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ニホンオオカミの採集地ニホン・ホンド・ワシカグチ
山道が終わると道端にオオカミの絵を描いた看板があった。ニホンオオカミが捕獲された場所だ。
執筆 甲斐鐵太郎

ニホンオオカミの採集地ニホン・ホンド・ワシカグチ
執筆 甲斐鐵太郎 旅行家

ニホンオオカミの採集地ニホン・ホンド・ワシカグチ 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

山道が終わりかけたころに道端にオオカミの絵を描いた看板があった。ニホンオオカミが捕獲された場所だ。
(下の写真をクリックすると動画をご覧いただけます)

日本最後のニホンオオカミ捕獲の村の東吉野村2019年8月31日。動画。YouTube。
明治38年(1905年)1月23日、本村の鷲家口において、米人マルコム・アンダーソンが入手したニホンオオカミ。ニホンオオカミは、若い雄で、現在もロンドン自然史博物館に、頭骨と毛皮が保存されている。大きさは、頭と胴914㎝、尾340㎝、耳86㎝。

旧名「鷲家口」に奈良県東吉野村が建立した等身大のニホンオ像。
製作者は奈良教育大学教授久保田忠和氏(昭和2年、和歌山県生れ)


奈良と三重の境目を走る、大台ヶ原が近い。2019年8月31日。まだ夏だ、鮎釣りをしていた。動画。YouTube。
大台ヶ原が近い紀伊半島の山の中を走る道である。オオカミ捕獲地帯でありオオカミの生息域を想像できる。
大台ヶ原が近い紀伊半島の山の中を走る道である。オオカミが捕獲された場所に近い。2019年08月31日撮影。動画。YouTube。


ニホンオオカミの採集地ニホン・ホンド・ワシカグチ 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

 奈良と大阪から太平洋に大きく突き出た半島を紀伊半島と呼んでいる。名付け方は熊野半島でも伊勢半島でもよかった。

 伊勢で遊んだ後で和歌山県の海岸にでようとしていて道に迷った。大きな地図を持たずにカーナビに任せて走っていたら尾鷲(おわせ)の海にでた。伊勢から海岸沿いに南下して尾鷲に着いた。9月初旬のことだったから尾鷲の川ではアユ釣りをしていた。アユの友釣りである。道を間違えたのだ。尾鷲をうろうろしていると大内山という交差点にでくわした。大内山は耳に残っている。大内山系という現代紀州犬の祖犬の里だ。三重の犬という言い方がある。詳しくは知らない。伊勢から紀伊半島をまたいで大阪府の住之江区にある住吉大社に向かっていたのだ。のんきな旅行だが道に迷ったために旅程の時間に制約がでてしまった。このために後に珍しいことにであっても探索が半端になった。とうよりも道に迷ったことが珍しい出来事との遭遇につながった。

 紀伊半島の大きさは日本の半島では際立っている。山が深い。山は植林されている。自然に生える樹木は根こそぎに苅られて杉が植えられている。どこまでも杉林である。檜(ひのき)も混じる。褶曲(しゅうきょく)の激しい紀伊半島に耕作地はない。林業を生業(なりわい)とする。山のなかの窪地に民家がある。過疎になっても人は住んでいる。どのような生計か。道が付いていて車があるから街に働きにでる。これが日本の山村の暮らしだ。

 褶曲(しゅうきょく)した半島の山地に道は真っすぐには付けられない。真っすぐに走る道があるのは人がトンネルを掘って橋を架けたためだ。そうした道は自動車専用道路になっている。山間の一般道路でも真っすぐな道がある。浜松から諏訪に抜ける道だ。断層が走っていて、断層に沿って道が付けられたのだ。紀伊半島にはこのような道はない。尾鷲(おわせ)から三重県度会郡大紀町大内山を通過して奈良市に進路をとった。くねくね道はループ橋で極め付いた。凄いところを走っている。

 土曜日の午後のことだ。山道が終わると道端にオオカミの絵を描いた看板があった。ニホンオオカミが捕獲された場所だ。大英博物館に収蔵されているニホンオオカミの採集地ニホン・ホンド・ワシカグチである。

 イギリスの貴族ベッドフォード伯爵の出資による東南アジア小型哺乳類収集団の一員として来日したアメリカの青年動物学者マルコム・アンダーソン(当時26歳)が、この地で捕獲されたニホンオオカミを1905年(明治38年)に買い取った。

 マルコム・アンダーソンには旧制第一高等学校の学生金井清を通訳兼助手として随行した。奈良県庁でニホンオオカミの採集に適していると聞いて、1905年(明治38年)1月13日、東吉野村鷲家口の宿屋芳月楼(ほうげつろう)に滞在していた。イタチ、テンカワウソ、シカ、イノシシなどを買い取った。若雄のニホンオオカミの死骸も持ち込まれた。値段の折り合いが付かない。土地の人はニホンオオカミが少なくなっていて貴重量でであると考えていた。このニホンオオカミは筏を組むために堰き止めてあった川にシカが逃げたのを追っていたいた。シカは氷が割れて川にはまった。追いかけていたニホンオオカミも氷が割れて川にはまった。このニホンオオカミを筏師(いかだし)が棒で撃ち殺した。ニホンオオカミはそのままうち捨てられていた。マルコム・アンダーソンの一行のことを知って捨ててあったニホンオオカミの死骸を宿泊地の芳月楼に持ち込んだ。持ち込んだのの猟師とされている。山仕事をする人々の多くは猟もする。猟もするから猟師である。筏師(いかだし)にしても同じだ。持ち込まれたときにニホンオオカミは死後数日が経過していて内臓は痛んでいた。折り合わなかった値段は猟師が折れて8円50銭になった。この値段でもカモシカやシカやイノシシより高かった。毛皮と骨格がイギリスへ持ち帰られ剥製の標本にされた。動物の死骸はニホンオオカミと鑑定された。大英博物館に保管されている。

 マルコム・アンダーソンに売り渡されたニホンオオカミが捕獲された最後のものとなった。ニホンオオカミを見た、遠吠えを聞いたという人はいてもその後に捕獲はない。ワシカグチで捕獲されたニホンオオカミの死を持ってニホンオオカミが死に絶えたことにはならない。そのあとも各地でニホンオオカミは生きていた。捕獲の最後のものがワシカグチのニホンオオカミだった。とはいえニホンオオカミの生息のための条件が狭まっていてついには死に絶えたと考えていい。北海道にいたエゾオオカミは懸賞金がかけれて退治され明治22年ころに絶滅した。

 ニホンオオカミの剥製や標本は、和歌山大学、国立科学博物館(東京上野)、東京大学農学部に保管されている。海外ではオランダのライデン自然史博物館にシーボルトが持ち帰った標本がある。大英博物館(ロンドン)にある毛皮は東吉野村鷲家口で地元の漁師から買ったものだ。ベルリンの自然史博物館に毛皮がある。和歌山大学の標本は、1904年(明治37年)ころ和歌山と奈良の県境に近い大台山系で捕獲されたものだ。1980年(昭和55年)に標本は作り直されて和歌山県立自然博物館に寄託所蔵されている。奈良県大淀町教育委員会がニホンオオカミの頭蓋骨を保管している。岸田日出男(1890~1959年)氏が、明治期に上北山村天ケ瀬の民家に入って殺されたニホンオオカミの骨の一部を、戦前に譲り受けていたものである。前額部からのなだらかな鼻筋などの形態からニホンオオカミと鑑定されている。2019年、頭骨から骨粉を採取しミトコンドリアDNAを分析では塩基配列がニホンオオカミの特徴を示した。ニホンオオカミは、明治の初めまで本州と四国にかなりの数が生息していた。明治38年(1905年)東吉野村で捕らえられた若雄のニホンオオカミが日本で最後の捕獲になった。大英博物館に展示されているこの標本は、採集地ニホン・ホンド・ワシカグチとなっている。

 オオカミが描かれている看板の地から近いところにニホンオオカミの等身大のブロンズ像が建てられている。奈良教育大学教授久保田忠和氏が寄贈したものだ。ニホンオオカミはエゾオオカミより小さい。エゾオオカミはタイリクオオカミと同じである。小さな島に住む動物が身体を小さくしたことがオオカミでもおきたということだろう。

 紀伊山地の奈良県五條市大塔町篠原に伝わる篠原踊りがある。1月25日に村の氏神様に奉納される踊りだ。由来は次のとおりだ。昔々篠原の付近には、特に大きなオオカミがいたそうで、このオオカミから受ける被害がたいへん大きく、村人たちは退治に出かけた。ところが、逆にこの村の長が食い殺された。思案の末、氏神様に祈りを込め村中総出で踊ることによってオオカミを退治することに成功した。その踊りが伝わっている。五條市大塔町篠原など山村の人々は、日当たりのよい山の斜面を焼いて農耕していた。シカやイノシシがこれを食い荒らす。ニホンオオカミはシカやイノシシを獲物とする。篠原の人々によってオオカミを祭る踊りが伝えられている。この地のニホンオオカミの生息を色濃くにおわせる。

 この地には次のようなオオカミ伝承がある。1924年生まれの女性の話だ。1882年(明治15年)生まれのその人の母の話だ。口伝えの話が二つ重なる。母はオオカミをみたよく話していた。18歳のころ、篠原から峠を越えて旭(十津川村)に抜けていく道中、山に住む男に「狼が死んでるから見てみろ」といわれた。小屋から少し離れたところに灰色の毛をしたオオカミが死んでいた。男は、夜にオオカミがやってきて小便桶を囲う竹をかじり、竹のささくれが喉に突き刺さって死んだんだろうという。明治33年前後のことだ。別の話もある。猟師の家に生まれた男は、狼がイノシシをこの谷の上の断崖に追い込み、逃げ場のなくなったところを襲った。シシオチと呼ばれている谷でのことだ。父親から聞いた話だ。

 杉などの植林地が広がるとシカやイノシシなどの野生動物の生育環境は悪化する。オオカミは日本の食物連鎖の最上位にいた。イノシシによる耕作地への被害がやかましく言われるから惑わされるが、オオカミとシカとイノシシは程よい状態で生息していた。杉林の植生は乏しい。キツネやタヌキはオオカミにとって捕獲しやすい獲物である。キツネやタヌキもまた杉林の広がりによって減少する。そのような事情がある。ニホンオオカミが死に絶えたこととの因果はわからない。

 紀伊半島が熊野灘に突き出たところに和歌山県太地町がある。捕鯨の町として名高い。大地町にオオカミの伝承がある。この地にいた地犬は大きな蹴爪を持っていた。地犬を強くするために発情したメス犬を杭につないでおいてオオカミが交尾させたという。このようにしてオオカミの血液が混じった犬を生ませたという。オオカミと交尾したことを見た者はいない。放し飼いにされているオス犬が交尾したものと想像される。

 東京都生まれの動物研究者の平岩米吉(ひらいわ よねきち、1898年2月4日から1986年6月27日)は、朝鮮オオカミを飼っていた。朝鮮オオカミを飼い馴らして犬と同じように街を散歩させていた。連れだって歩くオオカミを誰もが犬だと思って人は気に留めなかった。オオカミは人になれることを物語る事例だ。甲府市動物園でオオカミを飼っていて甲斐犬と交雑させた。生まれた子供は犬の性質よりもオオカミのどう猛さだけを備えていた。犬とオオカミの交雑では犬としての良い性質を受け継がない事例とされる。ムツゴロウこと畑正憲氏は100%ほどのオオカミの血液になった犬を飼っていた。その犬とのことは本に書かれている。

 人とともに上手く生きることができる動物が犬である。犬の祖先はオオカミであるようだ。オオカミが人に近づいて人と暮らすようになって犬としての性質を身に着けた。群れのなかに序列があり序列をつくって生きていることは犬に引き継がれている。人とその一家は犬に対して上位の位置にいることが犬を仕付けるのがこつである。見事なまでに訓練された犬がいる。オオカミではこうはならない。犬はオオカミから抜け出して犬としての性質を身に着けたのだ。繰り返すと、犬はオオカミと同じ序列社会による掟(おきて)にしたがって行動する。序列社会は犬の社会の規範なのだ。序列社会の頭脳構造の犬を理解して、犬が人になつくように訓練するのが犬のしつけである。

 紀伊半島には昔からの血を引き継ぐ犬が残存していた。紀伊半島の基部は奈良県である。太平洋に向かって左に三重県と右に和歌山県がある。半島としては一つである。熊野古道という尾根の一本道は人が付けた。尾根筋は歩きやすい。自然に道が付く。奈良から高野山に向かう道が熊野古道である。

 褶曲(しゅうきょく)した半島の山地は谷が深い。大峰山や大台ケ原が谷から立ち上がる。数多くの谷と山でできあがっているのが紀伊半島だ。そこに人が住んでいる。昔は山仕事であった。畑地は山の斜面につくられる。小さな耕作面積である。川は木材を運ぶのに便利だ。江戸期の輸送の主力は河川であった。紀伊半島の主産業は林業である。畑地がなければ林業で暮らす。

 明治期まではテンやキツネやタヌキなどの獣の皮革は高く売れた。シカやイノシシも同じである。熊は肝も含めて値段の高い獲物である。山間地では狩猟が副業になった。獲物による収入は家計の一部になっていた。毛皮と獣肉の値段は想像しにくいが高価であった。イノシシの肉は美味いが熊はそれ以上に美味い。シカやイノシシをよく獲る犬には値打ちがあった。動物の肉が珍重された時代には地犬にも値が付いた。猟ですぐれた働きをする犬の取引価格は想像を絶するほどだ。この犬によって生計がなりたつのだから、それにふさわしい値が付いた。そのような犬は貴重であり、その子は大事にされたこの時代には子孫を残すためには犬の数が少ぎた。猟にでれば犬も傷つき倒れる。猟にでなければ一家の生計はたたない。子を残すより生計をたてることが先だから犬の数は増えない。このような事情があった。

 山形県の高安犬(こうやすいぬ)と旧制山形高等学校在学中の戸川幸夫は巡り会っている。高安犬(こうやすいぬ)はマタギ犬である。繁殖を試みたが子孫を残せずに死んだ高安犬「チン」を描いた『高安犬物語』で戸川幸夫は直木賞を受けた。天然記念物に指定された新潟県と富山県にいた「越の犬」もまた高安犬と同じように絶えた。ニホンの山地に天然林が減って杉や檜の植林が広がるにしたがって生息する動物が減り、これを捕食するオオカミの生息環境が狭められた。群れで行動していたニホンオオカミが単独鼓動あるいは少数で行動することを余儀なされた。数が減ると子孫を残すための相手を探しにくくなる。そのようにしてニホンオオカミは数を減らしていった。ワシカグチに運ばれたニホンオオカミの若オスは単独でシカを逐っていて筏を組むための堰止め湖の氷を割れて泳いでいるところを捕まえられた。ニホンオオカミの最後のころの伝承は群れであるよりも単独行動のことが多い。

 三重県の尾鷲(おわせ)から遠くない地に大内山(おおうちやま)があった。大内山は三重県度会郡大紀町大内山だ。この地に地犬がいた。大内山系とされる現代紀州犬の祖犬である。那智などの名が付くのはシロと呼ばれていた犬が那智の産であることによる。紀州犬を産出したのは和歌山県と三重県の双方である。大内山でダイと呼ばれていた犬は大内山のダイになる。

 谷深く山高く、どこまでも続く森と林。人が畑作で生計を立てにくい山地に古来からの犬が外国からきた犬と交雑の度合い少なく生き残った。ニホンオオカミが明治期まで生き残ったのと同じほどに尊い。紀伊半島の日本古来の地犬は紀州犬という名称によって天然記念物に指定された。三重県の人にはこの名は実態にあわない不当なことであった。いくつもある各地の地犬に名称がついて天然記念物に指定された。天然記念物指定は日本犬保存会の運動にもよるが、国の側は国粋主義と民族意識の高揚さらには戦争遂行が優位になるという意図があったとみなければならない。

【資料】鷲家口とニホンオオカミ。著者上野 益三(UENO Masuzo)甲南女子大学研究紀要。

(誤字、脱字、変換ミスなどを含めて表現に不十分なことがある場合はご判読ください。)

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(季節は2カ月と半分ほどで夏至になる)

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陽だまりでは梅の花が土手にはスミレが咲く
5月になれば水田に映える常念岳を見に安曇野にでかけよう

埼玉県吉見町の栽培農家で買ったイチゴは甘かった美味かった
富士山の雨を集めた山中湖は忍野をへて津久井湖で道志村に降った雨と合流する
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山みちで老いたキツネにであう 旅行家 甲斐鐵太郎

数学者も物理学者も現在持つ知識は写し取って得たものである
インターネットで拾った文章を繋げて出来上がるニュース報道

数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実

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(光波干渉測定システムはアインシュタインの理論を事実として確認した)


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