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出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 甲斐鐵太郎

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 甲斐鐵太郎
旅行家

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

良寛記念館を訪ねて良寬を考える。清貧の思想がある。

複製された五合庵。良寛記念館に建てられている。

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

五合庵では「秋萩帖」を手本にして書の修行をする。

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

良寛記念館を訪ねて良寬を考える。清貧の思想がある。

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

良寬の像があったのかなかったのか、絵からつくったのか。

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

雨と雪の長い一日も夕方の晴れ間に心が開く。温泉に入る。

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

雨の日であった。三条から上田に行き別所温泉に泊まる。

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

上田に行き別所温泉に泊まる。

(タイトル)
出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
(「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」と良寬は自分を述べる)

 良寬とはよい名である。曹洞宗僧侶としての名だ。良寛は勉強が大変好きな少年であった。勉強をしていない時は物思いにふけって、ぼんやりしていた。良寛は大人になると皆に尊敬された。良寛の書は名高い。余白に美がある。良寛の生き方はどうであったか。

 良寛(りょうかん)は宝暦8年10月2日(1758年11月2日)から天保2年1月6日(1831年2月18日)。江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家、号は大愚。良寛は越後国出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町)に生まれた。四男三女の長子。父の以南はこの地区の名主・橘屋。石井神社の祠職を務め、俳人でもあった。良寛は後を継ぐ名主見習いを始める。不向きであったか負担だったためか2年目の18歳のときに出家する。子供のころに学んでいた曹洞宗海嶽山光照寺(出雲崎町尼瀬に駆け込む。

 米騒動が頻発した時代である。越後にも天災・悪疫が襲い、凶作があって餓死者がでた。村人の争いを調停し、盗人の処刑に立ち会わなければならなかった。救いのない人間の哀れな世界をみた。両親の落胆をよそに良寛は寺にひきこもる。

 出家後、安永8年(1779年)22歳のとき備中玉島(現・岡山県倉敷市)の円通寺に出向いて国仙和尚に師事する。「一日作らざる者は、一日食わず」というように国仙和尚は日ごとに言葉を変えて説く。寛政2年(1790年)34歳すにして印加を受る。明くる年、国仙和尚の「好きなように旅をするが良い」との遺言によって諸国を巡る。

 48歳になって故郷近くの越後国蒲原郡国上村(現燕市)国上山(くがみやま)国上寺(こくじょうじ)にちいさな庵を結ぶ。この庵で「秋萩帖」を手本にして書に打ち込む。人々から一日五合の米のほどこしを受けて暮らす。五合庵とは米五合と重ねた名である。囲炉裏(いろり)があって外に厠(かわや)が備えられた茅葺きのちいさな庵である。筍(たけのこ)が生えてくれば居間をゆずる。子供にせがまれれば、日が落ちるまで鞠(まり)つきをした。「この子らと 手鞠付きつつ遊ぶ春 日はくれずともよし」(良寬)

 61歳になると五合庵にあがるわずかの階段がつらくなって乙子神社境内の草庵に移った。書は心のはけ口であった。これまでの書法では心を表せないので独自の書法を用いた。上手に見せようとしない。一つの点を打つ、一つの棒を引く、その配置に妙があった。残された良寬の書は、現代でも道を究めた人が学び直す手本になっている。

 70歳になると島崎村(現長岡市)の木村元右衛門邸内にも庵がつくられた。寺は生涯持たなかった。無欲恬淡な暮らをした。難しい説法はしない。質素な生活をすることで無言の教えをした。警句を交えてわかりやく物事を説いた。 子供の純真な心こそが仏の心と良寛は子供達とよく遊んだ。かくれんぼをして手毬(てまり)をついた。子供に凧(たこ)に字を書くようにせがまれると「天上大風」(てんじょうたいふう)のと書いた。その凧が残っている。報酬を示されて書を求められても応じなかった。

 「うらをみせ おもてを見せて ちるもみじ」は良寛の句碑。円通寺にある。俳人の山田杜皐(やまだとこう)にあてた文に「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」とある。見舞いのために書かれた。良寬の精神があらわれている。

 「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」と良寬は述べる。自分のことを、すすんで世のなかと交わることよりも、好きなことをしているような人であるというのである。

良寛記念館
〒949-4342 新潟県三島郡出雲崎町米田1番地
TEL. 0258-78-2370
FAX. 0258-78-4748
[ 開館時間 ]AM9:00〜PM5:00
[ 休館日 ]4月〜10月:休館日なし。11月〜3月:毎週水曜日は休館(祝日の場合は翌日)。年末年始:12月29日〜1月3日。

あっという間に春は進んで桜が咲いてしまいました。

春うららかな東京千鳥ヶ淵の光景です 3月27日撮影


東京郊外の枝垂れ桜が咲きました。3月26日撮影。

日本海のよどんだ雨の日に良寬記念館を訪れて物思いにふけっていると東日本は桜が咲いてケヤキが芽吹いて春になっておりました。梅の花と桜とスイセンと馬酔木とツツジとが咲き出して春爛漫です。良寬記念館の庭の草むらに蕗の薹がでておりましたが、例年より早く咲き出した日だまりの枝垂れ桜の下では蕗の薹がお化けになっていて蕗の葉は茎が短いですがもげば食べられます。良寬が日が暮れるのを惜しんで子供と遊ぶのに良い季節になりました。越後国出雲崎の名主の家の仕事を継ぐことを忌避した良寬は欲を捨てるようにして生きていくしかなかったのかもしれません。修行を積んでたどり着いた境地でもあったのでしょう。三条で旧知の人々にひさしぶるに会いました。良寬記念館を訪れると、昨日面会した人々がみな良寬と重なっておりました。

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夏至の日の旅行で郡上八幡市の古い町並みを見物する

6月24日、松本市波田のスイカを買う 温室栽培の大玉スイカです

6月に晴れる 小さなリゾート地相模湖で憩う

白いヒナと黒い3羽のヒナを連れて湖面を移動するコブハクチョウ

夏の訪れを告げる鮎釣り 相模川の6月1日の夕暮れ時

よい景色とよい音楽と美味しい食事 八ヶ岳と北欧レストランとパソコンでユーチューブ

近江の国、多賀大社(たがたいしゃ)の茅の輪くぐり

特別な位置にいる投手としての大谷翔平

「春の日と一人娘はくれそでくれない」ので5月は午後7時まで遊んでいられる

奥飛騨の新芽の背景は北アルプス穂高連峰の山肌であった

松本駅前の昭和横丁でホルモンを食べる 松本山雅FCファンがやかましい店だ

金曜日、思いついて新宿から松本に向かう。塩尻駅で降りた。

東京の桜は散って新緑の季節になりました

武田信玄の北条との決戦地の三増峠近くの枝垂れ桜
(季節は2カ月と半分ほどで夏至になる)

北杜市実相寺の山高神代桜は甲府盆地の桃の花と開花時期が同じです
(関東地方の春分の日は雪が舞い河口湖では28㎝も雪が積もりました)


陽だまりでは梅の花が土手にはスミレが咲く
5月になれば水田に映える常念岳を見に安曇野にでかけよう

埼玉県吉見町の栽培農家で買ったイチゴは甘かった美味かった
富士山の雨を集めた山中湖は忍野をへて津久井湖で道志村に降った雨と合流する
槍ヶ岳 霧ヶ峰からの遠望(高原の秋の始まりのころ)
山みちで老いたキツネにであう 旅行家 甲斐鐵太郎

数学者も物理学者も現在持つ知識は写し取って得たものである
インターネットで拾った文章を繋げて出来上がるニュース報道

数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実

数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実

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(光波干渉測定システムはアインシュタインの理論を事実として確認した)


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