(タイトル)
紀州犬物語(61)【日本在来犬と紀州犬(その1)】(執筆横田俊英)
遺跡からでてきた犬の骨とそのもっとも古い年代
(人と犬は利用し利用される共存関係にあった)
(本文)
人と犬とのかかわりを一番簡単に説く言葉として「犬は人間の最も古い家畜である」というのがあります。犬の骨がいまから2、3万年前の旧石器時代のシベリアのクラスノヤルスカ遺跡から出土したことがその根拠とされておりますが、このことを紹介した文書がその後、引用されなくなっているので確かな時代は少し後に戻されているのかも知れません。事例として示される最古の犬の骨とされてよく引用されるのが、1万2千年前のイスラエルのハヨニム遺跡、1万4千年前のドイツのオベルカッセル遺跡です。イノシシも割合早くに人に飼われていて、その証拠として歯が野生の状態と違うイノシシが人の住んでいた場所から発見されていることが取り上げられております。犬とイノシシとどちらが先に家畜になったかは定かではありませんが、文献では犬が最も古い家畜であるとされます。考古学の歴史は発見の歴史であり、発見のつど一時期の認識が更新される状態です。
確認されている犬の骨を取り上げます。
アラスカのユーコン地方でも、少なくとも2万年前の犬の化石が発掘されております。1万2千年前のイスラエルのエインマハラ遺跡からは、片手を飼い犬の身体にからませて埋葬された女性の骨が発掘されております。これは日本の縄文遺跡で人のそばに犬が埋葬されたことに類似します。犬が人とともに暮らし、人の慈しみを受けていたことの顕れでもあると考えれます。ここで犬の化石といったり犬の骨という表現をしておりますが、引用文献がそのように書かれていることと関係します。犬はせいぜい2、3万年ほど前に狼(オオカミ)が自然な形で飼い慣らされて、人と行動を共にするようになったと考えれておりますから、犬の骨の化石ではなく、犬の骨そのものと考えてよいでしょう。日本でも縄文遺跡などから犬の骨が出土しておりますが、それは骨が石に置き換わった化石ではなく、骨そのものです。
犬と狼の骨格がほぼ同じであることは、現代につくられた標本によって明らかであり、とくのジャーマン・シェパードと狼の骨格標本は違いをみつけるのが難しいほどです。狼を飼い慣らして街中を連れて歩いていても、それが狼と気づく人は誰もいかなったと平岩米吉氏が本に書いております。旧石器時代の遺跡から出土する犬の骨と、狼(オオカミ)の骨の区別をするのが難しいのは当然です。そのようなことで出土して骨が狼とそっくりであるので、「馴化した狼」ではないかと、いう言葉が添えられるのです。
犬の先祖は狼かジャッカルかコヨーテかといった議論がいまなおつづいておりますが、犬の先祖は狼であるという説が一般的になっており、犬の原種は狼であるという説が現在ではもっとも有力です。動物行動学でノーベル賞を贈られているコンラート・ローレンツ氏は、観察したジャッカルの生活様式や行動パターンから、「犬の品種のいくつかは狼由来だが、その他はジャッカルが祖先である」とその著書『人イヌにあう』(1966年)のなかで述べたために、犬の祖先ジャッカル説が広まりました。その後もジャッカルと狼と犬を比較する研究をつづけたローレンツは、ジャッカルの複雑な吠え声のパターンが犬と違うことを確認して、1977年には犬の祖先ジャッカル説を撤回しました。学会の権威者が述べたことが定説になって、その定説をその権威者があっさりとくつがえす、ということはよくあることです。発明や発見をするということはある種の強烈な思い込みと連動するのかも知れないと想像します。
最古の犬の骨とされてよく引用されるのが、1万2千年前のイスラエルのハヨニム遺跡、1万4千年前のドイツのオベルカッセル遺跡です。ここからは犬あるいは馴化された狼(オオカミ)の骨が発見されております。これらは世界最古の犬の証拠とされております。
また狼(オオカミ)は人に飼われているとその頭骨や骨格に変化がでてくるらしいことを、つぎのことが示しているように思われます。1万4千年前のイスラエルのバレガモスから出土した犬の骨は、下顎(かがく=したあごのこと)が小さく、歯がつまっていること、そして鼓室胞が小さいことなどが、家畜化された犬の特徴が明らかに認められるとされております。
これより年代が下がる(現代に近づく)と犬の存在が地球の多くの場所で確認されるようになります。
1万年から7千年前になるとイラク、イングランド、ドイツ、中国、米国中西部、南米チリなど世界の多くの遺跡から犬の骨が発掘されます。100を超える頭骨、歯、骨が発掘されたのが9,250年前から7,750年ほど前のイラクのジャルモ遺跡です。ジャルモ遺跡から出土した、この骨は家畜化された大型の犬であるとされています。一つの場所で犬の骨が多く見つかるということは、家畜になった犬が子を産んでそれを継続したと考えてよいことになります。このころには犬は完全に人により添う存在になっていたと考えることができます。
人が定住して生活を営むようになると、そこに自然に狼が寄ってきて、そのうちの何匹かは人に馴染み、人と生活をするようになったのでしょう。ヨーロッパでは9,500年ほど前のイングランドのスターカー遺跡、同じ年代のドイツのベッドブルグ・コニンショーベン遺跡、1万年ほど前の米国アイダホ州のジャガー洞窟、8,500年から6,500年ほど前のチリ南端部のフェル洞窟から犬の骨が発見されております。
犬が人に飼われて狩猟に使われていた証拠となっているのが、イングランドのスターカー遺跡から発掘された犬が海産魚を主な食糧としていたことです。スターカー遺跡が沿岸部のヨークシャー海岸から陸地に15キロメートルほどはいったところにあり、ここで発掘された犬の骨は安定同位炭素割合の分析によって、その主な食糧が海産魚であると推定されるからです。沿岸部に住む人々が内陸部で狩りをするときの場所がスターカー遺跡であったと考えられているのです。沿岸部で犬を飼って生活をしていて、犬には海で獲れた魚などを餌として与えていますが、ときにその犬を連れて内陸部に移動して獣(けもの)を狩ったのだと推定されます。犬が人に伴って狩猟の補助をしていたことの間接的な証拠がここにあります。
犬が人のそばにいると人は嬉しいのは自然な感情です。小鳥や小動物のリスを人が飼うのは人はそうした動物を慈しむという感情と持っているからなのでしょう。狼の子が迷い込むか何かして人のそばにやってくると、人はそれを可愛いと思って飼うのは自然なことです。人のそばで暮らした狼の子が人に寄り添って行動するのは狼の習性からありうることです。平岩米吉氏は朝鮮狼を飼い慣らしてわざと街中を連れて歩きました。人はこれを犬と思って疑わなかったのです。その狼の子が人と連携して動物などを追って狩りをしても何も不思議はありません。
日本では神奈川県の夏島貝塚から犬の骨が出土しております。夏島貝塚は9,000年ほど前の縄文早期にあたり、日本列島に住む人が犬を飼っていたということになります。この犬は日本在来犬の先祖であるということができます。イングランドのスターカー遺跡にいた人々は動物の多い内陸部に狩場の小屋を建てて獲物を追ったのです。ここはヨークシャー海岸の普段の住まいのから、陸地に15キロメートルほどはいったところにありました。魚を主食としていたということが骨の成分の分析によってわかり、その骨をもった犬が内陸部の遺跡からいくつも出土したことによって、犬が狩りのために用いられたと推定されるのです。
自動車道路の建設ほかの開発にともなって、遺跡が発見されその遺跡が発掘されぬにしたがって、日本人と日本在来犬の新しい事実が幾つも登場してくるのです。
人と犬との共存ということの背景には、人は犬の能力を利用し、犬は人に寄り添うことによって食糧にありつくという関係が存在すると考えられます。犬は熊などが人の住まいに接近するとこれを知らせ、吠えて撃退する行動にでます。また鹿(シカ)や熊(クマ)の猟をするのに人と共同作業をしますので、狩りのための相棒(パートナー)として重宝します。そのようにして人のそばで生活する犬に人は食糧の余り物などを与えたことでありましょう。食糧が与えられるからこそ犬は人に寄り添って生きてきたのです。
犬を使っての猟は現代ではその多くの場合が生活の糧をえるための行動ではなく、猟自体を楽しむためのスポーツハンティングとなっております。その一方で人は犬を飼うことが楽しいということがあり、猟抜きの犬飼が普通になっています。犬は人の友だちであり、人の伴でもあります。生活文化が変わったので、人が犬に求める内容も変化しております。
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