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日本の犬、紀州犬および柴犬などの祖犬と縄文・弥生期の犬について
(041106横田俊英)

釈迦堂遺跡から出土の土笛は耳には聞こえない2万ヘルツ以上の音を発する

 私は縄文期、弥生期の犬に興味をもっております。縄文期などの遺跡からは人骨や犬を含む動物の骨は出にくいものです。山梨県の釈迦堂遺跡からは犬の骨がシカの骨やイノシシの骨と一緒に出土しております。ここからは土笛が2個出土しており、この笛は人の耳にはほとんど聞こえない2万ヘルツ以上の高周波数の音を発するということで犬笛であろうと推定されております。釈釈迦堂遺跡博物館に陳列されているこの土笛について同館の学芸員さんから説明を聞いたところ、学芸員さんが吹いても音が出ないのですが、音楽家に吹いてもらったところ音が出たといいます。この説明では多分、人の耳にも聞こえる周波数の音も同時に出たのでしょう。
  狩猟・採集を中心にした縄文人の生活と犬との関わりを想像するに足る多くの物証がありますが、この方面のことについては知りたいことが多いので興味は尽きません。また弥生期においても犬を用いてイノシシやシカその他の獣猟はしていたものと考えられますから、そうした証拠物が弥生時代の銅鐸に描かれた狩の絵以外にもたくさん出てくることを期待しているのです。

縄文期の犬と現代の柴犬

 縄文期の犬と現在の柴犬がつながっているものということで柴犬などの保存団体が縄文期の犬はこうであったから、現代の柴犬はこうあるべきだということを主張するのですが、縄文期の柴犬像のとらえ方が異なると、よしとすべき柴犬像が違ってくるのです。そのようなことで幾つかある柴犬の保存団体が理想とする柴犬が違ってしまっています。
  私の興味は縄文期の柴犬像です。縄文期は長いですから一つの種類の柴犬だけがいたのではなさそうです。小さい犬ではあるけれども骨の太さ、頭の大きさ、顔の形が違うものがあったようです。縄文末期から弥生期にかけては柴犬より大きな犬が混じるようになるといいます。そうした犬が現代の日本犬とどのような関係をもってつながっているのかに興味があるのです。

縄文期、弥生期、古墳時代の犬の骨の出土に注目しよう

 縄文期、弥生期、古墳時代の犬の骨がたくさん出土すれば、その時代の犬の姿形や人との関わりがより鮮明になると思うのですが、まだまだ満足できる量ではないようです。

縄文期には犬笛があった

 山梨県の釈迦堂遺跡からは、人の耳にはほとんど聞こえない高周波数の音を発する犬笛が2個出てきており、同博物館に陳列されております。学芸員さんがその笛を吹いても音が出ないといいますが、音楽家に吹いてもらったところ音が出たといいます。人の耳にも聞こえる周波数の音も同時に出たのでしょう。これが学芸員さんの説明でした。

縄文時代はつい先だってこと

 いまから2200年前は縄文時代の末期です。弥生時代の始まりでもあります。明治から100年余り経過した現代と縄文末期を比べますと、明治初年の20倍ほど時代をさかのぼると縄文文化の末期に遭遇するのです。ずいぶんと昔のことと思うのか、つい先だってのことと思うかは人それぞれですが、自分が住んでいる家の下に縄文遺跡があると思うと私などは、つい先頃のことと思ってしまうのです。日本列島の自然地形の丘陵部にはほとんど全て縄文人が住んでいて縄文文化を花咲かせていました。川が流れ、あるいは湖や沼があるところのその畔、海に面した渚の脇には、つまり漁労、採取に適し、水利の便のよいところには縄文人が生活しておりました。縄文時代の人口は、早期に5万人、中期に26万人、晩期に8万人ほどです。縄文晩期は弥生期につながりますが、弥生時代になると人口は60万人まで急激に増えることになります。人口の変化には気候変動と農業技術が関与しております。
  そうしたことは別にして、縄文時代の人口は多くはありませんでしたが私たちの暮らしている周辺に多くの痕跡を残しております。たとえば長野県から山梨県にかけての山岳地帯である霧ヶ峰、八ヶ岳から、東京都の八王子市にいたる中央道の走る地帯は証拠でもある遺跡で埋め尽くされているといってよいほどです。

釈迦堂遺跡博物館にある縄文期の犬笛と犬の骨

 中央自動車道(中央高速)下り車線、山梨県の釈迦堂パーキングエリアは遺跡のあった場所です。この中央自動車道釈迦堂P.Aの下り線専用階段から徒歩2分にがあります。中央道のP.Aに車を留めて博物館を見学できるのです。釈迦堂遺跡博物館の最大の特徴は実にさまざまな表情をした縄文の女神たちとも呼ばれる大量の土偶が展示されていることです。私は縄文期の犬呼び寄せようの犬笛の土器と土鈴に関心があって訪ねているのです。犬笛は人には聞こえない2万ヘルツ以上の高周波音を発するのです。これによって犬笛だろうと推察されているのです。人に聞こえる音も出るということです。ここには犬の骨がイノシシやシカの骨とともに展示されております。犬の骨は体の一部で5cmほどの者ですが。

釈迦堂遺跡博物館の所在地

 釈迦堂遺跡博物館の所在地は次の通りです。 〒405−0054、山梨県笛吹市(旧東八代郡)一宮町千米寺764、釈迦堂遺跡博物館組合、TEL0553−47−3333、FAX0553−47−3334。入場料は210円です。

縄文時代の一万年と弥生時代の数百年

 日本列島が大陸から分離したのとほぼ同時に始まる縄文時代は10000年ほど続きました。弥生時代は数百年でしたし、それ以後古墳、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、南北朝、安土桃山、江戸、明治と時代は短時間に進みます。時代の変遷を大きな視点でとらえますと農業その他の技術革新が続いたか結果であると思われます。新しい技術や文化はたいがい海外から持ち込まれました。縄文時代の晩期には海外から水稲という新しい農業技術が持ち込まれたことで、弥生文化へと転換します。縄文期に日本列島にいた犬が、縄文中期から弥生期にかけて変化していきます。変化というよりも新たに旧来の犬より大きな犬が加わるのです。

犬は日本最古でまた人類最古の家畜

 縄文時代は13000年ほど前に始まりました。日本列島が大陸と分離したのとほぼ同時期です。分離以前は旧石器時代時代です。旧石器時代は30万年も前からの古い時代です。縄文期に気候は何度か変動します。6000年前の縄文期には温暖化がありました。このころの遺跡からは、ヒョウタン、アサ、イモなどの栽培植物が見つかっております。これらは南方系の植物であり、この時代に農業の技術革新がおこり、縄文人が定住に近い生活をし始めたことが、この時代に遺跡の数が急激に増えていることからわかります。縄文時代中期の平均気温は現代よりも2℃近くも高かったのです。縄文時代に日本列島で生息していた家畜としては犬が唯一のものだったようです。イノシシはあるいは飼い慣らされていたかも知れませんが、牛や馬はおりませんでした、羊も同じです。犬は日本最古でまた人類最古の家畜でもあります。

人の渡来は犬の渡来でもあったようです

 気候変動は縄文時代の人々の生活を大きく揺さぶります。6000年前の縄文中期に26万人あった人口が、その後の寒冷化という気象変動によって2500年前の縄文晩期には8万人ほどまでに減ってしまいます。太陽の黒点が減ると地球は寒冷化に向かうということであり、縄文晩期はこの時期であったといいます。江戸時代の飢饉もこれと同じだったようです。日本列島は寒冷な気候がゆるんだ13000年前に大陸と分離するのですが、人々の暮らしは気象変動に大きく揺さぶられてきました。  縄文期早期には現代の柴犬ほどの大きさの犬が生息していましたが、縄文中期にはこれより大きな犬が加わります。そして弥生期になるとそれよりも大きな犬が加わるようですから、ここに犬の移動と連動する人の移動があったと思われます。人の渡来は犬の渡来でもあったようです。

三内丸山遺跡からは犬の骨も出土しているという

 縄文時代の約10000年のある一定期間に、日本列島では原日本人がおだやかに暮らしていた時期がありました。青森市にある三内丸山では縄文人が規模な村落を形成して4000年もの長い期間ここで暮らしておりました。こうした営みも気象変動で崩壊するのです。寒冷化によって栽培していた栗の収穫が激減し、採集していた食糧も不足したと思われます。また海が後退したことから、大規模な村落を形成してのここでの営みが不可能になったのです。三内丸山遺跡からは犬の骨も出土しているということを、発掘担当者から直接に聞いておりますが、詳細はわかりません。

朝鮮半島経由で現代の紀州犬に通じる犬を伴って人が渡来した

 関東地方も縄文中期には年平均気温が今より2℃近く高かったことから、縄文海進期ということで、関東平野の奥まで海が広がっていたのです。この縄文海進期には茨城県の低地は海であり、筑波山周辺は辛うじて陸地でありました。常磐線に荒川沖という駅がありますが、このあたりも海に面していたことを、古い年代を想定した地図で見て驚いたことがあります。荒川沖の地名がいつごろ付けられたのか調べてはおりませんが、地形的にはそのようなことでありました。水稲という稲作技術が海外から入ってきたことによって農業技術に革命が起き、狩猟・採集を基本にした縄文時代が終わって、弥生時代が始まるのです。そして、その後の時代の流れは縄文時代の10000年と対比すると、一瀉千里に突っ走ったということになります。  地球の平均気温がほんの少し変わるだけで民族の大移動がおこるといわれます。縄文時代晩期と弥生時代初期は重なってることは当然ですが、この時代の日本列島は気候不順の寒冷期に相当します。朝鮮半島経由で現代の紀州犬に通じる犬を伴って人が渡来したことは間違いないことです。

鏃(やじり)工場のあった駒形遺跡からは犬の骨はでてこなかった

 縄文期の技術を探っている知り合いに誘われて、長野県茅野市にある駒形遺跡を訪ねたことがあります。霧ヶ峰山麓は良質の黒曜石(天然ガラス)の産地であり、駒形遺跡で暮らしていた人々はヤジリなど石器製造を専門に受け持っていたと考えられております。縄文社会の分業です。新潟県に産する装身具の翡翠(ひすい)の加工も同じでした。  この駒形遺跡からは人の骨も動物の骨も犬の骨もでてきておりません。骨は残りにくいのです。

黒曜石は天然のガラス

 駒形遺跡に隣接する畑地にはヤジリが大量に散乱しております。駒形遺跡を見学している私に対して、農家の人が耕耘機を運転するとヤジリががりがり当たるのだと語りかけてきて、駒形遺跡のヤジリなどものの数ではないことを強調しておりました。黒曜石は霧ヶ峰産、長野県冷山産、伊豆神津島産、北海道産などがありますが、霧ヶ峰界隈で産出する黒曜石の性能は特別によいのだそうです。産出地によって混ざりものがあったりしますし、色も違うのです。黒曜石を加工してカミソリのようにするとヒゲをそることができます。薄く剥ぎ取るとカミソリになり、矢の形に加工すると矢尻になります。ナイフや包丁なども造られます。矢尻は竹棒の先に塗った天然ピッチで固定して使うのです。矢尻はコツを覚えると初めての人でも何とか形にすることができます。シカの角でたたいて加工します。
 黒曜石の加工に特化した駒形遺跡の人々の営みは、それ自体工場の形をとっていたということができます。住居部分と黒曜石加工の場所は分離されており、工場部分からは半加工の黒曜石が大量に発掘されております。また農家の人の話に象徴されるように、駒形遺跡付近には石器に加工する過程で発生しクズとなった黒曜石が棄てられてもいたのです。
  駒形遺跡の黒曜石の加工品と加工の過程ででてきたクズの量は、自分たちで使うための石器の規模をはるかに超えていることから、ここでの黒曜石加工は他の地域との交易のための物品の製造であったことは間違いなさそうです。また駒形遺跡から姫川産の翡翠(ひすい)の装身具が発見されておりますから、他の地域と交易が行われていたことも確かであると思われます。交易は人の移動でもありますから、日本列島のなかでの人の移動に伴って犬も移動したと思われます。この時代には家畜は犬しかいなかったのです。犬は狩猟の道具の一つであり、人の友でありましたから、人の移動に犬がお伴したことは間違いないことでしょう。よい狩猟犬はあるいは大きな勝ちを持つものとして、交易の対象になったかも知れません。

縄文時代、弥生時代の姿が完全に明らかになっているわけではない

 縄文時代、弥生時代がそう遠くない昔のことであることが理解できると、このに生きていた犬のことが身近なものと考えられるようになると思います。縄文期および弥生期の日本在来犬が大正末年には根絶の危機に瀕していましたが、日本犬保存会の創始者たちの努力で復活し、今ここに生きているのです。  しかし、縄文時代、弥生時代に生きていた在来日本犬の姿が完全に明らかになっているわけではありません。姿を現した一部の状況から日本犬の姿を想像して、その像をもとに復元と改良を続けているのが現状と思われます。この方面に関して、古代日本犬像が異なれば復元や改良の方向が違ってくるのです。日本犬の考古学的発掘の重要性がここにあります。

縄文時代の犬の土偶は立耳・巻尾

 縄文時代の犬の土偶は立耳・巻尾です。弥生期の銅鐸には差尾・立耳の5頭の犬がイノシシを取り囲み、弓矢を持った狩人が矢を放った絵が描かれております。古墳時代の遺跡からは立尾・巻耳の犬の埴輪が出土しております。

縄文時代の田柄貝塚から出土した22体の犬骨は柴犬ほどの大きさ

 犬の骨は縄文期の遺跡からも出土しております。一つの遺跡から多くの犬骨が出土したのは宮城県の田柄貝塚です。田柄貝塚では縄文時代前期から晩期前半まで長期間生活が営まれたのです。  田柄貝塚から出土した22体の犬骨は、身体の大きさが体高35cm〜41cmの現代の柴犬ほどのものでした四肢骨および頭骨は現代の柴犬に比べてはるかにがっしりしたものでした。犬骨には子犬、メス犬、オス犬などが含まれていたようですから、その内容の分析は重要なことになります。

縄文期および弥生期などの犬骨を調査した斉藤弘吉氏

 こうした縄文期および弥生期などの犬骨を調査した人の一人が日本犬保存会の創始者の一人である斉藤弘吉氏でした。斉藤氏は、縄文時代早期から前期の犬の体高は36cmから41cmぐらい、縄文時代中期以降になると体高46cmから50cmぐらいの犬がいたと結論づけております。
  現代の柴犬の体高は日本犬保存会の標準の定めでは、35cm(メス犬の標準下限値)〜41cm(オス犬の標準上限値)となっております。同じように中型犬では46cm(メス犬の標準下限値)〜55cm(オス犬の標準上限値)です。  縄文時代の早期には柴犬と同じような犬が生存し、中期以降になると紀州犬程度の大きさの犬が出現します。この犬の出現は日本列島に住んでいた人の動きと連動するという説があります。

現代日本犬の実測体高

 現代の日本犬の調査を田名部雄一氏が岐阜大学農学部教授時代に、名古屋大学農学部時代の太田克明氏らと行っております。調査期間は1970年代から1980年代にかけてのものでした。ここで判明した現代日本犬の体高は次の通りでした。 (1)紀州犬  オス50cm メス47cm (2)四国犬  オス52cm メス46cm (3)甲斐犬  オス45cm メス41cm (4)北海道犬 オス50cm メス45cm (5)信州柴犬 オス39cm メス35cm (6)山陰柴犬 オス40cm メス37cm (7)美濃柴犬 オス41cm メス38cm (8)秋田犬  オス62cm メス57cm

日本犬保存会の体高規定

 日本犬保存会が規定している日本犬の体高は次の通りです。
(1)小型犬  オス38〜41cm(中間は39.5cm)        メス35〜38cm (中間は36.5cm)
(2)中型犬  オス49〜55cm(中間は52cm)         メス46〜52cm(中間は49cm)
(3)大型犬  オス64〜70cm(中間は67cm)         メス58〜64cm(中間は61cm)

 小型犬は柴犬です。中型犬には紀州犬、四国犬、甲斐犬、北海道犬がおります。大型犬は秋田犬です。

大きく育ちにくい秋田犬

 秋田犬がなかなか大きく育たないことを作家の近藤啓太郎氏が小説のなかで描いております。田名部雄一氏が岐阜大学農学部教授時代に行った現代日本犬の体高調査はこのことが示す結果になっております。甲斐犬、北海道犬も中型犬として規定された体高を実現するのが難しいようです。規定と現実とのギャップが示すものはなんなのでしょうか。繁殖上の難しい問題が含まれているのでしょうか。

昭和初期(1930年代)の残存日本犬と現代の日本犬

 昭和初期(1930年代)には地方ごとに地域性をもった日本犬がの残存しており、地方名でその区別をしておりました。残存犬のその後と現在の日本犬は次のようになっております。
(1)北海道 アイヌ犬  @阿寒系 A千歳系 B日高系 C厚真系 D渡島系 (現代の呼称は北海道犬)
(2)東北 @津軽犬(絶滅) A高安犬(絶滅)  高安犬(こうやすけん)のことは戸川幸夫氏が『高安犬』で直木賞を受賞。ここに詳しく書かれております。 B大館犬 C鹿角犬 D秋田マタギ  以上BCDは秋田犬の名で呼ばれております。 E岩手犬 F御所犬  EFの現代呼称は岩手犬。絶滅したという話がある一方、残存犬があるということも伝えられています。
(3)関東 @十石犬(十石柴)(絶滅) A甲斐虎毛(イノシシ犬系、シカ犬系)  甲斐虎毛は甲斐犬と呼ばれています。
(4)北陸 @越後犬、越後柴犬(絶滅) A立山犬 B白山犬 C大野犬  ABCは越の犬として天然記念物に指定されたものの、絶滅しました。
(5)中部 @地犬(信濃地方) A川上犬 B保科犬 C美濃柴(岐阜犬) D飛騨柴 E三州犬  @ABは柴犬と呼ばれるようになった。信州柴といわれることもあります。川上犬は日本犬保存会の血統登録とは別になっており、長野県川上村では今でも「川上犬」と呼んでいます。川上犬は日本犬保存会に血統登録の柴犬とは姿が違います。残されていた保科犬は現代の柴犬とは姿が違っていたという文書が残されております。  CDは柴犬と呼称。信州柴と区別するために美濃柴と呼ばれています。 Eは三河犬と呼称。
(6)近畿 @紀州犬(イノシシ犬、クマ犬、シカ犬) A太地犬 B熊野犬 C高野犬 D明神犬  以上@〜Dは紀州犬と呼ばれています。
(7)山陽 @山陽中型犬、山陽虎、斑犬(絶滅)
(8)山陰 @石川犬 A因幡犬  以上@Aは柴犬と呼称。山陰柴と呼ばれることもあります。
(9)四国 @阿波犬 A土佐犬 (イ)獅子先(ししざき) (ロ)猿先(さるざき) (ハ)狸先(たぬきざき)(まみざき)(こざき) (ニ)兎先(うざき)  以上(イ)(ロ)(ハ)(ニ)は四国犬と呼称されるようになったといいますが、獅子先、猿先についていはうなずけますが。しかし狸先、兎先については疑問が残ります。兎先は現代の柴犬に吸収されてことになっているという報告もあるからです。4つの呼称のほかに、いざき、さるざき、うざきの3つに分類することもあります。  獅子先、猪先は猪猟に向いた骨格の太い犬で、現代の四国犬はこの系統に属します。猿先は骨格が細くて鹿猟に向いていました。兎先は小型でウサギ猟に向いていました。兎先は小型の柴犬に吸収されました。
(10)九州 @薩摩犬(薩摩ダネ)  薩摩犬は絶滅したと伝えられている一方で、現地で復活したという情報がある。 (11)沖縄 @琉球犬  現代の呼称は琉球犬。復活したとの情報がある。

残存日本犬は多様性があった

 昭和初期(1930年代)日本の各地の山間部に残っていた地犬にはそれぞれに特色があったことから、日本犬は今以上に多様な状態にあったと思われます。
  動物を改良することにかけては西洋人は日本人の及ぶところではないようです。これは日本人と西洋人の自然観から発するものと思われます。これまでの日本人は自然に添うように生きてきており、自然にあまり手を加えなかったように、犬についても自然に任せておくことが多かったため、狆などを除いて昔の犬がそのまま残されてきました。しかし、西洋の犬が流入するとこちらが高級に見えたようです。そうしたこともあって在来日本犬はとの混血が急速に進んでしまいました。
  平安時代などにおいては全ての在来犬が立耳・巻尾の犬かといいますと絵巻などに描写されている犬をみますとそうでもなかったようです。このへんのことは本などに余り書かれておりませんが、実際のところを知りたいものです。

小型犬の標準体高に達しない犬の存在

 在来の日本犬は現在の日本犬標準で分類されているように小型、中型、大型と段階的に区別されて存在したものではなかったと思われます。小型と中型の間の体高のものがあり、また小型以下の体高の犬もいたと思われます。小型犬の標準体高に達しない犬の存在がそのことを示しているように思われてなりません。
  現代の四国犬に通じる犬たちがっちり型のは獅子先、そしてほっそり型の猿先と、体型によって猟とする獣が選ばれたといいます。現代の日本犬がどのようにあるべきかということは、日本犬保存会が制定している日本犬標準のあり方とあわせて考えていかなくてはならないことであると思います。標準の理解そのものが難しいことでありますし、その標準との関連でどのような繁殖の方向をとって行くのか、繁殖をする者にとって慎重な思考が求められます。

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紀州犬物語【シロの学校とその生徒のポチとブンの物語(5)】(60)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語(61)【日本在来犬と紀州犬(その1)】(執筆横田俊英)
紀州犬物語(62)【日本在来犬と紀州犬(その2)】(執筆横田俊英)
紀州犬物語(63)【日本在来犬と紀州犬(その3)】(執筆横田俊英)





紀州犬物語(63)【日本在来犬と紀州犬(その3)】(執筆横田俊英)
日本列島に古くからいた犬たちと縄文遺跡の犬骨
(純粋日本犬という言い方をする犬たちのこと)
(縄文期は犬は人の友だち、だった)


紀州犬物語(62)【日本在来犬と紀州犬(その2)】(執筆横田俊英)
縄文遺跡から犬の骨は出ており、旧石器時代の遺跡から犬の骨は出ていない
野尻湖で犬は人と伴にナウマン象を追ったか
(野尻湖のナウマン象の発掘調査では犬の骨は出ていない)


紀州犬物語(61)【日本在来犬と紀州犬(その1)】(執筆横田俊英)
遺跡からでてきた犬の骨とそのもっとも古い年代
(人と犬は利用し利用される共存関係にあった)


紀州犬物語【シロの学校とその生徒のポチとブンの物語(5)】(60)(執筆 横田俊英)
第60章 紀州犬メスシロの学校とその生徒のポチとブンの物語(5)
(紀州犬の大人のメス犬のシロの学校で、生後5カ月の紀州犬のオス犬のポチと生後6カ月の紀州犬のオス犬のブンが教育を受け、訓練を積んでいるのです。ポチもブンも散歩を楽しみにしていて、綺麗な姿態と歩様で散歩ができるのです。)


紀州犬物語【シロの学校とその生徒のポチとミーとブンの物語(4)】(59)(執筆 横田俊英)
第59章 紀州犬メス シロの学校とその生徒のポチとミーとブンの物語(4)
(詫びや寂などまだ先のことですから、対象外です。しかしブンより一月遅く産まれている紀州犬オス犬の「ポチ」のほうにそれを感じることがあります。三つ子の魂百まで、ということが言えるのでしょうか。)


紀州犬物語【シロの学校とその生徒のポチとミーの物語(3)】(58)(執筆 横田俊英)
第58章 紀州犬メス シロの学校とその生徒のポチとミーの物語(3)
(私は紀州犬のメス犬のシロの学校と題してお伽の国のような話しをしております。書いていることはすべて事実ですが、すべての紀州犬がこのようにできる訳ではありません。たまたま性質のよいシロというメス犬の大人がいて、たまたま、或いはこの時期に限って喧嘩をしない2匹の子犬がいて、それにもう1頭加わったということであります。子犬同士の折り合いがあって、幼児組と小学生組の2クラスに分けての学校運営になりました。)


紀州犬物語【シロの学校とその生徒のポチとミーの物語(2)】(57)(執筆 横田俊英)
第57章 紀州犬メス シロの学校とその生徒のポチとミーの物語(2)
(今で飼い主が寛いでいるときに、また夜にテレビを見ながらビールを飲んでいるときにポチとミーはその気配を全身で受けとめていて、声を掛けると犬舎の格子に顔を挟んで応えます。)


紀州犬物語【シロの学校とその生徒のポチとミーの物語(1)】(56)(執筆 横田俊英)
第56章 紀州犬メス シロの学校とその生徒のポチとミーの物語(1)
(子育てを終えたシロ(白)には生後3カ月ほどのオスとメスの子犬の学校の先生の新しい役目が与えられ、シロはこの仕事を喜んでしております。シロが先生を勤める学校の生徒はオスの子犬が「ポチ」で、メスの子犬が「ミー」です。シロとポチとミーの3頭は喧嘩とも見えるレスリング風の遊技を嬉々として演じております。)


紀州犬物語【紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(4)】(55)(執筆 横田俊英)
第55章 紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(4)
(ポチは生後76日に子育てを終えた白を母親代わりに暮らすことになりました。白は不思議なことにポチを自分の子犬と同じように遊技をしてやります。ポチもまた実の母親と思っているようです。あるいはただの犬の仲間と思っているのかも知れません。)


紀州犬物語【紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(6)】(54)(執筆 横田俊英)
第54章 紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(6)
(子犬は母親に徹底的に遊んでもらって、身体をうんと使い、手も足も腰も胴も身体を鍛えることになるのです。その遊びたるや人間の子どもが身体を動かすのを厭わないのと同じです。)


紀州犬物語【紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(3)】(53)(執筆 横田俊英)
第53章 紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(3)
(生後70日ころのポチは乗車訓練に取り組み、またリードをつけて60メートルほどの散歩の練習もします。家の向こうの畑で遊ぶポチはモンシロチョウやツバメを眼で追いかけて外界の様子を知っていくのです。)


紀州犬物語【紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(2)】(52)(執筆 横田俊英)
第52章 紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(2)
(子犬の喉につかえないことを前提に生後70日の頃にはパピーのほかに、ラン・ミールも少しだけ与えます。生後5カ月、6カ月、7カ月、8カ月になるに従ってラン・ミールの割合を増やして、生後8カ月過ぎにはラン・ミールを中心にします。一家の主人が紀州犬に惚れていないのなら紀州犬を飼ってはなりません。一家の主人と思いを同じにする家族のもとで飼われる紀州犬は仕合わせであり、その一家も仕合わせであることになります。)


紀州犬物語【紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(1)】(51)(執筆 横田俊英)
第51章 紀州犬オス ぽち(ポチ)の物語(1)
(チビの子どもの白と黒は母親と別れ、母親と別れてきた紀州犬オス犬のポチはこの家でずっと過ごしてきたように振る舞います。)


紀州犬物語【紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(5)】(50)(執筆 横田俊英)
第50章 紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(5)
(生後30日ころから母親は子犬が乳を吸いにくるとグワーと吠えて拒絶することがしばしばです。夜中にもこの声が聞こえます。犬の親と子の自然がここにあるのです。)


紀州犬物語【紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(4)】(49)(執筆 横田俊英)
第49章 紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(4)
(駐車場横の畑では菜の花が黄色い色を見事に周囲に放っております。この先一週間して春が進むと新緑の美しい季節になります。もう雑草むしりを余儀なくされました。)

紀州犬物語【紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(3)】(48)(執筆 横田俊英)
第48章 紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(3)
(子犬たちが生後三週間を迎えたこの日、遅れていた春が進んで、この地は梅の花とサクラの花と水仙とツツジに似た花が一斉に咲きました。)

紀州犬物語【紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(2)】(47)(執筆 横田俊英)
第47章 紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(2)
(子犬を身体をまるめて抱いて、お尻をなめて排泄を促してそれをなめてやってと健気な子育てがつづきます。)

紀州犬物語【紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(1)】(46)(執筆 横田俊英)
第46章 紀州犬メス犬シロの出産と子育て物語(1)
(シロが2匹の子犬を産んだその夜、空には金星が燦然と輝いておりました。)






紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす】(39)(執筆 横田俊英)
第39章 子犬のさまざまな行動への対応(紀州犬の躾け(シツケ)に関する考察)

(子犬は飼い主が思うようにはしつからない)


紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす】(40)(執筆 横田俊英)
第40章 安岡章太郎さんは紀州犬の気性の美しさを物語にした
(近藤啓太郎さんは飼い犬の健康美あるいは紀州犬特有の美しさに魅せられた)

紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす】(41)(執筆 横田俊英)
第41章 紀州犬が内に秘めている特性
(紀州犬の正しい理解のために近藤啓太郎さんと安岡章太郎の小説を読むことをお奨めします)

紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす】(42)(執筆 横田俊英)
第42章 泣かない騒がいのが紀州犬が美徳

(安岡章太郎さんのコンタは家に来た夜に、「ウォー」と一声あげただけでした)

紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす】(43)(執筆 横田俊英)
第43章 犬を飼うときに人の側の力量は何時でも不測しております

(紀州犬は歩く速度があるいはリズムが波長が人の散歩に調和しております)

紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす】(44)(執筆 横田俊英)
第44章 素直な、素朴な、賢い、格好いい紀州犬に育てたい
(藤井聡さんの『シツケの仕方で犬がどんどん賢くなる』を読めば人も犬も賢くなる)

紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす】(45)(執筆 横田俊英)
第45章 子犬を怪我させないことが一番大事
(子犬は親から離されるとしばらく夜泣きを含めてなくものだと考えていたらよいでしょう)


紀州犬物語【紀州犬メス犬シロ(白)の物語】(37) (執筆 横田俊英)

紀州犬物語【紀州犬を連れて散歩し紀州犬と暮らす日々】(38)(執筆 横田俊英)
紀州犬物語 第38章 紀州犬に主従関係を教える、そして犬の性質を知る
(その問題は子犬の問題ではなく飼い主がつくっている問題なのです)





  

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お渡しできる 紀州犬の 子犬

紀州犬の子犬、白、オス、メス、2014年8月15日生まれの兄弟姉妹犬の紹介です。】

○紀州犬の子犬、白、オス、(その1) 2014年8月15日生まれ。血統書込み10万円。(お渡しは9月末ころ、ご相談の上)。問い合わせ連絡先携帯は横田俊英090−5580−8226。

○紀州犬の子犬、白、オス、(その2) 2014年8月15日生まれ。血統書込み10万円。(お渡しは9月末ころ、ご相談の上)。問い合わせ連絡先携帯は横田俊英090−5580−8226。

○紀州犬の子犬、白、オス、(その3) 2014年8月15日生まれ。血統書込み10万円。(お渡しは9月末ころ、ご相談の上)。問い合わせ連絡先携帯は横田俊英090−5580−8226。

○紀州犬の子犬、白、メス、(その1) 2014年8月15日生まれ。血統書込み10万円。(お渡しは9月末ころ、ご相談の上)。問い合わせ連絡先携帯は横田俊英090−5580−8226。

○紀州犬の子犬、白、メス、(その2) 2014年8月15日生まれ。血統書込み10万円。(お渡しは9月末ころ、ご相談の上)。問い合わせ連絡先携帯は横田俊英090−5580−8226。

○紀州犬の子犬、白、メス、(その3) 2014年8月15日生まれ。血統書込み10万円。(お渡しは9月末ころ、ご相談の上)。問い合わせ連絡先携帯は横田俊英090−5580−8226。



【紀州犬の子犬、白、オス、メス、2014年6月20日生まれの兄弟姉妹犬の紹介です。】
日本犬保存会会員横田俊英
 問い合わせ連絡先携帯090−5580−8226。

○紀州犬の子犬、白、オス、(その1) 2014年6月20日生まれ。血統書込み17万円。この子は差し尾の様相を見せております。(直ぐお渡しできます)。ワクチン2度接種済みです。(この子は17万円ですが10万円の子犬もおります。)問い合わせ連絡先携帯は横田俊英090−5580−8226。 
下の写真は2014年8月6日に撮影しました。(生後50日にさしかかるころです。)
散歩の練習をしております。差し尾の様相を見せております。よい眼が立ちになってきました。
母犬と一緒にいたり、一人で居たり、そして食事をして、乳を飲んで、とうことで子犬の仕事をしております。


○紀州犬の子犬、白、オス、(その2) 2014年6月20日生まれ。

○紀州犬の子犬、白、オス、(その3) 2014年6月20日生まれ。

○紀州犬の子犬、白、メス、(その1) 2014年6月20日生まれ。

○紀州犬の子犬、白、メス、(その2) 2014年6月20日生まれ。

○紀州犬の子犬、白、メス、(その3) 2014年6月20日生まれ。

○紀州犬の子犬、白、メス、(その4) 2014年6月20日生まれ。



○紀州犬の子犬、白、メス、(その1)。 
○紀州犬の子犬、白、メス、(その1)。 2013年11月10日生まれ。

2014年1月21日に撮影。散歩ができます。よい子です。



白のメスその1を2013年12月30日に撮影したのが下の写真です。

 
 
紀州犬の子犬、白、オス、2013年12月10日出産(その1)。血統書込み10万円(直ぐお渡しできます。)ワクチンを2度接種済み。
日本犬保存会会員横田俊英
 問い合わせ連絡先携帯090−5580−8226
○紀州犬の子犬、白、オス、2013年12月10日出産(その1)。血統書込み10万円(直ぐお渡しできます)。ワクチンを2度接種済み。母犬、父犬とも性格が良くて、格好も良い犬です。飼い主に馴染むということではこれ以上の父母犬の組み合わせはなく、子犬もよい子ができております。(オス犬、メス犬ともおります。)問い合わせ連絡先携帯は横田俊英090−5580−8226。

2014年1月21日に撮影。散歩ができます。よい子です。





2014年1月4日に撮影。生後30日です。

 
紀州犬の子犬、白、メス、2013年12月10日出産(その1)。血統書込み10万円(すぐお渡しできます。)ワクチンを2度接種済み。
日本犬保存会会員横田俊英
 問い合わせ連絡先携帯090−5580−8226
○紀州犬の子犬、白、メス、2013年12月10日出産(その1)。血統書込み10万円(すぐお渡しできます。)ワクチンを2度接種済み。母犬、父犬とも性格が良くて、格好も良い犬です。飼い主に馴染むということではこれ以上の父母犬の組み合わせはなく、子犬もよい子ができております。(オス犬、メス犬ともおります。)問い合わせ連絡先携帯は横田俊英090−5580−8226。

2014年1月21日に撮影。散歩ができます。よい子です。




2014年1月4日に撮影。生後30日です。

 

紀州犬写真館。生後42日の紀州犬のメスの子犬です。


この子をみてある人は良い犬になりそうですね、と言いました。旅行中に車の中で生まれた犬です。



○紀州犬の子犬、白、オス、(その1)。 2013年11月10日生まれ。

○紀州犬の子犬、白、メス、(その1)。 2013年11月10日生まれ。血統書込み10万円(直ぐお渡しできます)。ワクチン2度接種しました。フィラリア予防薬、虫下しも2回口径投与しました。問い合わせ連絡先携帯は横田俊英090−5580−8226。
○紀州犬の子犬、白、メス、(その1)。 2013年11月10日生まれ。血統書込み10万円(直ぐお渡しできます)。ワクチン2度接種しました。フィラリア予防薬、虫下しも2回口径投与しました。問い合わせ連絡先携帯は横田俊英090−5580−8226。
白のメスその1を2013年12月30日に撮影したのが下の写真です。

○紀州犬の子犬、白、メス、(その2)。 2013年11月10日生まれ。
 


○紀州犬の子犬、白、メス、2013年12月10日出産(その2)。



○紀州犬の子犬、白、メス、2013年12月10日出産(その1)。血統書込み10万円(予約受付中) 母犬、父犬とも性格が良くて、格好も良い犬です。飼い主に馴染むということではこれ以上の父母犬の組み合わせはなく、子犬もよい子ができております。(オス犬、メス犬ともおります。)問い合わせ連絡先携帯は横田俊英090−5580−8226。
2013年12月20日に撮影しました。未だ乳飲み子ですが、元気に母犬の乳にしがみついて、順調に育っております。
これまでのこの母親の子は性格が良くて、健康で、紀州犬らしい格好いい、犬に育っております。



○紀州犬の子犬、白、オス、2013年12月10日出産(その1)。血統書込み10万円(予約受付中) 母犬、父犬とも性格が良くて、格好も良い犬です。飼い主に馴染むということではこれ以上の父母犬の組み合わせはなく、子犬もよい子ができております。(オス犬、メス犬ともおります。)問い合わせ連絡先携帯は横田俊英090−5580−8226。
2013年12月20日に撮影しました。未だ乳飲み子ですが、元気に母犬の乳にしがみついて、順調に育っております。
これまでのこの母親の子は性格が良くて、健康で、紀州犬らしい格好いい、犬に育っております。



○紀州犬の子犬、白、オス、2013年12月10日出産(その2)。



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