和歌山市加太港の浜に立つ
和歌山市加太港の浜に立つ
 
和歌山市加太港の浜に立つ
夕日が沈んだのは加太港の先である。朝になって加太港に足を運んだ。


和歌山市加太港の浜に立つ
縁結びの神として知られる淡島神社があってお年寄りがいた。


和歌山市加太港の浜に立つ
洗濯板のような岩が浜辺にあった。太古の記録である。


和歌山市加太港の浜に立つ
ひねて丈が伸びないコマツヨイグサ。11月17日撮影。


和歌山市加太港の浜に立つ
晴れていたから地島と沖の島の向こうに淡路島が見えた。


和歌山市加太港の浜に立つ
加太(かだ)港の砂浜に降りた。小さな浜に風紋ができていた。


和歌山市加太港の浜に立つ

 秋の日のつるべ落としで和歌山市に入る高速道路の向こうに大きな夕日があった。沈む先は淡路島である。富山での夕日が沈む先が能登半島であるのと同じ現象であることを考えていた。

 和歌山の名物ということで和歌山ラーメンを駅ビルで食べて、そこから左にいって酒屋が経営する飯屋で焼き鳥を肴にビールを飲んだ。東京からの長い旅なので元気はそこで消えた。クエ鍋を食べようと思った。飯屋では大勢の宴会での注文料理であった。

 和歌山市の人口は359,876人である。和歌山県の人口は944,320人だ。3分の1以上が和歌山市に集まっている。保険や銀行などサービス業を含む第三次産業の時代になっているから人口構成は大体このようになる。

 夕日が沈んだのは加太港の先である。朝になって加太港に足を運んだ。晴れていたから地島と沖の島の向こうに淡路島が見えた。徳島県の鳴門市、徳島市、小松島市、阿南市は淡路島と一体になって見えた。そのようなことを話したら誰かが橋を架けたら良いと言った。もっともなことだ。経済と結び付く物流ということでは淡路島と和歌山市を結ぶ橋は重きをなさない。

 加太(かだ)港の砂浜に降りた。小さな浜に風紋ができていた。風が吹くと民家に砂が飛ぶから浜に草をはやす試みがされていた。風紋の立つ砂浜に黄色い花が咲いていた。ひねて丈が伸びないコマツヨイグサであった。

 少し先に進むと縁結びの神として知られる淡島神社があってお年寄りがいた。南海電気鉄道加太線の終点が加太駅である。

 和歌山市出身の筆頭有名人は陸奥宗光(むつ・むねみつ、1844年から1897年)である。農商務省の役人としても活躍し日本に度量衡制度を敷くのに貢献している。宗光は、藩閥政府内にあって、紀州藩出身の官僚として多大な業績を残した。原敬も陸奥宗光の引きで外務省に職を得ている。日本の度量衡法を制定する実務にあたった人物も陸奥宗光の指揮で働いた。

 博覧強記の南方熊楠(みなかた・くまぐす、慶応3年の1867年生れ)の人生は面白い。この年に生まれた人物たちを調べている。

(写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎)(誤字、表現の不適切さなどについてはご容赦ください)
 


霧ヶ峰高原の八島湿原の周りに出現する景色
樹木が伸びるのを抑えているのが霧ケ峰高原である。


和歌山市加太港の浜に立つ

山梨県牧丘村で秋の風景に出会った。今は新しい市になっているがその名は知らない。

ダイヤモンド富士

酉の市(おとりさま)

浅草の浅草寺界隈に足を向けた 外人がいて蜘蛛の巣の鉄塔が見えた

旧塩山の恵林寺界隈を見物した

仙台藩と青葉城

カラスウリが赤くなって秋です

スズランが赤い実を付ける秋の始まりです

滋賀県・草津市の宿で王将の餃子をたべた

京都三条の街は気詰まりで滅入る

神戸は港町だが山の街でもあり大都市だ