カーボンニュートラルという虚構政策
A fictional policy called carbon neutral
地球温暖化を防止する国際的な決めごとは実際には米国の石油温存のために策略されている
カーボンニュートラルという虚構政策
計量計測のエッセー 
カーボンニュートラルという虚構政策

日本の国土の7割は森林である。森林の7割が杉などの経済木に
なっていながら事実上を使われない。写真は八ヶ岳南麓の景色。

(タイトル)

カーボンニュートラルという虚構政策

(本文)


 アベノミクスとは何であったのか。そもそもが毛利元就の三本の矢に例えていることが怪しい。一本の矢なら簡単に折ることができるが三本になると難しくなる。だから一族や兄弟は一つにまとまっていることが望ましいという程度の意味なのだ。それを経済政策に敷衍(ふえん)しているのだが、その押し広げ方が変であった。

 金融緩和で流通するお金の量を増やして、デフレマインドを払拭する。これを大胆な金融政策といって第一の矢とした。約10兆円規模の経済対策予算によって、政府が率先して需要を創出する。これが機動的な財政政策であり第二の矢だ。規制緩和によって、民間企業や個人が真の実力を発揮する社会へ。というのが民間投資を喚起する成長政策が第三の矢であった。すべて政府の説明による文章である。

 日本株を買ったのは海外の資金であり、日本人の個人投資家は株を買えば値上がり益に浴することができた。需要創出とはGDPの6割に達する個人消費が盛り上がることであるが実質賃金は低迷しているか後退した状況であるために国のGDPは増えなかった。規制緩和によって公的機関がさまざまな事業を民間委託したことに連動して、正規の公務員の半分か三分の一の賃金で雇われる人々が大量発生した。おまけは森友と加計へのねじ曲げた規制緩和による優遇事件であった。

 役所がしていた仕事を権限も与えず身分保障もせずに別組織に肩代わりさせる行政方式がまかり通るようになった。英国ではこの方式をつづけると社会が崩れることがわかったので止める。計量計測分野では指定定期検査機関という民間の検査機関が類似の組織である。年季を入れても収入も地位も上がらない組織は疲弊する。理屈はないただそれだけのことだ。

 米国は自国産の石油で自国産業の石油需要を賄えなくなった。それがわかったのは1970年のことだ。米国は石油を輸入するようになった。原油価格が高騰したために石油ショックが1973年に発生した。米国は国内需要の増大に価格は据え置おいて石油産出を増やして対応していた。それができなくなったので石油ショックがおきた。その後の展開はどうか。米国につづいて世界の石油が逼迫してきた。米国に石油がなくなったのではない。世界の石油産出量は重要を満たせなくなっている。それが石油価格の高騰という現象である。

 米国産の石油を温存する政策がある。そのために石油を使わせない方法が編み出される。不都合な真実という真っ赤な嘘で塗り固めたのがアル・ゴアの地球温暖化論である。米国は自国の石油は温存して他国から買って使う。使う石油は限られているから石油の使用量を国際協定によって制限しようということを別の言葉で表現したのが地球温暖化論である。一人当たり米国人は日本人の4倍の石油を使う。1970年ころの米国映画には必要をこえた大きさの米国車が登場する。今でも大して変わりがない。

 地球温暖化を防止する国際的な決めごとは実際には米国の石油温存のために策略されている。それが炭素排出量をゼロにするという2050年問題である。詳しく述べると、何かを生産したり一連の人為活動で排出される二酸化炭素と吸収される二酸化炭素が同じ量であるカーボンニュートラル (carbon neutral、炭素中立) である。そのような概念がカーボンニュートラルだ。

 環境省のカーボン・オフセット制度は「市民、企業、NPO/NGO、自治体、政府等の社会の構成員が、自らの責任と定めることが一般に合理的と認められる範囲の温室効果ガスの排出量を認識し、主体的にこれを削減する努力を行うとともに、削減が困難な部分の排出量について、クレジットを購入すること又は他の場所で排出削減・吸収を実現するプロジェクトや活動を実施すること等により、その排出量の全部を埋め合わせること」と定義する。もともと環境省はある種の原理主義、教条主義によってしか成り立たない組織であり、日本ではずっとそのような状態がつづいている。

 第二次安倍晋三内閣の経済政策は成功だったのか失敗だったのか、それは絵空事にもみえ、残された付けは大きい。カーボンニュートラルという不思議な言葉と2050年の期限への対応を菅義偉首相は言い出した。原子力発電所の再稼働と原子力政策に変更を加えないことの宣言のように聞こえる。原子力発電のためには妙を得た見事な政策がカーボンニュートラルである。原発の燃料となるウランは希少資源であり石油よりも遙かに埋蔵量が少ない。加工して原子燃料にするには取り出せる発電量に倍する石油を使う。核廃棄物の処理のための費用こそ隠された真実である。核燃料を使うことで人類は恩恵を受けない。

 薪(まき)ストーブの愛好家がいる。使う薪は大気中の二酸化炭素を取り込んで育っている。切り倒した薪材の樹木は順に生えて二酸化炭素つまり炭酸ガスを吸って育つ。と自慢する。縄文の暮らしは慎ましやかだったけれどカーボンニュートラルが実現されていた。排出される二酸化炭素が吸収される二酸化炭素を上回る場合は「カーボンネガティブ (carbon negative)」、排出される二酸化炭素が吸収される二酸化炭素を下回る場合は欧米においては「カーボンポジティブ (carbon positive)」、前者は日本においては「カーボンマイナス」ともいう。日本の国土の7割は森林である。森林の7割が杉などの経済木になっていながら事実上を使われない。

 日本の気候による樹木の生産力はとてつもない。草原は年に3度は刈り取らなければ林に変わる。10年放置され宅幸は立派な林になる。このような国は希である。火山灰地にできた急峻な河川は降雨によってあふれ土手は崩れる。国土強靱化という掛け声は八紘一宇と同じではないか。山崩れ、河川氾濫を防ぐことはできない。安全の確度の高い場所を選んで暮らすことが賢明である。富士山の噴火、浅間山の噴火による被害を想定したい。津波と大地震への対応はできていない。国土強靱化などと神をも恐れぬ言葉を吐いてはならないのだ。役人に書かした文章を国の政策、内閣の政策として嘯(うそぶ)く日本の国政運営がつづいている。世界がまた2050年カーボンニュートラルという大芝居を打っている気配がある。
地球には寒冷期があり氷河期があった。縄文時代の中期は温暖期で日本列島に住む人は26万人になり、その後の寒冷化で5万人に減ったことになっている。ある計算式がはじきだしたこの数値がまかり通る。太陽の活動の変動、地球の公転と銀河系の動きで気候が変動する。都市部で産業活動のために石油を燃やし、人が冷暖房に電力を使うと都市周辺の温度は高くなる。北極の氷、南極の氷の量の増減の状態には減っている、増えているという二つの見解がある。地球全体の温度はどうなっているか確かめられていない。世間はそれでも地球温暖化なのだと決めてしまっている。それで炭酸ガス排出抑制と炭酸ガスの排出量と吸収量の均衡の2050年カーボンニュートラルなのだという。本当のところでは日本の経済活動は地球温暖化への影響は小さい。どこまでやるかは別にして2050年カーボンニュートラルなのだ。これに失敗しても日本人には死活の問題ではない。

 原子力発電は安全でもなく脱炭素でもなく安くもない。原子力発電は日本の核武装のためのプルトニュームを抽出するためにある。反対派の論理に組み込まれた理屈であり、これは事実だ。上高地に近い梓川を堰き止めた人造湖の梓湖(あずさこ)は奈川渡ダム(ながわどダム)という。高さ155メートルのアーチ式コンクリートダムで、下流に水殿(みどの)ダム、稲核(いねこき)ダムが造られている。三つのダムで東京電力が水力発電をする。奈川渡ダムの見学者には主力は原子力発電だと説明し、ダムの水利権は農業の灌漑用に多く割かれているので、流下する水の全てを使えるのではないと説明する。水力発電所をみせていながら小学生の夏休みの作文に原子力発電のことを書かせようという魂胆があった。福島第一原発事故があるまえのことだ。水の落差によって生じる力、流れも同じことだがこれによる発電方式をよく考慮すべきだ。蜜柑畑をつぶして電気畑にすることの是非はわからない。

2020-11-05-a-fictional-policy-called-carbon-neutral-

【資料】

日本の計量器産業の生産高は1兆円、広義の計量器企業の売上高は3兆円
(日本の計量器産業の生産高は1兆円)(広義の計量器企業の売上高は3兆円と推計できる)(計量器生産高はGDP対比0.2%あるいは0.6%)(新しい計測方法ができることがはてしなく続く)(計測センサーは神経系の各部の神経と同じ働きをする)(人の神経組織は数千あるいは数万以上、これに未来の計測器をかさねる)(人の脳の質量は成人で体重の2%だが脳の働きは質量と連動しない)(神経の質量は脳の質量の1000分の1ほどか)(経済と社会を対象に痛い痒いを知るのが計測器だ)(取引の公正を実現する計測器)

数学者と物理学者は数式によって実現されることを事実だと考えている

重力とは 重力の単位 地球の重力値 重力の作用

袋事故におけるハイブリット車暴走の原因は誤操作によるか機械故障か

新型コロナウイルス感染症ワクチン

走り、曲がり、止まるという車の機能にはさまざまな技術要素と交通事故

計量行政職員は計量の安全を守る護民官として位置づけられていた

カーボンニュートラルという虚構政策

科学研究費に求める成果に振り回される人々

人の言葉の基(もとい)は教養である

人口減少の事情と日本の50年先の状態

2020年日本経済の素描

机と椅子が織りなす快適値としての29cmという科学

新型コロナウイルス感染症COVID-19対応の温度計測機器

文武両道は集団催眠がもたらした言葉だ

日本の次世代経済はのみの市経済か

COVID-19に感染したら生命と財産を何とか守ってやる

バベルの塔に似た都市集中と林の中の工場との対比

新自由主義批判にも聞こえるトマス・モアのユートピア

COVID-19におびえて洞窟に3カ月避難した日本

新型コロナ対応で経済を止める愚挙

下気道感染症で300万人、下痢性疾患で140万人、結核130 万人、これと新型ウイルスを比較する

新型コロナウイルスと肺炎疾患を考える

新型コロナウイルス、現在の感染者・死者数(18日午前2時時点)AFP 2020年3月18日 5:23発信地:パリ

新型コロナウイルス感染症で体温計が市場から消えた

(不適切な表現などについては意に反するものですのでご容赦ください)

2020-06-15-japan-frightened-by-covid-19-and-evacuated-to-a-cave-for-3-months-
 
計量計測のエッセー

カーボンニュートラルという虚構政策

人の言葉の基(もとい)は教養である

人口減少の事情と日本の50年先の状態

机と椅子が織りなす快適値としての29cmという科学

新型コロナウイルス感染症COVID-19対応の温度計測機器

COVID-19に感染したら生命と財産を何とか守ってやる

バベルの塔に似た都市集中と林の中の工場との対比

新自由主義批判にも聞こえるトマス・モアのユートピア

COVID-19におびえて洞窟に3カ月避難した日本

新型コロナ対応で経済を止める愚挙

下気道感染症で300万人、下痢性疾患で140万人、結核130 万人、これと新型ウイルスを比較する

新型コロナウイルスへの国と東京都の対応の是非

新型コロナウイルス感染症で体温計が市場から消えた

新型インフルエンザ薬タミフル誤計量と天秤の改善措置

【資料】新型コロナウイルスと肺炎疾患を考える
【資料】新型コロナウイルス、現在の感染者・死者数(18日午前2時時点)AFP 2020年3月18日 5:23発信地:パリ

計測と計量管理の教養こそ計測技術者が身につけるべきこと

計測がねじ曲げられると白が黒になる(白いものを黒くしてしまう社会の掟の怖さ)

いつでも使える計量辞書としての国際単位系ページの利用

田中館愛橘の物理普及講演と寺田寅彦の物理学を元にした随筆

適正な計量の実施は国家と地方公共団体が共同して実現すべきもの

富士山より高かった八ヶ岳が崩壊すると泥流は甲府盆地の向こうまで流れた執筆 甲斐鐵太郞
韮崎と須玉に連なる丘の七里岩は八ヶ岳崩壊による岩屑(がんせつ)なだれの跡だ


計量計測のエッセー ( 2018年1月22日から日本計量新報の社説と同じ内容の論説です)

素直でない人は嘘をつく 素直とは正直者のことだ

法人とその構成員の意欲と能力を映し出しているwebサイト

数値や言葉を翻訳変換して診断する

大手情報媒体が低俗化しフェイク情報が充満する

人は他の人を映し鏡として生きる意義を成立されている

カメラの撮影枚数にみる技術開発とリチウムイオン電池


地が裂け山が崩れ洪水が人を襲う日本の自然(ハザードマップは人が住んではならない場所を示す地図だ

球速表示160kmは確かか(球速表示160kmは信ずるに値するものなのか)

内需依存型産業社会日本と人口減少社会の在り方

(タイトル)
控えめな計量法が適用されて実現する平和な社会
(サブタイトル)キログラムの単位記号はkgでありKGではない。メートルの単位記号はmでありMではない。

計量の教養こそ身に付けるべき課題だ

0.1%の計量器の検定・検査が世のなかに適正計量を実現をもたらす

地が裂け山が崩れ洪水が人を襲う日本の自然(ハザードマップは人が住んではならない場所を示す地図だ
見えないモノを見えるようにする計測技術
強い欲求をもっているとニーズは自ずと分かるものらしい
すべては丈夫な身体と丈夫な心あってこそ
消費は人口減少の度合いで減りGDPも同様に推移する
キログラムは新定義を満足させたうえ50 µgから10 µgに精度向上
質量と重量の違い及び質量の単位キログラムの定義変更
規則に照らせば不正でも総合性能としては問題ない事柄
バベルの塔とノアの箱舟の伝説と旧カヤバ工業の免震性能偽装
計量と計測は人の間にどのようにかかわるか
自動ハカリの検定実施は日本の計量制度に大きな転換をもたらす
2018年11月16日開催の国際度量衡総会で質量の単位キログラム(kg)を定義変更
日本人の頭骨の変化を計測値が示す副題(鎌倉時代の日本人の頭は前後に長い形をしていた)
優良事業所が適正計量管理事業所の指定を受ける社会的責任
計測の目的と求められる確かを考える
地方計量行政の模範県を躊躇なく真似たい
自動ハカリの指定検定機関制度と行政組織の関わり方
1%の検定で計量の安全を実現している日本の計量制度
自動ハカリの指定定期検査機関の動向を観察する
計測の在り方と計測値の表示をめぐる諸事情
計量協会webサイトから日本の計量行政の未来が見える
光波干渉測定システムはアインシュタインの理論を事実として確認した
収賄で終身刑になる中国要人と首相をかばい罪に問われる日本の官僚

ウィキペディアによる計量の世界の説明は1割ほど
時代の波と計量器産業の浮き沈み
世界でも範たる状態を築いている日本の計量行政
中国では日本以上の人口減少状態が出現している
ハカリの定期検査実施漏れは計量憲法である計量法違反だ
城下町の鍛冶屋が日本の産業の元になった
山口高志投手の球がベース通過時点で一番速かった
福島産の農産物と海産物と放射線測定器
通信と自己診断機能は計量器の法制度を変える
計れと人を管理したQC運動に対比される品質工学
モノの数量表現と性質表現の仕組みである国際単位系(SI)
計量法の実質の内容を変える政省令の理解と解釈
ハンドルで曲がらずブレーキで車は止まらない
計量計測のエッセー

学校は記憶容量とアプリケーションを確認するところ
計量検定所長の仕事は検査機関運営費をたっぷりと確保すること
社会の計量の安全の確保は住民サービスの基礎
神鋼素材は計測器性能に影響がない
田中舘愛橘の志賀潔と中村清二への教え方

自動ハカリの検定実施は日本の計量制度に大きな転換をもたらす
2018年11月16日開催の国際度量衡総会で質量の単位キログラム(kg)を定義変更
事実は小説よりも奇なり 二つの事件
計測システムがわかることが計測における教養だ
世の中は計測でできている
計測の目的と精密さの実現の整合
日本人の頭骨の変化を計測値が示す副題(鎌倉時代の日本人の頭は前後に長い形をしていた)
優良事業所が適正計量管理事業所の指定を受ける社会的責任
計測の目的と求められる確かを考える
地方計量行政の模範県を躊躇なく真似たい
自動ハカリの指定検定機関制度と行政組織の関わり方
1%の検定で計量の安全を実現している日本の計量制度

学校は記憶容量とアプリケーションを確認するところ
計量検定所長の仕事は検査機関運営費をたっぷりと確保すること
社会の計量の安全の確保は住民サービスの基礎
神鋼素材は計測器性能に影響がない
田中舘愛橘の志賀潔と中村清二への教え方

 
旅のエッセー集 essay and journey(essay of journey) 

滋賀県・草津市の宿で王将の餃子をたべた

京都三条の街は気詰まりで滅入る

神戸は港町だが山の街でもあり大都市だ


神戸は港町だが山の街でもあり大都市だ

霧ヶ峰 雪景色

秩父札所二十四番 光智山法泉寺

6月24日の霧ヶ峰高原道路だ。強清水から車山・肩駐車場に向かって走る

正月の下呂温泉は一夜にして白銀の世界になった

上高地 晩夏

風の子の子供たちですが人は風邪を引いてはなりません

川崎大師平間寺で願い事をする

霧ヶ峰高原の八島湿原の周りに出現する景色(2)
薄く積もった雪道を踏みしめる。クロカン四駆の世界だ。

霧ヶ峰高原の八島湿原の周りに出現する景色

霧ヶ峰高原 晩秋の八島湿原

霧ヶ峰高原 晩秋

和歌山市加太港の浜に立つ

山梨県牧丘村で秋の風景に出会った。今は新しい市になっているがその名は知らない。

ダイヤモンド富士

酉の市(おとりさま)

浅草の浅草寺界隈に足を向けた 外人がいて蜘蛛の巣の鉄塔が見えた

旧塩山の恵林寺界隈を見物した

仙台藩と青葉城

カラスウリが赤くなって秋です

スズランが赤い実を付ける秋の始まりです
 
 
 
旅のエッセー集 essay and journey(essay of journey) 

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