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原子力と原子力発電を知る-その3-
(get-to-know-nuclear-power-plants-in-japan-3-)

原子力と原子力発電を知る-その3-

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原子力と原子力発電を知る-その3-

原子力と原子力発電を知る-その3-

「原発安全神話は如何につくられたか」経済評論家 内橋克人(NHKラジオ第1「ラジオあさいちばん」ビジネス展望 2011年3月29日放送)YouTube。
https://youtu.be/ZpbWmejc63Y

写真は内橋克人氏。内橋克人-Wikipedia
内橋 克人(うちはし かつと、1932年7月2日生れ)は、日本の経済評論家。 兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立星陵高等学校、神戸商科大学(現兵庫県立大学)商経学部卒業。神戸新聞記者を経て、1967年よりフリーとなる。 日本の高度経済成長を支えた現場の技術者たちを活写した『匠の時代』『「技術一流国」ニッポンの神話』などの著書。
動画での話の内容。
災害の発生から18日過ぎた。被災された方々の苦しみは、日一日と厳しくなり始めている。親族を失った方、避難所で辛い時間を過ごしておられる被災者の方々が本当に復興へ向けて一歩を踏み出すにしては、あまりに過酷すぎる現実ではないか。その上、人災。私は福島第一原発事故はまさしく人災と思う。それが追い討ちをかけている。「原発は安全でクリーンなエネルギーだ」と嘘を唱えてきた。その安全神話が崩れ、地震津波という自然災害に加えて、人災が今、追い討ちをかけてしまった。原発安全神話はどのように作られたか。電力会社はもちろんのことだが、科学の名において「安全だ」と主張してきた夥しい数の学者、研究者、行政の責任は免れない。原発推進は今も各地で続いているのだから。私は29年前(1982年)『原発への警鐘』(講談社)という本を書いた。ある雑誌の連載を本にしたものだ。当時、原発立地をめぐって住民と話し合う「公開ヒアリング」が開かれていた。そのありさまも詳しく書いた。公開ヒアリング、今はこれさえ行われていない。例えば、島根原発2号機を増設するときに、「住民の声を聞く公開ヒアリング」というものが丸2日間行われた。私はその全てを取材した。忘れられないのはある主婦の悲痛な言葉だった。「もし原発に事故があったら、私達はどうやって逃げろと言うのですか。宍道(しんじ)湖を泳いで逃げろと言うのですか。なぜそんな大切なことが安全審査の対象にならないのですか」と。この方は、予定地のすぐ側に住んでおられる子供二人を持つ主婦の方。必死の質問をしておられた。その時の様子が今もはっきり記憶に残っている。この悲鳴とも言える質問に対して、当時の原子力安全委員会は何の答えもせず、「本日は、原子力安全委員会としては、皆様のご意見を伺う為に参っておりますので、安全委員会としての意見を表明することはご容赦願います」とそれだけ言って突っぱねてしまった。住民の不満の声で会場が騒然とする中、そうした声を一切無視して、「次は通産省(今の経済産業省)の方、ご説明をお願いします」といった具合で、どんどんリジッドに物事を進めてしまった。住民と意見を戦わせて議論をする場ではなく、住民の意見を聞くだけが目的だと会場に徹底させる、それが原子力委員会の役割だった。こういうことが初めからはっきりしていた展開だった。こういうことに一役買ったのが、研究者、学者と呼ばれる人たちだった。反対する住民や、原発に警鐘を鳴らす者は、「科学の国のドンキホーテだ、時代遅れの素人だ」という扱いだった。原発安全神話が崩れた今、このような形で進められた原発大国であるが故に、これからのエネルギー選択のあり方をめぐって、その前途は一層厳しくなってくることを考えてほしい。次に、(本の中でも詳しく書いたことだが、)原発PA戦略(パブリック・アクセプタンス Public Acceptance)の徹底ぶりを挙げなければならない。PA戦略とは、原発を社会に受け入れさせるための戦略的な働きかけのことをいう。これは大きく3つの柱から成り立っている。壮大な規模で展開されてきた。第1に、電気事業連合会(電事連)が行ってきた、言論に対する抗議戦略。様々な報道機関、メディアに送り続けた抗議書。これは「関連報道に関する当会の見解」という共通見出しが付いている。膨大な量に上っている。私はそのほとんどを集めている。(内容は時間がないので今日は触れられない。)第2に、小学校低学年から中学高校まで「エネルギー環境教育」という名の原発是認教育が授業として実施されてきた。社会、理科、総合などの授業で児童・学生等に教師が教え込んでいく。そこで採点して、それが生徒の成績まで左右することになっている。第3に、何と言っても名の知れた文化人を起用し、「いかに原発が安全か」ということを語らせる「パブリシティ記事」である。あらゆるメディアを使って展開してきた。費用も膨大だったはずだ。男女の文化人を原発施設に案内し、滅多に公開されることのない地下の施設などで、男女の文化人をヘルメット姿で立たせて語りをやらせる。それを記事にする。名の知れたあるテレビキャスターは「原子力問題は論理的に考えよう」などとご託宣を下しておられる。こんなふうにしてPA戦略は進められてきた。『原発への警鐘』の中で、米国の「マンクーゾ報告」を紹介している。アメリカのピッツバーグ大学教授(当時)、トーマス・F・マンクーゾ博士によって1977年末に書かれた報告書。放射線による被害に対し「緩やかなる死(スロー・デス slow death)」という言葉でもって警鐘を鳴らした。そのマンクーゾ博士が、日本からの取材者に応えて、ゆっくりと誠実な言葉で次のように語った。「日本はアメリカに比べて国土も狭いし、人口も密集している。この広いアメリカでも原発の危険性が常に議論されているのに、狭い日本でもし原発事故が各地に広がった場合、いったい日本人はどこに避難するつもりでしょうか。日本人は、広島、長崎と二度も悲惨な原爆の悲劇を経験しているではありませんか」と。私はマンクーゾ報告を正当に評価なさる、京都大学原子炉実験所の原子力専門家の話も詳しく紹介した。今この国のあり方を根幹から考え直すこと、それが夥しい犠牲者に対する、生きている者のせめてもの責務ではないか。私はそう考える。
http://george743.blog39.fc2.com/blog-entry-1478.html

内橋克人さん講演会「さようなら原発」YouTube。
https://youtu.be/Qfgty2rJeJ8
内橋克人さんが大江健三郎や落合恵子らと「さようなら原発1000万人アクション」の共同呼びかけ人として上記二氏とともに話した内容の動画。YouTube。

NHKドキュメント「原発導入のシナリオ」YouTube。
https://youtu.be/EbK_OlzTaWU
日本の原子力開発は正力松太郎が先導した。正力松太郎は読売新聞社主、日本テレビ社長であった。国会議員にもなる。日本テレビの重役を使って米国と連絡をとって日本を原子力開発を推進する。NHKは米国が公開した資料をもとにして番組をつくった。日本の原子力開発の闇がみえてく。それがNHKドキュメント「原発導入のシナリオ」だ。

田中優氏「脱・原発時代のエネルギー自立をめざす市民の独立宣言を」ワールドフォーラム。2012/05/02。YouTube。
https://youtu.be/0FoIUNc2DaQ

田中優氏の事柄。
http://www.tanakayu.com/movielist.php

海に流れでたトリチウムは雨になって戻ってくる 小出裕章.2011年7月21日(木)、MBS(毎日放送)ラジオ。YouTube。
https://youtu.be/TLFRB4DLdKc

写真は小出裕章氏。2011年当時。
小出裕章-Wikipedia
小出 裕章(こいで ひろあき、1949年 8月29日生れ)は、日本の工学者(原子力工学)。元京都大学原子炉実験所(現・京都大学複合原子力科学研究所)助教。京都大学大学院工学研究科 都市環境工学専攻助教(2015年 3月定年退職)。
内容書き起こし。2011年7月21日(木)、MBS(毎日放送)ラジオの「たね蒔きジャーナル」に、小出裕章氏(京大原子炉実験所助教)が出演。
千葉「では小出さん、今日もよろしくお願い致します」
小出「はい、こちらこそ、お願いします」
(千葉「今日は毎日新聞論説委員の近藤伸二さんと一緒にお伺いしてまいります」)
(近藤「小出先生、よろしくお願い致します」)
小出「こちらこそよろしくお願い致します。」
(千葉「えー、さて今日もですね、スタジオにリスナーのかたからの質問が沢山来ておりますので、それを順番にお聞きしていきたいと思っています。まず1番たくさん来ている質問なんですけれども。これですね、大阪市のラジオネーム、ばいあすさん、という方からなんですけれども。半減期が8日のヨウ素131などは、とっくに不検出になっているはずなんですが、東京都下水道局が発表している下水の脱水汚泥中の放射性物質はセシウムだけではなく、いまだにヨウ素131が検出されています。最新の検査では息子夫妻が住んでいます府中市、足立区などはヨウ素131の検出量が増加しています。これはいったいなぜなのでしょうか。教えてください。という質問です」)
小出「えー。問題はヨウ素だけの濃度を見るのではなくてセシウムとの比を見たほうがいいと思います。」
(千葉「セシウムとの比……」)
小出「比です。」
(千葉「比べてみるということですね」)
小出「そうです。もともとのは事故が起きた当初は、ヨウ素はセシウムの10倍くらいありました。それで今、そうですね…130日くらい経っているでしょうか。そうすると半減期の10倍から15倍くらい経っていると思いますが。そうすると1000分の1にはもちろんなってるし、3万分の1位にはなってると思います。ヨウ素がですね。ですからもともと10倍、セシウムの10倍あったわけですが、それが3万分の1になったとすると、セシウムの3000分の1くらいのヨウ素が存在していることは、もちろんありうるのです。」
(千葉「はーはーはー。半減に半減を繰り返して」)
小出:そうです。なくなっているわけではないので。それで下水の汚泥にはものすごい濃度の放射性物質、ヨウ素もそうです、セシウムも含まれてきますので。ヨウ素ががまだ残っていたとしてもそれは不思議ではありません。だからセシウムとの比をとって考えてみたほうがいいと思います。
(千葉「必ずしも、今こうやってヨウ素が検出されてるからっていって、継続してたくさんのヨウ素が原発事故を受けて放出されているわけではないわけですね」)
小出:あのー、だと思います。データを私、今聞かせていただいたデータを見ていませんので正確にお答えできませんけれども。ヨウ素だけを見ているのでは駄目だと思います。
(千葉「はいわかりました。それからあ、次の質問になりますけど、これはイタリアのミラノにお住まいの方からいただいております。ラジオネーム、うりっせさん、というかたからです。)
小出「はい」
(千葉「今月中旬から肉牛の汚染が話題になっていますが、肉牛が汚染されていれば乳牛も汚染されていると考えるのが普通だと思います。そして牛が汚染されているなら、豚や鶏だって汚染された、えー、餌を与えられている可能性も否定できませんから、是非小出先生の意見も聞きたいと思っております。よろしくお願いします、という質問なんですが……」)
小出「もちろんですね。豚も汚れてると思いますし鶏も汚れてると思います。」
(千葉「まあ……それがどれくらいのレベルに達してるか……」)
小出「そうですね。それは測定してみないとわかりませんし、まあ、牛、今問題になっている牛はいわゆるその、稲藁(わら)を食べていたと言うのですね。豚とか鶏にどういう食べ物を与えてるのか私は正確には知りませんが。要するにその、事故の当時、屋外にあったものであれば、食べさせてるものがですね、同じ現象が必ず起きると思います。
(千葉「ああー、やはり同じように放射性物質を含んだようになっているということですよね」)
小出「そうです」
(近藤「先生、あの肉牛の対策なんですけれども、やはりこの全頭検査というのが必要なんでしょうか。あるいは、するとすればかなり手間がかかる作業なんでしょうか」)
小出「あの、結構手間がかかる作業です。ただし、肉牛って何百頭とか、せいぜい1000頭の単位で済むんじゃないんでしょうか。」
(近藤「そうですね。何百頭単位だったともうんですけども」)
小出「そうですね。そうであれば、あの、できると思いますのでやった方がいいと私は思います。」
(千葉「……わかりました。次はですね、えー、千葉県にお住まいのラジオネーム、やんやんやんさまというかたからですが。いよいよ夏となりました。海の水温もどんどん上がり、入道雲の発生から雨という夏の自然サイクルが始まります。福島から海へ投棄された汚染水に含まれている放射性物質が雨となって再び陸に戻ってくる可能性というのはあるんでしょうか、という質問なんですが」)
小出「もちろん、原理的に言えばありますね」
(千葉「うーん……」)
小出「ですから海へ流れていってるわけで。海から蒸発したものがまた陸に雨となって降ったりするわけで。例えばその流されている放射能の中には、トリチウムという名前の放射能もあります。それは、いわゆる水素なんです。放射能をもった水素なんですが。それも海へ流れ出てるはずで。環境に出ると水の形になります。H2Oという形ですね。そういう形になりますので、海水が蒸発して雲になればそれがまた雨になって落ちてくるという事ですので、もちろん循環して陸にもまた戻って来ます」
(千葉「ふーーん。あのまあ、どこかだけに固まってというわけではないと思うんですけれども。」)
小出「はい」
(千葉「広く薄くという形で、雨という形で陸に戻ってくるということですね」)
小出「そうですね。いろいろな形で一度福島からでたものは、汚染は低きに広げながら、ぐるぐるぐるぐるまわるということになり、なると思います。」
(千葉「放射性物質は基本的にはなくならないものですね」)
小出「ええ、ええ、そうですね。半減期でなくなってはくれますけれども。自然にも、放射能を放射能でなくする力はありませんので、結局どこかにあり続けるということになってしまいます」
(千葉「形を変えてつねにどこかにあると言うことですね。はい、わかりました。続いてこちらの質問です。こちらはラジオネーム、みずちのむえんさん(※上手く聞き取れず)という方からですね。人工放射線核種と天然放射線核種の違いということで、ある方の話を聞きました。そしたら放射線としては同じであるが、人工は蓄積し天然は蓄積しない問お話をされていました。今から、今、福島から漏れている放射線は自然放射線と同じだというような話をされるんですが、やはり人工のと天然では動き方が違うんでしょうか。教えてくださいということです。」)
小出「はい、要するに、私たちは放射能と読んでるものは、放射性物質なんですね。ものですから、体に取り込んだ時の人間の体の代謝というものが、そのもの、その物質ごとに違っているわけ、ですね。例えばヨウ素というもの、皆さんすっとこの間聞かれてきたと思いますが、ヨウ素というのは人間にとっては必ず必要な元素なのです。それでそれを甲状腺というところに集めまして、ホルモンをつくりだすと、そういう役割を持っています。そして天然にあるヨウ素というのは一切放射能をもっていない、そういうヨウ素だけが天然に、あります。そういうヨウ素を人間という生き物は甲状腺に貯めてホルモンを作るという、そういう生き物として今、私達はある、のですね。でも、原子力発電所の事故が起こりますと放射能をもったヨウ素が飛び出してくる、わけです。それで私たちの、人間のほうの側からみると、放射能をもったヨウ素なのか放射能をもっていないヨウ素なのかということが、まったく区別がつきません。ですから、放射能をもったヨウ素が環境に漏れてきてしまうと、それをまあ、せっせせっせと人間は体に蓄積してしまう、わけですね。でそれが甲状腺に集まると甲状腺の癌になるということになりますし、甲状腺の機能をまあ、損なうということにもなるわけで。え、天然という状態で放射能を持ったヨウ素はないところに、放射能をもったヨウ素を出してしまうわけですから、それは人間にとっては、まあ、ある意味まあ危険を抱えてしまうということになります。
(千葉「本来取り込むべきでないものを体の中に取り込んでいってしまっているということに成りますからね」)
小出「そうです。」
(千葉「はい、わかりました。小出先生ありがとうございました」)
小出「はい」

https://hiroakikoide.wordpress.com/2011/07/22/tanemaki-jul-21/

【資料】
福島原子力発電所事故と放射性物質そして放射線測定
原子力発電と福島第一原発事故がもたらしている被害の現実
原子力発電と福島第一原発事故がもたらしている被害の現実-その2-
放射線と健康被害 原発被害が及ぼす社会影響とどのように向き合うか
放射線の単位であるシーベルトとベクレルとグレイの関係
東京電力が福島第二原子力発電所の廃炉を決定
日本の原子力発電所の現状-その1-
日本の原子力発電所の現状-その2-関連する重要事項
地震と津波と活断層などを知る-その1-地球物理学者島村英紀氏(元北大教授)の知見
原子力と原子力発電を知る-その3-

2019-11-05-get-to-know-nuclear-power-plants-in-japan-3-of-2019-11-05-

旅のエッセー集 essay and journey(essay of journey) 旅行家 甲斐鐵太郎
essay and journey(essay of journey) by kai tetutaro

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地震と津波と活断層などを知る-その1-地球物理学者島村英紀氏(元北大教授)の知見
日本の原子力発電所の現状-その2-関連する重要事項
日本の原子力発電所の現状-その1-
福島原子力発電所事故と放射性物質そして放射線測定
東京電力が福島第二原子力発電所の廃炉を決定
日本の原子力発電所の現状-その1-
放射線の単位であるシーベルトとベクレルとグレイの関係
放射線と健康被害 原発被害が及ぼす社会影響とどのように向き合うか
(計測はモノをみる目である 計測からみた原子力事故と地球環境)
用途としての放射能と放射線の単位があり震災復旧では物を見る目になる
原子力発電と福島第一原発事故がもたらしている被害の現実
原子力発電と福島第一原発事故がもたらしている被害の現実-その2-
社会を知る
世界を知る
英国は何故EUを離脱したいのか
イギリスのEU離脱には訳がある。玉虫色の離脱案。(放送はザ・ファクト)
社会を知る
国を知る
北朝鮮を知る

音楽を聴く
Joan Baez(ジョーン バエズ)
山本潤子(jyunko yamamoto)
由紀さおり、安田祥子(saori yuki、satiko yasuda)
webページとYouTubeで構成された私の音楽室 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
音楽でちょっと休憩
Joan Baez(ジョーン バエズ)
Joan Baez 風に吹かれて(blowin in the wind)
Joan Baez-Diamonds and Rust (With Lyrics)
音楽を聴く 音楽家と演奏
webページとYouTubeで構成された私の音楽室 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
音楽を聴く 音楽家と演奏
音楽(ブルース)
ユーチューブ音楽 エリック・クラプトン Layla 2014ジャパン・ツアー
(レイラは渋い、日本向けアレンジか)
Eric Clapton  Tears in Heaven live Crossroads 2013
(若くはなくなったクラプトン テアーズ・イン・ヘブンを歌うライブ音源)
Eric Clapton I Shot The Sheriff (Live)
(ギターに電気を入れてギンギンに鳴らします)
音楽の項目
音楽とオーディオ 目次
音楽・オーディオの文化・評論(芥川賞作家の五味康祐氏)
五味康祐氏の音楽とオーディオ評論(エッセー)
楽曲(音楽)とユーチューブ(動画)目次
楽曲(音楽)とユーチューブ(動画)-その内容 1-
YAMAHAコンサート用のPAスピーカー S0108T 執筆 甲斐鐵太郎
「ハッピーエンド」を聴く 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
土曜日、ガストで新調したパソコンの動作を確かめる。快調だと朝定食を食べて喜ぶ。執筆 甲斐鐵太郎
キャノン7とキャノンP 執筆 甲斐鐵太郎
中央道下り諏訪から北アルプスがみえる 執筆 甲斐鐵太郎
中央道下り諏訪から穂高岳、槍ヶ岳、常念岳がみえる
富士市の富士山展望の宿に泊まった 執筆 甲斐鐵太郎
国道158号線 松本市に向かう冬の旅である 執筆 甲斐鐵太郎
霧ヶ峰高原 八島湿原 八ヶ岳の雪と青い空 執筆 甲斐鐵太郎
石老山(標高702 m)2月1日、雪の朝 執筆 甲斐鐵太郎
真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎
熱海桜は河津桜よりも確実に早く咲く 執筆 甲斐鐵太郎
真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎
真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎
富士山を見るために二週連続で富士宮駅前のホテルがでかけた 執筆 甲斐鐵太郎
(ダイヤモンド富士が出現する暦、年中ダイヤモンド富士が見られます 執筆 甲斐鐵太郎)
1月10日、京都えびす神社の「えべっさん」 執筆 甲斐鐵太郎
富士山に陽が昇る 執筆 甲斐鐵太郎
富士山が見えている夕方に「吉田のうどん」を食べる 執筆 甲斐鐵太郎
(副題)本を読むこと、文章を書くこと、とwebが一体になった

山中湖から富士山を仰ぎ見るのを楽しみにしている。執筆 甲斐鐵太郎
太陽が平原の林に沈んだ。月が輝きだした。高原の冬である。執筆 甲斐鐵太郎
大王わさび農場を冬至の日に訪れる 執筆 甲斐鐵太郎
上高地夏至のころ 執筆 甲斐鐵太郎
江戸の人々の山岳信仰の山だった大山(標高1,252m) 執筆 甲斐鐵太郎
林の向こうに青空が見えると嬉しくなります 執筆 甲斐鐵太郎
山手のレストランとBOSEのスピーカー 旅行家 甲斐鐵太郎
三浦岬をぐるりと巡って葉山マリーナにでた 執筆 甲斐鐵太郎
浅草の場外馬券売り場前の飲み屋で一杯 執筆 甲斐鐵太郎
お酉さま 執筆 甲斐鐵太郎
晩秋の霧ヶ峰高原 霧に包まれたカラ松の高原道路を走る 執筆 甲斐鐵太郎
カラマツは黄色と赤の中間色に燃えていた。カラマツ林の裾に民家があった。茅野市である。執筆 甲斐鐵太郎
10月の下旬に新潟市の界隈をうろついた 執筆 甲斐鐵太郎
11月の旅 壊れているフィルムカメラを旅の途中で買った これが酒の肴にはいい 執筆 甲斐鐵太郎
10月12日、川上村のレタス畑は最後の収穫をしていた 執筆 甲斐鐵太郎
信州の秋をめぐる 諏訪から佐久にでる 千曲川沿いを走る 執筆 甲斐鐵太郎
信州松本市郊外で秋のめぐみに出会う 執筆 甲斐鐵太郎
金曜日の夜は紅葉と夕日と星空の八ヶ岳、霧ケ峰そして美ケ原を走っていた 執筆 甲斐鐵太郎
日本平と久能山東照宮 執筆 甲斐鐵太郎
私と上高地-その6-上高地賛歌 八ヶ岳登山で山の自然に魅了される 甲斐鐵太郎
私と上高地-その5-格好いい山男は女に好かれる 山で英雄になった男の物語 執筆 甲斐鐵太郎
私と上高地-その4-槍ヶ岳・穂高岳登山と上高地 執筆 甲斐鐵太郎
私と上高地-その3-上高地帝国ホテルと大正池界隈を歩く 執筆 甲斐鐵太郎
私と上高地-その2-登山とロマンチズムそして感傷主義 執筆 甲斐鐵太郎
私と上高地-その1-槍ヶ岳と穂高岳のあとの休息地・上高地 執筆 甲斐鐵太郎
横浜市山手の丘にでかけると海が見え瀟洒な家並みにはブリキ博物館が紛れ込んでいた
夕暮れどきの高山市古い町並み‎2018‎年‎6‎月‎23‎日、‏‎18:06:44
夏至の日の旅行で郡上八幡市の古い町並みを見物する
6月24日、松本市波田のスイカを買う 温室栽培の大玉スイカです
6月に晴れる 小さなリゾート地相模湖で憩う
白いヒナと黒い3羽のヒナを連れて湖面を移動するコブハクチョウ
夏の訪れを告げる鮎釣り 相模川の6月1日の夕暮れ時
よい景色とよい音楽と美味しい食事 八ヶ岳と北欧レストランとパソコンでユーチューブ
近江の国、多賀大社(たがたいしゃ)の茅の輪くぐり
特別な位置にいる投手としての大谷翔平
「春の日と一人娘はくれそでくれない」ので5月は午後7時まで遊んでいられる
奥飛騨の新芽の背景は北アルプス穂高連峰の山肌であった
松本駅前の昭和横丁でホルモンを食べる 松本山雅FCファンがやかましい店だ
金曜日、思いついて新宿から松本に向かう。塩尻駅で降りた。
東京の桜は散って新緑の季節になりました
武田信玄の北条との決戦地の三増峠近くの枝垂れ桜
(季節は2カ月と半分ほどで夏至になる)
北杜市実相寺の山高神代桜は甲府盆地の桃の花と開花時期が同じです
(関東地方の春分の日は雪が舞い河口湖では28㎝も雪が積もりました)

陽だまりでは梅の花が土手にはスミレが咲く
5月になれば水田に映える常念岳を見に安曇野にでかけよう
埼玉県吉見町の栽培農家で買ったイチゴは甘かった美味かった
富士山の雨を集めた山中湖は忍野をへて津久井湖で道志村に降った雨と合流する
槍ヶ岳 霧ヶ峰からの遠望(高原の秋の始まりのころ)
山みちで老いたキツネにであう 旅行家 甲斐鐵太郎
数学者も物理学者も現在持つ知識は写し取って得たものである
インターネットで拾った文章を繋げて出来上がるニュース報道
数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実
数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実
数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実
(光波干渉測定システムはアインシュタインの理論を事実として確認した)

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