東京の桜は散って新緑の季節になりました
お茶の水の明治大学の木立は日差しを避ける憩いの場です。
東京の桜は散って新緑の季節になりました
緑の季節に。強い日差しのなか木陰が気持ち良い日でした。
東京の桜は散って新緑の季節になりました
ケヤキが葉を広げて仰げば眩しいお茶の水界隈の4月です。
(タイトル)
東京の桜は散って新緑の季節になりました
(本文)
東京の桜は散って新緑の季節になりました。4月4日には東京・お茶の水の明治大学付近で用足しをするためにうろうろしておりました。大学は入学式前で静かですが黒い訪問服を着た若い者の姿があります。
郊外は桜が満開ですが東京は新緑なのです。氷点下6度の地域に住んでおりますと新緑の季節が到来すると心が浮き立ちます。レストランに入る時間がなかったので新緑の木陰で500円の弁当を食べました。鳥の皮をこんがりと焼いた弁当です。駿台予備校は外国人に日本語を教える学校に変わっていて若者たちが弁当を買って食べておりました。
日本医科歯科大学にも用事がありました。杖を突いてよぼよぼと歩いている人が多いのです。人は歳を取ると大学病院にお世話になるのだ、と勝手に決めました。お茶の水の掘割は工事のために風情を欠きます。何年かすると駅の上に大きなビルが建ちます。
お茶の水はずっと暮らしてきたところです。駅の脇の穂高という喫茶店は便所臭くて閉口します。新田次郎が編集者と打ち合わせに使っていたところです。ここから皇居方面に下っていくと気象庁があって新田次郎が気象計器の検定業務をしておりました。
駅前のパチンコ屋はずっと前になくなっています。うまいだしで蕎麦をだす店も消えました。安物のバッグを売る店も同じです。楽器屋が増えてコンビニでは弁当も売っています。
1970年ころお茶の水の学生の騒乱があったときにたまたまカメラを肩から下げていた知人はそのカメラで顔面を打たれ前歯を失いました。騒乱をしていた人物を知っていたのです。撮影されるだと勘違いされたのでした。騒乱していた者たちの多くは就職して給与にしがみつく生き方をするようになりました。自分の子供は生活のために東大に入れるのだと本気で話します。あの騒乱は何だったのでしょう。
騒乱があっても医者や弁護士になる人々は平和です。何事もなかったように生きていて人によっては保守系の国会議員になります。扇動されて身を亡ぼした人がおります。この時代には毛沢東の紅衛兵運動がおきていて1000万人もの人が命を奪われたといいます。米国ではベトナム反戦の火があがり、フランスではサルトルが信奉され学生は荒れに荒れておりました。
フランスの騒乱にならってお茶の水での騒乱を神田カルチュラタンと言っておりました。青ヘルメットを被って角棒を持って騒乱派と対峙したのだと妙なことをいう人を知っております。この人は岩登りをしていて命を落としました。
神田の古本屋街は知に満ちたところだと思っておりました。短い学生生活でどれほどの本を読めるのでしょう。乱読したって知れております。出版社は古典を挙げ、夏休みに読みたい100冊の本などと言ってセールスします。どれだけの時間を費やせばそれらの本を読めるのでしょう。読んだとしても意味など分かりません。
人が生きている時間と読書のことを考えると出版社に騙(だま)されてムキになってはいけません。読書が足りないと思った私は大学を終えてもう一つ大学に入りなおしました。気持ちの上での猶予期間に過ぎなかったのです。
東京の桜は散って新緑の季節になりました