社会と購買者への信用ある通信としての広告
夏雲が湧く霧ヶ峰高原
(タイトル)
社会と購買者への信用ある通信としての広告
(本文)
三菱電機は霧ヶ峰の映像を用いてクーラーの宣伝をしていた。1970年代にはこの宣伝が賑やかだった。シロクマをイメージキャラクターにしたクーラーもあった。これは今もつづいている。クーラーが普及期にはテレビCMはクーラーの宣伝合戦であった。クーラーの性能には差がなくても購買者の心を支配した映像が決め手になる。
商品と企業をイメージさせる重要な要素が広告である。購買者はその企業とその製品の広告をたえず見ていると親近感と信頼感をもつようになる。その企業とその製品を愛用している人は広告をみてやはりこの商品でよいのだと思う。広告は大勢の人がみている。そうした商品を買うときにはこの企業の品を選べば良いのだ決断させる決め手になる。競合する複数の企業の製品の広告をみていればそれらが選択の対象になる。広告で見ない企業は対象にならない。
新聞の愛読者は「わが街のわが企業の広告をみているとその企業に愛着をもつ。非常にうれしい」というのである。その企業にしてみれば思わぬところに広告の効果があるものだということになるが広告とはそのようなものなのだ。別の愛読者はその企業の広告をみているうちに何時しかその企業にブランドイメージをもつ。何時も広告がでているこの企業ならという気持ちが定着する。使っている品物をつくっている企業の広告がでてることで購買者は安心する。
商品をつくったり売ったりする事業者が述べる。広告はお客様への感謝の気持ちの表現です。元気でやっておりますし、何時でもご要望に応じます、という通信でもある、という。企業の従業員は自社の広告がでていることで社会に認められていると思う。広告が出ていない企業だと社会との関係が切れているようでならない。広告とは社会と愛用者そして未来の購買者への信用ある通信なのだ。
2019-04-06-advertising-is-a-credible-communication-to-society-and-buyers-
(不適切な表現などについてはご容赦ください)
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