「計量計測データバンク」サイトマップ measure and measurement data bank of saite map

思い出を記録する道具としてのカメラ
ニコンFとライカフレックスSLのことなど
(Camera as a tool to record memories)(About Nikon F and Leica Flex SL)
執筆 甲斐鐵太郎

ライカM5は特別な感覚領域を備えていて私を虜(とりこ)にした
執筆 甲斐鐵太郎 旅行家

思い出を記録する道具としてのカメラ ニコンFとライカフレックスSLのことなど 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

思い出を記録する道具としてのカメラ ニコンFとライカフレックスSLのことなど

思い出を記録する道具としてのカメラ ニコンFとライカフレックスSLのことなど 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

上の写真はライカフレックス SL 正面の姿


ライカM5の50周年モデルだ。欲しい人は欲しい。


50mm f2にライカのズミクロンRマウントだ

思い出を記録する道具としてのカメラ ニコンFとライカフレックスSLのことなど

上の写真はライカフレックス SL 斜め横の姿


ライカのM5のブラックの50周年モデルだ。欲しい人は欲しい。

思い出を記録する道具としてのカメラ ニコンFとライカフレックスSLのことなど

50mm f2にライカのズミクロンRマウントだ


上の写真はライカフレックス SL 上からの姿

思い出を記録する道具としてのカメラ ニコンFとライカフレックスSLのことなど

ニコンF 下の距離計連動式にペンタプリズムを載せた


NikonS2は50mmf2付き モノクロで切れる写真になる

思い出を記録する道具としてのカメラ ニコンFとライカフレックスSLのことなど

ニッコールの50mmf2レンズはモノクロ撮影に向いている


1971年にライカのM5は標準レンズのF2が付いて50万円。
50mm f2ライカのズミクロンMマウントだ

思い出を記録する道具としてのカメラ ニコンFとライカフレックスSLのことなど 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

(タイトル)
思い出を記録する道具としてのカメラ
ニコンFとライカフレックスSLのことなど

(本文)

 普通に生活する人にとってカメラは時を経てみると思い出を記録する道具であった。1949年に生まれた人間にはカメラは憧れても持てる対象になるのは1970年ころになってからだ。中学生が個人でカメラを持つことなどできないから修学旅行には知り合いから借りた。高校生になると同級生のハーフサイズの押すだけのオリンパス・ペンを使った。とオリンパスペンFが買えるかもしれないとカメラ屋のショーウインドウをみていた。用意したお金はホンダの自動二輪に回っカメラへの関心は薄れた。

 学生の身になる。夏休みに友人たちと避暑地にでかけて写した写真が思い出に残る。写真好きがハーフサイズカメラで写したものだ。大学4年になって山に登るようになった。それ以前でも高尾山には週末にでかけていたのだが八ヶ岳に登るようになると写真を撮るための自分のカメラが欲しくなった。アサヒペンタックスSPと24㎜レンズを使った。大学の写真部の同級生はニコマートを使っていた。写真部の部長はローライフレックスの良いレンズの二眼レフに憧れていた。

 山岳雑誌に掲載される写真を真似る。レンズは24㎜、50㎜、200㎜の三本、カメラはニコンFになっていた。写真の技法を学んで撮っても産が買う雑誌とは別のものになった。自分の行動の記録としての写真は残った。

 ニコンFと24㎜、50㎜、200㎜の三本のレンズをリュックに詰めると他の物が入らない。ズームレンズが普及するのは後のことである。ニコンのズームレンズは値が張った。手が届く品ではない。山の写真を撮る熱情がニコンFへと私を向かわせた。一緒にでかけていた知人は装備が軽くなるからとキャノン7を使い、8ミリ写真に移っていった。

 私はライカに憧れていた。ライカM3は遠い存在だったからLEICAFLEX SLと50㎜レンズを手に入れる。ニコンFを取得してから7年が経過していた。LEICAFLEX SLのレンズはf値が2の50㎜ズミクロン1本だけである。私のライカフレックス SL による写真はズミクロンによる。このレンズで撮影できる写真が私のライカフレックス SLの写真だ。

 ニコンFはレンジファインダー機のニコンSPにプリズムの載せてつくられた。ニコンSPは右手中指でレンズの焦点合わせのためのダイヤルを回し、人差し指でシャッターボタンを押す構造になっている。シャッターボタンの位置がニコンFにそのまま残った。ニコンF は露光計を組み込まない状態では簡素なつくりであり軽くもある。ニコンFはサイズとしてはニコンSPと同等でありニコンS2とも通じる。

 ライカM3はニコンSPと同じ距離計連動式の35ミリカメラである。ライカはM3をそのまま一眼レフカメラのLEICAFLEX(初代)に移し替えなかった。ファインダーの像が空中空像式であることはM3からでている発想だ。一眼レフ二代目のLEICAFLEX SLは初代と同じボディーである。M3の巻き上げリボンなどは流用されていてもM3の手ごろな大きさがLEICAFLEX(初代)、LEICAFLEX SL、LEICAFLEX SL2では巨大化した。構造が違うが後継機のLEICA R3は大きなボディーサイズである。LEICA R4から手に収まる小さなサイズになる。LEICA R4でLEICAはM3の大きさに戻る。バルナック型ライカの小さなボディーサイズはデジタルカメラ時代になって実現される。

 写真を撮影するためのレンズの良し悪しについては私にはわからない。文章を読んでみるものの実感としては捉えられない。露光の良し悪しについては見ればわかる。その程度のことしかわからない。

 写真を撮る道具としてはLEICAFLEX SLが手に馴染んで使いよい。TTL測光方式を採用していることなど様ざまな要素があるがマニュアル測光方式のための操作部はシャッタースピードを設定するダイヤルだけがある。巻き戻し部にはフィルム感度設定のダイヤルが組み込まれている。存在を意識させないようダイヤル周りに数値が刻んである。ボディー前面にセルフタイマーレバー、絞り込みボタン、レンズ脱着ボタンが付いている。フラッシュの接点金具もボディー前面に配置。裏ブタの開閉はストッパーの丸いぼっちを押して止め金具を上にスライドさせる。バルナック型ライカ、M型ライカまでのフィルム着脱方式がLEICAFLEX(初代)になって単純な裏蓋開閉方式になった。エルンスト・ライツはフィルム押さえとその平滑性、裏蓋の剛性にこだわった。LEICAFLEX(初代)、LEICAFLEX SL、LEICAFLEX SL2のボディー背面が円弧であること、裏蓋もボディー背面に対をなして円弧であることはボディーと裏蓋の大きな剛性につながっている。35㎜フィルムではもっとも強靭な裏蓋である。初代LEICAFLEXにあったミラーアップ装置は以後にはなくなった。端末がフィルム面に伸びている広角レンズのためにミラーを上に跳ね上げていた。レンズ端を短くした新しいのができたのでミラーアップしないで撮影できるようになった。ミラーアップレバーは絞り込みボタンに変わった。

 カメラの上面を軍艦部と呼ぶ習わしになっている。LEICAFLEXほど簡素な軍艦部はない。LEICAFLEX(初代)ではプリズム部分に外部測光用の窓と電池室が配置されていてこれがアクセントにになっていた。LEICAFLEX SL、LEICAFLEX SL2ではこれがなくなった。カメラ前面のオデコの部分がのっぺりしてしまう。そこで長方形の横板を渡したうえで黒い革を八巻状に添えて調和をとった。R3以降ではLeitzあるいはLeicaの名を赤い丸に白抜きで入れた板を貼るようになった。

 初代LEICAFLEXのボディーの質量は820グラムである。LEICAFLEX SL、LEICAFLEX SL2は770グラム。ボディーの寸法は幅148×高さ97×奥行57mmでLEICAFLEXはみな同じだ。

 ニコンFは1959年に発売された。LEICAFLEX(初代)は1965年に登場する。6年遅れであるが35㎜一眼レフカメラ市場の主役にはなれなかった。ニコンの3倍という値段の高さとともに、レンズなどを含めたシステムカメラとして体制をとれなかったためである。

 一眼レフ二代目のLEICAFLEX SLはTTL測光方式であり、手にした時のフィット感が抜群であることなどからニコンFあるいはニコンF2に匹敵するカメラである。ボディーと質量の大きさはライバルのニコンを利することになる。ニコンFおよびニコンF2にしても携行性はよくはない。ライカM3と同等のボディーサイズを実現したオリンパスOM-1はその後の一眼レフカメラの小型化の先駆けになり、ニコンFやLEICAFLEXに対して有利性をもつことになる。一眼レフカメラは自動焦点方式の進展で大きく重くなる。これは技術上の制約によるものでフィルムカメラ末期ではキャノンEOS・kissなどで大きく重いから脱却する。

 写真を撮る道具としてのカメラは携行性を含めた使い勝手ということで手ごろな大きさと重さがある。LEICAFLEX(初代)LEICAFLEX SL、LEICAFLEX SL2は大き過ぎ、重過ぎる。LEICA R3も同じだ。LEICA R4が登場するころには自動焦点カメラの時代になっていた。いつからかLEICAは一周遅れでカメラ市場に存在するようになっていた。

 LEICAFLEX SLは大きく重いが手に馴染む形状は絶品である。ファインダーは青みを帯びるが眩しい光を適度にいなしている。線を交差させてピントをみる方式ではないが明るくてよい。焦点リングを行ったり来たりさせるために時間がかかるがこれはカメラの性質だと割り切る。シャッター速度を先に設定して絞り操作で定点合わせをして露光する。シャッターを切ったときに絞りボタンに中指がかかっていると跳ね返りがあって驚くがこれは握り方の慣れで対処する。

 握ったときに角張った感じがないのはその後にでたLEICA R3にはるかに勝る。LEICAFLEX SLのファインダーは優れている。芸術の領域にあるのがLEICAFLEX SLのファインダーである。エルンスト・ライツがLEICA M3で実現した究極の距離計連動式カメラのファインダーの意地と誇りをLEICAFLEX SLに注いだのだ。エルンスト・ライツでなければつくれない優れたファインダーである。

 LEICAは日本のカメラメーカーが一眼レフをつくるようになる前に似た構造の写真撮影機材を用意していた39mm径スクリューマウントのバルナックライカ時代にもM型バイヨネットマウントのM3の時代にもビゾフレックスが供給されていた。長超焦点レンズを付けて望遠撮影をする。ビゾフレックスで接写もできる。写真撮影の用途の全てに対応していた。

 ニコンFは東京オリンピックで活躍した。望遠レンズを取り付けたニコンFという一眼レフカメラはトラック競技やフィールド競技を撮影するのに便利だった。同じ機能を持っているライカのビゾレックスでは到底及ばない速射性を望遠レンズを取り付けたニコンFはやってのけたのである。東京オリンピックにおける報道カメラとしてのニコンFの活躍がその後の一眼レフカメラの隆盛を決定づけた。

 LEICAFLEX(初代)は東京オリンピックの翌年の1965年に登場した。M型ライカにできないことをするためにLEICAFLEX(初代)を発売した。エルンスト・ライツはM型ライカの成功に影響されて一眼レフカメラに距離計連動の方式を残存させた。それがLEICAFLEX(初代)が中央部だけで焦点合わせをする方式となった。マット面がない空中像方式だった。構造上LEICAFLEX(初代)は絞り込みボタンを付けておらず、被写界深度の確認できない。一眼レフカメラに特有の被写界深度確認機能がないことはエルンスト・ライツのM型ライカの成功の残像である。ライカフレックス(LEICAFLEX(初代))の前期型はフイルムカウンター窓が扇形であったが、後期型は丸形になり、その丸形は後継機に引き継がれる。

 一眼レフカメラに備えられたライカの露光計は独特である。それは写真撮影文化ともいえる領域のものでスポット測光方式を採用していたのを手始めに、適正値の表示にあわせて撮影すると撮影シーンによってはなるほどと思わせる露光をする。アンダー気味に測光することで写真のできばえをよくする。ニコンなどは多分割測光と演算処理によってシーンに合わせた露光をさせる手法を用いるようになったが、ライカは同じ結果をもたらす露光をさせていた。

 M型ライカのM3の後継機であるライカM5が登場したのが1971年である。この時代の一眼レフライカはLEICAFLEX SL(ライカフレックスSL)である。手にしたときの大きさと重さの感覚がライカM5とライカフレックスSLは似ている。バルナック型ライカの小ささとライカM5及びライカフレックスSLの大きさの対比をカメラつくりの思想としてどのように受け止めるのか戸惑う。ライカM5とライカフレックスSLは私の好きなカメラである。ただし大きく重いということで山には持って行きたくい。とくにライカフレックスSLはそうである。あえてということになればレンズは50mmのズミクロン一本ということになる。

 望遠レンズを使い、広角レンズを使い撮りたいものを撮りたいだけバチバチと撮っておいて、後で使える画像を探すというのがデジタルカメラ時代の撮影方法になっている。露光と焦点は自動であるからファインダーを覗かないで撮影することがある。webで使う写真はデジタルカメラで撮影する。

 カメラを操作することを楽しむこと、一枚の写真を思い出とともに残すことを目的に撮影するために使うカメラがあっていい。趣味と趣向の世界に属することである。フィルムカメラ時代のライカは人を引き付ける。ファインダーを覗き、構図をとって、シャッターボタンを押す。ミラーが上下して布幕のシャッターが右から左に走るのと同時にミラーが上下する。その感触、その動作音と余韻は官能を呼び起こす。ワンショットごとに感動する。その官能と幸せ感はエルンスト・ライツがLEICAFLEX SLにして、その大きさ、その質量によって実現しえた。文化遺産のようなそうしたものが残されていて現に使うことができることは有り難い。

 50mmのズミクロンをキャノンのフルサイズデジタル一眼に取り付けて使う。キャノンのデジタル一眼カメラは大きな開口部と短いフランジバック(レンズマウントのマウント面から、フィルムもしくは撮像素子までの距離)のためにアダプターを取り付けて別のレンズを使うことができる。私のライカレンズはズミクロン一本だけである。そのズミクロンをフィルムカメラの写りに似せた絵作りをするキャノンのフルサイズ・デジタル一眼レフカメラ、EOS-5Dに装着して使う。オールドライカレンズを持ち出してゆっくりとじっくりと写真を撮ってwebなどにアップして楽しむ使い方ができるようになった。写真撮影はフィルム感度ASA100なら晴れた日にはシャッター速度250分の1秒で絞り11。難しく考えないでシャッターボタンを押せば写真ができあがる。

ライカの一眼レフを使う 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

ロッキングチェアでパソコンと遊ぶ 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

2019-10-26-camera-as-a-tool-to-record-memories-writing-tetutaro-kai-

旅のエッセー集 essay and journey(essay of journey) 旅行家 甲斐鐵太郎
essay and journey(essay of journey) by kai tetutaro

←ホームへ

R型ズミクロンの初期型をキャノンイオスデジタルの5Dを使う

撮影は夕方の6時ころになった。ストロボなし撮影である

ライカの一眼レフを使う 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

ロッキングチェアでパソコンと遊ぶ 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

紅葉の富士山と河口湖-その1- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

河口湖からの富士山は牧歌的である。絵のような景色。

紅葉の富士山と河口湖-その2- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

富士山と色付いた落葉松を縫うように雲が流れる。

紅葉の富士山と河口湖-その2- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

富士吉田口四合目の落葉松の黄葉に見とれる。

主題 Canon デジタル一眼レフカメラ EOS 7D を使うための備忘録 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
副題1 ライカのR50mmレンズはフルサイズのCanon EOS 5Dに付けて使う
副題2 Canon EOS 5Dはライカ単焦点レンズを使う最上のカメラだ


フィルム時代のAi AF Zoom-Nikkor 80-200mm f/2.8D EDをデジタルで使う

中部横断自動車道を走る トンネルと橋でできた道だ 2019年10月21日 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ニコンFが国立科学博物館の未来技術遺産に登録 by-measure-and-measurement-data-bank

思い出を記録する道具としてのカメラ ニコンFとライカフレックスSLのことなど 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

フィルム時代のAi AF Zoom-Nikkor 80-200mm f/2.8D EDをデジタルで使う

ライカM5は特別な感覚領域を備えていて私を虜(とりこ)にした 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

暑い夏の日に紀伊半島の山中をさまよっていた 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

黒羽観光やなと那珂川の清流 文章 旅行家 甲斐鉄太郎

灰色の街と紅い夕日 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

大山阿夫利神社と山麓の梨 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

安曇野の夏、8月18日には稲が実りかけておりました 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

高山市の古い町並みの暖簾(のれん)が良い 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

【八ヶ岳連峰 硫黄岳への夏山登山 動画】YouTube

八ヶ岳連峰 硫黄岳へ夏休み登山 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

地震と津波

地震計は地震を予知する機能を持たない

旅行や自然や風景の動画 目次-その2-

旅行や自然や風景の動画 目次-その1-

地震計は地震を予知する機能を持たない

【八ヶ岳連峰 硫黄岳への夏山登山 動画】

八ヶ岳連峰 硫黄岳へ夏休み登山 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

オリンピックの自転車ロード競技のテストイベントを見物する 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

2019年郡上おどり2日目7‎月‎14‎日は午後10時半まで盛大に 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

2019年の郡上おどり始まる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

飛騨市古川町にNHK 朝ドラの「さくら」がいた。執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

海をみに行く。房総半島を右回りで旅行した。 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

夏至の日の八島湿原のアヤメ 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

ニセアカシアを知る-アカシア情報-

アカシアの白い花が咲いていた 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

松本市と松本城そして穂高連峰 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

上田城跡と白土三平と霧隠才蔵 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

真田の上田城をみる 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

ありふれた一日の覚書 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
午前9時までに4時間の調べ事、そして都内で新聞の業務です


真澄の宮坂酒造で利き酒する諏訪の旅 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

5月19日、山梨県清里の清泉寮にでかけました 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ある一日、木曜日の典型的な行動です。執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

良い景色のところにでかけて自然に身体を浸すように心がけたい 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

フェリーで伊勢旅行 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

伊勢旅行したら草臥れ果てて椅子に座れなくなりました。
(そのためにキーボードとの位置関係のよい椅子を買って対処しました)
 執筆 甲斐鐵太郎

輝く虹の環水平アークと日暈(ひがさ)の出現に沸いた2019年4月28日 執筆 甲斐鐵太郎

湘南の海岸通りを走る 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

富士芝桜まつり 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ウイルス防御ソフトの「ブロック」表示との格闘三日間 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ウイルス・ソフトのパソコンへのアップの顛末記 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

「ハッピーエンド」を聴く 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

八ヶ岳と野辺山高原そして川上村の景色 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

3月7日、別所温泉の和風・老舗旅館に泊まる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

webページとYouTubeで構成された私の音楽室 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

日本海の幸を寺泊で味わう-その2-執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

日本海の幸を寺泊で味わう 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

土曜日、ガストで新調したパソコンの動作を確かめる。快調だと朝定食を食べて喜ぶ。執筆 甲斐鐵太郎


キャノン7とキャノンP 執筆 甲斐鐵太郎

中央道下り諏訪から北アルプスがみえる 執筆 甲斐鐵太郎
中央道下り諏訪から穂高岳、槍ヶ岳、常念岳がみえる

富士市の富士山展望の宿に泊まった 執筆 甲斐鐵太郎

国道158号線 松本市に向かう冬の旅である 執筆 甲斐鐵太郎

霧ヶ峰高原 八島湿原 八ヶ岳の雪と青い空 執筆 甲斐鐵太郎

石老山(標高702 m)2月1日、雪の朝 執筆 甲斐鐵太郎

真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎

熱海桜は河津桜よりも確実に早く咲く 執筆 甲斐鐵太郎
真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎

真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎

富士山を見るために二週連続で富士宮駅前のホテルがでかけた 執筆 甲斐鐵太郎
(ダイヤモンド富士が出現する暦、年中ダイヤモンド富士が見られます 執筆 甲斐鐵太郎)

1月10日、京都えびす神社の「えべっさん」 執筆 甲斐鐵太郎

富士山に陽が昇る 執筆 甲斐鐵太郎

富士山が見えている夕方に「吉田のうどん」を食べる 執筆 甲斐鐵太郎
(副題)本を読むこと、文章を書くこと、とwebが一体になった


山中湖から富士山を仰ぎ見るのを楽しみにしている。執筆 甲斐鐵太郎

太陽が平原の林に沈んだ。月が輝きだした。高原の冬である。執筆 甲斐鐵太郎

大王わさび農場を冬至の日に訪れる 執筆 甲斐鐵太郎

上高地夏至のころ 執筆 甲斐鐵太郎

江戸の人々の山岳信仰の山だった大山(標高1,252m) 執筆 甲斐鐵太郎

林の向こうに青空が見えると嬉しくなります 執筆 甲斐鐵太郎

山手のレストランとBOSEのスピーカー 旅行家 甲斐鐵太郎

三浦岬をぐるりと巡って葉山マリーナにでた 執筆 甲斐鐵太郎

浅草の場外馬券売り場前の飲み屋で一杯 執筆 甲斐鐵太郎

お酉さま 執筆 甲斐鐵太郎

晩秋の霧ヶ峰高原 霧に包まれたカラ松の高原道路を走る 執筆 甲斐鐵太郎

カラマツは黄色と赤の中間色に燃えていた。カラマツ林の裾に民家があった。茅野市である。執筆 甲斐鐵太郎

10月の下旬に新潟市の界隈をうろついた 執筆 甲斐鐵太郎

11月の旅 壊れているフィルムカメラを旅の途中で買った これが酒の肴にはいい 執筆 甲斐鐵太郎

10月12日、川上村のレタス畑は最後の収穫をしていた 執筆 甲斐鐵太郎

信州の秋をめぐる 諏訪から佐久にでる 千曲川沿いを走る 執筆 甲斐鐵太郎

信州松本市郊外で秋のめぐみに出会う 執筆 甲斐鐵太郎

金曜日の夜は紅葉と夕日と星空の八ヶ岳、霧ケ峰そして美ケ原を走っていた 執筆 甲斐鐵太郎

日本平と久能山東照宮 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その6-上高地賛歌 八ヶ岳登山で山の自然に魅了される 甲斐鐵太郎

私と上高地-その5-格好いい山男は女に好かれる 山で英雄になった男の物語 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その4-槍ヶ岳・穂高岳登山と上高地 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その3-上高地帝国ホテルと大正池界隈を歩く 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その2-登山とロマンチズムそして感傷主義 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その1-槍ヶ岳と穂高岳のあとの休息地・上高地 執筆 甲斐鐵太郎

横浜市山手の丘にでかけると海が見え瀟洒な家並みにはブリキ博物館が紛れ込んでいた

夕暮れどきの高山市古い町並み‎2018‎年‎6‎月‎23‎日、‏‎18:06:44

夏至の日の旅行で郡上八幡市の古い町並みを見物する

6月24日、松本市波田のスイカを買う 温室栽培の大玉スイカです

6月に晴れる 小さなリゾート地相模湖で憩う

白いヒナと黒い3羽のヒナを連れて湖面を移動するコブハクチョウ

夏の訪れを告げる鮎釣り 相模川の6月1日の夕暮れ時

よい景色とよい音楽と美味しい食事 八ヶ岳と北欧レストランとパソコンでユーチューブ

近江の国、多賀大社(たがたいしゃ)の茅の輪くぐり

特別な位置にいる投手としての大谷翔平

「春の日と一人娘はくれそでくれない」ので5月は午後7時まで遊んでいられる

奥飛騨の新芽の背景は北アルプス穂高連峰の山肌であった

松本駅前の昭和横丁でホルモンを食べる 松本山雅FCファンがやかましい店だ

金曜日、思いついて新宿から松本に向かう。塩尻駅で降りた。

東京の桜は散って新緑の季節になりました

武田信玄の北条との決戦地の三増峠近くの枝垂れ桜
(季節は2カ月と半分ほどで夏至になる)

北杜市実相寺の山高神代桜は甲府盆地の桃の花と開花時期が同じです
(関東地方の春分の日は雪が舞い河口湖では28㎝も雪が積もりました)


陽だまりでは梅の花が土手にはスミレが咲く
5月になれば水田に映える常念岳を見に安曇野にでかけよう

埼玉県吉見町の栽培農家で買ったイチゴは甘かった美味かった
富士山の雨を集めた山中湖は忍野をへて津久井湖で道志村に降った雨と合流する
槍ヶ岳 霧ヶ峰からの遠望(高原の秋の始まりのころ)
山みちで老いたキツネにであう 旅行家 甲斐鐵太郎

数学者も物理学者も現在持つ知識は写し取って得たものである
インターネットで拾った文章を繋げて出来上がるニュース報道

数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実

数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実

数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実
(光波干渉測定システムはアインシュタインの理論を事実として確認した)


TOPへ


「計量計測データバンク」サイトマップ
measure and measurement data bank of saite map

計量計測データバンク 目次 サイト
計量計測データバンク 目次 サイト(一括閲覧サイト)
社会の統計と計量計測の統計
一括表示版「社会の統計と計量計測の統計」
「計量計測データバンク」小論、評論、随筆、論文、エッセー、文芸ほか(目次版
計量計測データバンク 目次 サイト(一括閲覧サイト) 

計量計測データバンク「計量計測辞書」 measure and measurement dictionary
「計量計測データバンク」




「計量計測データバンク」サイトマップ
measure and measurement data bank of saite map