標高3000mに集まった人々 人それぞれの人生が垣間見える 執筆 甲斐鐵太郎
|
標高3000mに集まった人々 それぞれの人生が見える
東の空に朝日が昇る お日さまは人に恵みをもたらす
標高3000mに集まった人々 それぞれの人生が見える
東の空に朝日が昇る 鹿島槍ヶ岳がシルエットになる
標高3000mに集まった人々 それぞれの人生が見える
剱岳に朝日があたる お日さまは人に恵みをもたらす
標高3000mに集まった人々 それぞれの人生が見える
山小屋が赤い色に染まる 標高3000m夜明けがきた
(タイトル)
標高3000mに集まった人々 人それぞれの人生が垣間見える 執筆 甲斐鐵太郎
(本文)
夏休み。標高3000mの山小屋に何日か泊まった。ここは営業しているときもあれば貸し切ってしまって一般の人が使えないことがある。
山小屋での番をする人は年によって違う。一級建築士をしていた人、ブラジルで暮らしていた人、山を雲のように走る人がいた。
山を雲のように走る人は立山・黒部の雪渓をまっしぐらに駈け下りることは平気の平左だ。無謀な行動をしているので山岳救助隊からお前が遭難しても助けないと宣言されている。ブラジルで暮らした人は毎日10人以上の人が殺されるので殺人事件はニュースにならないという。一級建築士の人はトランシットを剱岳に焦点を合わせてセットしていて覗いてみろという。視野の狭い像はゆらぎならが剱岳山頂を映していていた。それぞれに事情があったその夏に山小屋の番をしていたのであった。
小屋には毎年写真を趣味とする人が集まる。とはいっても二人か三人である。下手な写真しかた撮れないのであるが素人の強みで自画自賛はする。はためには滑稽なのだが本人たちは真剣である。病が高ずるとカメラに破格の金を投ずる。デジカメの画面のうんと大きなのを担いできているときがあった。高密度な写真を撮れる。高密度だけれども機動性やレンズの交換などは不便であり、ズームレンズがあったどうか知らないがあればとても高い。こだわる人はズームレンズは使わないから撮影が面倒である。
朝になると撮影の時間がきたと小屋番の人が起こしにくる。本人もデジカメを持ち出して撮影をする。この場所は北アルプスの山々を撮影するのに好都合なのだ。
風景への思いなのか写真への思いなのか皆が撮影する。ご苦労さま。こちらは眠いから撮影などどうでもよいのだ。
遅れてのこのこ出ていくとやはり撮影に良い場所だ。
剱岳が暗闇から朝日を浴びて浮かび上がる。鹿島槍ヶ岳の向こう側から陽が昇る。昇る朝日はお月さまのように空中に浮遊する。
同じ場所が時刻によって別な世界になる。お日さまは人に恵みをもたらす、と思える一瞬がある。富士山からのご来光、槍ヶ岳や穂高岳山の頂上からのご来光は、わが身をまともにみることがない。この3000mの人知れぬ山小屋は剱岳や後立山連峰の朝のようすを両手に掴むように眺めることができる。
写真はそのような朝にカメラを向けたものである。
2018-08-31-2-sunday-brings-blessings-to-people-tetutaro-kai-syokota-essay-measurement-
(写真と文は甲斐鐵太郎)