正月の下呂温泉は一夜にして白銀の世界になった
正月の下呂温泉は一夜にして白銀の世界になった
 
正月の下呂温泉は一夜にして白銀の世界になった

高台のホテルから眺める下呂温泉の景色が見事だ。飛騨川が流れている。このあたりは益田川という。夏は鮎の釣り場だ。


正月の下呂温泉は一夜にして白銀の世界になった

 日本語の地名などは漢字の意味を読んではいけないことがある。下呂温泉などは妙な名だ。

 「しものとまり」(下留)の言葉が転化して「げろ」(下呂)になった。下呂市には高山本線の下呂駅があり、下呂温泉は名古屋市の奥座敷だ。

 ある正月に下呂温泉は一夜にして白銀の世界になった。

 土曜日の夜には冬花火を打ち上げるのであるときは逗留を一日延ばした。正月が開ければ料金は嘘のように安くなる。レジャーブームなど昔のことで平日の温泉場は閑古鳥が啼いている。

 高台のホテルから眺める下呂温泉の景色が見事だ。飛騨川が流れている。このあたりは益田川という。鮎釣りとヤマメやニジマス釣りが行われる。漁協の河川管理が細やかで成魚放流も行われる。

 そのような便りが電子メールで届くので下呂市と益田川はいつも気持ちのなかにある。

 下呂温泉に三日逗留して気持ちは穏やかだったがパソコンに向かう時間は普段と変わることはない。


 移動つづきの旅行をしていたので落ち着いて過ごす場を求めて下呂温泉に3泊した。

 正午に8000円であったのが午後1時には5500円に宿泊料が下がった。百貨店の地下食品売り場におけるの割引と同じことが宿泊料金にもあった。時間とともに物の値段は変動する。その変動の状態はインターネットに現れスマホなどの端末に表示される。

 安い料金であれば街にでて弁当を買って食べて、ゆっくりと湯につかることができる。下呂温泉の泉質はpH9以上、アルカリ性の単純温泉である。これは下呂温泉のどこの宿も同じでだ。よい湯である。

 下呂温泉(げろおんせん)は、岐阜県下呂市(旧飛騨国益田郡)にある温泉である。林羅山が有馬温泉・草津温泉とともに、日本三名泉に数えた(ただし、当時は下呂ではなく湯島と表記)ことから、「日本三名泉」と称されていた。

 この地を流れる川は飛騨川であるが、下手で馬瀬川で合流してから飛騨川と地元ではいう。下呂市を流れている間は益田川(ましたがわ)と呼ばれる。

 上に書いたように釣り好きには益田川漁協の電子メール通信が届く。ヤマメ、ニジマスの放流と釣果情報であり、夏には鮎の情報に変わる。

 自家用車利用では中央自動車道中津川インターチェンジより国道257号経由と東海北陸自動車道郡上八幡インターチェンジより国道256号・国道41号経由があり、郡上八幡経由では2016年にトンネルが二本通されたことによって25分の時間短縮となった。

 この地を走る鉄道は高山本線であり特急ひだ号や特急ワイドビューひだ号が走る。富山、高山、名古屋、米原、京都、大阪からの便などである。

 下呂温泉は1000年前の延喜年間から天暦年間のころに、現在の温泉地の東方にある湯ヶ峰(1,067m)の山頂付近に温泉が湧出したのがはじまりである。泉効があり、当時から湯治客があった。

 1265年(文永2年)に山頂からの湧出は止まったが、現在の温泉地である飛騨川の河原に湧出しているところを発見された。このことは開湯伝説における白鷺伝説(薬師如来が一羽の白鷺に化身し、湧出地を知らせたという伝説)として伝わる。湯口の移動により、湯ヶ峰に安置してあった薬師如来像を村里に移動し、温泉寺とした。

 室町時代に、五山僧・万里集九が草津・有馬とともに天下三名泉として全国に紹介した。1621年には林羅山が著書の中で草津・有馬とともに名湯として挙げている。

 中根山の山麓に建つ温泉寺は江戸時代の創建と言われる(1671年)。当時の泉名は「湯島」と言い、その後、湯之島温泉が下呂温泉の別名としても使われた。

 温泉地は飛騨川の氾濫の度に壊滅的な被害を受けてきたが、その度に復興してきたものの、安政の大洪水で湯脈が破壊されて湧出口を失い、明治時代にわずかに出たものの寂れてしまった。

 復活をかけて地元民により大正時代にボーリング採掘が始まり、昭和初期には、高山本線下呂駅開業を見据えて、名古屋の実業家・岩田武七(現・マドラスの創業者)が採掘事業に乗り出し、1931年に湯之島館を開業した。当旅館建物は国登録有形文化財になっている。

 「下呂」の名の起源は律令制の時代にさかのぼる。

 「続日本紀」によれば、776年(宝亀2年)下呂温泉の付近には美濃国の菅田駅と飛騨国大野郡の伴有駅(上留駅)があった。しかし、この2つの駅間は遠い上に道も険しかったため、間に駅を新たに置くこととなり、下留駅(しものとまりえき)を置いた。

 やがて、下留(げる)と読むようになり、時代が進むに従い音読みするようになり、転じて現在の音と表記に変わった。菅田駅は、現在の下呂市金山町菅田、伴有駅は下呂市萩原町上呂に位置した。

 高山は「さるぼぼ」の街であるが下呂市もまた「さるぼぼ」の街であった。「さるぼぼ」は「猿の赤ちゃん」のことで、赤い服を着た人形である。赤いといえば飛驒特産の「赤かぶら」の漬け物が土産品である。赤がつづくが郡上八幡を含めてこの地では冬には南天が赤い実を付けていて家の庭先に植えれている。

(写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎)(誤字、不適切な表現などについてはご容赦ください)

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正月の下呂温泉は一夜にして白銀の世界になった

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霧ヶ峰高原の八島湿原の周りに出現する景色(2)
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霧ヶ峰高原の八島湿原の周りに出現する景色

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霧ヶ峰高原 晩秋

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