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犬がゆっくり歩き、そして速度を上げます、そして前肢と後肢を屈曲させて疾駆します、犬の運動です
犬が穏やかでいて、飼い主と健やかに暮らすことこそ普通の在り方です。その飼い犬と楽しく散歩ができればさらに楽しいことです。
次はある人の犬の居る暮らしの楽しみであります。
その人は紀州犬は良いものだとその人は思っております。犬を連れての朝晩の散歩こそがその人の生き方になっております。人生は犬と歩いていれば良いのだと思っているかも知れません。その人は紀州犬を連れて走ります。ゆっくり歩き、そして速度を上げていきますと最後には前肢と後肢を屈曲させて疾駆します。
歩く、少し早く歩く、もっと早く歩く。さらに歩きから走りへと変わっていきます。
少し早く走る、もっと早く走る、全力で疾駆するために前肢と後肢を屈曲させて跳びます。
十分に働いて十分に苦労をした。美しい紀州犬と暮らすことを仕合わせだと思う
そのような犬のとりわけ紀州犬の歩きと走りと疾駆する姿は美しいと思うのです。十分に働いて十分に苦労をした。美しい紀州犬と暮らすことを仕合わせだと思います。 人生は犬と散歩していれば良いのだ、とつぶやくこともあります。春の房総半島は菜の花の向こうに桜が咲いて高台からは東京湾がキラキラと光ります。電動アシストの自転車のペダルを扱いてゆらゆらと犬を走らせていると、人生はこれで良いのだと何度もうなづくのです。
都内の世田谷から房総半島に引っ越して犬と暮らすある人はそれを、つまり犬が走る姿を自転車で伴奏して見て楽しんでいるのです。世田谷の細い歩道では、あるいは車道ではそれができなかったが房総半島のあぜ道では制約がありません。
中型日本犬としての紀州犬のその肢体は美しい。小型日本犬の柴犬にはそれとしての美しさがある。それでも良くてできた中型日本犬の紀州犬は美しいと、紀州犬の走りに自転車で伴奏する房総半島に移住したその人は思うのです。
紀州犬の美しさとは自然が備えた美しさであると思える
紀州犬の美しさとは自然が備えた美しさと述べることができます。犬の祖先は狼であり、肢体が狼に似た犬は多くおります。北方で活躍するマラミュート犬がそうです。これらの犬を狼と交配するとほぼ狼といってよい犬ができあがります。
紀州犬とマラミュート犬そして狼とは違います。肢体が似ていると言えば似ておりますが違います。肢体の形態は似ておりますが大きさは紀州犬は小さいのです。紀州犬の顔貌は狼に似てはおりますが、全体としては口吻などが短くなっていて顔幅は広がっております。犬科の野生動物における変化が紀州犬の顔貌に現れております。
紀州犬の姿態と顔貌は抑制ある繁殖行動の末にたどり着いた状態であ
狼と紀州犬の違いの最大のものは人と暮らす犬と野生動物としての狼の違いであります。人になついて人との共同あるいは協同をするということで人と業務を分担するところにあります。イノシシやシカ猟における紀州犬あるいは犬の分担と行動がそれです。
紀州犬の肢体そして姿態と顔貌は日本犬保存会の会員など紀州犬愛好家が抑制ある繁殖行動の末にたどり着いた状態であるといえます。素朴さ渋さを備えた顔貌を求めます。顔貌を構成するのは頭部、口吻、歯の状態、眼の形、耳の形状ほかであります。この状態を物語る言葉とそれを補う数値が示されております。写真は求められる状態を表現するのに便利であります。
私の紀州犬物語にそのような顔貌を示すと思われる写真を掲載しております。
あたっているかそうでないか、良くは分かりませんが世間で評判となり評価をされている犬の顔写真を掲載します。
(誤字、脱字、変換ミスなどを含めて表現に不十分なことがある場合はご判読ください。)
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