 十年前の音楽会の切符である
 深い過去の
 青い沈黙の中から
 なめらかに甦る一つの記憶
 開演を告げるベルにせきたてられ
 現れない友達を
 もう諦めて席につき
 一人で聴いた
 ピアノの独奏会だった

蝋燭
 フランスの田舎で造っている蝋燭だと言ってもらったその一本を、大事にして紙につつんだまま抽斗にしまい込んであったが、ちょうど一年ぶりに火をともした。黄色に赤、青、紫。七色の蝋を無造作にねりあわせ、芯には太い糸が入った不細工な蝋燭だが、おれがいかにも田舎造りの感じで、一年のあいだ火をつけるのをためらっていた。
 そういえば半年ほど前に、ロンドンへ仕事に行ったという人から貰ったマッチがあった筈だ。私はそれを想い出して、棚に積んだ函から探しだした。燭台という程のものではないが、これも何年か前に、よその普請場からもらってきた木片を削って造ったものがある。
 これで準備は整った。私は先に電灯を消して自分の部屋を真っ暗にした。そして、自分でもその理由が分からないが、闇の中で三十を数えることにした。電灯というものがあり、
 停電もしないのに蝋燭をともすというのは、一種の儀式に似た感じがする。それで気分を整えるために三十を数えたのかも知れない。
 ロンドンのマッチで、フランスの田舎で造られた蝋燭に火がともる。芯の糸が太いせいで、炎は大きく、部屋の中で風もないのそれが揺れ動いてなかなか鎮まらない。筆立ての筆のかげが、書棚に揺れているが、何という静かな夜だろう。少なくとも十分や二十分は思考は停止し、眼を細めて炎を見ていられる。私は何も期待しない。蝋燭の灯ひとつの古い夜のことも想出そうどはしないだろう。ましてその炎から、珍しい幻の生まれることや、夢を見るための陶然とした状態をも願わない。
 風が吹きつのる。雨戸の隙間から吹き込む風が部屋に広がる。そしてしばらくの間の空虚な安らぎから、知らないうちに甦っていたものがある。それは、その時何よりも貴いと思われた一つの音楽であった。

「串田孫一」は私が憧憬し敬愛する哲学者・詩人・随筆家・画家です。
1965年から1994年までFMラジオ番組「音楽の絵本」でパーソナリティーを務めています。

流氷がやってくる町で、地球の声に耳を澄ませる 北のアルプ美術館 | ドラぷら
 2012年、美術館は開館20周年を迎える。そのとき、2005年に亡くなった串田孫一さんの仕事場を東京の小金井市から移設・公開している。本や望遠鏡、工具などで溢れた書斎「串田孫一の仕事部屋」も、この美術館の見どころのひとつである。この移築・復元事業も簡単ではなく、6、7年をかけて行われたそうだ。本棚や机の上の小物まで細かい部分まであまりにも精巧に復元されているので、この地で串田さんが仕事をしていたと勘違いする人もいるらしい。
 「89歳で亡くなられた方なので、昔からの本がいっぱいあって。よく見ると、箱のなかに本をいっぱい入れていたんですが、そういった箱もほとんど手作りだったそうです。石でも木でも小物でも一度集めたらなかなか捨てない方だったようですね」

『日本古書通信』の戸板康二と串田孫一。2015年は戸板さんと串田さんと七代目尾上梅幸の生誕100年。 - 戸板康二ノート

雲の画本 / 串田 孫一 - 本まるさんかくしかく Blog

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音楽の絵本「氷」
1968年夏FM東海から放送された串田孫一「音楽の絵本」テーマは「氷」。詩とお話の1部が残ってました。

尾崎喜八 「音楽への愛と感謝」

されど同じ安息日の夕暮れに (朗読:尾崎喜八)

 
音楽のこと。日曜日には小さなコンサートに出かける。温泉で合った知り合いに招かれた。近くにあるイングリッシュ庭園でのコンサート。

音楽の絵本 「冬の記憶」 串田孫一 詩と朗読
https://www.youtube.com/watch?v=r36QlU89CLE

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ナビ不調で蝶ヶ岳と常念岳への登山口に迷い込んだ2020‎年‎9‎月‎21‎日のこと 甲斐鐵太郞

田渕義雄さん自作のウインザーチェアーに触発されて机と椅子を考察する 甲斐鐵太郞

信楽焼と甲賀衆 甲斐鐵太郞

安楽椅子の延長として電動リクライニングベッドに行き着いた 甲斐鐵太郞

伊賀上野は忍者の街 甲斐鐵太郞

稲城の梨「稲城」と狛江市の慈恵第三病院 甲斐鐵太郞

郡上おどり、長良川そして郡上市のこと(その1) 甲斐鐵太郞

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60インチモニターと桃とブドウと椅子とテーブル 甲斐鐵太郞

どろどろに溶けたサナギの身体から蝶がでてくる不思議な世界 甲斐鐵太郞

甲府盆地勝沼の葡萄園 甲斐鐵太郞

甲府盆地は御坂の桃 甲斐鐵太郞

食卓テーブルにウインザーチェアーが私の作業台 甲斐鐵太郞

霧ヶ峰高原の夏はよい 甲斐鐵太郞

夏の陽光に輝く善光寺の参道 甲斐鐵太郞

ヒョウモンチョウが舞う夏の八島湿原 甲斐鐵太郞

クマも鳥も虫も神である国の寒山の森の暮らし 甲斐鐵太郞
ナチュラリストのエマソンとソローと、日本の自然のなかの田渕義雄さん 甲斐鐵太郞

「寒山家具工房」の主、田淵義雄さんのウインザーチェアー 甲斐鐵太郞

田渕義雄さんの「寒山の森」暮らしの動機を推察する 甲斐鐵太郞

ソローの森の生活と寒山の森の田渕義雄さん 甲斐鐵太郞

寒山の森の田渕義雄さんとソローの森の生活 甲斐鐵太郞

川上村と私 甲斐鐵太郞

甲府盆地の7月は桃の季節で8月になるとブドウが本格化する 甲斐鐵太郞

霧ヶ峰高原とレンゲツツジ 甲斐鐵太郎

安岡章太郎が描く軍隊と現代の人々の生への現実 甲斐鐵太郎

現代の人には死はない 甲斐鐵太郎

真夏の暑さのなか快適に作業するために一階にパソコンを移す 甲斐鐵太郎

椅子とヒキガエルと葛の根を考える 甲斐鉄太郎

パソコン業務のためにモニターと机と椅子の位置関係を求めて苦闘する 甲斐鉄太郎

バラの花の向こうに甲斐の山々と青空が広がっていた 甲斐鐵太郞

2020年桃の果実の行方、山梨の果樹農家の不安は拭えない

塩山市の丘で果樹農園のサクランボを買った 甲斐鐵太郞

6月、カッコウの声が八島湿原の草原の向こうで響いている 甲斐鐵太郞

茅ヶ岳と八ヶ岳の山麓の高台から6月の南アルプスを眺める 甲斐鐵太郞

川上村の5月の青空は八ヶ岳を背にして夏色であった 甲斐鐵太郞

フィルムでの写真撮影にかかる実際費用 甲斐鐵太郞

R型ズミクロンをEOS 5Dで使う 甲斐鐵太郞

R型ズミクロンの初期型をキャノンイオスデジタルの5Dを使う

レオタックスFを私は気に入っている 甲斐鐵太郞

新型コロナウイルスと肺炎疾患を考える-その資料一覧 №2-

説明する児玉龍彦氏(東大先端研がん代謝PT)
児玉龍彦さん(東大先端研がん代謝PT)と金子勝さん(立教大特任教授)にうかがう最新の新型コロナ情報。なんと、日本人を含め東アジア沿岸部は、SARS以降に今回のウイルスに根幹の似たウイルスに暴露し免疫を持っている人が多いのかもしれないという仮説が出てきました。そして、ウイルスの特徴から感染後に重症化する人を見分けてケアし、軽症者の重症化を防ぐ手立ても見えてきました。そのような状況の中で、どうしたら感染を制御して社会生活・経済生活を再開できるのか、それを考えます。収録は、2020年5月16日(デモクラシータイムス)

春未だ浅い野辺山と川上村のレタス畑 甲斐鐵太郞

無線式のキーボードの便利さを知った喜び 甲斐鐵太郞

「型板」「鋳型」を使ってwebページを作成する

大菩薩峠の入り口、裂石の番屋小屋でほうとうを食べる 甲斐鐵太郞

裂石付近の番屋小屋。ここは東京と山梨の境に位置する。

新型コロナウイルス禍を理解する 甲斐鐵太郞

5月始めに開かれている城端曳山祭 甲斐鐵太郞

緑が萌え始める信州に遊ぶ 甲斐鐡太郎

白い雲と青空と太陽の輝きは誰のためにあるのか 甲斐鐵太郞

八ヶ岳山体崩壊による28kmほどの岩屑なだれによる崖

思いがけずに出現した八ヶ岳山体崩壊による28kmほどの岩屑(がんせつ)なだれの崖 旅行家 甲斐鐵太郞 動画 YouTube。

主題 Canon デジタル一眼レフカメラ EOS 7D を使うための備忘録 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
副題1 ライカのR50mmレンズはフルサイズのCanon EOS 5Dに付けて使う
副題2 Canon EOS 5Dはライカ単焦点レンズを使う最上のカメラだ


YAMAHA RX- E100アンプとYAMAHA NS BP100スピーカー 執筆 甲斐鉄太郎
映画コンバットの砲撃や銃声は外付けアンプとスピーカーから出力する


田中館愛橘とその時代-その13-(田中館愛橘と高野瀬宗則と関菊治)
明治24年から二年間だけあった物理学校度量衡科の卒業生68名のなかに関菊治がいた


田中館愛橘とその時代-その12-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
関菊治が修業した物理学校度量衡科と物理学校創立した東京大学仏語物理学科卒業の同志21名のことなど。

田中館愛橘とその時代-その11-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
物理学校の度量衡科を卒業した明治7年(1874年)生まれの長州人、関菊治(大阪府権度課長)

田中館愛橘とその時代-その10-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
高野瀬宗則の権度課長着任と度量衡法制定(メートル条約締結と連動する日本の動き)

田中館愛橘とその時代-その9-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
高野瀬秀隆と肥田城の水攻め(高野瀬宗則とその先祖の高野瀬秀隆)

田中館愛橘とその時代-その8-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
彦根藩主の井伊直弼(大老)による安政の大獄

田中館愛橘とその時代-その7-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
井伊直弼の死を国元へ伝える使者の高野瀬喜介、子息は高野瀬宗則

田中館愛橘とその時代-その6-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
日本の近代度量衡制度を築き上げるために農商務省の権度課長に指名された高野瀬宗則

田中館愛橘とその時代-その5-(東京大学の始まりのころと現代の高等教育の実情)
日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その5-

日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その4-

日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その3-

日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その2-

日本物理学の草創期にその後日本の物理学を背負う多くの偉人を育てた日本物理学の祖である田中舘愛橘(たなかだて あいきつ)をさぐる。-その1-田中舘愛橘が育った江戸から明治にかけての日本の状況(執筆 横田俊英)

初版 物理学者で日本人初の国際度量衡委員の田中舘愛橘-その1-(執筆 横田俊英)

美ヶ原高原と春の雪 執筆 甲斐鉄太郎

地が裂け山が崩れ洪水が人を襲う日本の自然(ハザードマップは人が住んではならない場所を示す地図だ

富士山より高かった八ヶ岳が崩壊すると泥流は甲府盆地の向こうまで流れた執筆 甲斐鐵太郞
韮崎と須玉に連なる丘の七里岩は八ヶ岳崩壊による岩屑(がんせつ)なだれの跡だ


霜が降りるまでヤマモミジは真っ赤に燃えていた 執筆 甲斐鐵太郞

中央道須玉IC付近右手にみえる七里岩。八ヶ岳が山体崩壊による岩屑(がんせつ)なだれの跡だ。執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

霞ヶ浦の岸辺で遊ぶ 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ライカの一眼レフを使う 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

ロッキングチェアでパソコンと遊ぶ 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

紅葉の富士山と河口湖-その1- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

紅葉の富士山と河口湖-その2- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

紅葉の富士山と河口湖-その1- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

紅葉の富士山と河口湖-その2- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

中部横断自動車道を走る トンネルと橋でできた道だ 2019年10月21日 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ライカM5は特別な感覚領域を備えていて私を虜(とりこ)にした

暑い夏の日に紀伊半島の山中をさまよっていた 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

黒羽観光やなと那珂川の清流 文章 旅行家 甲斐鉄太郎

灰色の街と紅い夕日 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

大山阿夫利神社と山麓の梨 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

安曇野の夏、8月18日には稲が実りかけておりました 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

高山市の古い町並みの暖簾(のれん)が良い 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

【八ヶ岳連峰 硫黄岳への夏山登山 動画】YouTube

八ヶ岳連峰 硫黄岳へ夏休み登山 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

地震と津波

地震計は地震を予知する機能を持たない

旅行や自然や風景の動画 目次-その2-

旅行や自然や風景の動画 目次-その1-

地震計は地震を予知する機能を持たない

【八ヶ岳連峰 硫黄岳への夏山登山 動画】

八ヶ岳連峰 硫黄岳へ夏休み登山 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

オリンピックの自転車ロード競技のテストイベントを見物する 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

2019年郡上おどり2日目7‎月‎14‎日は午後10時半まで盛大に 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

2019年の郡上おどり始まる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

飛騨市古川町にNHK 朝ドラの「さくら」がいた。執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

海をみに行く。房総半島を右回りで旅行した。 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

夏至の日の八島湿原のアヤメ 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

ニセアカシアを知る-アカシア情報-

アカシアの白い花が咲いていた 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

松本市と松本城そして穂高連峰 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

上田城跡と白土三平と霧隠才蔵 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

真田の上田城をみる 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

ありふれた一日の覚書 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
午前9時までに4時間の調べ事、そして都内で新聞の業務です


真澄の宮坂酒造で利き酒する諏訪の旅 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

5月19日、山梨県清里の清泉寮にでかけました 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ある一日、木曜日の典型的な行動です。執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

良い景色のところにでかけて自然に身体を浸すように心がけたい 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

フェリーで伊勢旅行 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

伊勢旅行したら草臥れ果てて椅子に座れなくなりました。
(そのためにキーボードとの位置関係のよい椅子を買って対処しました)
 執筆 甲斐鐵太郎

輝く虹の環水平アークと日暈(ひがさ)の出現に沸いた2019年4月28日 執筆 甲斐鐵太郎

湘南の海岸通りを走る 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

富士芝桜まつり 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ウイルス防御ソフトの「ブロック」表示との格闘三日間 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ウイルス・ソフトのパソコンへのアップの顛末記 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

「ハッピーエンド」を聴く 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

八ヶ岳と野辺山高原そして川上村の景色 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

3月7日、別所温泉の和風・老舗旅館に泊まる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

webページとYouTubeで構成された私の音楽室 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

日本海の幸を寺泊で味わう-その2-執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

日本海の幸を寺泊で味わう 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

土曜日、ガストで新調したパソコンの動作を確かめる。快調だと朝定食を食べて喜ぶ。執筆 甲斐鐵太郎


キャノン7とキャノンP 執筆 甲斐鐵太郎

中央道下り諏訪から北アルプスがみえる 執筆 甲斐鐵太郎
中央道下り諏訪から穂高岳、槍ヶ岳、常念岳がみえる

富士市の富士山展望の宿に泊まった 執筆 甲斐鐵太郎

国道158号線 松本市に向かう冬の旅である 執筆 甲斐鐵太郎

霧ヶ峰高原 八島湿原 八ヶ岳の雪と青い空 執筆 甲斐鐵太郎

石老山(標高702 m)2月1日、雪の朝 執筆 甲斐鐵太郎

真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎

熱海桜は河津桜よりも確実に早く咲く 執筆 甲斐鐵太郎
真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎

真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎

富士山を見るために二週連続で富士宮駅前のホテルがでかけた 執筆 甲斐鐵太郎
(ダイヤモンド富士が出現する暦、年中ダイヤモンド富士が見られます 執筆 甲斐鐵太郎)

1月10日、京都えびす神社の「えべっさん」 執筆 甲斐鐵太郎

富士山に陽が昇る 執筆 甲斐鐵太郎

富士山が見えている夕方に「吉田のうどん」を食べる 執筆 甲斐鐵太郎
(副題)本を読むこと、文章を書くこと、とwebが一体になった


山中湖から富士山を仰ぎ見るのを楽しみにしている。執筆 甲斐鐵太郎

太陽が平原の林に沈んだ。月が輝きだした。高原の冬である。執筆 甲斐鐵太郎

大王わさび農場を冬至の日に訪れる 執筆 甲斐鐵太郎

上高地夏至のころ 執筆 甲斐鐵太郎

江戸の人々の山岳信仰の山だった大山(標高1,252m) 執筆 甲斐鐵太郎

林の向こうに青空が見えると嬉しくなります 執筆 甲斐鐵太郎

山手のレストランとBOSEのスピーカー 旅行家 甲斐鐵太郎

三浦岬をぐるりと巡って葉山マリーナにでた 執筆 甲斐鐵太郎

浅草の場外馬券売り場前の飲み屋で一杯 執筆 甲斐鐵太郎

お酉さま 執筆 甲斐鐵太郎

晩秋の霧ヶ峰高原 霧に包まれたカラ松の高原道路を走る 執筆 甲斐鐵太郎

カラマツは黄色と赤の中間色に燃えていた。カラマツ林の裾に民家があった。茅野市である。執筆 甲斐鐵太郎

10月の下旬に新潟市の界隈をうろついた 執筆 甲斐鐵太郎

11月の旅 壊れているフィルムカメラを旅の途中で買った これが酒の肴にはいい 執筆 甲斐鐵太郎

10月12日、川上村のレタス畑は最後の収穫をしていた 執筆 甲斐鐵太郎

信州の秋をめぐる 諏訪から佐久にでる 千曲川沿いを走る 執筆 甲斐鐵太郎

信州松本市郊外で秋のめぐみに出会う 執筆 甲斐鐵太郎

金曜日の夜は紅葉と夕日と星空の八ヶ岳、霧ケ峰そして美ケ原を走っていた 執筆 甲斐鐵太郎

日本平と久能山東照宮 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その6-上高地賛歌 八ヶ岳登山で山の自然に魅了される 甲斐鐵太郎

私と上高地-その5-格好いい山男は女に好かれる 山で英雄になった男の物語 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その4-槍ヶ岳・穂高岳登山と上高地 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その3-上高地帝国ホテルと大正池界隈を歩く 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その2-登山とロマンチズムそして感傷主義 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その1-槍ヶ岳と穂高岳のあとの休息地・上高地 執筆 甲斐鐵太郎

横浜市山手の丘にでかけると海が見え瀟洒な家並みにはブリキ博物館が紛れ込んでいた

夕暮れどきの高山市古い町並み‎2018‎年‎6‎月‎23‎日、‏‎18:06:44

夏至の日の旅行で郡上八幡市の古い町並みを見物する

6月24日、松本市波田のスイカを買う 温室栽培の大玉スイカです

6月に晴れる 小さなリゾート地相模湖で憩う

白いヒナと黒い3羽のヒナを連れて湖面を移動するコブハクチョウ

夏の訪れを告げる鮎釣り 相模川の6月1日の夕暮れ時

よい景色とよい音楽と美味しい食事 八ヶ岳と北欧レストランとパソコンでユーチューブ

近江の国、多賀大社(たがたいしゃ)の茅の輪くぐり

特別な位置にいる投手としての大谷翔平

「春の日と一人娘はくれそでくれない」ので5月は午後7時まで遊んでいられる

奥飛騨の新芽の背景は北アルプス穂高連峰の山肌であった

松本駅前の昭和横丁でホルモンを食べる 松本山雅FCファンがやかましい店だ

金曜日、思いついて新宿から松本に向かう。塩尻駅で降りた。

東京の桜は散って新緑の季節になりました

武田信玄の北条との決戦地の三増峠近くの枝垂れ桜
(季節は2カ月と半分ほどで夏至になる)

北杜市実相寺の山高神代桜は甲府盆地の桃の花と開花時期が同じです
(関東地方の春分の日は雪が舞い河口湖では28㎝も雪が積もりました)


陽だまりでは梅の花が土手にはスミレが咲く
5月になれば水田に映える常念岳を見に安曇野にでかけよう

埼玉県吉見町の栽培農家で買ったイチゴは甘かった美味かった
富士山の雨を集めた山中湖は忍野をへて津久井湖で道志村に降った雨と合流する
槍ヶ岳 霧ヶ峰からの遠望(高原の秋の始まりのころ)
山みちで老いたキツネにであう 旅行家 甲斐鐵太郎

数学者も物理学者も現在持つ知識は写し取って得たものである
インターネットで拾った文章を繋げて出来上がるニュース報道

数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実

数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実

数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実
(光波干渉測定システムはアインシュタインの理論を事実として確認した)


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