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○自然博物誌 19 富山県南砺市城端(じょうはな)の城端曳山祭 (5月4日撮影 文章と写真は旅行家 甲斐鐵太郎)
 
 
○自然博物誌 18 霧ヶ峰高原の最高峰、車山山頂と気象レーダードーム(1月4日撮影 文章と写真は旅行家 甲斐鐵太郎)


旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 16 霧ヶ峰高原と車山
(副題)車山(標高1,925メート)に45分で登り高原の尾根道を散策する
(新田次郎はビーナスラインがつくられたことで霧ヶ峰が俗化し、また自然が破壊されることをなげき、霧ヶ峰挽歌として『霧の子孫たち』を書き残したこの文章を残した。)
写真(下)は、ビーナスライン、車山肩の駐車場上からの車山を写す。三菱電機のビーバーエアコン「霧ヶ峰」の風景がここに広がる。高原の爽やかな空気がここにはある。7月23日に撮影。 
旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 番外編 bR 小舟とポルシェと青空と白い雲、何気ない風景の背後にあるのは10メートルの大津波(写真は3月26日撮影) 
○11月23日 自然博物誌 12 陣馬山の小道の紅葉と山頂の青い空 文章と写真 甲斐鐵太郎(旅行家)  
写真(下)は小舟とポルシェと青空と白い雲の何気ない風景 
【写真説明】

 何も考えずにこの写真を見ればのどかな風景である。小舟とポルシェと青空と白い雲。何気ない風景のその背後にあるのは大津波。この写真は三陸地方のある町の公共施設の2階の屋根に出現した風景の一こま。押し寄せた10メートルほどになる津波によってポルシェが屋根に運ばれた。屋根にはもう一台車が駐車しているように乗っていて、1階と2階の窓には何台もの車が網に引っかかったように突っ込んでいた。

 ここで働く人の献身的活動がNHKテレビで報道されていて、その人は施設に取り残された人を避難させる活動をしているうちに波にさらわれて行方不明になった。子どもがいて奥さんがいて親がいる人であった。その親は息子は信念の人間だったとテレビカメラに向かってうなるように話した。この施設の前面には防波堤は築かれていなかったが、その30メートルほど先の防波堤は押し寄せた津波によってひっくり返された。砂の上に台形状の土台を築いて建てられたその堤防は津波の力に太刀打ちできなかった。

 倒れた堤防を見て感ずることは何であろうか。人が自然に対して力で立ち向かうことの意味とその限界である。堤防という力で対応するのか、津波の押し寄せないところに施設をつくりあるいは住むのか。そこに海があり魚がいる、そして海辺の平地は人が家を建てるのに便利である。

 縄文時代の竪穴式住居と質素な暮らしであれば、津波被害からの立ち上がりも容易である。裕福な暮らしのための家や設備そして暮らしのためのシステムができている現代の生活と文化の在り方の是非を少し問いたくなる。この施設を運営するこの町のの中心市街地は津波と同時に発生した火事によって朽ちてしまった。

 3月は大きな災害が襲う月になってしまった。かつての三陸大津波が3月であったし、東京大空襲は3月10日であった。写真のような状態を引きおこした東日本大災害を引きおこした地震と津波と火事は3月11日に発生した。自然恐るべしであり、縄文時代の埴輪などは自然への恐怖、憧憬とあわせて、人への賛美が同居している。そうでなければ尖石遺跡から縄文のビーナスがでてくるわけがない。(写真は3月26日撮影。)
 次は本文書のつづきです。
旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 番外編 bR 小舟とポルシェと青空と白い雲、何気ない風景の背後にあるのは10メートルの大津波(写真は3月26日撮影)  
 
● テスト

 APS一眼レフカメラ 「キャノンIX E」 を使う 

レンズはズームレンズの28mm〜80mm、75mm〜300mmの2本



 APSカメラは思い出記録カメラとして便利であると思う。ミノルタのAPSコンパクトカメラのベクティス(定価30000円)を使ってみたらHタイプで焼くとそのプリントは大きいうえ、焼き増しの手配も手軽なので、以後APS一眼レフはニコン、ミノルタを使っていて、このほどキャノンを追加した。ニコン、キャノンは、同じメーカーの35mm一眼レフカメラとレンズが共用できる。ボディーを格安で手に入れることができるのなら、系列に加えておいてもよいカメラである。

 ニコンのAPSは35mm一眼レフカメラのボディーを流用したタイプなのでボディーが大きく重いけれど、これはスイッチの配列など取り回しが旧来の35mm一眼レフと同じなので都合がいい面もあり、その後に発売されたものよりプロやハイアマチュアには人気であるという。ミノルタは日常生活防水がボディと専用レンズには施されているので、アウトドアーフィールドでは重宝する。ミノルタのはレンズマウントが35mm一眼レフとは異なるので、レンズは専用のものを用いなくてはならない。しかしそのコンパクトさ軽さは旧来の一眼レフカメラとは一線を画し、まるで35mmコンパクトカメラを使う感覚である。ミノルタのストロボはそのまま使える。(家族が海外旅行に持ち出して以後、ミノルタのAPS一眼レフが不調をきたしている。せっかくの防水レンズ2本が無駄になっては惜しいので、安くて程度のいい中古ボディーをと探していたところ、8000円のやつが見つかった。このカメラはまた海外旅行に出かける。)  APSニコン一眼レフを最初に買うとしたときに、格好と性能では一番だと思ったキャノンであるが、値段もボディー単体で92000円(IX E)もするので、価格の面で折り合わずに断念した経緯がある。それでニコンのプロネア600iをかったのだが、こちらもボディー価格は90000円ほどした。

  キャノンを買ったのであるが、ミノルタを探しに行ったのである。中古のカメラは品数があるときには腐るほどあるのだが、いつでもあるわけではない。ミノルタを探しに何度も東京・中野駅のFカメラ店に足を運んでいる。これは半ばレクレーションなのだが、今回もまた目的のボディはなかった。それでふとキャノンの棚をみるとかつて欲しいと強く思ったことがあるキャノンの中古が安いのである。「レレレレッ・・」「今はこうなってるの」「シメタ キャノンを買っちゃおう」となった。 

 キャノンの「IX E」である。視線入力APS一眼レフカメラで、レンズはズームレンズの28mm〜80mm、75mm〜300mmの2本を買う。「これでいいのだ」と懐の悲しさを慰める。「そうだ、これでいいのだ」とも一度念を押すのは懐の寂しさ故である。「そうだ、これでいいのだ」  35mm一眼レフのレンズをAPSカメラボディーに装着するとレンズの画角は20%小さくなる。レンズの焦点距離が実質的に20%大きくなるという言い方もできる。APSカメラのフィルムが小さいためにそのようなことになるのである。

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  望遠レンズの300mm程度のものが欲しかったのだ。APSカメラボディーに付けると360mm相当になる。これで野鳥を何とか撮れる。本格的な望遠にするにはこれに2倍程度のテレコンバーターを付けると文句無しに野鳥を写せる。APSフィルムは感度がISO800のものが出ているのでそれを使うことになる。手持ち撮影ということになるとテレコンバーターは付けたくないが、それでは野鳥を引き付けられないという矛盾がある。三脚を使いたくないのでこの程度の望遠にしているのだ。三脚に長いレンズを付けて撮影するのであれば、その方の用具をもっていないわけではない。

  この300mm望遠レンズは野鳥を何とか写せるが、十分ではない。画面への収まりをよくしようとすると接近しなければならない。そうすると野鳥が警戒する、あるいは逃げるということになる。やはりテレコンバータが必要かな。  キャノンの「IX E」、視線入力APS一眼レフカメラはいいカメラですよ。 

 (2001/04/09記、同06/19修正)  

横田俊英(日本野鳥の会会員)

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  感動すると写真が撮れる「それって幸せなこと」

 仕事帰りにリコーR1sを買ってしまう  



 忙しい仕事が続いていた。ポカンと時間が空いたのでをふらりと高輪にある松坂屋カメラに足を運んだ。  

 ここは三人の兄弟が経営していて、3階は「マックカメラ」でライカを安く売っている。二階が「松坂屋カメラ」でニコンなどの中古が安い。業者が買い付けにくる店である。隣あわせで「高輪カメラ」がある。高輪カ

 一週間の仕事から開放されて、何か出物はないかなとまずはエレベータで3階のマックカメラに。でこぼこでも完動品のライカMシリーズを探しているのである。ショーウインドウをサーと見る。なし。  

 2階に降りて松坂屋カメラ。バードウオッチング用に明るい7倍のニコン双眼鏡をチェックしてみるが光軸がずれているらしく目が痛い。いま持っている8倍でいいではないか、とこれはパス。つぎに目がいったのがニコンの「ニコマートFTN」という昔のカメラ。昔の丸いリングの吊輪が印象的で程度もよくシャッターなどもきちんと動くが露出計はあやふや。これにf2・35oのレンズを付けて二万四千円(ボディーが一万三千円、レンズが一万一千円)。レンズだけでもと思ったが絞りリングが開放値付近で渋いのでレンズもカメラも見送り。  

 代用品としてのリコーR1s  



 隣のフロアーの高輪カメラをのぞいてみる。何か出物はないかな。特段欲しいものはないけれども安ければ買ってもいい。  

 「何かいいことないかな」と陳列棚をのぞいているうちにリコーの「R1s」(定価四万一千円)というf3.5・30o単焦点レンズ付きのコンパクトカメラが目に入った。探しているのはこのカメラを下敷きにレンズの性能を各段位 向上させた「GR1」(定価十万円)である。これが新品で半値で出ていれば買おうと思っている。  

 開発に参加した写真家の田中長徳氏の両機を比較した「ウイーン、プラハ、一九九六with R1&GR1」という写 真集を購入していてこれはいけると考えるようになっていた。店にでていた「R1s」は新品で一万九千円である。「ウーム」どうしよう。ちょっとまって、ということで隣の松坂屋カメラのよく知った店員に意見を求める。「GR1はプロカメラマンに評判がよく手放す人が少ないので中古市場には出てこないですよ、金融新品でも出てこない状態です」という。分かったならば代用で「R1s」にしよう、となる。「まっ いいか」。  

 でも私の手もとには「GR1」のカタログが何冊もあり、今なお欲しい欲しいと見つめている。  

 接写ができなかった28〜200oズームレンズ  



 リコー「R1s」を買う数日前の日曜日、家内の友人が八ケ岳山麓の小淵沢駅近くに別 荘を建てたので見物に出かけた。建物は二×四で一四〇平方メートルある。風光明媚な場所だが標高八〇〇メートルあるというから冬は青森並みの寒さになる。老後をこの場所で過ごすのだという。この建物を写 真に撮っていたら家主がこれに目をとめて写真の話が始まった。ヒマラヤやアルプスのトレッキングを楽しんでいるハイカーである。小さな写 真コンクールで最優秀賞をもらったというのを見せてもらう。  

 ヒマラヤではうまく撮れたのに  



 話が進んで、朝焼けの写真がうまく撮れない、接写がうまくいかないということで撮影のテクニックの話になる。花を接写 するのに二八oから二〇〇oまでズームレンズを使ったという。これの最短撮影距離が二メートルほどであったことから接写 のような拡大撮影がうまくいかなかったのである。さきほどの最優秀賞はヒマラヤトレッキングのときに撮影した高山植物の接写 であったのだ。ヨーロッパアルプスには二八oから二〇〇oのズームレンズだけを持っていったものだから涙を流したのである。撮りたいものとレンズの性質を考慮しなくてはならない。  

 私が「R1s」を買うことになったのは、この別荘での話が大きな刺激になっていたようだ。  

 ニコンF2とF氏  



 Fの頭文字のある男がニコンF2を昔もっていた。最近この人に私はF2売りつけた。私の手もとからコレクションに類するカメラを一掃しようとする動きの中ににF氏がいたのである。そのF氏も一本ですべてをこなそうと28〜200oレンズをF2用に買った。80oを超える望遠系は簡単に使いこなせるものではないのだが、遠くが拡大して撮れるというので素人受けし、コンパクトズームでも130oというのが出ている。私もニコンのAF用に28〜200oのレンズを用意しているが大きすぎて持ち歩きに不便なので使っていない。  

 カメラは持っていても写真はなかなか撮らないものである。F氏も大した量 の写真を撮っていない。  

 海外にどんなカメラを持って行ったらいいのか  



 写真好きの私などは海外に出かけるときに写真機を持たないなどということは考えられない。少なくとも二台のカメラは用意するし、三台になることもある。この三台をどのような構成にするかで少し悩む。ニコン二台にレンズ四本、ブローニーのリーバーサルフィルムを詰めた六×四・五センチのカメラを加えると三台になる。これにネガフィルムを詰めた「R1s」を加えると四台になってしまう。おまけにビデオカメラまで用意するとなると滑稽な事態になってしまう。  

 感動して写真が撮れることの幸せ  



 感動して写真が撮れるということは幸せなことである。55pの大岩魚をゲットしたSさんは写 真のほか魚拓を取ったという。別荘の壁に釣り上げた大物の魚拓や写 真がずらりと並べてあるものだから、この「かたくり荘」を象徴するものとして知り合いのデザイナーが選んだのが渓流魚であった。かたくり荘は奥さんはの郷里なのだが、その奥さんは魚ではなくかたくりの花を望んだのだという。  

 Sさんはこの意見を受け入れた。夏にはかたくりの花をあしらった「かたくり荘」のオリジナルTシャツを関係者に配った。私はLLのやつを注文したら何枚か無料でくれた。 55pの岩魚を手にしたオリジナルTシャツが本人にとって一番の記念になるように思う。

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ミノルタCLEと京都への旅

 京都を旅する熟年カップルと「ミノルタCLE」  



 旅に出る。京都への旅は格別のものであるようだ。

 十一月中旬の新幹線の中。幾組かの京都旅行の熟年カップルを目にした。京都の秋の旅は紅葉が良い季節ということから、この頃が非常に込み合う。宿の手配も急なことではおぼつかないことが多い。

 京都への新幹線。熟年カップルの一組は洒落たブレザーコートに身を包んでいた。ご主人のブレザーコートは、茶系統のざっくりした風合い。いかにも上等の生地を仕立てたものに見えた。これと対をなすのがご婦人の上衣で、女性物を何というのか知らないが、秋に京都あたりに着ていくのにぴったりと思える衣装。一目で夫婦そろって誂(あつら)えたものと分かる。生地の見事な張り加減から下ろしてこの旅行のために初めて着用したことは明らか。京都に気を張って出かけていることことだろう。

 別のカップルのご主人はライカを手にしていた。このカメラはライカといってもミノルタのライカで「ミノルタCLE」という自動露出方式のレンジファインダーカメラであった。付いていたレンズは広角系のものであり、そのレンズは値が張ることを私は知っている。カメラは裸で首にぶら下げており、時代を経ているにも関わらず擦り傷がないから、旅のための小道具なのであろう。そのような何組かの熟年カップルが京都駅構内に消えた。

 アウトドア雑誌から抜け出してきた姿に



 旅をビシッと決めるとなると衣装に気をつかうことになる。  熟年もジーンズをためらいなく着用する時代になった。ジーンズは年格好をキャンセルするらしい。帽子のうちのキャップが同じ働きをする。昔、流行った頭の形そのままのキャップが復活していて、この帽子をかぶると誰もがアウトドア雑誌から抜け出してきた姿になってしまう。チノパンツに格子縞のカッターシャツを着て、このキャップをかぶり、茶色の本革性の軽登山靴を履いていたら、服装に年齢が無くなってしまう。  このような人々を数多く見かけるようになった。もうじき60歳になるS氏などもハイキングに出かける時は若者と同じ姿で現れる。

 中年ダンディー氏と私



 世の中には洒落者が多くいる。ブランド品以外は決して身に付けることがない人種は何といううのか知らないが、頭のてっぺんから靴と靴下までブランド物で固める。ある旅行でご一緒した中年ダンディー氏と私の靴とがたまたま同じブランドのものであった。

 翌年の旅行に私は別の靴を履いて行ったが、お洒落の中年ダンディー氏はどういう訳か昨年と同じ靴を履いてきた。  

 ダンディー氏は私の風体をみて「横田さん、随分くだけた服装で来ましたね」。

 西郷さんの銅像の草履にはかかとがない



 日本人は靴を履いて歩くようになった。欧米人と日本人の歩行の様子は骨格からくるものなのか、その歩行の姿は明らかに違う。

 最近知ったことであるが、日本人はかかとを着けない歩き方を明治までしてきたのだという。その証拠が上野の森の西郷さんの銅像で、履いている草履にはかかとがない。

 日本人の歩き方の特徴であったことのもう一つは難波(なんば)歩き。同じ側の手と足が同時に前に出る歩き方で、昔の絵巻物がこの歩き方を証明的している。この歩き方は重い物を持って駆けるときに便利であるという。

 歩き方には民族性がにじみ出るもののようだ。

 服装には人柄が出る



 服装の話であった。

 服装には知らず知らずその人の人柄が映し出される。

 現代の日本人の裃(かみしも)は背広にネクタイである。私はこれが大嫌いな口であるが、人間は様々であり働くときはなっぱ服(作業衣)であるものの、通 勤には折り目正しく背広にネクタイ姿の人が割合に多い。

 蒸し風呂といってよい日本の夏にご苦労なことである。

(1998/11/16 京都の宿にて)

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田中長徳氏とカメラと写真と私

    五月のある土曜日、錦糸町の楽天地に映画『瀬戸内ムーンライトセレナーデ』をみにいったついでに、当然のこととしてライカを陳列している駅ビル内の「ヒカリカメラ」をのぞく。ライカが一台もない。そうだ、有楽町の交通 会館十二階の催し場で中古カメラフェアを開催中なのだ。ICS輸入カメラ協会主催の「ICS××周年 世界のカメラフェア」である。  ヒカリカメラと同じフロアーにある書店で写真家の田中長徳氏の新刊図書「実用本位 の私の仕事カメラ」を買って帰り、同書に記載されている自分のカメラの記述を読む。「仕事レンズ 銘玉 七選」に私がもっているレンズが含まれている。

 中古カメラ展で田中長徳氏に出会う



 翌日の日曜日、目覚めるとともに昨日同様何時間かパソコンのキーボードを打って仕事の「アリバイ」をつくる。「事務所にいってくるよ」と家をでる。行く先は言わずもがな交通 会館十二階の催し場である。

 「出かけても私には買うものがないのである」と言い聞かせての入場だ。訪問者の多くはライカファン。ライカの綺麗なのがずらりと並んでいるから、この道の好きものにはめくるめく快感ということであろう。私はなじみの松坂屋カメラとカメラのきむら日本橋店のコーナーを綿密にチェックする。会場を回っているうちに気がはいってきて時間の経過を忘れる。

 長徳さん自説を翻したのですか



 二時間も経ったろうか、会場に田中長徳氏が来ているのに気付く。中古店巡りのプロでもある同氏はどのお店の店員とも顔なじみ。お店の人からは「長徳さんはどうしてライカはM3のほうを推奨するようになったんですか」と揶揄されている。「いやぁー、僕のはいい加減でねぇー、でたらめで分裂症的なんですよ」と答えていた。カメラファンはよくてもわるくてもカメラ評論が楽しみなのである。そばで聞いていた私は長徳氏の回答は「明解」と納得。

 田中長徳氏は篠山紀信や秋山正太郎のような有名写 真家ではないが、カメラファンにはカメラ評論で大きな楽しみを与えてくれている有名人である。

 この人は篠山紀信と同じく日本大学芸術学部写 真学科卒業者。これを知っている同大学の付属高校に在学中の子が「写 真学科に行こうかな」。その付属高校から推薦されるのは八割程度であるものの、芸術学部は学校の成績とは別 の才能を要求される。

 田中長徳氏のニコンへの悪口



 田中長徳氏の私がもっているカメラへの悪口を書き出してみよう。「ニコンF4はでかいだけのできそこないのカメラだ」「ニコンF3はダメなAEカメラ、AEなんていらない」「ニコンF2はFの改悪版だ」。現在はこれらすべての言辞を逆転させている。

 芸術家の気まぐれなのかはじめから分裂的なのか不明だが、多くのカメラファンは自分のカメラやレンズが長徳氏に褒められれば喜び貶(け)されれば憂える。その本人がよく知った人には言い訳ができなくなって、「私はいい加減なんです」と逃げを打っているのである。とはいっても同氏のカメラ評論は魔術的であり、いまでは前言を翻すことを読者は楽しみにしている。

 だから私なども長徳氏の本がでると必ず買う固定ファンだ。


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社会派の写真家になるには社会のことに通じていなければ

 カメラと写真はワンセットであり、カメラがなければ写 真は撮れない。しかしカメラがあるからといってよい写真がとれる訳ではない。よい写 真を撮ることはなかなか大変なことであり、大学の写真学科や専門学校を卒業したした人でもまともな写 真が撮れるまでには相当の修行を要する。逆に法学部や経済学部や文学部を卒業した人でも立派な写 真を撮っていて写真家になっている人は多い。

 写真はシャッターボタンを押せば撮れるが、社会に評価されるような写 真は、写真家のような人でなければ撮れない。

 ということで写真とは何であるか、禅問答のような前置きになった。

 写真を上手に撮るには覚えておかなくてはならないことが幾つかある。撮影テクニックに属する事柄を学ぶことは楽しいことではない。

 普通の人が写真を撮る行為は、結果 として時間が経過してしまうと大仰にいえばその人の生きた証となる。  

 楽しいから写真を撮るのであり、大学時代の友人のSさんはどうでもいいカメラで記念写 真をよく撮っていた。思い出になりそうなことを素直に記録するのに撮影テクニックは大した問題ではない。撮りたいものにカメラを向けてシャッターボタンを押せばいい。集合した人々がカメラフレームからはみ出したら、カメラが後ろに下がればいいだけだ。広角レンズを持っていれば思い切り接近してシャッターボタンを押すことである。  写真の大家などは撮影テクニックを学んでいることではあろうが、その最後は自分の感性で勝負をかける。それは芸術の心というべきだろうか。社会派の写 真家になるには社会のことに通じていなければならず、人と社会の関係を理解していなければならない。

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カールツアイスのレンズとニコンF2

 旅先で人に出会った大学の写真部の知人二人の思い出がある。

 一人は八ケ岳登山の帰りの電車の中で遭遇した。

 彼らは写真を撮るために中央線沿線に出かけての帰りだった。

 私はペンタックス一眼レフカメラを最高のカメラだと思って持っていたのだが、彼はニコンが最高のカメラだといってニコマートを持っていた。

 大学一年の夏のことであった。

  もう一人の知人と旅先で出会ったのは私が大学四年の時のことであった。かれは二年先輩だから既に大学を卒業していた。その彼と平泉の中尊寺でばったりと会った。彼は学生時代カールツァイスのレンズの付いた二眼レフを推奨していたものだが、そのとき肩にぶら下げていたのはニコンF2であった。この頃、ニコンF2は最高級カメラであり、この方面 を知る者にとっては憧れのカメラであったのだ。

 その後私はニコンF2を五台ほど所有したことがあった。

 憧れとはそれが伏線となっていていろんな経緯をたどって、人に思わぬ 行動をとらせるものである。

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律儀で頑固なニコンという会社とニコンF4

 ニコンのフラッグシップ機がF4からF5に移行して月日が経つ。

 私はF5がボディーだけで三十万円を超えてとても高いのでF4をF5の発売直前に新品を半値以下で手に入れた。ニコンF5が登場した直後にF4は中古市場から消えていた。ニコンのフラッグシップ機にはよくある現象のようだ。

 ニコンF4は品数が少なく高値で取引されている。シャッターダイヤルが昔の姿であ(ったりす)るのがいいのだそうだ。ニコンはF3を継続販売していたが2000年夏に製造を中止した。F4はそれよりも早くF5発売と同時に製造を中止、ニコンF5発売後の四月末までに注文があった分を最終出荷とした。

 F3からF5に至るこの十七年の間にニコンはカメラを造らなくてもやっていけるメーカーに生まれ変わっている。そうであるから現行機のニコンF3とF5はメーカーの道楽の極みのカメラと思えるのだが、それはそれでカメラに対するニーズに対応したもので、ニコンF5は測光性能などを含めて一番優れたカメラである。

 その道楽的スペックと思える部分は報道カメラマン向けのものであるが、それでは開発コストを賄えないのでハイ・アマチュアカメラマンにも買ってもらわなくては商売にならない。カメラの世界にはプロが持つような高価なものを持って喜ぶ需要層が築かれている。

 一般の写真撮影の用途にはF3やF4やF5でなくて十分である。あえてプレス仕様をフラッグシップ機に据えているニコンという会社は古来のユーザーに対して律儀なのであろうか。ニコンは骨の髄までの頑固者のように思える。その頑固さが半導体製造機の「ステッパー」の商品化につながり、現代のコンピュータ技術の重要な一端を占めるに至っている。

 35oフィルムが何時まで報道写真の第一戦で活躍するのか怪しくなってきた。シドニーオリンピックではデジタルカメラが幅を効かせていたので、35oフィルムカメラは早晩報道カメラの分野でデジタルカメラに座を明け渡すことになろう。デジタルカメラの画素数の増大という技術進歩はめざましく、すでに新聞紙面 の写真として利用するには十分な能力を獲得している。

 「ウォー、F4はなんてすごいカメラだ」

  私はニコンF4を持っているのであるが、ニコンF4のどこが優れているかといえば、だれでもが分かることはシャッターを切る、フィルムを巻き上げること、つぎのシャッターをチャージするといった一連の動きに普及機と格段に異なる品質感が漂うことである。

 中学二年の女の子に使わせると「ウォー」と驚嘆の声を発した。この子は普段はコンパクトズームカメラを使っているのである。

 F4のシャッターがカシャと切れて、シュンとフィルムを巻き上げて、次のシャッターチャージをする時の音は品質感の固まりと思えるものなのだ。

 そんな品質感に富むカメラであるが、でも娑婆でこのカメラを振り回すことはオーバースペックの品物を見せびらかすのと同じだから、少なからず恥ずかしさを感じる。

 ニコンFEやニコンF3のマニュアルフォーカスカメラが新鮮に思える



 AFの一眼レフカメラだけを使っていると、ニコンFEやニコンF3のようなマニュアルフォーカスカメラを使うことが新鮮に思えることがある。

 2000年11月に八ヶ岳山麓と川上村方面へのドライブ兼写 真撮影の遊びにニコンFEに単焦点レンズの35oと 200oを持ち出した。単焦点レンズの写 真の鮮明度というか抜けの良さは魅力であり、またレンズが明るいのもいい。ニコンFEなどは液晶の外部表示がないのがよく、「シンプルニコン」の宣伝文句で発売された当時のことが思い出された。

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急に騒ぎ出したニコンF2のモータードライブ

 

 

 ニコンF2の新品が販売されていた


 ニコンFというカメラは大事にしまってあったが、どうもコレクション臭くなったので昨年カメラのきむら日本橋店に委託販売に出した。アイレベルのFのほかに露出計のついたファインダー「FTN」も別 途出した。ファインダーはほとんど新品のまんまであった。黒のニコンFなのですぐ売れた。ファインダーも箱付き保証書付きであったので当然すぐ売れた。どちらも買値より高く売れた。売れるよりさきにF2のファインダーのほとんどさらの箱付きのものを四万円で買った。ニコンのサービスセンターにいれてメーターをチェックしたら完璧。

 世界のカメラフェアーでニコンF2の箱付新品が売られていた。F2は確か1971年の発売であるから最終出荷は別 にして二十六年前のモデルである。ニコンではオーバーホールはするものの、露出計の修理はもう受けていないない。したがってメーカー保証のない新品というものは変なのだが、確かにそのカメラには昔のままの保証書が付いているのである。プレミアム価格である。

 ニコンF2のモータードライブが騒ぎ出す



 さてニコンF2の話がここまで進行してしまった。ついでながらそのF2のことである。ある会合に出席してこれを使った。虫干しの意味が半分あったのだが、人物を撮るのにあるレンズを使いたかったのである。モータードライブを取り付けたF2は事務所ではちゃんと作動したのに、現場ではどうも様子が変だ。

 ドライブモードは一枚ごとの巻き上げに設定されているのにレリーズボタンを押すと何枚でも撮影してしまう。久しぶりに使うので取り扱い方法は忘れている。座席でスイッチを押してみると、ガガガッとモーターが回る。会議の静かななかであったから困った。けたたましい音のように思える。四度ほどガガガッをやらかして、これ以上は「騒音犯罪」でおとがめを受けそうな気持ちになって止めにする。座席の回りにはYさん、Sさん、Wさんが座っていた。会合が終るとすぐに「横田さん騒がしかったですね」と異口同音。参った。

 ニコンF2の危なさを想定して予備にコンパクトカメラのリコーR1sをポケットに忍ばせていたのでこちらで用を足した。

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AF一眼レフカメラ「ニコンF401」

 「カメラをまた買ってしまった」。カメラは増やしたくないし、されとていろんなカメラが欲しいという矛盾した気持ちが心の中でこの言葉を述べさせてしまう。

 その一つはニコンF401でカメラのきむら日本橋店で6月6日に中古品を14000円で。これとタムロンのズームレンズ28−70を7000円。

 このカメラは実写テストをして2日後に出発した欧州への取材旅行に持ち出した。

 このカメラは初期のオートフォーカス一眼レフカメラであるが、スイッチ等操作系がシンプルでいい。

落しても平気だった二台のカメラ

シグマとか京セラブランドの二万円で標準レンズ付で買えるAF一眼レフは気取らなくていい。  

 シグマの「SA三〇〇」は肩からコンクリートに落下したが、レンズ保護用のフィルターが割れただけで何事もなかったように動いている。

 ニコンF3も肩から落とした。タムロンのズームレンズの金属製鏡胴はコンクリートにめり込んだ。コンクリートがフィルターに張りついたままであるが、そのレンズは現役を退いていない。落としたニコンF3ファインダー内に表示されるシャッタースピードが現れないが写 真は写る。F3のファインダーは別に一つ用意していたのでそれと交換して使っている。

 ニコンF3は製造中止になった。私はF3のプロ仕様を新品のまま一台持っているので、そそそろこれを出して使おうかと考えているところである。

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ミノルタα-9xi これはいいカメラだ

 今日はミノルタのα−9xiを49500円で買った。

 新品同様の中古。55000円を1割引にしてもらい一割引セールの日の七月二十八日に引き取りにいく。ミノルタの最上位 機種であり、ライカのR8に形状が似ている。ミノルタとライカのかつての協力関係が継続しているのだろうか。購入動機にこのデザインが一つの決め手になって入る。またα7700iのサブ機を探していたのである。サブ機がメイン機になったという逆転はあるが現行モデルの最高位 機を手にする喜びは大きい。(1997/7/22記)

 α−9xi使用記

 7月2日に長良川でα−9xiを使う。

 久しぶりに手にしたら当初カメラが作動せず。いじっているうちに動き出す。なぜだろう。

 ニコンF4がストロボとの同調が悪いのでこの夏の仕事にはミノルタの二台を使う。ストロボを二台用意しており、戦闘態勢は整っているのだ。レンズだって20mm−35mmズームを用意した。偏光フィルターだってみんなある。

 ミノルタは7月2日の撮影ではてこずらせたが一応使えている。 (1998/8/13記)

 その後のα−9xiについて

 ミノルタは最上級機を出した。それにはストロボが付いている。ストロボも含めて金属製のボディーであることを評価したい。

 後継機が出たことでα−9xiは中古市場で値を下げている。このカメラは悪いカメラではない。ミノルタのパワーズームレンズと併用するとその使用感は抜群に快適である。ミノルタの上級一眼レフは悪くない。 (2000/12/10記)

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カメラをまた買ってしまった ミノルタ「α7700i」等について

 カメラをまた買ってしまった。

 その一つはニコンF401でカメラのきむら日本橋店で6月6日に中古品を14000円で。これとタムロンのズームレンズ28o〜70oを7000円。このカメラは実写 テストをして2日後に出発した欧州への取材旅行に持ち出した。

 かねがね折りをみて修理をしようと思っていたニコンF4とリコーR1sの2台を購入したカメラ屋に持っていった。その店でトキナーの20o〜35oズームレンズの新品を19000円で買ったのであるが、これがミノルタ用。このレンズのために中古ボディーを18000円で買い、システムを整えるため35o〜105oズームレンズを中古で5000円で買った。

 24o以下の広角が欲しかったのである。やれやれと思って家に帰ってからカメラ雑誌を見ていたら、ニコン用の新品の20o〜35oズームレンズが22800円で売られているではないか。しまったと思ったが「ついでだニコンも買ってしまえ」ということになる。情報に疎いことがこのような失敗を産んだ。

 思いの外であったのはミノルタのボディ−「α7700i」が18000円にしてはなかなか良いことである。どこが良いかといえば品質感である。ピントが合うときの作動感、シャッターの切れ方、フィルムを巻き上げるときの音などである。写 真家の田中長徳氏は、これとほとんど同じ形式の「α8700i」を自分用カメラとして使用していて、これを褒めている。ニコンのカメラ一辺倒であった私がミノルタのカメラを見直すよい機会であった。

 カメラは高級なものでも気楽に使うことが大事というか、望ましいことである。たまたま手に入れた「α7700i」はこの条件を満たしていた。このボディーを選んだのは購入先の東京・高輪の「松坂屋カメラ」よく知った店員のアドバイスによる。「α7700i」が気に入った私は田中長徳氏御用達の「α8700i」も手に入れようと考えているのである。その後ミノルタの一眼レフカメラはAPSのもの、最高級機、その下のモデルを購入している。

 「α7700i」はその後中国に出かけたときに私の手から離れ、中国の大地に残った。

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「コンタックスG1」というカメラ (AF・AEレンジファインダーカメラ)

   どういう加減か、カメラを買ったときだけ撮影意欲が湧いてくる。

 一〇年以上前から欲しかった「コンタックスG1」を衝動的に買ってしまった。専用レンズ二八o付きのカメラの試写 して、写りのよさ、カメラの使い勝手のよさに驚いた。

 三月三十一日に買った。焦点距離二八oの広角レンズを付けた値段が六万四千円。ポルシェを買うのとは訳が違うがやはり懐が寂しくなる。いつものように「買ってしまった」という後悔が幾分か残る。翌日に専用のストロボを九千八百円で買った。室内の記念撮影その他でストロボがないのは光がないのと同じだから仕方ない。

 二八oレンズ一本での撮影には限界があるので、ズームレンズ付きの一眼レフをもう一台持つという不便さがつきまとう。併用する一眼レフはいま一番好きなミノルタのベクテスS−1だ。そうコンタックスG1はオートフォーカスのレンジファインダーカメラである。

 スナップ撮影における私の画角は愛用二〇oレンズの画角になれてしまっているので、コンタックスの二八oのビオゴンには少し戸惑う。画角不足を感じるのである。以前は二八oレンズであれば画角に不満はなかったのであるが、二〇oレンズの思い切り接近してパチリという撮影スタイルで二八oレンズを使うことはできない。

 超広角レンズを使っていると感覚で二八oレンズを使うことはできない。二八oレンズの使い方に慣れなければ。

 コンタックスの二八oのビオゴンはフィルム幕ぎりぎりまでレンズを接近させた設計になっている。そういうこともあって狭い室内を撮影しても梁(はり)が樽型に歪むという現象が生じない。これはすばらしいことなのだ。

 コンタックスはG1とG2を併売しており、G2にはズームレンズが付けられる。合焦能力はG2がはるかに優れている。

 G2に付けられるズームレンズは周辺光量が落ちるという難点を抱えているものの抜けは良い。値段が高いのが一番の問題点である。でも私はそのうちにこのセットを買おうと考えている。

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カメラを売ってバイクを買う

   バイクを乗り換えるのに十五万円がいるので、自転車部品とカメラの委託販売をすることになった。

 自転車部品は八万円、カメラは五万円、三万二千円、七万八千円、八千円で2割の委託手数料を支払う。

 2カ月で売れるだろう。

 家にあるごたごたした用のないもので売れるものはみんな売ってしまおう。

 何日かして委託販売に出したカメラ店を訪れる。

 Iさんが「ファインダーのないF2(三万二千円)が売れましたよ」  

 「ああ、ありがたい」

 「早く全てをお金に変えたい」

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ミノルタコンパクトAPSカメラはなかなかよい

 ミノルタのコンパクトAPSカメラは軽くて、小さくて、よく写 る。

 カバンに何時も入れてもち歩くカメラになっている。

 APSカメラはフィルムの装填なども楽である。カメラが小さくなるのもいい。ポケットに入れて持ち歩くのに便利だ。

 APSは出来上がったプリントが大きいのがよい。しかも綺麗だ。

 このカメラは一万五千八百円で買った。

 97/6/27に。ロッキー小川町店で。

(98/8/13記)

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