暮らしの中にいることを嬉しいのであれば、その犬との暮らしは仕合わせなのだ。
現代紀州犬の元犬になったオス犬「那智の市」号。
「イチ」と呼ばれていた犬である。
飼い犬の名前の呼び方
自分の飼い犬を識別していない飼い主はいないだろう。
2頭いる飼い犬のオスとメスの識別ぐらいはできるのは当たり前である。
当たり前は、当然ということでもあり、言葉を換えれば普通ということでもある。
私は人と犬を語るときに、自分の犬の愛称を用いることを好まない。
「私の飼い犬」という言葉で通したいと強く思っている。
「ハナキズ」と「チビ」と「ウメ」と「小五郎」という私の飼い犬
あるオス犬はハナキズであり、あるメス犬はチビである。
鼻に幼いころに傷をつけてそれがずっと残っているから「ハナキズ」なのだ。
「チビ」は飼っている犬で一番幼かったので、それと区別するのに都合がよいのでそのような名前になった。
「ウメ」というメス犬がいて、これは一家のある者がそう呼んだから、そうしているのである。
私は犬に思いを込めた愛称はつけない。
思いは裏切られるからである。犬に裏切られないためには犬に過大な思いを寄せないことだから、何となくその場に適当な言葉がみつかれば、それを犬の愛称とする。
大学の教員などは何かあると直ぐに「家内は」と述べる。意気がった奴ほどそのようだ。
犬の愛称を人前で述べて犬の話しをすることは、意気がった人間がしょっちゅう述べる「家内が、家内が」というのと同じだと私は思っている。
私が飼っている犬は紀州犬であり、ここで述べていることはすべて紀州犬のことである。
小五郎は剣豪路線の名付け方からきた名前だが奥手のチビ犬だ
「小五郎」と血統書に名前が記載されたオス犬がいる。
これは桂小五郎からきており、近藤勇が「恐ろしい以上、手も足も出なかったのが桂小五郎だ」いったということであり、桂の剣術というか武闘の腕前は相当なものだ。
後の木戸孝允(きどたかよし)が桂小五郎であり、西郷隆盛、大久保利通とともに維新の三傑とされている。
見込みのある紀州犬のオスに剣豪の名をつけることにした繁殖者の眼にかなったのが小五郎と名付けられた私の飼い犬なのである。
しかし、この犬は成長が遅く、「奥手」のようすをみせている。小さいということで、その小さいと「小五郎」とが重なるので、普段も小五郎という名で呼んでいる。
人の世界であまり知らない人と会話をするのに「妻が」というのはそれなりにわかる。しかし「妻のウメが」といわれると、息をのんでします。それがいきなり「ウメが」といわれると話しを止めてしまう。
そのようなことで私は人の犬でも自分の飼い犬でも、人との会話では名前をださない。名前をだしてクドクドと犬の話しをすることを好まないからでもある。
2歳過ぎると眼に見えて変化する紀州犬
犬は2歳過ぎて3歳にもなると、なるほど紀州犬とはこのような犬なのか、と思えるほどに変化する。
変化はどのようなことかというと、オス犬は身体が一回りか二回りか大きくなり、それにつれて頭がでかくなって、身体が締まり、全体として風情がでる。ときどき手伝いをする紀州犬を知らない人でも、子犬だった犬が2歳にもなると、随分立派になりましたね、と驚いたように感想をいう。
紀州犬の格好良さを並べて比べるとなると、同じ素質で同じような状態にあるとすると、運動をしている犬が優る。それ以上に差がでるのは犬の落ち着きであり、性質の良い犬は飼い主との一体感があって、立派にみえる。
飼い主は犬に少しだけ思いを寄せて、1日に1時間ほど犬のために時間をつくる。それは犬の散歩ではなく、人の散歩に犬を伴させるという暮らしである。散歩の時間が2時間になることもあり、ときにはオシッコをさせるための10分ということもある。気持ちが塞いで身体が動かないときには、ご免ね、ご免ね、言って謝りのために手を合わせることがあってもいい。
思いを少しだけかけている飼い犬が歩いているときに格好いいと感じたり、犬舎にいるその犬が良い顔だと思うことがあったり、と、その犬が暮らしの中にいることを嬉しいのであれば、その犬との暮らしは仕合わせなのだ。
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