日本人の頭骨の変化を計測値が示す
副題(鎌倉時代の日本人の頭は前後に長い形をしていた)
副副題(計測値は雄弁だ 計測は知ることである)
日本人の頭骨の変化を計測値が示す
計量計測のエッセー 
日本人の頭骨の変化を計測値が示す
写真は本文とは連動しない挿絵です。

モデルの前後に長い美しい頭

(タイトル)
日本人の頭骨の変化を計測値が示す
副題(鎌倉時代の日本人の頭は前後に長い形をしていた)
副副題(計測値は雄弁だ 計測は知ることである)

(本文)

 アフリカ大陸のニグロには布を巻いて頭が前後に長くなるようにする部族がいる。前後に長い頭は美しいとされているからだ。ニグロには前後に頭が長い人々が多い。ヨーロッパ人の細い顔立ちで前後に長い頭をした女性モデルは美しい。

 骨は変わる。脳をいれる頭の骨の形も変る。日本人の頭の骨の形は変化してきた。縄文人よりも弥生人の方が頭が前後に長い。古墳時代にはさらに長くなって飛鳥時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代、明治時代、現代とつづくうち、鎌倉時代に頭の前後長は最大になり、その後また短くなった。長頭型の日本人の頭を鎌倉頭という。このさき日本人は顎(あご)が細くなり顔が長くなる。貴族顔の日本人が増える。日本人の顔の形と頭の形、つまり顔の骨と頭の骨の形は変化してきた。骨は変化する。

 2016年6月に韓国で長頭型の女性の頭蓋骨がみつかった。韓国人は総じて頭が前後に短い短頭型であるから不思議だ。発見された頭蓋骨は長さに対する幅の比率すなわち脳頭蓋長幅示数は75(75%)であった。現代の韓国人は85%前後である。鎌倉時代の日本人の脳頭蓋長幅示数は74あるいは75ほどだった。

 長頭型の女性の頭蓋骨はかつて新羅王国(紀元3から10世紀)の都として栄えた慶尚北道南東部に位置する慶州市で出土した。新羅の成立の100年ほど前は、中国で魏・呉・蜀が覇権を争う三国時代であり、朝鮮半島の人々の頭の形は前後に短い短頭型であることが知られていた。朝鮮半島で新羅が成立した時代に日本に暮らす人々の頭の形は前後に長い長頭型であった。倭国と新羅は抗争するなか和平の状態では交易もした。争いかつ親善もする100年を遥かにこえる期間に倭国と新羅の人は移動し定住もあったが、一つの出土だけの資料は推理の手立てにしかならない。

 鎌倉時代の人々が長頭型であったことは鎌倉幕府の本拠でも東京の中心部などから出土した頭蓋骨の調査によっても明らかだ。

 鎌倉幕府の本拠界隈では由比ヶ浜中世集団墓地遺跡、極楽寺遺跡の発掘で頭骨を含み1,500体もの人骨が出土しの調査がされている。状態のよい57体の頭骨を骨聖マリアンナ医科大学解剖学教室と日本大学松戸歯学部解剖人類形態学講座との共同研究チームが計測した。同チームは東京の中心部の鍛冶橋遺跡と丸の内両遺跡は16世紀かさかのぼっても室町 時代中期以降と推定される。鍛冶橋遺跡の17体、丸の内両遺跡の14体の男性頭蓋骨を計測している。

 鎌倉市には鎌倉から室町時代前期の材木座遺跡があって頭骨の計測値と北部九州・山口地方の吉母浜遺跡出土した成人男性頭蓋の計測値はこの時代の脳頭蓋長幅示数が長頭型であることを示す。

 脳頭蓋長のその幅(顔の幅)と長さ(頭の前後長)の実寸を示す。脳頭蓋最大長(頭の前後長)は極楽寺遺跡中世人で187.8mm。鍛冶橋遺跡中世人は184.2mm。丸の内遺跡中世人は183.8mm。脳頭蓋最大幅(顔の幅)は由比ヶ浜南遺跡(単体埋葬)139.8 mm、極楽寺遺跡139.3 mm、鍛冶橋遺跡139.8 mmであった。吉母浜遺跡中世人の脳頭蓋最大幅(顔の幅)は135.9mmであり関東の中世人が北部九州中世人よりも大きい。横幅と前後長とも大きい。

 これら脳頭蓋の計測調査では容積は示していない。ここでは脳が脳頭蓋(頭蓋骨)のどのように収まるかということと脳の容積あるいは質量と脳の働きや脳機能はここでは対象にしない。

 日本人は顔貌と骨格は縄文時代ののち渡来人と混血して一度変化し、以後はそのままの状態で推移していると考えられていた。この定説をくつがえしたのが鈴木尚氏である。同氏は東京大学医学部で解剖学をおさめたあとで理学部に移って人類学を研究していた。昭和26年に大学の解剖標本室を訪れると変った頭骨が21個あった。探すともう2つでてきた。これが鎌倉時代の遺跡からでた頭骨であった。

 頭骨は現代の日本人のよりも後頭部の長さが倍ほどにもみえた。「大正2年、東京市鍛冶橋の橋を架け替えるために掘ったところ、橋のたもとから骨が出たもの」と書かれていた。鈴木尚氏は東京のど真ん中で出土した骨から「今とは違った顔をしていた日本人がいたのでは」と考えて調査を始め、それが鎌倉時代の頭骨であることを突きとた。鎌倉時代の長頭型の脳頭骨によって頭の骨の形は変わることを明らかにした。東京大学医学部教授で解剖学を担当していた養老孟司氏も鈴木尚氏の考えの側に立つ。

 鎌倉時代の中世人の奥歯はすり減っていた。どのような要因が頭の骨と顔の骨の形に作用するか明確ではない。現代の人は固いものをかまないから顎(あご)の骨が細い。徳川将軍は代がすすむにつれて顎は細くなり顔が長くなった。いわゆる殿様顔である。各藩の藩主も同じである。よい容姿つまり美女とは細面(ほそおもて)であっことから将軍家に生まれる子はそのようになった。

 顔が細くなり顎(あご)が尖ってしまうと永久歯は顎に収まらない。全数の歯のを自然に生やすためには固いものをかんで顎を発達させるしかない。子どもにはスルメをかませたらいい。

 計測しなくてもみればわかる。日本人の顔と頭の骨の形は時代によって変わる。変化を数字が雄弁に語る。数字は計測による。計測は知ることであった。

2018-08-11-measurement-values-indicate-changes-in-Japanese-skull-

【関連文書】
漱石、龍之介、鴎外、子規にみる頭の形(日本人の頭の形)

(誤字、不適切な表現などについてはご容赦ください)
 
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写真は本文とは連動しない挿絵です。

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