控えめな計量法が適用されて実現する平和な社会
キログラムの単位記号はkgでありKGではない。メートルの単位記号はmでありMではない。
計量計測のエッセー 
(タイトル)
控えめな計量法が適用されて実現する平和な社会
(サブタイトル)
キログラムの単位記号はkgでありKGではない。メートルの単位記号はmでありMではない。

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(本文)

 教養とは人の気持ちを理解することである。理数を含めた知識を備えて業務を処理できる能力があるように見えても、人の気持ちを理解できない人がいる。自分勝手、意固地といった言葉を当てたい。狭い範囲の中途半端な知識でも自分の知識を絶対化する。自分の知識と違うと相手が間違っていると攻撃する。醜(みに)く、かつ哀れだ。狭いところに籠もってそこからすべてを見てすべてを判断する。葦(よし)の髄(ずい)から天井を覗く、という。

 飛行機雲を指して公害だという。青空に伸びる白い飛行機雲がジェット旅客機の排煙なのだ。飛行機の後ろにできる負圧が水蒸気を結露させたのが飛行機雲だ。空港でジェットエンジンが出す臭いは燃料の臭いである。そうすると飛行機雲をつくる飛行機は飛行機雲との対比でどれほどかの大気汚染をしているのだ。飛行機雲は公害だというのは正しい。路上や煙突の先ほどの高さから排出される有害ガスの影響が大きいのに比べると高度1万キロメートルでは影響が小さい。高い煙突から白い排煙をたなびかせていると、人は有害物質だと錯覚する。煤煙を含む排気ガスはきれいに燃やしてあり、白い排煙は水蒸気である。その水蒸気が誤解を招くということで水蒸気を煙突に付けた燃焼器で燃やしてしまう。

 人への思いやりが教養であるとすると、計量の欠を知り、計量の欠を補うことのが計量への教養である。計量の欠(けつ)については計量の教養を働かせれば気付く。度をこえた精密さによる計測、用をなさない粗い計測があげられる。世のなかの計測とつじつまの合わない身勝手な計測。計測の共通性ために用いている単位でない単位と単位記号の使用。質量の単位キログラムの単位記号はkgでありKGではない。長さの単位メートルの単位記号はmでありMではない。単位記号の表記は国際単位系(SI )で決めてあるから、SI の単位記号表記表を参照して正確を期すとよい。

 質量の単位キログラムの定義が改定され2019年5月20日付けで新定義が用いられる。定義が変ってもキログラムの単位表記は変わらない。単位記号はkgのままである。メートルの定義が変っても同じであった。2019年5月20日付けで新定義が採用される電流、熱力学温度、物質量の基本単位も単位記号はそのままである。

 金属のかたまりそのものである国際キログラム原器の質量を1キログラムと定義していたものが、光子のもつエネルギーと振動数の比例関係をあらわす比例定数であるプランク定数によって定義されることの改定された。質量の単位であるキログラムの新定義は「キログラムの大きさは、プランク定数hの値を正確に6.626 070 15×10−34 J sと定めることによって設定される」となった。キログラムの単位記号はkgのままである。プランク定数の単位はその状態を表すように「ジュール秒」であり単位記号は J sである。

 道路標識の距離の表示を米国はマイルでしている。国民慣習が元になっているということがあるとはいえ米国の身勝手だ。日本の道路表記ではqとすべきところをKMとやっているから威張れたものではない。地図は正しくqとやっているから、地図作成にあたってSI の単位記号表記表に従っている。

 国際単位系(SI )は国際社会が共通した計量単位を用いることを理想としてつくられ、メートル条約加盟国はこの考え方を順守することになっている。それでも米国で距離をマイルで表記している。メートル法の理想の形であり完成した姿である国際単位系(SI )は10進法を用いている。世界にのこるヤードポンド系の表記は民族の意地の残存であるといえなくもない。

 日本では明治の早い時期にパリにある国際度量衡局から長さ、質量などの標準器の供給を受けて、尺貫系の日本標準をメートル系の原器で裏書きして使用した。メートル法による原器によって日本の計量標準を管理していたのである。そのごメートル法推進の大運動が展開されて米国に残っているヤードポンドによる表記はなくなった。表記はメートル法による国際単位系(SI )であっても、かつての使用の慣習は残されている。一合は180ml(ミリリットル)であるために、ビンには180mlの倍数のものがある。これはこれでよい。量の感覚からくるものだから当然であり、寛容であるべきだ。

 計量の欠をみつけたらそれを補うべく啓発行動にでたらよい。国際単位系(SI )を表記した下敷きを配布したことがあった。これと同じことがインターネットでできる。webサイトに掲載すれば下敷き以上の働きをする。計量法は社会で適正な商取引が実現できるように最低限の規則を定めている。台所で料理のために使う家庭用のハカリは商取引には使えないのが規則だ。知らずに高価な茶を量り売りしている事例は多い。上手に知らせて「犯意」のない間違いを防ぐか。これもまたwebサイトによる啓発活動が効果的である。とくに計量の役所や、役所と同じ仕事をしている団体は、計量の欠を補い意味からも広報するとよい。役所が宣伝すると広報は「公報」に近くなる。

 計量の世界には「計量思想の普及」「計量思想の普及啓発」といった言葉がある。この言葉が計量協会の大きな目的になっているから、何のことやらと考え込んでしまう。計量記念日の街頭活動ほかで役所の人が「計量法を国民に知らせる」といっていた時代がある。控えめにできている計量法が社会にあまねく適用されて計量が平和に行われることを願ってのことである。

 計量の欠を知ることが計量の教養であるから、計量の教養高い人は欠を補う行動をする。寺田寅彦が物理学によって世の事象を捉えた。同じことを計量の教養人はするとよい。やみくもに精密さを説き、むやみな精密さのさの実現こそが計量の正義だとしてはならない。価格と質量の比例ということでは金を目盛りが1グラムの料理用ハカリで計ったのでは売る側も買う側も間尺に合わない。質量に対する価格が50円ほどに収まるようなハカリを使うのが至当である。寛容と厳格の二つのことを知っていなければならない。

 ほどよい計量こそ計量の在り方であり、計量管理の神髄である。ある自動車会社が事務室の壁に掛けておく程度の温度計に対して温度基準器と同等の精密さを求めて、そうでないからといって納入業者を呼びつけたことがあった。そのような自動車会社は大丈夫なのかと危惧していると計測値の偽装、データ改ざんの事件がぞろぞろとでてきた。建前主義と無思慮が同居しているのだ。

2019-01-28-peaceful-society-realized-with-discreet-metrology-law-applied-article-editorial
 
計量計測のエッセー

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計量の教養こそ身に付けるべき課題だ

0.1%の計量器の検定・検査が世のなかに適正計量をもたらす

0.1%の計量器の検定・検査が世のなかに適正計量をもたらす
1%の検定で計量の安全を実現している日本の計量制度
田中舘愛橘の志賀潔と中村清二への教え方

学校は記憶容量とアプリケーションを確認するところ
計量検定所長の仕事は検査機関運営費をたっぷりと確保すること
社会の計量の安全の確保は住民サービスの基礎
神鋼素材は計測器性能に影響がない
田中舘愛橘の志賀潔と中村清二への教え方

 
旅のエッセー集 essay and journey(essay of journey) 

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神戸は港町だが山の街でもあり大都市だ


神戸は港町だが山の街でもあり大都市だ

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霧ヶ峰高原の八島湿原の周りに出現する景色(2)
薄く積もった雪道を踏みしめる。クロカン四駆の世界だ。

霧ヶ峰高原の八島湿原の周りに出現する景色

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霧ヶ峰高原 晩秋

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ダイヤモンド富士

酉の市(おとりさま)

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旧塩山の恵林寺界隈を見物した

仙台藩と青葉城

カラスウリが赤くなって秋です

スズランが赤い実を付ける秋の始まりです
 
 
 
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