マユミの赤い実
Mayumi red fruit

私とマユミは高原の樹木としてつながっている。大菩薩峠の宿、福ちゃん荘の庭先にはマユミの大木がある。小淵沢駅前に都庁退職後に移り住んだ知人は庭にわざわざマユミを植えた。
庭木うあ盆栽として人気であり、それは赤い実がなるから。四角い殻のときの桃色とそのごの赤い実の出現はマジック。雪をかぶったマユミは高原の晩秋の象徴のようだ。

マユミの赤い実

旅のエッセー集 甲斐鐵太郎

マユミの赤い実

旅のエッセー集 甲斐鐵太郎

マユミの赤い実

赤い実をつけているっ綿帽子をかぶる マユミをみつけた。

マユミの赤い実

アザミの花は紫の色が抜け落ちて薄茶のドライフラワーになった。

マユミの赤い実

緑の夏が恋しい。高原のテラスにパソコンを持ち出して遊ぶ。

マユミの赤い実

 マユミの赤い実が宿の草むらに撒き散らされている。何処にその樹木があるのかわからないのに赤い実が庭中にに散らばっている。木が見つかり赤い実をつけているそのマユミをみつけた。

 私とマユミは高原の樹木としてつながっている。大菩薩峠の宿、福ちゃん荘の庭先にはマユミの大木がある。小淵沢駅前に都庁退職後に移り住んだ知人は庭にわざわざマユミを植えた。庭木うあ盆栽として人気であり、それは赤い実がなるから。四角い殻のときの桃色とそのごの赤い実の出現はマジック。雪をかぶったマユミは高原の晩秋の象徴のようだ。

 手塚宗求という作家の本を読んでいる。私には田渕義雄という作家とともに憧れの尊大である。二人とも人生を語り自然を語る。手塚宗求は自然を語っているようにして人生と人の心の深い部分に分け入る。手塚宗求は霧ヶ峰高原のコロボックルヒュッテを営む。田渕義雄はアウトドア雑誌のビーパルで英雄として扱われる。田渕義雄と同時代に早稲田大学哲学科卒業のある男に何かを聞こうとしたがやめておいた。苦い思い出の多かったことだろうから。しかしある男はどの時代の活動を随分と語った。私はうなづいて聞いているだけだった。田渕義雄とある男の活動は学生時代に終わっていた。ある男は一部上場の躍進企業の幹部の一人になった。

 日本の国の経済と人々の暮らしはこの先どのようになっていくのか。経済の構造は三次産業が肥大中であり、学者は意味不明の第四次産業の概念をつくって喜んでいる。高等教育を受けた者がそれにふさわしい働き場がなくなっている。日本の高等教育の弱点を実学がないことだと指摘するのはコンサルティングファームに勤務する連中。医者が人気なのは現場労働者だからだという。AIが能力を増大させると半端な知識の中間層が消えるとも。飲み食い、住まい、憩うことが人の生活である。

 働いていればお金が手に入る優良企業の人は公務員の妻との収入で羨む暮らしをする。飲み食い、住まい、憩うことと、それを賄う収入について。これについては迂闊に語れない。お金のない人は暖房のための石油が買えない。電気、ガス、水道は供給を止める。電力会社は無慈悲に給電を停止する。これらが全部無料になれば人の暮らしに安心がもたらされる。日本の人口は現在を頂点に垂直落下する。1億人は直ぐに来て、終戦時の7,000万人も30年すれば来てしまう。明治初年の3,000万人に戻ることだってある。減ったって心配ない。欧州の人口密度は鳥取県ほどであるからと述べるのは養老孟司。厚生労働省は実労働と年金受給者の割合に危機を唱える。医療と介護のことも問題になる。小さく、つつましく、吉田兼好や鴨長明が考えたことに共鳴して暮らすとよいのではないか。

2024-12-04-mayumi-red-fruit-

 

マユミの赤い実

霧ヶ峰高原の八島湿原の周りに出現する景色

霧ヶ峰高原 晩秋の八島湿原

霧ヶ峰高原 晩秋

和歌山市加太港の浜に立つ

山梨県牧丘村で秋の風景に出会った。今は新しい市になっているがその名は知らない。

ダイヤモンド富士

酉の市(おとりさま)

浅草の浅草寺界隈に足を向けた 外人がいて蜘蛛の巣の鉄塔が見えた

旧塩山の恵林寺界隈を見物した

仙台藩と青葉城

カラスウリが赤くなって秋です

スズランが赤い実を付ける秋の始まりです
 

滋賀県・草津市の宿で王将の餃子をたべた

京都三条の街は気詰まりで滅入る

神戸は港町だが山の街でもあり大都市だ