川崎大師平間寺で願い事をする
川崎大師平間寺で願い事をする
 
川崎大師平間寺で願い事をする
川崎大師平間寺は弘法大師のころはこの地は海辺であったろう。


川崎大師平間寺で願い事をする
仲見世通りの店にに置かれている達磨。赤い世界がここにはある。


川崎大師平間寺で願い事をする
大師さまでは欲張って沢山の願い事を唱える。願えば叶うのではないか。。


川崎大師平間寺で願い事をする
横綱北の湖の三回忌。川崎大師平間寺に銅像が建てられた。


川崎大師平間寺で願い事をする
夕日が赤く燃える市営駐車場脇の公園で小学生がサッカーに興じていた。


川崎大師平間寺で願い事をする

 日本では神も仏も一緒のようであり富士山も拝む対象になる。お日さまもお月さまもお星さまも草も木も拝まれる。菅原道真は学問の神さまである。弘法大師は何だろう。開運、厄除、縁結、商売、必勝、交通、安産、学業、必勝といったすべてが祈願される。人は祈らずにはいられない。祈るとき人は何かと一緒になり一人でないことで安心する。何だ人は安心するために祈るのか。

 すがられる人の代表が弘法大師である。弘法大師は人を超えている。川崎大師は弘法大師空海が開いた。その川崎大師に師走の初めころお参りしている。川崎大師平間寺という。弘法大師のころはこの地は海辺、浜辺であったろう。埋め立てて海に進んでいったから周辺は住宅地になった。

 今年は横綱北の湖の三回忌でありこれを機会に川崎大師平間寺に銅像が建てられた。門徒であったことによる。両国一中の1年生13歳から相撲を取った。素質があって角界入りするならいいがそうでないと幕下まで届かないで去る。プロ野球は素質あって競っても成功することは少ない。甲子園優勝投手のどれだけが一流選手になっているか。大相撲は努力があって花開くのか、才能によるのか。北の湖は勝つとことと川崎大師平間寺が一緒だったのだろう。

 詰まらないことを考えながら川崎大師に参拝した。帰りには何時もは閉まっている蕎麦屋でかけ蕎麦の大盛りを食べて葛餅を土産にした。夕日が赤く燃える市営駐車場脇の公園で小学生がサッカーに興じていた。日本は平和なのだと思う。高い建物が建つようになったから富士山は見えない。したがって太陽は富士山頂上には落ちない。今ごろなら場所によっては太陽は富士山の後に落ちる。高層マンションの西の窓からは見えているかも知れない。

 大師さまでは上に書いた全てのことを祈願した。

 初詣客の数を神社本庁も警察も発表しなくなった。新聞はおおよその人数を報ずる。ある調査では、昭和45年(1970)には、1位鶴岡八幡宮(神奈川)186万人、2位熱田神宮(愛知)175万人、3位明治神宮(東京)171万人、4位伏見稲荷大社(京都)148万人、5位八坂神社(京都)112万人、以下、住吉大社、豊川稲荷、伊勢神宮、川崎大師、成田山新勝寺であった。昭和48年(1973)になると、川崎大師が一位になる。人数は386万人になっていた。昭和50年(1975)には1位川崎大師(神奈川)389万人、2位鶴岡八幡宮(神奈川)262万人、3位住吉大社(大阪)231万人、4位伏見稲荷大社(京都)223万人
、5位明治神宮(東京)208万人。

 今は関東では1位明治神宮310万人、2位成田山新勝寺305万人、3位川崎大師平間寺300万人、4位浅草寺283万人、5位鶴岡八幡宮250万人。伏見稲荷、平安神宮、住吉大社が一番であると伝えられることもある。

(写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎)(誤字、表現の不適切さなどについてはご容赦ください)


風の子の子供たちですが人は風邪を引いてはなりません


滋賀県・草津市の宿で王将の餃子をたべた

京都三条の街は気詰まりで滅入る

神戸は港町だが山の街でもあり大都市だ


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霧ヶ峰高原の八島湿原の周りに出現する景色(2)
薄く積もった雪道を踏みしめる。クロカン四駆の世界だ。

霧ヶ峰高原の八島湿原の周りに出現する景色

霧ヶ峰高原 晩秋の八島湿原

霧ヶ峰高原 晩秋

和歌山市加太港の浜に立つ

山梨県牧丘村で秋の風景に出会った。今は新しい市になっているがその名は知らない。

ダイヤモンド富士

酉の市(おとりさま)

浅草の浅草寺界隈に足を向けた 外人がいて蜘蛛の巣の鉄塔が見えた

旧塩山の恵林寺界隈を見物した

仙台藩と青葉城

カラスウリが赤くなって秋です

スズランが赤い実を付ける秋の始まりです