紀州犬物語(72)紀州犬は「気がやさしくて、力持ち」です。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
紀州犬は「気がやさしくて、力持ち」です。
(「気がやさしくて、力持ち」な紀州犬ではありますが、歯のある犬はその歯を防御と攻撃に使うことがないようにするために、どんなときでも他の犬と接触させないことが大事です。また人とも接しさせないことです。)
第72章 紀州犬は「気がやさしくて、力持ち」です。
(本文)
私が推奨する本、藤井聡さんの『シツケの仕方で犬はどんどん賢くなる』(青春出版社刊、1,200円+税)を読んだ人は、そのシツケの方法をそのまま実行して、本に書いているような犬に躾けることはできないまでも、この本を通じて犬の性質を理解して、その知識を応用し研究して、自分の飼い犬に社会生活のわきまえを身につけさせることができるようになると思います。
犬を飼うにあたって、犬の性質を理解していることは大事です。犬の性質の理解抜きでシツケの方法を学んでも上手く行かないことが多いようです。犬の性質を理解して、シツケの方法の基本を学んだ人にとっては、日本の路上で犬を散歩させている人の、その犬と人を観察しますと、だめだなあ、と思うことでしょう。
犬を飼い始めて、子犬に散歩の訓練をしている当初は、世の中の犬が見事に散歩をしているのがうらやましく思ったことがあるかも知れません。子犬が何気なく飼い主と一緒に歩くことは案外難しいことなのです。家の玄関先にでることや、そこから先に歩いて行くことに、大きな精神的圧迫を覚える子犬が多いのです。子犬によっては何でもなくすいすい、とんとん、と歩いて行きます。それでもそれがいつまでもすいすい、とんとん、でないことがありますから、用心しながらの散歩の訓練ということになります。
見事に散歩をしている犬にみえても、やがてそれらの犬は向こうからくる犬に向かって飛び付きの行動に出ていたり、吠えたりする様子が見えてきます。夢中になって子犬を育てていう間に、犬を飼うコツを身につけたからであり、犬は散歩をどのようにしなければならないか、を知るようになったからであります。
次は私が犬を連れて散歩をしているときに、いつも不思議なき持ちでみて、考えていることです。同じ道を犬を連れて散歩をしている人も、シツケの本を読んで、それなりに勉強をしているはずなのに、と思うのですが、本を読んだ形跡を確認しがたいのです。恐らく読む本が悪いのだと思います。犬のシツケの本は犬の性質を知ることを目的として読んで、そこから研究して応用の道を探るということが大事です。
本当に残念なのですが、ご近所の犬の飼い主の皆さんは、どう見ても犬の性質を理解しないで、犬を飼っていると思うしかありません。自分が立派であるとか、正しいと思っているからではなく、藤井聡さんの名著『シツケの仕方で犬はどんどん賢くなる』(青春出版社刊、1,200円+税)に照らして、ご近所の人の飼い犬を見ているからであります。
犬に引っ張られている。犬がすれ違う犬に向かって行く、攻撃か、愛嬌かは別です。キャンキャン騒ぐ。そうした状態が異常であると思わない飼い主のその状態は不思議なことなのです。いつもすれ違うときに吠えかかったり、飛び付いたりという行動をとるのに対して、ダメダメだというだけで、その状態が一年も二年も三年も十年も続くのです。躾けられないのです。その飼い主ではその犬を。飛び付いてくる犬を飼っている状態を観察しますと、繋いで飼っているか、家の中で我がままにさせているかのどちらかです。その状態が十年続くのですから、犬は十年変わらないのです。飼い主はどんなことがあっても何も変わらないのですから、世代代わりした新しい飼い犬はまえの犬と同じ状態で散歩をしております。そうすると犬が悪いのではなく、飼い主が悪いのです。飼い主が悪いと犬もまた悪くなり、いつまで経っても悪い犬を飼っている飼い主になるのです。
犬を飼い始めて、小さな犬を心細げに散歩させている人をみると、長いこと犬を飼っている世の俗人は、俗な知識で犬を飼い始めた人に意見します。その意見が間違っているのですから、間違ったことを言葉として浴びせられた飼い始めの人はやがて、俗な知識によって犬を飼う俗な人になっていきます。意見をするのは駄目犬にしてしまう犬を躾けられない駄目な犬飼です。
その駄目な犬飼や俗人は、ある犬種は噛む犬であるとか、猟犬だから気が荒い、などと勝手なことを述べます。そのような馬鹿げた俗説など知らない子犬の飼い主は面食らってその犬種の調査をその場面以降に始めたりします。犬には良い犬と悪い犬がいる、ということで犬種によって噛む犬であり、噛まない犬という決めつけすることはできません。馬鹿な飼い主は犬を躾けることができませんし、馬鹿な飼い主のところには馬鹿犬しか育ちません。俗人の俗説に難癖をつけられた人はお気の毒です。精神の狂乱を起こし、悩み抜いている状態を見るとお気の毒に、と思います。
紀州犬は「気がやさしくて、力持ち」です。紀州犬を連れての散歩は、人の歩調と犬の歩調が良く合うので気持ちが良いのです。大型の西洋犬では腰を左右に振ってのモンロー歩きをするのがいます。小さな犬は足が丸い車輪のようにクルクルと回転している様子になります。
真っ直ぐに伸びた背をピタリと止めて動かさずに、前後の足を交互に踏み出す紀州犬の歩様(ほよう)は芸術とも思えます。良くできた紀州犬が速歩するときの後足の踏み込みと前足のさばきは、見事なものです。この歩き方(速歩)を見ていると紀州犬を飼っていることの仕合わせをしみじみと感じます。
それで藤井聡さんの本を読んで、私などといろいろと話し合って犬を飼い、三カ月もすればすっかり立派な犬飼になります。一年すると街では紀州犬の大家になります。そのようなことであるようです。
生後6カ月になる紀州犬を飼っている人は、もう立派な、いっぱしの紀州犬の飼い主であります。しかし4カ月ほど紀州犬を飼っているうちに、どれほどの紀州犬についての知識を修得し、犬を飼う知識と技量を身につけることができたでしょうか。余程によい環境とよい先達がいれば四カ月間の知識と技量の修得は大きな意味を持つと思われます。事故なく、ここまで飼ってきたのであればそれは立派で、万歳し、喝采されるべきことです。この後もその継続を望みます。
日本犬は気が荒く、そして噛む、という世間にふりまかれて俗説をくつがえすために、良い犬に育てて欲しいと思います。紀州犬は「気がやさしくて、力持ち」な日本犬です。こうした特性を上手に伸ばすように飼育するように努めております。
「気がやさしくて、力持ち」な紀州犬ではありますが、歯のある犬はその歯を防御と攻撃に使うことがないようにするために、どんなときでも他の犬と接触させないことが大事です。また人とも接しさせないことです。人が触る状況をつくりださないことです。絶対に噛まないし、攻撃しないと思っている飼い犬であってもです。
(読み返しが不十分斜めに変換ミスなどによる誤字、脱字などについてはご容赦ください)
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