富士山が見えている夕方に「吉田のうどん」を食べる
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富士山が見えている夕方に「吉田のうどん」を食べる 執筆 甲斐鐵太郎
(副題)本を読むこと、文章を書くこと、とwebが一体になった
軒下越しに富士の夕景が見えて嬉しかった。
富士山が見えている夕方に「吉田のうどん」を食べる 執筆 甲斐鐵太郎
(副題)本を読むこと、文章を書くこと、とwebが一体になった
夕暮れ時に「吉田のうどん」を食べにお店に入った。
富士山が見えている夕方に「吉田のうどん」を食べる 執筆 甲斐鐵太郎
(副題)本を読むこと、文章を書くこと、とwebが一体になった
富士山に感謝して吉田の饂飩(うどん)を食べる。
(タイトル)
富士山が見えている夕方に「吉田のうどん」を食べる 執筆 甲斐鐵太郎
(副題)本を読むこと、文章を書くこと、とwebが一体になった
(本文)
正月の休みに富士山を見にでかけた。朝日と富士山を見るためにでかけた。富士山には雲がかかったり、雲が消えたりして、目まぐるしい。富士山に雲がかかると落胆する。お日さまによって人の心が動く。人の心とはそのようなものなのだ。
富士山は風がない朝と夕に雲が消えていることが多い。朝からずっと富士五湖と富士山麓で遊んでいた。夕暮れ時に「吉田のうどん」を食べに店に入った。軒下越しに富士の夕景が見えて嬉しかった。
うどんは大して美味くはないが、不味(まず)くもない。450円だからそんなものだと思って食べる。店の後ろに富士山があってこの日の最後のお勤めのように姿を見せてた。富士山に感謝しながら饂飩(うどん)を食べた。
話が急展開する。富士山とは関係ないことに飛ぶ。
正月休みは本を買い込んで宿で読むことを続けている。本を読むことは読むけれども、気が付いてみるとそれとは別に文章をつくってウェブ(web)に載せることができるようになっていた。webに載せなくても仕事の延長のようなことで文章を作成することができる。文章作成とはパソコンを使ってのことだ。
文章と撮ってあった写真を使えばwebで情報発信ができる。情報発信が必ずしも目的ではない。私にとって必要な文章をつくって、それをまとめておくことができる。これは有難いことだ。今までは簡単にできることではなかった。
文章をつくることと、それをwebに掲載することとが一体となったインターネット社会が実現しているのだ。このことをまともに意識することはなかった。お粗末といえばそのとおり。正月の休みに入って気付いたことだ。正月休みには意義があった。
2018-12-31-in-the-evening-where-mt-fuji-can-be-seen-writing-tetutaro-kai-