人間万事塞翁が馬 心やすけく良く働くことが望みだ
Everything is a horse
心安けく一所懸命に働きたいと考えて職を求めると霞ヶ関の官庁が迎えた
人間万事塞翁が馬 心やすけく良く働くことが望みだ
計量計測のエッセー 
人間万事塞翁が馬 心やすけく良く働くことが望みだ

人間万事塞翁が馬

(タイトル)

人間万事塞翁が馬 心やすけく良く働くことが望みだ

(本文)
 日本の大学はもう終わっているのだと茂木健一郎は言う。外国の大学で学び修養しないことにはどうにもならないのだ。そのような実態がある。日本のノーベル賞受賞者に占める外国での研究の割合が大きい。ノーベル賞は欧米の価値観に基づいている。アジアの人にはやらないという欧米人の意識がある。

 養老孟司は大学に行くとバカになると近所のおばさんに言われた。その意味の理解は難しい。大学生の多くは馬鹿である。養老孟司は偏差値の高い大学に進む人は中学校にはいるときによくできた人であると結論づける。何が問われているか問題の意味がわかる人なのだ。そのような人が中高一貫の高校に進み東京大学に登っていく。養老孟司は学校の教科で良い点数を取ることは人間の能力の一部に過ぎない、人の能力とは学校で学ばない知識や体験や身体の動かし方も含むと述べる。大学生が公務員試験のために大学3年生から公務員試験受験塾に通って猛勉強をする。内容の基本は暗記である。このような人々が役人になり政策を決めて実行していく。教えるのは中央大学法学部の卒業者である。日本は果たして良い道を進んでいるのか。

 設問された意味がわかる小学生が最上級の大学に進んで世の中にでる。世の中に出ないで大学に残って定年まで教員をしている人に馬鹿が多いと養老孟司は言う。東京大学の教授たちのことだ。中央官庁に行く人たちは立派なのか。「基本的に普通の人」であると古賀茂明が言い切る。立派な人として公務員は規定されている(古賀茂明)。公務員は立派な人として振る舞うことになっているから、同じ不祥事であっても公務員がそれをすると事件として報道される。

 前川喜平は国会に呼ばれて今治市の獣医学部新設の経緯の真実を述べた。前川喜平は公務員は使命感に燃えてよく働く人、出世を求めて政治家に媚びを売りあわよくば政治家になろうとする人、遅れず休まず働かずという人の三つに分類する。世の中の人と変わりはないのだ。原発事故にからんで嘘の説明を平気でする東大の原子力関係の教授の映像に「東大出ててもバカはバカ」と今宮恵比須のお囃子をのせられている。原子力発電でモックス燃料を使うときの安全性を役所の考え通りに言い切ったのだ。お囃子は見事な揶揄になっている。

 小学校の優等生が大人になって世にでる。頭は子どものままであるから働くことの意味を知らない。世の中にどのような仕事がありどのように働けばよいかわからない。知っているのは教室で教えられた教科のことだけ。徳川家お世継ぎが四書五経(ししょごきょう)を暗唱しても知の働きはどれほどなのか。世間から隔絶された学問は空虚だ。

 東京大学を卒業した者を採用したがる企業は多い。採用した東大卒には三通りある。平安だけをもとめてそここそに働く人ならそれでよい。求められた能力に欠ける者がいる。60年代後半の東大は大きな騒ぎが起きたので授業なしで卒業させた。東大卒はある割合で世の中に配置される。大学の授業がなくても東大に入学した人は世にでてもよく働けた。日本の学生は学んでいないのだから授業があってもなくても変わらない。それだから茂木健一郎日本の大学は終わっていると言う。養老孟司は「学校は遊ばせる場にして家で学べば良い」と言い始めた。ボランティアで子どもたちに接しているうちに思ったことだ。東大闘争の渦中にいた者が生きる術として司法試験に取り組んだ。部屋に閉じこもって前頭葉の一部だけを使う日々に耐えられなくなって、出版社を興して生業とした。家計は公務員教師の妻に依存した。司法試験はいまなら学校で学んで試験に立ち向かうことができる。資格試験の講習の花盛りである。

 物事の学びには先達の手引きが要る分野がある。大学は未来に獲得すべき知識までを教える余裕はない。だから学び方を教える。学び方だけなら何処ででも学べる。効果的な学び方を教えるのが先達であり、その場の一つが学校である。

 社会の現実の進行に対して人の意識は追いつかない。東京大学や京都大学を卒業するとその人は良い仕事ができると考えがちである。本人は大した人ではないと自覚していても家族や周囲は大学の世間の評判に見合う働き場を求める。どの大学を卒業しても、能力が見合わない、意識がずれている、体力が足りないために仕事を処理できない人がいる。東大卒が仕事を変えるのには訳がある。世間に名のない企業に勤める子どもに親は不満である。良い働き場なのに有名な企業に転職する。東大卒のある人は受験経験の癖が抜けずに企業に入っても横道に逸れ、公務員や資格試験のための塾に身を置くことになった。

 高等学校の学科の回答力が偏差値になり偏差値の階段を踏んで社会にでる。大学の有名度を頼りに生きていくのは間違いである。世間の人に問い返されない程度の名前の大学にいれてやるのは親心だ。世の中を知らない中堅私大卒のある女子はアルバイト先のパン屋にそのまま勤めたたかった。学卒を採ったことがないとパン屋には断られた。仕方なしに猫の絵の運送会社でリヤカーを引いて荷物運びをした。駐車が困難な都心部での仕事であった。事務労働に変わって非常勤から常勤になった。事業所に不祥事があったために、心安けく一所懸命に働きたいと考えた。霞ヶ関の官庁に係長職の空きがあって迎えられた。世知辛い世間は欲のない女を打ちのめしていた。女は与えられた仕事は無難にこなしてきた。穴をあけるようなことはしなかった。人間万事塞翁が馬と女は述べる。

 夏目漱石の草枕にある言葉だ。智に働けば角かどが立つ。情に棹(さお)させば流される。意地をとおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさがこうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくい。(中略)ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろ)げて、つかの間まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。

 世間から離れ山水のなかで自由に暮らすことを「流れに漱(くちすす)ぎ、石に枕す」という。中国の武将の孫楚がうっかり逆の表現をした。「石に漱(くちすす)ぎ、流れに枕す」と言った。変だぞと武将の王済が言うと「石に漱(くちすす)ぐのは歯を磨くためであって、流れに枕をするのは耳を洗うためだ」と居直った。偏屈者を自称する夏目漱石流の諧謔(かいぎゃく)である。

 東大や有名大学の卒業者が世にでて立派に仕事をすることがあればめでたい。世にでるときに世間の冷たい風に人生を悲観する者がいる。不遇だったのは就職氷河期世代である。親の耳に聞こえの良い会社からは一流とはいえない大学の卒業者に声はかからなかった。ある阪大卒は企業に馴染めなかった。良い大学をでても横道に逸れた。この人が霞ヶ関に職があることに気付いてある女に応募させたのであった。二人は同じ職場にいたことがあって非正規雇用の辛酸を舐めていた。

2021-03-22-everything-is-a-horse-
 
計量計測のエッセー

自動車は高速移動するから裸の人には危険物体である

嘘という犯行を強制されて自分を失った財務省官吏

大脳皮質の一部だけを働かせているような法曹と公務員試験

計量行政は基盤的な社会的な共通資本である

新型コロナウイルス感染症の基礎知識と最新の状況(2021年5月25日現在)

人間万事塞翁が馬 心やすけく良く働くことが望みだ

よく働くことを喜びとする 渋沢栄一の論語と算盤

日本の学生の無駄な一年を取り戻す

読み書きソロバンができない大学生

カーボンニュートラルという虚構政策

人の言葉の基(もとい)は教養である

人口減少の事情と日本の50年先の状態

机と椅子が織りなす快適値としての29cmという科学

新型コロナウイルス感染症COVID-19対応の温度計測機器

COVID-19に感染したら生命と財産を何とか守ってやる

バベルの塔に似た都市集中と林の中の工場との対比

新自由主義批判にも聞こえるトマス・モアのユートピア

COVID-19におびえて洞窟に3カ月避難した日本

新型コロナ対応で経済を止める愚挙

下気道感染症で300万人、下痢性疾患で140万人、結核130 万人、これと新型ウイルスを比較する

新型コロナウイルスへの国と東京都の対応の是非

新型コロナウイルス感染症で体温計が市場から消えた

新型インフルエンザ薬タミフル誤計量と天秤の改善措置

【資料】新型コロナウイルスと肺炎疾患を考える
【資料】新型コロナウイルス、現在の感染者・死者数(18日午前2時時点)AFP 2020年3月18日 5:23発信地:パリ

計測と計量管理の教養こそ計測技術者が身につけるべきこと

計測がねじ曲げられると白が黒になる(白いものを黒くしてしまう社会の掟の怖さ)

いつでも使える計量辞書としての国際単位系ページの利用

田中館愛橘の物理普及講演と寺田寅彦の物理学を元にした随筆

適正な計量の実施は国家と地方公共団体が共同して実現すべきもの

富士山より高かった八ヶ岳が崩壊すると泥流は甲府盆地の向こうまで流れた執筆 甲斐鐵太郞
韮崎と須玉に連なる丘の七里岩は八ヶ岳崩壊による岩屑(がんせつ)なだれの跡だ


計量計測のエッセー ( 2018年1月22日から日本計量新報の社説と同じ内容の論説です)

素直でない人は嘘をつく 素直とは正直者のことだ

法人とその構成員の意欲と能力を映し出しているwebサイト

数値や言葉を翻訳変換して診断する

大手情報媒体が低俗化しフェイク情報が充満する

人は他の人を映し鏡として生きる意義を成立されている

カメラの撮影枚数にみる技術開発とリチウムイオン電池


地が裂け山が崩れ洪水が人を襲う日本の自然(ハザードマップは人が住んではならない場所を示す地図だ

球速表示160kmは確かか(球速表示160kmは信ずるに値するものなのか)

内需依存型産業社会日本と人口減少社会の在り方

(タイトル)
控えめな計量法が適用されて実現する平和な社会
(サブタイトル)キログラムの単位記号はkgでありKGではない。メートルの単位記号はmでありMではない。

計量の教養こそ身に付けるべき課題だ

0.1%の計量器の検定・検査が世のなかに適正計量を実現をもたらす

地が裂け山が崩れ洪水が人を襲う日本の自然(ハザードマップは人が住んではならない場所を示す地図だ
見えないモノを見えるようにする計測技術
強い欲求をもっているとニーズは自ずと分かるものらしい
すべては丈夫な身体と丈夫な心あってこそ
消費は人口減少の度合いで減りGDPも同様に推移する
キログラムは新定義を満足させたうえ50 µgから10 µgに精度向上
質量と重量の違い及び質量の単位キログラムの定義変更
規則に照らせば不正でも総合性能としては問題ない事柄
バベルの塔とノアの箱舟の伝説と旧カヤバ工業の免震性能偽装
計量と計測は人の間にどのようにかかわるか
自動ハカリの検定実施は日本の計量制度に大きな転換をもたらす
2018年11月16日開催の国際度量衡総会で質量の単位キログラム(kg)を定義変更
日本人の頭骨の変化を計測値が示す副題(鎌倉時代の日本人の頭は前後に長い形をしていた)
優良事業所が適正計量管理事業所の指定を受ける社会的責任
計測の目的と求められる確かを考える
地方計量行政の模範県を躊躇なく真似たい
自動ハカリの指定検定機関制度と行政組織の関わり方
1%の検定で計量の安全を実現している日本の計量制度
自動ハカリの指定定期検査機関の動向を観察する
計測の在り方と計測値の表示をめぐる諸事情
計量協会webサイトから日本の計量行政の未来が見える
光波干渉測定システムはアインシュタインの理論を事実として確認した
収賄で終身刑になる中国要人と首相をかばい罪に問われる日本の官僚

ウィキペディアによる計量の世界の説明は1割ほど
時代の波と計量器産業の浮き沈み
世界でも範たる状態を築いている日本の計量行政
中国では日本以上の人口減少状態が出現している
ハカリの定期検査実施漏れは計量憲法である計量法違反だ
城下町の鍛冶屋が日本の産業の元になった
山口高志投手の球がベース通過時点で一番速かった
福島産の農産物と海産物と放射線測定器
通信と自己診断機能は計量器の法制度を変える
計れと人を管理したQC運動に対比される品質工学
モノの数量表現と性質表現の仕組みである国際単位系(SI)
計量法の実質の内容を変える政省令の理解と解釈
ハンドルで曲がらずブレーキで車は止まらない
計量計測のエッセー

学校は記憶容量とアプリケーションを確認するところ
計量検定所長の仕事は検査機関運営費をたっぷりと確保すること
社会の計量の安全の確保は住民サービスの基礎
神鋼素材は計測器性能に影響がない
田中舘愛橘の志賀潔と中村清二への教え方

自動ハカリの検定実施は日本の計量制度に大きな転換をもたらす
2018年11月16日開催の国際度量衡総会で質量の単位キログラム(kg)を定義変更
事実は小説よりも奇なり 二つの事件
計測システムがわかることが計測における教養だ
世の中は計測でできている
計測の目的と精密さの実現の整合
日本人の頭骨の変化を計測値が示す副題(鎌倉時代の日本人の頭は前後に長い形をしていた)
優良事業所が適正計量管理事業所の指定を受ける社会的責任
計測の目的と求められる確かを考える
地方計量行政の模範県を躊躇なく真似たい
自動ハカリの指定検定機関制度と行政組織の関わり方
1%の検定で計量の安全を実現している日本の計量制度

学校は記憶容量とアプリケーションを確認するところ
計量検定所長の仕事は検査機関運営費をたっぷりと確保すること
社会の計量の安全の確保は住民サービスの基礎
神鋼素材は計測器性能に影響がない
田中舘愛橘の志賀潔と中村清二への教え方

 
旅のエッセー集 essay and journey(essay of journey) 

滋賀県・草津市の宿で王将の餃子をたべた

京都三条の街は気詰まりで滅入る

神戸は港町だが山の街でもあり大都市だ


神戸は港町だが山の街でもあり大都市だ

霧ヶ峰 雪景色

秩父札所二十四番 光智山法泉寺

6月24日の霧ヶ峰高原道路だ。強清水から車山・肩駐車場に向かって走る

正月の下呂温泉は一夜にして白銀の世界になった

上高地 晩夏

風の子の子供たちですが人は風邪を引いてはなりません

川崎大師平間寺で願い事をする

霧ヶ峰高原の八島湿原の周りに出現する景色(2)
薄く積もった雪道を踏みしめる。クロカン四駆の世界だ。

霧ヶ峰高原の八島湿原の周りに出現する景色

霧ヶ峰高原 晩秋の八島湿原

霧ヶ峰高原 晩秋

和歌山市加太港の浜に立つ

山梨県牧丘村で秋の風景に出会った。今は新しい市になっているがその名は知らない。

ダイヤモンド富士

酉の市(おとりさま)

浅草の浅草寺界隈に足を向けた 外人がいて蜘蛛の巣の鉄塔が見えた

旧塩山の恵林寺界隈を見物した

仙台藩と青葉城

カラスウリが赤くなって秋です

スズランが赤い実を付ける秋の始まりです
 
 
 
旅のエッセー集 essay and journey(essay of journey) 

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