ハンドルで曲がらずブレーキで車は止まらない
ハンドルで曲がらずブレーキで車は止まらない
計量計測のエッセー 

ハンドルで曲がらずブレーキで車は止まらない

ぬくもりで人を癒すシンビジュウム(写真は挿絵です)


(タイトル)
ハンドルで曲がらずブレーキで車は止まらない

(本文)

 高速道路を一般道路とおなじ車間距離で走って5台6台の玉突き衝突をする。狭い道をアクセルに任せて走り道から外れて谷に落ちる。煽り運転は論外であり精神の異常か錯乱を想定する。車間距離が短ければブレーキを踏んでも追突する。カーブを曲がるには遠心力とタイヤの粘着力との均衡との間の安全率を心得ていることが求められる。日本のこのような事情にもかかわらず「安全・安心」と平気で語る人の心情がわからない。その安全のための必要事項を語り、安心であるためにどのようなことをするかを説明しなければならないのに「安全・安心」を言葉にする。これは「遺憾」と同じだから遺憾。

 1キログラムの質量が富士山では1グラム軽い状態になる。赤道付近では遠心力の作用で1グラム以上の重い状態になる。そのような影響を排除する質量計を用いれば1キログラムの質量はその値どおりに示される。ヤジロベー式の精密な天びんの片方に質量1キログラムの質量を載せて比較すると質量1グラムのものを計り取ることができる。バネ式のハカリを用いると重力値の差が1グラム重かったり軽かったりして表示に現れる。

 7つの計量基本単位のうちで最後まで金属の塊に依拠していた質量の単位であるキログラムが定義のうえでは金属塊から解き放たれる。別の方法でキログラムが定義される。電気量との関係になるかそのほかの方法になるかはほぼ決まっている。決定するまではどんでん返しを考慮しておかなくてはならない。

 次は岩田重雄氏による「質量と重さ(重量)を混用してはならない」という題目での論考である。

 1687(貞享4)年にアイザック・ニュートンはプリンシピア(自然哲学の数学的基礎)の中で質量を「物質の量とは、その物質の密度と体積の乗積をもってはかられるものである」と定義した。1870〜1872(明治5〜7)年のリッテル述・市川盛三郎訳・理化日記には質量を「体の真量、乃ち体内実質の分量」としている。1879(明治12)年の川本清一訳・士都華氏物理学には質量とあり、これが質量の初出である。同年に出版された飯盛挺造編訳・物理学で質量を「絶対的ノ重サ」と定義している。かくして物理学訳語会は1883(明治16)年9月12日の会合で、質量という用語を公認した。重さ(重量)を質量の意味に使うためにおこる国際的混乱をさけるため1901(明治34)年にパリで開催された国際度量衡総会で、物体そのものを構成する物質の分量である質量(基本単位kg)と、質量と重力加速度の積に等しい重さ(重量)とは異なることを決議した。日本からも2名出席している。

 計量分野のことでは学術面、産業と工業面で単位の使用を国際単位系(SI・エスアイ)によることの普及は未だし、という状態にある。質量を重さとか重量と記す事例は多い。キログラムはkgである。それをKGと記しているし、kmはKMとなる。SIの単位表記の普及はいまなお大きな課題である。

 こうしたことの普及を計量思想の普及・開発と言ってきた。これが計量協会の定款の第一番に書いてあり、計量記念日行事の看板になる。思想とは何であるかは知らない。計量と計測の基礎知識が普及して人々の常識になることが望まれる。こうしたことの推進活動が「計量思想の普及・啓発」であるように思われる。ブレーキは掛けても車は停まらない、ハンドルを回すだけではコーナーは曲がれない、といった物理常識が普及することと計量知識とは隔たった間柄ではない。

(誤字、不適切な表現などについてはご容赦ください)

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