地震計は地震を予知する機能を持たない
図は国土地理院の電子基準点がとらえた日本列島の地殻変動。
(タイトル)
地震計は地震を予知する機能を持たない
(本文)
日本で最大級の地震とそれによって引き起こされた津波として八重山地震(やえやまじしん)がある。1771年4月24日(明和8年3月10日)午前8時頃に八重山列島近海を震源として発生した地震である。推定マグニチュードは7.4~8.7だ。地震動による被害はなかったが最大遡上高30mほどの津波に襲われて大惨事となった。宮古ならびに八重山両列島で死者および行方不明者は12,000人、家屋流失2,000戸以上であった。八重山では死者9,400人あまり生存者18,607人で14の村が流され住民の3分の1が死んだ。明和の大津波である。断層とか活断層などが認められないところで大地震がおこる。
文献記録が明確な天変地異がある。江戸期おきた大地震によって立山連峰の鳶山(とんびやま)が山体崩壊した。土砂が常願寺川を堰き止め、さらに決壊したことで富山平野は水浸しになった。富山平野の水田にある巨大な石は土石流によるものだ。江戸期に富山平野は大津波にも襲われている。
富士山は古富士など三つの層からなる。現代の富士山は高いが以前の富士山は低かった。八ヶ岳連峰の古阿弥陀岳(こあみだだけ)は20万~25万年前には富士山のような形をした成層火山であり3,400mほどの高さであった。20万年前に古阿弥陀岳は火山爆発によって山体崩壊する。土石流が御坂山地の曽根丘陵にぶつかって止まった。50㎞以上流れ下り岩屑流は甲府盆地をおおった。古阿弥陀岳の山頂は吹き飛びんで馬蹄形をしたカルデラとなった。高さは1,500m低下した。
古阿弥陀岳の山体崩壊によって流れ出た岩屑流は数10mの高さで帯状に積もっている高いところでは200mある。武田勝頼が織田信長の甲斐侵攻に備えて急ぎ築城した新府城は七里岩台地と呼ばれる丘に建てられた。七里岩台地は日野春より北では西の釜無川にそって崖が続いている。東側は台地をうがつ作用をする川がないために三角形状の八ヶ岳山麓を形成した。世界の自然災害の三分の一は日本で発生する。地殻変動の集中地点が日本列島だからだ。地震は津波を引き起こし、火山噴火とあいまって山を崩壊させる。平たい台地が地震によって何メートルも跳ね上がり、あるいは沈下する。
現代の都市の高層建築物は土台が何メートルも跳ね上がることを前提にしてつくられてはいない。柔構造にしても耐震設計を施しても地面が跳ね上がり、あるいは傾いたのでは立っていられない。一極に集中して経済活動をするので建物は高くなる。地面が跳ね上がり傾いたときに高層建築物は倒れる。
三陸と東北沿岸を襲った大津波は東日本大震災は沿岸部の経済構造物を破壊した。八戸港の岸壁に建てられた製紙工場は津波に襲われた。パルプを運び製紙を積みだすのに便利なことだけで建てられた。津波被害は想定していない。津波が襲うことを前提に立地するか、津波からまぬかれることを前提に立地するか選択することになる。原子力発電所はどうか。津波が襲うことが明らかだ。このことをあえて排除した。同じように地面が数メートルも跳ね上がることは考えない。
いまの富士山ほどの高さであった八ヶ岳の位置にあった古阿弥陀岳が山体崩壊して甲府盆地を土砂で埋め尽くした。山は崩れ、海からは津波が押し寄せる。地面は激しく揺れてときに何メートルも跳ね上がる。このようなことが有史以来なんどもおきていても人はこれを忘れる。何をどのようにすることが賢明であるか人は考えなくてはならない。
滑稽(こっけい)なことがある。地震の予兆振動を観測したときにはNHK は五時間もぶつ続けに報道し続ける。それが小さな地震であってもだ。ところがそれから数日して大きな地震が前触れもなく発生する。このときには一度報道するとそれしたきりになる。地震計を張り巡らしていても地震予知とは関係ない。起きた地震の結果を記録するのが地方公共団体が設置している地震計である。目前の地震予知は実際にはできない。歴史記録などをからめた地殻移動の理屈によって東南海大地震と大津波が発生することは明瞭である。海岸線に原子力発電所が立ち並び、また老人施設などが連なる。困ったことである。地震の結果の記録計としてしか役立っていないのが現在の地震計である。
2019-07-19-seismographs-do-not-have-the-function-to-predict-earthquakes-article-editorial-
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地震と津波
国土地理院の電子基準点がとらえた日本列島の地殻変動
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