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縄文人はニホンザルを食べていた
秋田と岩手ではマタギが獲ったサル肉を昭和初期まで食べていた
東北地方では旬の味としてサルの肉は珍重された。
Jomon people were eating Japanese macaque
執筆 甲斐鐵太郎

縄文人はニホンザルを食べていた
秋田と岩手ではマタギが獲ったサル肉を昭和初期まで食べていた サルの胆はクマの胆の二倍で取引された
In Akita and Iwate, they ate monkey meat caught by Matagi until the early Showa period.
執筆 甲斐鐵太郎 旅行家

縄文人はニホンザルを食べていた 甲斐鐵太郞

縄文人はニホンザルを食べていた 甲斐鐵太郞

縄文人はニホンザルを食べていた 甲斐鐵太郞

5月2日新芽を食べるニホンザル。葛温泉付近で。


縄文人はニホンザルを食べていた 甲斐鐵太郞

松新芽が芽吹くとニホンザルは夢中でで頬張る。

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長野県北相木村の栃原岩陰遺跡。発掘当時の写真。

縄文人はニホンザルを食べていた 甲斐鐵太郞

北相木村役場隣にある博物館に復元された遺跡。

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栃原岩陰遺跡から出土したニホンザルの骨。

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長野県北相木村栃原岩陰遺跡博物館の外の景色。

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栃原岩陰遺跡から数kmの縄文中期の大深山遺跡。

縄文人はニホンザルを食べていた 甲斐鐵太郞

白樺やダケカンバの天然林が遺跡の周囲を覆う。

縄文人はニホンザルを食べていた 甲斐鐵太郞

(本文)

 南佐久郡北相木村大字栃原字東栃原277番地に所在する栃原岩陰遺跡の縄文早期の地層からニホンザルの骨が出土している。ニホンザルの頭骨は割られていることから脳みそを食べたと推定される。シカ、イノシシ、クマなどの動物の骨は砕かれているので髄を食べた証拠とされている。縄文時代の人口は5万人から30万人の間を行き来している。縄文中期は間氷期でありそれは縄文海進をもたらし、茨城県の奥地にまで海が広がった。温暖期であった縄文中期に人口が大きく膨れた。縄文早期は食糧にとぼしかったから人口は低く抑えられた。山野草、木の実、草の実を鳥獣そして魚介類を食べていた縄文人の食とその生活はどのようであったか。1万年もつづいた縄文時代である。飢えているからこそ人口が大きくならない。そのような状態が1万年続いたのが縄文時代である。

 気候の変動によって人口の増減があった。弓があり、ヤジリを先に付けた弓矢があり、槍があった。釣バリや裁縫道具が縄文早期の栃原岩陰遺跡から多く出ている。釣バリは想定される集落の規模に対して出土数が多いので自家使用のためだけではなく、交易を目的につくられていたことが想定されている。釣バリの材料は動物の角や骨である。シカの角はこの時代には釣バリに加工された。

 縄文早期の縄文人は食べられるモノは何でも食べたと推定される。骨を割って髄を食べた。サルの頭蓋骨は割られていた。サルの脳みそは食された。食べられるキノコを知っていて食べた。サルもキノコを食べる。サルが食べたキノコを観察すれば人に毒にならないキノコを知ることができる。栃原岩陰遺跡に積もった上部の土には縄文中期の土器などが埋設している。狩りに出たときの一時の留まり宿にも使われていたかも知れない。この遺跡小学生が遊び場としていた。1970年ころから本格的な遺跡発掘が行われるようになった。栃原岩陰遺跡は県道沿いにある。県道の上にぽっかり穴が空いているのだ。相木川沿いに似たような穴が空いているのをみた。7万年から8万年前に噴火した八ヶ岳の泥流が丘を超えて相木川を流れ下ったことによるのだろう。旧石器人はいたかも知れない。縄文人は八ヶ岳の大噴火のはるか後にこの地に住みついた。栃原岩陰遺跡から南に数キロメートル移動する川上村に縄文中期の大深山遺跡がある。相木川は千曲川の源流の一つであり、大深山の縄文遺跡の直下を千曲川が流れる。千曲川には川鱒がのぼってきていた。縄文時代は遙か遠い時代ではなくわずかに3,000年前である。3,000年前からさらに1万年を遡って縄文時代がつづいていた。

 縄文時代早期、あるいはそれよりも前から人に使われていた栃原岩陰遺跡は手間のかからない住まいとして重宝された。栃原岩陰遺跡の前には相木川が手を伸ばせば届くところにある。川上村に縄文中期の大深山遺跡に住む縄文人は栃原岩陰遺跡の岩穴を知っていたことだろう。栃原岩陰遺跡には縄文中期の確かな痕跡が土器などの形で残されている。竪穴式住居所は少し形を変えただけで古墳時代にも建てられていた。集落共同してするのに屋根葺き作業は向いている。j早期縄文、中期縄文時代に大型動物を狩ることが食糧にどの程度の割合であったか知らないが、巻き狩りはより確実な猟法である。村落の人に共同作業があったと想像される。

東北地方では旬の味としてサルの肉は珍重された

 ニホンザルを食することは現代の人には奇っ怪なことだが、太田雄治氏は『マタギ』で何事でもないように日本人のサル肉の食のようすをルポルタージュする。太田雄治著『マタギ』(1989年八幡書房刊)には、秋田、岩手で猿の肉を食べていたことを明かす記述がある。次が関係する記述だ。太田雄治著『マタギ』1989年八幡書房刊では猿の肉を食べたことを次のように述べる。

 サルの肉を賞味したのは、昭和のはじめころまでである。当時、角館町の五十集屋(イザベヤ-塩干類を売る魚屋)の店頭には、毛つきのままのサル、キツネ、ムジナ、ガン、ヤマドリ、キジ、山ウサギなどが下げられ、またサルは枝肉としても店頭で売られていた。

 大正の中ごろまでは寒に入ると「エンコ(方言でサルのこと)えんすか)」(サルの肉はいりませんかの意)とサルの肉を売り歩いていたものである。冬になり、サルの枝肉を買って味噌漬けにし、焼き肉にするとたいへんうまい。サルの肉は砂糖で味つけしたような甘味のあるうまさだったという。それで貝焼き(鍋料理)にしたといわれる。ほかの山野獣に比べサルの肉はもっとも美味であるという。

 生保内マタギの話によると、これは明治の末ごろのこと。秋田・岩手両県境の仙北峠に群がっていたサルをとりに、冬になると、阿仁マタギや檜木内マタギがやってきた。そして田沢湖町生保内のマタギ宿を足場としてサルとたくさんとった。峠の境にあるお助け小屋(南部・秋田の商品を取引する集荷場)で、気仙沼や三陸地方あたりで盛んにとれたシカの枝肉とサルの枝肉が物々交換された。そして旬の味のものとしてサルの肉は特に珍重されたのである。

 大正の末ころ、毎年旧十一月末ころから十二月末ころまでと旧正月の堅雪にかけて、練達したマタギが集まって生保内にきたため、奥羽連峰のサルは激減の道をたどった。生保内には、阿仁・戸沢の両マタギが集団でやってきては泊まるマタギ宿が大正の末ころまであった。これらマタギグループの総捕獲数を合計すると、毎年少なくとも青シシ三、四十頭、サル数十匹、これに地元マタギの猟を加えると、かなりのサルごカモシカが乱獲されていったようである。(青シシとはカモシカのこと)

 サルは、秋はブドウ、クリ、ヤス(サワグルミ)の実など、さまざまの木の実を食べていて脂肪がのっている。しかし、ヒバ(檜葉-アスナロ)密林の中に隠れているので発見がむずかしい。旧正月過ぎの堅雪のころがサル猟に最適といわれる。

 サルの食べ物は、マツタブ(マタタビ)の蔓についている皮、サヒタ(サビタ)の皮などのほか、カラカラになって大木についているシイタケ、ムキタケ、キクラゲ、カヌカ、アカキノコ、ワカイ、ナメコなど毒性のないキノコ類、山クワの皮、マキという木の皮、自生のニッケの皮などである。

 冬のサルは小食といわれている。降雪の最中は足跡が雪につくので、跡の比較的つかない堅雪のころまで、樹木の枝渡りをしてエサをさがして歩き、雪の上には降りてこない。この間、集団で食べる冬のエサとして干しキノコ類と樹皮類だけでは量が限られているので食べる量も非常に少ないことになるのである。それで雪の上に降りてエサを捜して歩く堅雪のころがサル狩りによいことになる。

 当時のサル狩りは、堅雪のころをねらって夜明けに出動する。サルの集団がまだその朝食べ物をとらないうちに巻き狩りの布陣を終えるのである。これは値段にするとクマの胆の二倍という、マタギの獲物の中では最高の値のサルの胆をとるためである。朝の食べ物をとってしまった胆は、消化液が出るので小さい。それで夜明け前にサルをとる。

 サルの胆は干しあがりで重さ3.75グラム前後が普通。昭和10年2月、角館町の宮本氏が、オイノ沢で八匹とったサルのうち、7.5グラムの重さの胆を持ったサルがいたというが、これはサルとしては珍しく、最大のものといわれる。サルの胆は、子供の食あたり、カン、馬の突き目の妙薬として高く売られた。

 サルの寒中の脂肪は、黄色い山イチゴのような色で粒になって、皮の下に厚さ三センチメートルくらいにこってりとついている。肉の味はニワトリの肉に砂糖を入れたようなおいしい味。婦人病にきくというので、大正の中ごろまで角館町でも、寒にはいるとサルの肉を売り歩く声がきかれた。

 仙北郡田沢湖町田沢の古い寺子屋(旧藩時代)のそろばん稽古にサルの値段を計算した教育法がとりあげられている。「サル(皮)三十文、み(肉)六十文、ばっきゃ(頭)十文、ザル(アバラ骨)八文」と、当時の生活と結びつけた実物計算法。サルが多くとれた頃は山村民の生活にとってサルは重要な経済的役割を果していたわけである。

マタギのこと

 マタギとは狩りをする人であり、かつては東北地方に集落をつくって住んでいた。マタギを辞書風に定義的に語るのは難しい。2020年の時点ではマタギの実態が消えているからでもあり、またマタギという言葉から受ける人々の印象がまちまちだからだ。大きくは狩猟をする人をマタギと言い、狭くは山村に小さな畑をもち山仕事をしながらクマ、イノシシ、シカなどの獣や野禽を狩ることを生業とし、小さな集落をつくって暮らしていた人々である。山には住み込んではならない領域があったのだが、マタギはその領域をこえて狩猟していた。領域をこえることを許されるという免状を巻物にして持ち歩いていたのであるが、この免状の出所と効力は定かではない。捕獲物のうち熊の胆嚢を干した熊の胆は妙薬と信じられていたから、熊の胆を売りに全国を行脚して第二次大戦直後まではよい稼ぎをしていた。阿仁地方では昭和26年ころ村の経済の大半をまかなう状態であった。村の生計が熊の胆はの販売によってもたらされていたのである。

 上のことは太田雄治著『マタギ』1989年八幡書房刊 1,800円による。太田雄治氏は大正二年、秋田県仙北郡角館町生れ。昭和14年、秋田魁新報社に入社、戦後昭和22年、故郷の角館支局長となる。昭和3年頃から民俗学者でマタギ研究家の武藤鉄城市に師事、とくにマタギ習俗を研究した。また食べ物への関心が強く郷土料理研究家でにあった。

ニホンザル
 オナガザル科で種はニホンザル。哺乳綱霊長目オナガザル科マカク属に分類される霊長類。ヒトを除いた霊長目の現生種では、最も北(下北半島)まで分布する。化石は中期更新世以降の地層から発見されている。常緑広葉樹林や落葉広葉樹林に生息する。地表でも樹上でも活動する。

 昼行性で群れれは1から80平方キロメートルの行動圏内で生活する。行動圏は常緑広葉樹林では狭く落葉広葉樹林内では広い。主に果実を食べるが、植物の葉、花、種子、キノコ、卵、昆虫なども食べる。下北半島の個体群は食物が少ない時期に樹皮、海藻、貝類なども食べる。春季は花や若葉、夏季は漿果、春季から冬季にかけては果実や種子を食べる。

 野生下での寿命は25年以下(幼獣の死亡率が高い)だ。1947年以降の狩猟獣からの除外、農村の衰退などにより本種による農作物の被害(猿害)が、主に1970年代から増加している。1970年に下北半島北西部および南西部の個体群およびその生息地が「下北半島のサルおよびサル生息地」として国の天然記念物に指定されている。

【資料】栃原岩陰遺跡の発掘調査の報告書からの抜粋。
(南佐久郡北相木村大字栃原字東栃原277番地に所在する栃原岩陰遺跡)
1、ニホンザル 中足骨と趾骨各1点(第20層)
1、ニホンザル 側頭骨(第20層)
1、第15回発掘までの出土量は、大型獣の中ではツキノワグマが最も少なく、踵骨および距骨の出土合計数は、シカ195、ニホンザル64、イノシシ49、カモシカ27、に対してツ キノワグマは21であった。
1、長野県唐沢岩陰遺跡 (縄文晩期~弥生後期)での出土量はシカ10体分、ツキノワグマ15体分、イノシシ7体分、ニ ホンザルは 13体分と推定されている 。
1、今回の発掘ではシカ7頭、イノシシ5頭 に対して、ニ ホンザルは1頭の割合になる。ニホンザルは、貝塚や洞穴遺跡から知られる代表的な中型獣で、その昼行性の故に捕獲の対象とされ易かった。
1、イノシシは後述するシカの7頭よりは少ないが、カモシカ、ツキノワグマ、ニ ホンザルの各1頭よりは多い。しかし主要骨および歯の出土数が全体として少ないので、捕獲・利用された個体の年令別、性別個体数などに言及することはできない。イノシツの歯のうち雄の大歯がみられなかったことにも注目しておきたい。装飾品や利器としての利用価値が高かったものであろう。
1、骨の量が頭数に見合わないのは、隣接する集落の構成員も参加した集団的狩猟によって,本遺跡に持ち込まれたのが、1動物体の一部分ずつにすぎなかったというような状況も考えられる。


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副題2 Canon EOS 5Dはライカ単焦点レンズを使う最上のカメラだ


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田中館愛橘とその時代-その13-(田中館愛橘と高野瀬宗則と関菊治)
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田中館愛橘とその時代-その12-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
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田中館愛橘とその時代-その11-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
物理学校の度量衡科を卒業した明治7年(1874年)生まれの長州人、関菊治(大阪府権度課長)

田中館愛橘とその時代-その10-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
高野瀬宗則の権度課長着任と度量衡法制定(メートル条約締結と連動する日本の動き)

田中館愛橘とその時代-その9-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
高野瀬秀隆と肥田城の水攻め(高野瀬宗則とその先祖の高野瀬秀隆)

田中館愛橘とその時代-その8-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
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田中館愛橘とその時代-その7-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
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田中館愛橘とその時代-その6-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
日本の近代度量衡制度を築き上げるために農商務省の権度課長に指名された高野瀬宗則

田中館愛橘とその時代-その5-(東京大学の始まりのころと現代の高等教育の実情)
日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その5-

日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その4-

日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その3-

日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その2-

日本物理学の草創期にその後日本の物理学を背負う多くの偉人を育てた日本物理学の祖である田中舘愛橘(たなかだて あいきつ)をさぐる。-その1-田中舘愛橘が育った江戸から明治にかけての日本の状況(執筆 横田俊英)

初版 物理学者で日本人初の国際度量衡委員の田中舘愛橘-その1-(執筆 横田俊英)

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霜が降りるまでヤマモミジは真っ赤に燃えていた 執筆 甲斐鐵太郞

中央道須玉IC付近右手にみえる七里岩。八ヶ岳が山体崩壊による岩屑(がんせつ)なだれの跡だ。執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

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紅葉の富士山と河口湖-その2- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

紅葉の富士山と河口湖-その1- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

紅葉の富士山と河口湖-その2- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

中部横断自動車道を走る トンネルと橋でできた道だ 2019年10月21日 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

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【八ヶ岳連峰 硫黄岳への夏山登山 動画】

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ありふれた一日の覚書 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
午前9時までに4時間の調べ事、そして都内で新聞の業務です


真澄の宮坂酒造で利き酒する諏訪の旅 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

5月19日、山梨県清里の清泉寮にでかけました 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ある一日、木曜日の典型的な行動です。執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

良い景色のところにでかけて自然に身体を浸すように心がけたい 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

フェリーで伊勢旅行 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

伊勢旅行したら草臥れ果てて椅子に座れなくなりました。
(そのためにキーボードとの位置関係のよい椅子を買って対処しました)
 執筆 甲斐鐵太郎

輝く虹の環水平アークと日暈(ひがさ)の出現に沸いた2019年4月28日 執筆 甲斐鐵太郎

湘南の海岸通りを走る 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

富士芝桜まつり 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ウイルス防御ソフトの「ブロック」表示との格闘三日間 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ウイルス・ソフトのパソコンへのアップの顛末記 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

「ハッピーエンド」を聴く 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

八ヶ岳と野辺山高原そして川上村の景色 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

3月7日、別所温泉の和風・老舗旅館に泊まる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

webページとYouTubeで構成された私の音楽室 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

日本海の幸を寺泊で味わう-その2-執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

日本海の幸を寺泊で味わう 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

土曜日、ガストで新調したパソコンの動作を確かめる。快調だと朝定食を食べて喜ぶ。執筆 甲斐鐵太郎


キャノン7とキャノンP 執筆 甲斐鐵太郎

中央道下り諏訪から北アルプスがみえる 執筆 甲斐鐵太郎
中央道下り諏訪から穂高岳、槍ヶ岳、常念岳がみえる

富士市の富士山展望の宿に泊まった 執筆 甲斐鐵太郎

国道158号線 松本市に向かう冬の旅である 執筆 甲斐鐵太郎

霧ヶ峰高原 八島湿原 八ヶ岳の雪と青い空 執筆 甲斐鐵太郎

石老山(標高702 m)2月1日、雪の朝 執筆 甲斐鐵太郎

真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎

熱海桜は河津桜よりも確実に早く咲く 執筆 甲斐鐵太郎
真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎

真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎

富士山を見るために二週連続で富士宮駅前のホテルがでかけた 執筆 甲斐鐵太郎
(ダイヤモンド富士が出現する暦、年中ダイヤモンド富士が見られます 執筆 甲斐鐵太郎)

1月10日、京都えびす神社の「えべっさん」 執筆 甲斐鐵太郎

富士山に陽が昇る 執筆 甲斐鐵太郎

富士山が見えている夕方に「吉田のうどん」を食べる 執筆 甲斐鐵太郎
(副題)本を読むこと、文章を書くこと、とwebが一体になった


山中湖から富士山を仰ぎ見るのを楽しみにしている。執筆 甲斐鐵太郎

太陽が平原の林に沈んだ。月が輝きだした。高原の冬である。執筆 甲斐鐵太郎

大王わさび農場を冬至の日に訪れる 執筆 甲斐鐵太郎

上高地夏至のころ 執筆 甲斐鐵太郎

江戸の人々の山岳信仰の山だった大山(標高1,252m) 執筆 甲斐鐵太郎

林の向こうに青空が見えると嬉しくなります 執筆 甲斐鐵太郎

山手のレストランとBOSEのスピーカー 旅行家 甲斐鐵太郎

三浦岬をぐるりと巡って葉山マリーナにでた 執筆 甲斐鐵太郎

浅草の場外馬券売り場前の飲み屋で一杯 執筆 甲斐鐵太郎

お酉さま 執筆 甲斐鐵太郎

晩秋の霧ヶ峰高原 霧に包まれたカラ松の高原道路を走る 執筆 甲斐鐵太郎

カラマツは黄色と赤の中間色に燃えていた。カラマツ林の裾に民家があった。茅野市である。執筆 甲斐鐵太郎

10月の下旬に新潟市の界隈をうろついた 執筆 甲斐鐵太郎

11月の旅 壊れているフィルムカメラを旅の途中で買った これが酒の肴にはいい 執筆 甲斐鐵太郎

10月12日、川上村のレタス畑は最後の収穫をしていた 執筆 甲斐鐵太郎

信州の秋をめぐる 諏訪から佐久にでる 千曲川沿いを走る 執筆 甲斐鐵太郎

信州松本市郊外で秋のめぐみに出会う 執筆 甲斐鐵太郎

金曜日の夜は紅葉と夕日と星空の八ヶ岳、霧ケ峰そして美ケ原を走っていた 執筆 甲斐鐵太郎

日本平と久能山東照宮 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その6-上高地賛歌 八ヶ岳登山で山の自然に魅了される 甲斐鐵太郎

私と上高地-その5-格好いい山男は女に好かれる 山で英雄になった男の物語 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その4-槍ヶ岳・穂高岳登山と上高地 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その3-上高地帝国ホテルと大正池界隈を歩く 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その2-登山とロマンチズムそして感傷主義 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その1-槍ヶ岳と穂高岳のあとの休息地・上高地 執筆 甲斐鐵太郎

横浜市山手の丘にでかけると海が見え瀟洒な家並みにはブリキ博物館が紛れ込んでいた

夕暮れどきの高山市古い町並み‎2018‎年‎6‎月‎23‎日、‏‎18:06:44

夏至の日の旅行で郡上八幡市の古い町並みを見物する

6月24日、松本市波田のスイカを買う 温室栽培の大玉スイカです

6月に晴れる 小さなリゾート地相模湖で憩う

白いヒナと黒い3羽のヒナを連れて湖面を移動するコブハクチョウ

夏の訪れを告げる鮎釣り 相模川の6月1日の夕暮れ時

よい景色とよい音楽と美味しい食事 八ヶ岳と北欧レストランとパソコンでユーチューブ

近江の国、多賀大社(たがたいしゃ)の茅の輪くぐり

特別な位置にいる投手としての大谷翔平

「春の日と一人娘はくれそでくれない」ので5月は午後7時まで遊んでいられる

奥飛騨の新芽の背景は北アルプス穂高連峰の山肌であった

松本駅前の昭和横丁でホルモンを食べる 松本山雅FCファンがやかましい店だ

金曜日、思いついて新宿から松本に向かう。塩尻駅で降りた。

東京の桜は散って新緑の季節になりました

武田信玄の北条との決戦地の三増峠近くの枝垂れ桜
(季節は2カ月と半分ほどで夏至になる)

北杜市実相寺の山高神代桜は甲府盆地の桃の花と開花時期が同じです
(関東地方の春分の日は雪が舞い河口湖では28㎝も雪が積もりました)


陽だまりでは梅の花が土手にはスミレが咲く
5月になれば水田に映える常念岳を見に安曇野にでかけよう

埼玉県吉見町の栽培農家で買ったイチゴは甘かった美味かった
富士山の雨を集めた山中湖は忍野をへて津久井湖で道志村に降った雨と合流する
槍ヶ岳 霧ヶ峰からの遠望(高原の秋の始まりのころ)
山みちで老いたキツネにであう 旅行家 甲斐鐵太郎

数学者も物理学者も現在持つ知識は写し取って得たものである
インターネットで拾った文章を繋げて出来上がるニュース報道

数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実

数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実

数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実
(光波干渉測定システムはアインシュタインの理論を事実として確認した)


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