仙台藩と青葉城
 

仙台藩と青葉城
伊達政宗の像は海とは反対側を向いている。その意味は。



仙台藩と青葉城
杜の都、仙台とはどのような意味なのか。青葉城から市街地を写す。


仙台藩と青葉城
東北地方の勢いは全て仙台が象徴する。商業、行政、学問の中心地だ。


仙台藩と青葉城
仙台中心部を眺める人々。高層ビルの向こうには海が見える。


仙台藩と青葉城

(本文)

 仙台は東北地方の中心地である。行政機構がここに集まり、企業は支店を仙台に置く。大学も仙台に集まる。ある人が言った。「東北地方の優等生が東北大学に入学してきて卒業すると東京に出ていく」と。これは北海道大学も同じであり、東北地方の国立大学ほかも同じである。仙台といえども優等生をこの地に引き留めておくことができない。

 仙台では伊達政宗はだれにも優る英雄である。とんでもない英雄であり今年は伊達政宗の生誕450年だということでますます英雄の度をあげている。

 青葉城に行った。地震は大きなトンビの像を土台から落としてしまった。トンビ像は修復された後も台には載せられずに地面においてある。ここにあれば地震の心配はない。あるホテルではビーナス像などを多数ホールに設置していてのが倒れる被害があった。

 正宗の像は馬に跨った武者姿で敵の方向を向いている。台座に載っていて青葉城から仙台の市中を見下ろしもする。南には海がある。海は西洋につながっていると考えた。訪欧使節団が仙台で組まれた。

 仙台の向こうの海は2011年3月11日に荒れ狂った。津波は仙台空港を水にしたがそれよりも海側の住民に大きな被害を与えた。天変地異というがごとくに日本のどこも安全ではない。だから安心などしていられない。岐阜だって濃尾の大地震で地面が割れ家が倒壊した。南部藩出身の田中館愛橘は地震調査を担当し根尾の大断層を確認した。帝大の理学部の教授であったころのことだ。学問の上の弟子に水沢の緯度観測所をつくらせた人でもある。田中館愛橘の娘婿は東北大学の教授であった。

 仙台の地形は東京に似る。名古屋も同じであり大阪もそうだ。大勢の人が集まるのに好都合にできている。仙台藩は北上川の流れを変えて洪水を防いだ。江戸における利根川の改修工事と同じことをしている。

 伊達政宗が仙台を選んだのかどうかは別にして、伊達政宗は仙台にいたことは幸運であった。お家取り潰しの憂き目にあった大名は多い。秋田の佐竹は茨城から移された。仙台と宮城の人々の伊達政宗に寄せる崇敬の念は強い。岩手県の西側の地域は仙台藩に属していた。八戸市は青森県であるが南部藩であった。

 2011年3月11日以前には楽しみで立ち寄っていた青葉城に足を運ぶことがなくなっていた。被災地の現状と復興の姿に関心があるからだ。

(写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎)(誤字、表現の不適切さなどについてはご容赦ください)
 

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