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伊賀上野は忍者の街
荒木又右衛門の鍵屋の辻の仇討ち、徳川家康の伊賀越え
City of Iga Ueno
Araki Matauemon's locksmith Tsuji's attack and Tokugawa Ieyasu's crossing over Iga
執筆 甲斐鐵太郎

伊賀上野は忍者の街
荒木又右衛門の鍵屋の辻の仇討ち、徳川家康の伊賀越え
執筆 甲斐鐵太郎 旅行家

伊賀上野は忍者の街 甲斐鐵太郞

伊賀上野は忍者の街 甲斐鐵太郞

伊賀市は忍者で町おこし。伊賀市役所の看板は忍者。

伊賀上野は忍者の街 甲斐鐵太郞

伊賀市を走る路線バスは忍者を重ね書きする。

伊賀上野は忍者の街 甲斐鐵太郞

伊賀市内の菓子舗は「伊賀越」だ。徳川家康のもじり。

伊賀上野は忍者の街 甲斐鐵太郞

黒い餡に黒い皮の饅頭「梟の城」だ。美味い菓子だ。

伊賀上野は忍者の街 甲斐鐵太郞

左奈良、右伊勢。街道の辻に建てられている。

伊賀上野は忍者の街 甲斐鐵太郞

鍵屋の辻の決闘は伊賀越え復讐記念碑となる。

伊賀上野は忍者の街 甲斐鐵太郞

史跡 鍵屋の辻の石柱が建っている。茶屋もある。

伊賀上野は忍者の街 甲斐鐵太郞

(本文)

 伊賀市に用事があって立ち寄った。8月21日、とくべつに暑い夏の日であった。15年ぶりのことだ。

 伊賀市役所は忍者の町を看板にしていた。電車も路線バスも忍者だ。上野城の近くには忍者屋敷があり忍者の酒場もある。城下町には美味い菓子があるので繁華街の路地を歩いた。幾つも菓子屋があって司馬遼太郎の梟(フクロウ)の城の名をつかった黒い皮の黒い餡(あん)の饅頭(まんじゅう)に満足した梟の城は伊賀を題材にした小説である。

 夕方であったから忍者屋敷は閉まっていた。コロナで開けていなかったのかも知れない。街から坂を下った鍵屋の辻(かぎやのつじ)に足を運ぶ。鍵屋の辻は荒木又右衛門が甥の仇討ちを助太刀した場所である。奈良街道と伊勢街道の分岐にある。

 鍵屋の辻の決闘は次のようなことだ。寛永11年(1634年)11月7日早朝、伊勢街道と奈良街道の交わる鍵屋の辻で、後に「日本三大仇討ち」といわれる鍵屋の辻の決闘があった。討ったのは渡辺数馬と助太刀の荒木又右衛門、討たれたのは河合又五郎。

 「荒木又右衛門の三十六人斬り」となっているが又五郎がわは11名、又右衛門が斬ったのも2名だ。相手側の助太刀である河合甚左衛門を倒している。倒した一人は河合甚左衛門は大和郡山藩剣術指南役で又右衛門の上役、仇である又五郎の叔父だ。倒したもう一人は尼崎藩槍術指南役で又五郎の妹婿である桜井半兵衛。仇討ちの当事者の数馬と又五郎の果たし合いは決着が付くまでに5時間を要した。両者疲れ果てるなか数馬が又五郎の腕を少し切った。これを潮時として又右衛門が又五郎にとどめを刺した。

 鍵屋の辻は史跡公園となって茶店が復元されている。有料の資料館があり資料館の庭には河合又五郎の首を洗った池がある。

 日本三大仇討ちとは「鍵屋の辻の決闘」「曽我兄弟の仇討ち」と「赤穂浪士の討ち入り」である。

 鍵屋の辻の決闘の経緯を述べる。岡山藩主である池田忠雄の寵童(ちょうどう)であった数馬の弟であつ渡辺源太夫に河合又五郎が思いを寄せるが拒絶されるという奇妙なことが発端とされている。河合又五郎は怒って源太夫を斬って逃げる。江戸に出奔した又五郎は旗本安藤家にかくまわれる。安藤家と池田家と対立することになり、直参旗本と外様大名とのなって世間を騒がす。仇討ちを命じた池田忠雄が急死するが、数馬は藩を離れていて、姉婿の荒木又右衛門に加勢を求める。大和郡山に潜んでいた又五郎が江戸への帰途鍵屋の辻を通ることを知り、鍵屋の辻で待ち伏せる。仇討ちは藩主である池田忠雄の旗本安藤家への怨念を含んだ遺命であり上意討ちの性格をおびていた。渡辺数馬は仇討ち後、池田家に帰参している。池田家は騒動の責を問われて岡山から鳥取に移封されていたのであった。

 「鍵屋の辻の決闘」の跡地に「伊賀越え復讐記念碑」が建立されている。伊賀越え(いがごえ)は、畿内から東国へ伊賀国を経由することをさす。古くは江戸時代まで交通の要所であった。

 「伊賀越え」といえば徳川家康の本能寺の変のあとに岡崎に身を移す。これが徳川家康の伊賀越えである。「神君伊賀越え」という。天正10年6月2日(1582年6月21日)、本能寺の変があった。本能寺の変の報に徳川家康は、明智光秀の支配下にある京都に上り松平家にゆかりのある知恩院(浄土宗鎮西派総本山)に駆け込んで自刃するとまで言った。家臣たちの説得によって岡崎に身を移すことを実行。「伊賀越え」をして船で対岸に逃れた。

 家康は摂津国堺の松井友閑屋敷から京都へ上洛する途中で、河内国飯盛山付近で本能寺の変で織田信長が討たれたことを知る。34名の供回りを連れて河内国四條畷から木津川の渡しに行くが穴山信君一行が落ち武者狩りに殺されたために、山城国宇治田原で土豪山口甚介の宇治田原城に泊まる。3日は宇治田原から近江国甲賀小川で山口甚介の父である土豪多羅尾光俊の館に泊まる。4日は御斎峠から伊賀国に入る。伊賀の土豪は家康一行を守る。伊賀国柘植を経て、加太峠で一揆といわれる賊に襲われるが山口定教率いる甲賀郷士が追い払った。海辺にたどり着くことができ伊勢国長太から船に乗って三河国の大浜に渡り、三河国岡崎城に入る。伊勢国長太は現在の鈴鹿市白子浜が家康が乗船した場所として史跡となっている。伊勢湾を最短距離で知多半島の常滑に渡った家康はさらに現在の碧南市浜寺町のあたりの大浜に移動した。

 明智光秀の軍は1万3000人だ。光秀は2週間前に安土城で家康の接待役だった。本能寺の変は家康への接待の不手際を信長に責められたことが要因の一つとされている。本能寺の変の後の家康の岡崎へまでの足取りを光秀はつかんでいた。東国へ通ずる主要な道を明智軍に押さえられれば簡単に討ち取られる。一揆とは信長への反乱軍であり明智に呼応していた。からくも難を逃れた家康である。伊賀には「総国一揆(そうこくいっき)」という自治組織があって勢力範囲は伊賀の国を超えるほどであった。1年前の天正9(1581)年に、信長はこの伊賀惣国一揆を攻撃し殲滅させている。これが天正伊賀の乱である。本能寺の変があったときに伊賀国では大規模な一揆が起きていた。伊賀は家康には危険な場所だった。「神君伊賀越え」に伊賀者を集めて大きな働きをしたのが伊賀出身の服部半蔵である。集められた伊賀者約190名と服部家に記録されたのは後年のことである。「伊賀越え」の距離は20kmから25km。全行程からみれば一部であるが最大の難所だった。

2020-08-21-city-of-iga-ueno-

旅のエッセー集 essay and journey(essay of journey) 旅行家 甲斐鐵太郎
essay and journey(essay of journey) by kai tetutaro

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大菩薩峠の入り口、裂石の番屋小屋でほうとうを食べる 甲斐鐵太郞

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5月始めに開かれている城端曳山祭 甲斐鐵太郞

緑が萌え始める信州に遊ぶ 甲斐鐡太郎

白い雲と青空と太陽の輝きは誰のためにあるのか 甲斐鐵太郞

八ヶ岳山体崩壊による28kmほどの岩屑なだれによる崖

思いがけずに出現した八ヶ岳山体崩壊による28kmほどの岩屑(がんせつ)なだれの崖 旅行家 甲斐鐵太郞 動画 YouTube。

主題 Canon デジタル一眼レフカメラ EOS 7D を使うための備忘録 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
副題1 ライカのR50mmレンズはフルサイズのCanon EOS 5Dに付けて使う
副題2 Canon EOS 5Dはライカ単焦点レンズを使う最上のカメラだ


YAMAHA RX- E100アンプとYAMAHA NS BP100スピーカー 執筆 甲斐鉄太郎
映画コンバットの砲撃や銃声は外付けアンプとスピーカーから出力する


田中館愛橘とその時代-その13-(田中館愛橘と高野瀬宗則と関菊治)
明治24年から二年間だけあった物理学校度量衡科の卒業生68名のなかに関菊治がいた


田中館愛橘とその時代-その12-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
関菊治が修業した物理学校度量衡科と物理学校創立した東京大学仏語物理学科卒業の同志21名のことなど。

田中館愛橘とその時代-その11-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
物理学校の度量衡科を卒業した明治7年(1874年)生まれの長州人、関菊治(大阪府権度課長)

田中館愛橘とその時代-その10-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
高野瀬宗則の権度課長着任と度量衡法制定(メートル条約締結と連動する日本の動き)

田中館愛橘とその時代-その9-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
高野瀬秀隆と肥田城の水攻め(高野瀬宗則とその先祖の高野瀬秀隆)

田中館愛橘とその時代-その8-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
彦根藩主の井伊直弼(大老)による安政の大獄

田中館愛橘とその時代-その7-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
井伊直弼の死を国元へ伝える使者の高野瀬喜介、子息は高野瀬宗則

田中館愛橘とその時代-その6-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
日本の近代度量衡制度を築き上げるために農商務省の権度課長に指名された高野瀬宗則

田中館愛橘とその時代-その5-(東京大学の始まりのころと現代の高等教育の実情)
日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その5-

日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その4-

日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その3-

日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その2-

日本物理学の草創期にその後日本の物理学を背負う多くの偉人を育てた日本物理学の祖である田中舘愛橘(たなかだて あいきつ)をさぐる。-その1-田中舘愛橘が育った江戸から明治にかけての日本の状況(執筆 横田俊英)

初版 物理学者で日本人初の国際度量衡委員の田中舘愛橘-その1-(執筆 横田俊英)

美ヶ原高原と春の雪 執筆 甲斐鉄太郎

地が裂け山が崩れ洪水が人を襲う日本の自然(ハザードマップは人が住んではならない場所を示す地図だ

富士山より高かった八ヶ岳が崩壊すると泥流は甲府盆地の向こうまで流れた執筆 甲斐鐵太郞
韮崎と須玉に連なる丘の七里岩は八ヶ岳崩壊による岩屑(がんせつ)なだれの跡だ


霜が降りるまでヤマモミジは真っ赤に燃えていた 執筆 甲斐鐵太郞

中央道須玉IC付近右手にみえる七里岩。八ヶ岳が山体崩壊による岩屑(がんせつ)なだれの跡だ。執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

霞ヶ浦の岸辺で遊ぶ 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ライカの一眼レフを使う 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

ロッキングチェアでパソコンと遊ぶ 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

紅葉の富士山と河口湖-その1- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

紅葉の富士山と河口湖-その2- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

紅葉の富士山と河口湖-その1- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

紅葉の富士山と河口湖-その2- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

中部横断自動車道を走る トンネルと橋でできた道だ 2019年10月21日 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ライカM5は特別な感覚領域を備えていて私を虜(とりこ)にした

暑い夏の日に紀伊半島の山中をさまよっていた 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

黒羽観光やなと那珂川の清流 文章 旅行家 甲斐鉄太郎

灰色の街と紅い夕日 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

大山阿夫利神社と山麓の梨 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

安曇野の夏、8月18日には稲が実りかけておりました 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

高山市の古い町並みの暖簾(のれん)が良い 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

【八ヶ岳連峰 硫黄岳への夏山登山 動画】YouTube

八ヶ岳連峰 硫黄岳へ夏休み登山 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

地震と津波

地震計は地震を予知する機能を持たない

旅行や自然や風景の動画 目次-その2-

旅行や自然や風景の動画 目次-その1-

地震計は地震を予知する機能を持たない

【八ヶ岳連峰 硫黄岳への夏山登山 動画】

八ヶ岳連峰 硫黄岳へ夏休み登山 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

オリンピックの自転車ロード競技のテストイベントを見物する 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

2019年郡上おどり2日目7‎月‎14‎日は午後10時半まで盛大に 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

2019年の郡上おどり始まる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

飛騨市古川町にNHK 朝ドラの「さくら」がいた。執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

海をみに行く。房総半島を右回りで旅行した。 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

夏至の日の八島湿原のアヤメ 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

ニセアカシアを知る-アカシア情報-

アカシアの白い花が咲いていた 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

松本市と松本城そして穂高連峰 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

上田城跡と白土三平と霧隠才蔵 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

真田の上田城をみる 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

ありふれた一日の覚書 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
午前9時までに4時間の調べ事、そして都内で新聞の業務です


真澄の宮坂酒造で利き酒する諏訪の旅 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

5月19日、山梨県清里の清泉寮にでかけました 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ある一日、木曜日の典型的な行動です。執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

良い景色のところにでかけて自然に身体を浸すように心がけたい 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

フェリーで伊勢旅行 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

伊勢旅行したら草臥れ果てて椅子に座れなくなりました。
(そのためにキーボードとの位置関係のよい椅子を買って対処しました)
 執筆 甲斐鐵太郎

輝く虹の環水平アークと日暈(ひがさ)の出現に沸いた2019年4月28日 執筆 甲斐鐵太郎

湘南の海岸通りを走る 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

富士芝桜まつり 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ウイルス防御ソフトの「ブロック」表示との格闘三日間 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ウイルス・ソフトのパソコンへのアップの顛末記 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

「ハッピーエンド」を聴く 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

八ヶ岳と野辺山高原そして川上村の景色 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

3月7日、別所温泉の和風・老舗旅館に泊まる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

webページとYouTubeで構成された私の音楽室 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

日本海の幸を寺泊で味わう-その2-執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

日本海の幸を寺泊で味わう 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

土曜日、ガストで新調したパソコンの動作を確かめる。快調だと朝定食を食べて喜ぶ。執筆 甲斐鐵太郎


キャノン7とキャノンP 執筆 甲斐鐵太郎

中央道下り諏訪から北アルプスがみえる 執筆 甲斐鐵太郎
中央道下り諏訪から穂高岳、槍ヶ岳、常念岳がみえる

富士市の富士山展望の宿に泊まった 執筆 甲斐鐵太郎

国道158号線 松本市に向かう冬の旅である 執筆 甲斐鐵太郎

霧ヶ峰高原 八島湿原 八ヶ岳の雪と青い空 執筆 甲斐鐵太郎

石老山(標高702 m)2月1日、雪の朝 執筆 甲斐鐵太郎

真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎

熱海桜は河津桜よりも確実に早く咲く 執筆 甲斐鐵太郎
真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎

真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎

富士山を見るために二週連続で富士宮駅前のホテルがでかけた 執筆 甲斐鐵太郎
(ダイヤモンド富士が出現する暦、年中ダイヤモンド富士が見られます 執筆 甲斐鐵太郎)

1月10日、京都えびす神社の「えべっさん」 執筆 甲斐鐵太郎

富士山に陽が昇る 執筆 甲斐鐵太郎

富士山が見えている夕方に「吉田のうどん」を食べる 執筆 甲斐鐵太郎
(副題)本を読むこと、文章を書くこと、とwebが一体になった


山中湖から富士山を仰ぎ見るのを楽しみにしている。執筆 甲斐鐵太郎

太陽が平原の林に沈んだ。月が輝きだした。高原の冬である。執筆 甲斐鐵太郎

大王わさび農場を冬至の日に訪れる 執筆 甲斐鐵太郎

上高地夏至のころ 執筆 甲斐鐵太郎

江戸の人々の山岳信仰の山だった大山(標高1,252m) 執筆 甲斐鐵太郎

林の向こうに青空が見えると嬉しくなります 執筆 甲斐鐵太郎

山手のレストランとBOSEのスピーカー 旅行家 甲斐鐵太郎

三浦岬をぐるりと巡って葉山マリーナにでた 執筆 甲斐鐵太郎

浅草の場外馬券売り場前の飲み屋で一杯 執筆 甲斐鐵太郎

お酉さま 執筆 甲斐鐵太郎

晩秋の霧ヶ峰高原 霧に包まれたカラ松の高原道路を走る 執筆 甲斐鐵太郎

カラマツは黄色と赤の中間色に燃えていた。カラマツ林の裾に民家があった。茅野市である。執筆 甲斐鐵太郎

10月の下旬に新潟市の界隈をうろついた 執筆 甲斐鐵太郎

11月の旅 壊れているフィルムカメラを旅の途中で買った これが酒の肴にはいい 執筆 甲斐鐵太郎

10月12日、川上村のレタス畑は最後の収穫をしていた 執筆 甲斐鐵太郎

信州の秋をめぐる 諏訪から佐久にでる 千曲川沿いを走る 執筆 甲斐鐵太郎

信州松本市郊外で秋のめぐみに出会う 執筆 甲斐鐵太郎

金曜日の夜は紅葉と夕日と星空の八ヶ岳、霧ケ峰そして美ケ原を走っていた 執筆 甲斐鐵太郎

日本平と久能山東照宮 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その6-上高地賛歌 八ヶ岳登山で山の自然に魅了される 甲斐鐵太郎

私と上高地-その5-格好いい山男は女に好かれる 山で英雄になった男の物語 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その4-槍ヶ岳・穂高岳登山と上高地 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その3-上高地帝国ホテルと大正池界隈を歩く 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その2-登山とロマンチズムそして感傷主義 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その1-槍ヶ岳と穂高岳のあとの休息地・上高地 執筆 甲斐鐵太郎

横浜市山手の丘にでかけると海が見え瀟洒な家並みにはブリキ博物館が紛れ込んでいた

夕暮れどきの高山市古い町並み‎2018‎年‎6‎月‎23‎日、‏‎18:06:44

夏至の日の旅行で郡上八幡市の古い町並みを見物する

6月24日、松本市波田のスイカを買う 温室栽培の大玉スイカです

6月に晴れる 小さなリゾート地相模湖で憩う

白いヒナと黒い3羽のヒナを連れて湖面を移動するコブハクチョウ

夏の訪れを告げる鮎釣り 相模川の6月1日の夕暮れ時

よい景色とよい音楽と美味しい食事 八ヶ岳と北欧レストランとパソコンでユーチューブ

近江の国、多賀大社(たがたいしゃ)の茅の輪くぐり

特別な位置にいる投手としての大谷翔平

「春の日と一人娘はくれそでくれない」ので5月は午後7時まで遊んでいられる

奥飛騨の新芽の背景は北アルプス穂高連峰の山肌であった

松本駅前の昭和横丁でホルモンを食べる 松本山雅FCファンがやかましい店だ

金曜日、思いついて新宿から松本に向かう。塩尻駅で降りた。

東京の桜は散って新緑の季節になりました

武田信玄の北条との決戦地の三増峠近くの枝垂れ桜
(季節は2カ月と半分ほどで夏至になる)

北杜市実相寺の山高神代桜は甲府盆地の桃の花と開花時期が同じです
(関東地方の春分の日は雪が舞い河口湖では28㎝も雪が積もりました)


陽だまりでは梅の花が土手にはスミレが咲く
5月になれば水田に映える常念岳を見に安曇野にでかけよう

埼玉県吉見町の栽培農家で買ったイチゴは甘かった美味かった
富士山の雨を集めた山中湖は忍野をへて津久井湖で道志村に降った雨と合流する
槍ヶ岳 霧ヶ峰からの遠望(高原の秋の始まりのころ)
山みちで老いたキツネにであう 旅行家 甲斐鐵太郎

数学者も物理学者も現在持つ知識は写し取って得たものである
インターネットで拾った文章を繋げて出来上がるニュース報道

数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実

数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実

数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実
(光波干渉測定システムはアインシュタインの理論を事実として確認した)


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