浅草の浅草寺界隈に足を向けた 外人がいて蜘蛛の巣の鉄塔が見えた
 
浅草の浅草寺界隈に足を向けた 外人がいて蜘蛛の巣の鉄塔が見えた
夜になって浅草寺に足を運んだ。中国人が多かった。白人もいた。


浅草の浅草寺界隈に足を向けた 外人がいて蜘蛛の巣の鉄塔が見えた
仁王門である。鬼の形相であった。人は怒る。何に怒るのかは知らない。


浅草の浅草寺界隈に足を向けた 外人がいて蜘蛛の巣の鉄塔が見えた
中秋のころだ。名月が仁王門と五重塔の間に浮いていた。誰も空を見ない。


浅草の浅草寺界隈に足を向けた 外人がいて蜘蛛の巣の鉄塔が見えた
蜘蛛の巣の高い塔が浅草寺から良く見える。浅草界隈の現代の景色だ。


浅草の浅草寺界隈に足を向けた 外人がいて蜘蛛の巣の鉄塔が見えた
仲見世商店街付近は屋台村になっていて金曜日の夜には酒飲みが多い。
少し離れれば青森駅前の風景にある大衆酒場が連なる。どこも同じだ。


浅草の浅草寺界隈に足を向けた 外人がいて蜘蛛の巣の鉄塔が見えた

 半袖で三社祭見物していた。5月なのに夏のような陽気になる。金時雲がビルの上に乗った下のレストランでビールを飲んでいた。自転車でぶらぶらと走っていってビールを飲んだ。電気ブランは面白がって飲んだ。花屋敷のお化けは少しは怖い。その花屋敷がなくなった。

 浅草寺に足を運んだのは何年ぶりだろう。その昔、この界隈で靴を買ったが良くて安くはなかった。今年になって2度目の浅草散策である。縁が付いたお店で買い物をするためだ。買い物は両国でもする。同じ品物を買うためである。自転車のオールドパーツをおいている店だ。昔安く買った自転車パーツの値が三倍になっている。工業製品は過ぎ去ると余程のことがないと復活生産されない。性能の面では置き去りにされているが、自転車は古い物でも使うのに支障はない。競輪はすべて古い時代のままの物で構成された自転車を使う。三倍の値のパーツを手にすると思いは複雑である。

 浅草寺は大きいと思った。仁王さまも大きい。仁王さまの肉体は実物の模写なのか人の想像なのかは知らない。見事な筋肉美である。あの身体ではこん棒を振り回せてもベースランニングはできない。どのような見事な肉体でもあっても天は二物を与えない。

 仲見世通りの屋台の飲み屋の賑わいを横目に、少し外れた場所にある北海道ラーメンの看板の店で餃子をサカナにビールを飲んで札幌ラーメン風の醤油ラーメンを食べた。半分は味噌のようなラーメンだ。久しぶりに美味しいラーメンだった。両隣にほ若い女性客がいて真っ赤な色をしたラーメンを食べていた。向こうでは若者が大汗して食べて二千五百円を支払った。

 浅草寺の仲店の店賃の値上げを寺が求めていることを知らせる人がいた。

(写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎)(誤字、表現の不適切さなどについてはご容赦ください)
 

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