(タイトル)
紀州犬物語(62)【日本在来犬と紀州犬(その2)】(執筆横田俊英)
縄文遺跡から犬の骨は出ており、旧石器時代の遺跡から犬の骨は出ていない
野尻湖で犬は人と伴にナウマン象を追ったか
(野尻湖のナウマン象の発掘調査では犬の骨は出ていない)
(本文)
犬の一番古い骨が出土したのは、ベリアのクラスノヤルスカ遺蹟からであり、この遺跡が2、3万年前の旧石器時代です。
人による石器(打製石器)の使用が始まった時代が旧石器時代であり、石器時代は200万年前に始まり、農耕の始まりをもって次の時代と区切りとつけます。旧石器時代は前期、中期、後期に分類する区分法が一般的です。旧石器時代の語源は 古い、石というギリシャ語から発しています。
旧石器時代前期は400万~20万年前、中期は20万~4万年前、後期は4万~1万3千年前ですので、クラスノヤルスカ遺蹟は旧石器時代後期に属しますので、発見されている最古の犬の骨は旧石器時代後期のものということになります。その後の遺跡調査による新しい事実については調査しておりません。
地球上の人口については旧石器時代前期が12万5千人、中期が100~120万人、後期が220~300万人とされております。これほどの人がいてその周囲に犬の祖先とされている狼がいるとすると、何かの弾みで人になついた狼がいたり、その子犬がいただろうこが想像されます。
日本列島の旧石器時代は、人類が日本列島へ移住してきた時に始まり、終わりは1万6000年前と考えられています。終期については青森県外ヶ浜町大平山元I遺跡出土の土器に付着した炭化物のAMS法放射性炭素年代測定暦年較正年代法では1万6500年前と出ております。日本列島での人類の足跡も9〜8万年前(岩手県遠野市金取遺跡)に遡るようです。日本(日本列島)の旧石器時代のようすはかなり曖昧模糊(あいまいもこ)としております。旧石器時代の遺跡の発掘で発掘を請負た者がそれを旧石器時代を確証させるようにねつ造した事件がありました。
人の骨、動物の骨などは酸性土壌の日本列島では溶けてしまって残りにくいという事情がありますので、石灰石の採石場などから希に旧石器時代の人骨が出土することがあります。静岡県の浜北人と沖縄県の港川人とがそうした事例です。
これまで更新世人類と思われていた人類化石として、葛生人(くずうじん)、三ヶ日人、牛川人、聖岳人、明石人 などがありますが、明石人は火災によって骨が消失しているので何とも語りようがありません。旧跡時代の人骨として本にも書かれ皆がそれを信じていた葛生人(栃木県葛生町で1950年代に発見され、元早稲田大学教授直良信夫によって更新世人類と考えられていました。)は、発見された骨8点のうち4点は、動物骨であることが確認され、残りのうちの2点は放射性炭素年代測定の結果400年前の人骨であることが分かっております。
三ヶ日人(1959年〜1961年に静岡県三ヶ日町(現浜松市)の石灰岩採石場から頭骨片5点、寬骨(腸骨)、大腿骨など複数の成人の骨が発見され、後期更新世人類と考えられていました。)は、放射性炭素年代法により9000年前の縄文時代早期の人骨と分かりました。牛川人(1957年に愛知県豊橋市牛川鉱山で上腕骨と大腿骨の化石が発見され、東京大学名誉教授鈴木尚によって中期更新世人類(旧人)と考えられたておりました)が、人骨の特徴を備えていないということになっております。聖岳人
(1962年に大分県本匠村聖嶽洞穴で前頭骨片と頭頂後頭骨片が発見され、元新潟大学教授小片保によって中国の山頂洞人と似ているとされておりました。)が、形態面や年代推定から歴史(江戸)時代に属する可能性が極めて高くなったということです。
このように本にも書かれ考古学会の常識とされていた事柄がいくつも覆されている状態ですから、本に書かれていたからということで簡単に物事を取り扱うことができません。
日本列島最古の犬の骨の出土の事例は、9,000年ほど前の縄文早期の夏島貝塚(神奈川県)ということになっており、旧石器時代にさかのぼることがありません。旧石器時代の遺跡からの人骨そして動物の骨、とりわけ犬の骨の出土が期待されます。縄文も後期になると犬の骨としゃれる出土品があるので、縄文時代に人と伴に犬が暮らしていたことがわかります。
長野県信濃町の野尻湖畔からはナウマンゾウ、ヤベオオツノジカの化石と共に、旧石器時代の石器や骨器が見つかっており、ナウマンゾウは当時の人類の狩猟の対象であったと考えられます。ナウマン象は日本においては約2万年前に絶滅したようですが、これは日本列島に(現生)人類が現れた後期旧石器時代にあたります。ナウマンゾウは、絶滅したゾウの1種で、約2万年前の新生代更新世後期の東アジアの日本、朝鮮半島、中国に分布に生息していました。
ナウマン象が日本にいたことの事例として、1976年(昭和51年)、東京の地下鉄都営新宿線浜町駅付近の工事中に、地下約22メートルのところから3体のナウマンゾウの化石が発見されたています。この化石は浜町標本と名付けられ、頭蓋や下顎骨が含まれています。出土地層は約1万5000年前の上部東京層です。
東京都内だけでも田端駅、日本銀行本店、明治神宮前駅など20箇所以上で化石が発見されていること。などをあげれば十分でしょう。野尻湖では今なお池の周囲などで発掘が行われており、時期を定めた発掘調査には全国各地からボランティアが集まります。
野尻湖のナウマン象の化石と同じ場所(同じ年代を意味する)からは犬の骨は見つかっていないことは、2011年9月に野尻湖ナウマンゾウ博物館を訪れたときに聞いた話です。発掘されたいくつかの動物の骨は展示してありましたが、犬の骨はありませんでした。
縄文時代の日本列島の人口は10万人ほど、大きく推定しても30万人にはとどきません。旧石器時代の日本列島の人口は5万人には達せず、せいぜい1万人と思っております。個々に犬がいれば面白いのですが、この時期世界の各地には犬がいたのですから、そうした犬が日本列島にもやってきていたかも知れません。
犬は縄文時代の人々と親しく暮らしていたことことを証明するように人と一緒に埋葬されている事例がいくつも見つかっております。
縄文時代の犬の骨を研究した人として日本犬保存会の創設者の1人、斎藤弘吉氏がおります。
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