紀州犬物語(87) 犬を連れての散歩の途中で「ああ、よい気分」と思えればそれでよいではないか。 執筆 横田俊英。 |
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紀州犬物語(87) 犬を連れての散歩の途中で「ああ、よい気分」と思えればそれでよいではないか。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
犬を連れての散歩の途中で「ああ、よい気分」と思えればそれでよいではないか。
(繋いで飼った犬が上手く育てばよいが、それでは犬はシツからない。)
第87章 犬を連れての散歩の途中で「ああ、よい気分」と思えればそれでよいではないか。 執筆 横田俊英
犬を連れての散歩の途中で「ああ、よい気分」と思えればそれでよいではないか
犬を飼うことは散歩をすることでもあります。外にでると何らかの自然が目に飛び込んできます。春になれば木々の芽吹きがあり、桜の花が咲いて、道ばたの草の先にも花がつきます。
カエルがでてくると犬はこれに飛び付きます。虫が動いていると手で押さえたり、口でそのまま噛むこともあります。
私の飼い犬は目の前を横切ったアカハラをパッと口でくわえてしまいました。ツバメをとってしまった犬もおります。
紀州犬がそういうことが好きなのではなく、犬にはそのような性質が本来あるのです。野生のキツネ、タヌキにしてもそうです。
葉がでて花が咲き、夏が過ぎて涼風が吹き、やがて雪がちらつく、という季節の移ろいを窓越しに眺めているのもよいでしょうが、飼い犬を伴としてわが身を野外におくことで、感じることができる空気は特別です。
飼い犬に糞をさせてシッコをさせることが気がかりで何事にも優先してしまうと、トモを連れての散歩のはずが「犬の散歩」になってしまうのです。
あくまでも犬の主人である飼い主の散歩であって、犬はそのお伴です。犬には糞をしオシッコをするという生理現象がありますから、これをさせることはしなければなりません。しかしこのようなことであっても、主体は主人であり飼い犬はそのお伴での野外行動と考えたいのです。そうでないと「犬の散歩」にいってきます、ということになります。
犬の要求と飼い主の生活としての散歩の調和をはかることです。
犬は主人である飼い主のお伴をして散歩をすることが嬉しいのです。飼い主だって自分に従順な愛くるしい飼い犬と散歩をすることは楽しいに決まっています。
それでも人はいつでも気分が良くて、身体の調子が万全ではいられません。熱がでて床に伏せっているときなどには飼い犬を5分ほど庭にだして、用足しをさせることで仕方なしということにしたって良いではありませんか。無理をして脳溢血や心臓発作をおこすということだって起こり得ます。
生活の伴として飼い犬がいて、その犬がいることが嬉しい。そしてその犬を連れて散歩をすることが楽しい。ということで良いのです。その飼い犬と遊ぶことも楽しいことはもちろんです。その飼い犬が気に入っていて、庭にしつらえられた犬舎で横になっていたり、窓をたたくと立ち上がって飼い主に対応する、その飼い犬の姿が見事であり、美しいと思えるのであれば、犬への慈しみはさらに増すことになると思います。
ある人は生後5カ月ほどの紀州犬のメス犬(シロという名前をつけている飼っていて、「シロはいい犬だなあ」とため息を漏らします。性格が良くて健康でそれなりに紀州犬らしい犬であると、飼い主は犬を飼う仕合わせを感じるのです。
紀州犬への理解がどこかで違っていて、紀州犬の白毛に少しでも茶色毛が混じると、これは駄目だと思うと、どこかで嫌気が差すことがあるかも知れません。
私の先輩は汚れ白のきついような毛色に対して、「僕はこういうのが好きだ、何でもかんでも真っ白という紀州犬に対する考え方は間違っている」といいます。
「素朴(そぼく)な侘(わ)びと寂(さ)び」とは、犬の性質のよさによって醸しだされてくるのだろうと思います。性質の悪犬には、素朴(そぼく)さも、侘(わ)びも、寂(さ)びも感じることができないはずです。生まれてくるのは飼い犬への憎しみであり、一緒にいることが嫌になるという思いです。
人を噛んだり、犬と喧嘩してケガをさせないようにすることが、飼い主のつとめです。自分が飼っている犬は安全だと決め込んではなりません。歯のある生き物はその歯を人や犬を噛むことに使えるのです。ですから絶対に大丈夫で安全であることが分かっているか、そのように決め込んでいても、人とも犬とも接触をさせないことが安全の基本です。
犬は飼い主と遊んでいればそれで良いと思って割り切るのが、何でも他人のせいにするいまの時代に犬を無事故で安全に飼うための方法です。
人は毎日よい気分で生きていることはできません。毎日の犬との散歩のうち一週間に一度か、一月に一度か、気持ちがすっきりするとがあればそれで十分であるということでよいのだと思います。
繋いで飼った犬が上手く育てばよいが、それでは犬はシツからない。
日本犬保存会を創始するために奮闘した重要な人物の一人である斉藤弘吉氏が、犬を飼っていた時代のその飼い方として、長い鉄製のワイヤーを張ってそれに犬をつないで「運動」させてというものでした。犬は広い庭に放していれば好きに運動をするようにお持ちがちですが、喜んで跳び回るのは最初の一日、それも少しの時間であって、その後は庭の片隅にうずくまっているのが普通です。
ワイヤーと張ってそこにつないで運動させるということについても同じです。ワイヤーの長さだけ往き来するということについても、いつもは誰か警戒対象の人が来たときだけということになります。
そのワイヤーの長さの範囲は犬の警戒区域になり、その区間は犬にとっては安らぎの場ではなく、絶対に守るべき縄張り区域になってしまいます。広い庭についても同じことです。そこを住み家として与えられた犬はその広い庭にどのようなものであろうと入れてはならない縄張り区域になり、その縄張り区域を守ることが常日ごろの関心事と行動様式になるのです。
庭に放していた犬が人を噛んだ。ワイヤーを張って、そこのつないでいた犬が人を噛んだ。鎖につないでいた犬が人を噛んだ。そして玄関先まで家の中を勝手に動けるようにしていた犬が人を噛んだ。といったような事例は犬が縄張りに侵入した外敵を攻撃したということの結果なのです。
家に入れて飼う場合でも犬は適当な大きさのケージを用意してそこで過ごさせる。ケージから出すのは飼い主と遊ぶときなどに限定するのです。
庭で飼う場合においても同じことです。
犬は狼と同じ祖先をもつかして、同じような性質をもっておりますから、犬の安らぎの場所は狼と同じようなことで、小さな巣穴のなか、であるのです。この巣穴が一番安全であり、安心できる場所なのです。
ですから犬には広い庭、そしてワイヤーを張って用意された広い範囲というのは、外的を撃退しなければならない警戒区域に放り出されているのと同じなのです。
日本犬を飼う場合には、そして紀州犬を飼う場合にはタタミ一畳ほどの扉の付いた犬舎を用意することがよいと思います。その前方なりに少し広い遊び場を用意してやることもお奨めですが、これをしようとすると場所が要りますし、背の高いフェンスをつくるということで費用もかかります。
タタミ一畳かそれよりも少し小さいくらいの、犬が立って横になって寝転んでも、飼い主が窮屈だと思わない程度の頑丈な檻のような扉の付いた犬舎を用意することがよいと考えております。
犬を鎖でつないで、その根本に扉の開いた小さな小屋を用意して、それで犬を飼うというのが、日本人が普通に考えている犬を「自由」にしてやる、そしてまたオシッコやウンチをしたいときにするという「やさしい」飼い方になっておりますが、これは間違いです。
鎖が伸びる範囲が犬にとっては死守すべき縄張りであり,小屋にいたとしても常に縄張りを警戒しているのです。その縄張りに外敵と思われる人が侵入すると撃退のために噛むという行動にでるのです。このような事例は沢山あり、そのことを犬の殺傷事件というのです。
扉の付いた小屋に入れておいて、何らかの事情によって犬が外に出れない場合には中でウンチをしてオシッコをしたって良いではないですか。5分ものあいだ庭に放せば飼い犬は最初にオシッコをして、ウンチが我慢できない状態であればその間にこれをします。
なかには庭を汚したくないとオシッコもウンチもしない犬がいるかも知れませんが、それはそれで仕方ありません。物事に万全ということはなかなかないのですから。
犬の犬舎をつくる場合には、地面からの湿気をできるだけ排除するために床を高くすることが望まれます。30センチメートルほどは地面よりも高くしたい。50センチメートルほど高くすると雨の跳ね返りは少なくなります。
犬を繋いで飼わないというのが犬を躾ける場合の鉄則です。犬のシツケのことはこのよう面で名高い藤井聡さんの説に学ぶべき事が多くあります。私は藤井聡さんのシツケの説を全部肯定しているのではありません。しかし藤井さんが唱えるシツケの教本を通じて「犬の性質」を学び取ることができます。犬の性質を知っていればこそ、単純にはいかない犬の訓練を大きな間違いに至ることなくできるのだと思っております。
藤井聡さんの本を全部読めば犬の訓練のかなりのことが分かります。ますそのうちの一冊を読みたいということになれば『しつけの仕方で犬はどんどん賢くなる』(青春出版社刊行、税抜き価格1200円。)を推奨します。書店などの店頭には並んでいないことが多いので、取り寄せになります。
どのような飼い方をしても人に馴染んだよい犬に育つ犬もおりますから、これが絶対だという言い方はできません。
犬を飼っていてシツケのこと、犬の健康のことなどに悩みが生じないのであれば幸運です。
いろんな人がいろんな方法で犬を飼っているのを観察しておりますが、繋いで飼っている犬のほとんどは、すれ違う犬にキャンキャン吠えます。吠えるとダメと大きな声をだす人がおりますが、ダメなのはあんたの飼い方だよ、と思ってもそのようなことを口にはしません。説明したところで聞き耳をもたないのが普通の日本人であるからです。日本人の観念にしみこんだ、犬は繋いで飼う、それこそが犬の自由だ、ということをくつがえす自信などなどないからです。
普通の日本人にしみこんでいる犬を繋いで飼う、庭に放して飼う、という思い込みに対しては、少し話した程度ではこれを変えることができないようです。
行き違う犬にキャンキャン吠える犬がそのように飼われているか観察すると、繋いで飼われている犬、家の中で勝手に動き回るようにしている犬、庭にワイヤーロープをはってそこに繋いでいる犬、庭に放し飼いの犬がほとんどです。そのような犬は玄関に余所の人が入ると、キャンキャン、ワンワンです。繋いでいる犬もそうです。その延長でありますが散歩中にすれ違う犬にも同じように吠えます。
余所の人がその人なりに飼っている飼い方に私がとやかく言うことはありません。しかし縁あっ犬を世話するときには犬舎飼いが基本であり、家の中に入れておくときにもケージでやすませることを強く説きます。これが基本であり、基本から外れても人の社会と犬の社会に馴染む犬もおりますが、そうでなくなることが多いことをよく知っております。
私の飼い犬、そして私の暮らし。
私の場合には、駄目なような犬でも飼い主は少しでも良い犬になるようにと、身勝手な思いを込めて毎日を過ごしております。そして期待をしても結果が裏切ることが多いのですから、この犬はこんなものだろう、と考えるようにします。
そしてできるだけ手をかけて、注意深く育てて、ケガをさせないこと、病気にさせないこと、などを意識してこの犬とつきあって行くことにします。
大きな期待があればワクワク、ドキドキということなのでしょうが、この方面の気持ちの高ぶりよりも、ハラハラのほうが勝っているのですから、犬飼の気持ちは複雑です。
生後10カ月になる紀州犬のオス犬を生んだのは私が飼っている私のところで生まれたメス犬です。気性、体質、系統などを良く知っていますから、私としては生まれてくる子犬(子供)の健康などの面での安全性については十分であると思っております。
それですから生まれてきて、いま育てている犬はやはりその母犬が生んだ子であり、良くも悪くも母犬の子であります。それは同時に特別な子ではありませんが、先祖犬を10代ほど飼ってきた者として思うところは多くあります。
人の心の安らぎのことを太宰治はある小説で述べております。本当に安らぐ日など年に一度あれば良いほうだ、といったようなことです。
犬を飼っていてもそのようなことです。ときどき楽しいと思えて、よい気分だと感じて、身も心も浮き浮きすることがたまにあれば良いのです。
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○紀州犬の子犬、白、2012年8月26日生まれ(オスその1)
○紀州犬の子犬、白、2012年8月26日生まれ(オスその2)
○紀州犬の子犬、白、2012年8月26日生まれ(メスその1)
○紀州犬の子犬、白、2012年8月26日生まれ(メスその2)
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