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自動車の社会的費用とその負担
(世界銀行から融資された日本の鉄と電力の産業)
Social costs of automobiles and their burden
自動車の社会的費用とその負担

自動車の社会的費用とその負担

自動車の社会的費用とその負担
自動車の社会的費用とその負担

電源開発の九頭竜ダムは世界銀行の融資で造られた

(タイトル)
自動車の社会的費用とその負担

(本文)

はじめに

 本稿は次のことを想定して書き始めた。明治時代に始まる日本の近代産業の変遷。軍艦と飛行機と戦車は良くできていた。近代国家になったものの一流国にはなれなかった。戦後経済は米国の思惑で動いた。世界銀行から借款して電力、製鉄、道路、自動車分野の産業基盤を整備した。九頭竜ダム建設における九頭竜ダム事件は政治とお金の黒い結びつきを象徴している。自動車、電機の産業分野の伸長で米国に次ぐ経済規模に上り詰めた日本経済。公害と交通戦争。電機に次ぐ情報産業社会で日本は韓国や中国の後塵を拝するようになった。経済産業省の視点ではトヨタの一本足打法になった日本経済。この先日本はどのような道をたどるのか。書き進めるにつれて構想が加わり別の展開になることがあるかも知れない。文章はこれまでに調べてあったこと、端切れの形で文章にしたものを含めてつくられている。(計量計測データバンク 編集部)

明治時代 教育は20歳の男子が兵隊になることを目指した

 明治になったとき日本の人口は3千万人を少し超えた程度であった。国民を軍人にした列強諸国と渡り合える戦力を持たない明治政府が何をしたかといえば、国民を兵隊としてつくりあげることであった。小学校の読み書きに始まった教育は20歳の男子が兵隊になって日本の軍事の要になることを目指した。陸軍の士官学校と海軍の兵学校は国民の軍隊の指揮官を養成する場である。日清戦争があって日露戦争があった。その後、日本は中国での戦争に引き続いて太平洋戦争に突き進んで行った。

司馬遼太郎の『坂の上の雲』の主人公たちと夏目漱石そして田中館愛橘

 明治期の陸軍の士官学校と海軍の兵学校のことは司馬遼太郎の『坂の上の雲』の主人公は、旧伊予国(愛媛県)松山出身で、日本陸軍における騎兵部隊の創設者である秋山好古、弟で海軍における海戦戦術を担当した秋山真之、真之の親友の正岡子規(まさおか しき)の3人を主人公に物語を展開する。秋山真之は東京大学への道を進んでいた。同じ時代を同じ学校で夏目漱石が生きていた。秋山真之と正岡子規の親交、正岡子規と夏目漱石との交流とを複合すると秋山真之と夏目漱石のかかわりが推察できる。同じころ、旧南部藩士の子の田中館愛橘は国を治めることを夢見て予備門に学ぶ。途中から物理学に志を変えて当時日本には何人もいなかった理学博士となる。末は博士か大臣かとは明治期では博士の数と大臣になる人の数が似たようなことであったことに、この言葉が符合すると考えたらいい。現代の日本の博士は低い水準であり旧帝大の理工学部学生の数ほどいると揶揄される。田中館愛橘は日本の理学教育に従事し、この分野で日本と世界の交流でも業績を残した。秋山好古、秋山真之、正岡子規、夏目漱石、田中館愛橘は明治という時代にその世界で名をなした人々である。

日本海海戦の軍艦は石炭で動いた

 田中館愛橘(たなかだて あいきつ)は愛国者であったから日本の飛行機開発に関わった。プロペラの回転の風洞実験をしているときに弟子を夜中に見舞って差し入れのサツマイモの皮を回るプロペラにひょいと放って回転の特性を暗示した。科学のこと物理学のこと技術のことは田中館愛橘先生に教わろうと『論語と算盤』で渋沢栄一が述べている。渋沢栄一は日本の産業の基礎となる銀行や重要な企業を創業した人である。日本海海戦の軍艦は石炭をくべて動いた。石炭は日本の炭鉱で採掘して使用した。このころの日本の産業は絹糸を素材にした軽工業が主力であり、後に石炭産業が栄えた。

小学校教員として身を立てた陸軍大将の秋山好古

 秋山好古(あきやま よしふる)は松山から大阪にでて、大阪の師範学校を卒業して員になった。教員になったのは年格好からは遅れてのことであった。その後、創立間もない陸軍士官学校の騎兵科に進んだ。最終階級は陸軍大将。予備役となって松山市の私立北予中学校(現在の愛媛県立松山北高等学校)の校長職を長く勤めた。参謀や軍政の道に進まなかったのは本人の意思でもあり性格に由来すると判じられる。秋山好古の陸軍少尉任官までの経緯は次のとおり。安政6年(1859年)1月7日(1859年2月9日)、伊予松山城下(現・愛媛県松山市歩行町)に松山藩士・秋山久敬、貞の三男として生まれる。名前の由来は論語の一節「信而好古」より。秋山家は足軽よりも一階級上の位で家禄10石程の下級武士(徒士身分)だった。藩校・明教館(現在の愛媛県立松山東高等学校)に学ぶ。天保銭一枚(100文に相当)にて、銭湯の水汲み、釜焚き、番台に立って学費を補っていた。秋山好古は明治8年(1875年)に納金不要で月に8円の学費を支給される官立大阪師範学校(現在の大阪教育大学)に入学。明治9年(1876年)7月、官立大阪師範学校を卒業。第三大学区十八中学区堺県河内国第五十八番小学校(現在の寝屋川市立南小学校)を経て愛知県師範学校附属小学校(現在の愛知教育大学附属名古屋小学校)に勤務。明治10年(1877年)5月、教職を辞し、陸軍士官学校(旧3期)入校。明治12年(1879年)12月23日、陸軍士官学校卒業。任陸軍騎兵少尉。東京鎮台に配属される。明治13年(1880年)2月28日、東京鎮台騎兵第1大隊付となる。秋山好古の通称は信三郎。秋山家の三男であることに由来する。二人の兄が病弱であったため好古が家督を継ぐ。

夏目漱石と同時代に文学の道にいた秋山真之

 秋山真之(あきやま さねゆき)は1868年4月12日生れで兄の好古より9歳若い(好古は1859年2月9日生れ)。大学予備門では兄の好古に学費を頼っていたため、帝国大学文学部への道を断念して明治19年(1886年)に海軍兵学校に17期生として入校する。明治23年(1890年)に海軍兵学校を首席で卒業し、軍歴を重ね明治37年(1904年)に海軍中佐にして第1艦隊参謀(後に先任参謀)。同年からの日露戦争では連合艦隊司令長官東郷平八郎の下で作戦担当参謀となり、第1艦隊旗艦「三笠」に乗艦する。ロシア海軍旅順艦隊(太平洋艦隊)撃滅と封鎖のための旅順口攻撃と旅順港閉塞作戦において機雷敷設などを立案。ロシアのバルチック艦隊が回航すると迎撃作戦を立案し、日本海海戦の勝利に貢献、日露戦争における日本の政略上の勝利を決定付けた。秋山真之は東郷平八郎の影に隠れていて世に知られるのが遅れたが司馬遼太郎が功績を見いだした。海軍兵学校を首席を卒業が示すように頭脳と身体の働きは特別にすぐれていた。日露海戦における電文「天気晴朗にして波高し」の文は真之のものとされる。意味していたのは「本日天気晴朗ノ為、我ガ連合艦隊ハ敵艦隊撃滅ニ向ケ出撃可能。ナレドモ浪高ク旧式小型艦艇及ビ水雷艇ハ出撃不可ノ為、主力艦ノミデ出撃ス」。漢字を含めて13文字、ひらがなのみでも僅か20文字で文にした。正岡子規や夏目漱石と文科の予備門にいたことが文学の香りを漂わせる電文となった。最終階級は海軍中将。正岡子規とは幼少よりの友、東京へ一緒にでて共立学校にともに学ぶ。大蔵官僚となる勝田主計は真之や子規の松山時代からの知り合いである。

日本海海戦の砲弾で山本五十六は指をなくした

 山本五十六は日本海海戦では少尉候補生として、巡洋艦日進に乗り組んでいた。砲弾が近くで炸裂したために左手指と右下腿部に重傷を負っている。海軍中佐にして第1艦隊参謀の秋山真之と後の連合艦隊司令長官で海軍大将の山本五十六が日本海海戦の連合艦隊の戦艦三笠と巡洋艦日進の艦上にいた。アメリカ国内を視察した山本五十六は、油田や自動車産業、飛行機産業の盛況や日本では専売の砂糖と塩が、アメリカでは大量生産され大量消費されていることををみている。日本とアメリカの物資の生産量の差が大きいことを知っていた。

旗艦三笠の動力は直立3気筒3連成レシプロ式蒸気機関

 戦艦三笠を動かしたのは直立3気筒3連成レシプロ式蒸気機関である。イギリスのヴィッカース社製造だ。レシプロ式機関とは蒸気圧によりシリンダーを往復させる機関で直立3気筒3連成の複式機関でる。ガソリンエンジン車に置き換えると3気筒エンジンだ。戦艦三笠の3つのシリンダーは高圧シリンダー、中圧シリンダー、低圧シリンダーに分かれている。ボイラー熱で高圧膨張した蒸気を高圧シリンダーへ吹き込み、そこからやや冷却された中圧蒸気を中圧シリンダーへ注入、そして冷えた蒸気を低圧シリンダーへと送り込み3つシリンダーでクランクを回転させる。これにより1気筒のシリンダーの蒸気機関より高出力が得られる仕組みだ。戦艦三笠が建造された時代にはまだ蒸気タービンを備えた戦艦は無くこの方式が最も新しかった。機関は15,000馬力、最大速力18ノット(時速33km)の性能を備えて、当時の戦艦の中で最大の出力であった。最初にタービン機関を装備した戦艦は日露の対戦の翌年1906年に進水したイギリスのドレッドノートだ。

重油専燃に改装した連合艦隊の旗艦は戦艦長門は艦本式タービン4基4軸の機関

 アメリカとの会戦は真珠湾奇襲攻撃で始まる。連合艦隊の旗艦は戦艦長門。長門の機関は艦本式タービン4基4軸。長門は石炭と重油の双方を燃料にしていた。速力増大のために重油専燃に改装する。これにより機関出力88,445馬力で速力は25.8ノットになった。25.8ノットは時速何kmかというと、1ノット=1,852km/hで、25ノット=25.8×1,852km/h=47.8km/h=時速47.8km。

国力という視点に欠けた軍国日本

 米国の国力の大きさを日本はどれほどの理解力をもって把握していたのか。満州に出て中国に出て、武力制圧して、取り上げた将棋の駒を戦力にできるのならよいがそうはならない。第二次世界大戦直後の世界の富の6割が米国に偏在した。これの何割引きとして米国の国力を考えたら国家総力戦である当時の戦争形態と考えたら、米国は日本が立ち向かえる相手ではなかった。真珠湾攻撃で機先を制されても米国は国民を鼓舞し、兵器を大量生産し、日本軍に襲い掛かる。太平洋上での日米の海戦は作戦の是非で戦果が決する状態にはない。日本に10倍する戦力で米軍は日本の艦船を攻撃する。空母も戦艦も運かの如く押し寄せる米国航空機によって撃沈される。真珠湾攻撃を卑怯な不意打ちと国内に宣伝している米軍の士気は高い。少しの作戦の成功、戦術としての戦闘に勝利しても、時間が累積するうちに日本軍は戦力を壊滅していた。ラジオ、新聞は日本の戦況の不利を伝えなかった。その象徴とされるのが朝日新聞である。日本放送協会もまた同じであった。

ソ満国境の軍事行動計画をソビエトは知っていた

 ソビエト軍が極東の日本軍への敵対意識はどうであったか。独ソ戦を戦うソビエトは満州国境の日本軍とは戦闘しない約束を交わす。戦争に付随する国家間の約束などまともに信ずることはできない。日本もソビエト連邦共和国も相手の様子を駐在武官やマスコミ機関に紛れ込ませた諜報員を使って探っていた。欧州の駐在武官はヤルタ会談によってソビエトが日本の北半分を占領する計画であることを日本に伝えていた。 日本では尾崎秀実(おざき ほつみ)がソビエトの諜報員として活動し、ソビエトに重要情報を送っていた。尾崎秀実は朝日新聞社記者、内閣嘱託、満鉄調査部嘱託職員であった。 近衛文麿政権のブレーンとして、政界や言論界に重要な地位を占め、軍部とも独自の関係を持っていた。政治の中枢部に出入りし、言論分野でも影響をもつ人物がソビエト連邦の諜報員として活動していた。ソ連が尾崎秀実の諜報を信用していたかは定かではない。それでも日本軍が満州国境を超えてソ連に押し寄せることがないことの確認は都度している。かたや日本はどうかというとヤルタ会談の内容に沿って北海道など北日本を割譲支配するために攻め入る確実な情報を自国の将官や将校といった武官から伝えれていても、戦争責任のことなどがあってもみ消していた。

戦争における勝利とは何か

 日本騎兵がロシアとの戦闘で活躍して、日本海海戦での優位をもって日本が勝利したことになっている日露戦争である。勝利とは何か、によってこの評価は変わる。日清戦争での優位と日露戦争での優位をもって無敵に日本の神話に埋没して敵を見ることができなくなり、国家間の戦争の意味を見失った日本国が生まれていた。山本五十六を含めて軍人の誰をも美化して英雄に祭り上げることはできない。東条英機の絞首刑と天皇制の存置そして岸信介と賀屋興宣などの東条内閣閣僚の釈放とこれらA旧戦犯による戦後日本の国家運営が敷かれていた。ロシア帝国の後に成立したソビエト連邦は同じように社会帝国主義の国であった。日露戦争の恨みは消えることなく持ち越されていた。ソ満国境を越えて押し寄せるソビエト軍の蛮行が恨みの表れなのか、戦争はむごい行為を平気でなさしむるものなのか、判断は難しい。俳優の宝田明は満州にいてまだ少年であった。進行するソビエト軍の蛮行を日本記者クラブに呼ばれて語る。部隊ごと八路軍に寝返った日本軍がいた。神国日本の精神というのは実態を持たない脆(もろ)さを持っている。八路軍に組み込まれた部隊の長は「あっ、軍人さんだ」と少年が叫ぶとマスクをした顔をそむけたのであった。

戦後日本の価値観は変わったものなのか、もともと確たる価値観がなかったのか

 ソビエト抑留者が先を争うようにマルクス・レーニン主義を装うことは普通であった。戦争に負けたとたんに「すすめすすめ へいたいすすめ」を教えていた諸学校の教員が社会主義の旗を振るようになったことは皆がよく覚えている。教科書には炭が塗られた。敗戦とともに価値観の転換を自らしたのか、事実上強制させられたのか。どちらにしてもすべてをひっくり返した。師範学校をでて小学校教員をしていた優等生の女性は自分を見失って教師であることを辞めた。これは『清貧の思想』を著わした中野孝次が述べていることだ。親の後を追って陸軍士官学校をでて将校となっていた同級生は戦後は闇屋に堕ちていたのであった。中野孝次は勉学への熱を捨てがたく検定試験を受けて旧制熊本高校から東京帝国大学独文科に進んだ。

鉄は国家なり 製鉄と石油で国が築かれていた米国

 米国の石油は世界一の産油量を誇っていた。鉄の生産量は戦車や自動車の製造につながる。第二次大戦を通じて米国は戦車をつくり自動車をつくり、石油を戦車と自動車に飲ませる経済へと変貌していた。兵器としての航空機も含まれる。意図されたかどうかは別にして朝鮮動乱は米国の戦車と爆撃機と戦闘機の出番と消費の場となった。使われた火薬類は第二次大戦の残り物なのか、朝鮮動乱にあわせてつくられたものなのか。朝鮮動乱で火器類が消費された。米国には1950年の朝鮮動乱、1960年のベトナム戦争と兵器の消耗の場が用意された。その後もこのようすは様々な形で続いている。

米国は第二次世界大戦を通じて軍事経済が貫通する国に

 米国占領軍は国連軍という美しい装いをこらす。1950年になると日本が朝鮮動乱にともなう戦闘の補給基地となった。朝鮮動乱とは戦争である。戦争で米国が勝利するための物資が日本でもつくられた。生産と消費ということでは朝鮮動乱による日本での生産の物資の消費先は米軍であった。日本国内に購買力や需要がなくてもよい。このような経済活動が興った。朝鮮動乱を米国は自国の戦争にした。戦争が終わると米国での生産物の消費地を求めて、その対象を日本国にした。日本の再軍備は米国の兵器によってまかなわれる。

お金は世界銀行から経済開発の美名で資本が投下された

 日本では経済復興とか経済開発の美名で資本が投下される。お金は世界銀行から融通される。多くの産業にから世界銀行から融資された。社会資本と名のつくものもその一つである。日本の道路網の整備であり、高速道路の建設が持ち上がる。1955年ころにはこれが顕在化した。日本の道路と高速道路を米国産の車を米国の石油で走らせる。自動車と製鉄産業、道路や鉄橋のために鉄が使われる。米国の基幹産業が大操業する。

経済学者になる宇沢弘文は米国の意図による道路網建設をみていた

 米国が日本に自動車網を敷くときの様子を見聞していた経済学者がいた。まだ大学に地位を獲得する前の宇沢弘文である。宇沢弘文は米国占領軍の意を受けて日本に高速道路網を敷くための調査団の通訳をしていた。高速道路網を敷いてそこに米国産の自動車を走らせるという目的のもとに調査が進行し、1955年にはこのための日本の道路建設計画が策定された。

世界銀行から融資された日本の鉄と電力の産業

 日本の鉄と電力の産業と道路に世界銀行から金が注がれた。その内容は次のとおり。

日本が世界銀行から貸出を受けた31のプロジェクト

調印式   受益企業   対象事業

1、1953/10/15 関西電力 関西電力 多奈川火力発電
2、1953/10/15 九州電力 九州電力 苅田火力発電
3、1953/10/15 中部電力 中部電力 四日市火力発電
4、1955/10/25 八幡製鉄 八幡製鉄 厚板圧延設備
5、1956/02/21 日本鋼管 日本鋼管 継ぎ目なし中継管製造整備
        トヨタ自動車 ヨタ自動車 挙母工場
        石川島重工 石川島重工 東京工場
        三菱造船 三菱造船 長崎造船所
6、1956/12/19 川崎製鉄 川崎製鉄 千葉工場
7、1956/12/19 農地開発機械公団 農地開発機械公団 上北根川地区開墾事業
8、1957/08/09 愛知用水公団 愛知用水公団 愛知用水事業
9、1958/01/29 川崎製鉄(2次)川崎製鉄 千葉工場
10、1958/06/13 関西電力(2次)関西電力 黒部第四水力発電
11、1958/06/27 北陸電力 北陸電力 有峰水力発電
12、1958/07/11 住友金属 住友金属 和歌山工場
13、1958/08/18 神戸製鋼 神戸製鋼 灘浜工場
14、1958/09/10 中部電力(2次)中部電力 畑薙第一・第二水力発電
15、1958/09/10 日本鋼管(2次)日本鋼管 水江工場
16、1959/02/17 電源開発 電源開発 御母衣発電所
17、1959/11/12 富士製鉄 富士製鉄 広畑工場
18、1959/11/12 八幡製鉄(2次)八幡製鉄 戸畑工場
19、1960/03/17 日本道路公団 日本道路公団 高速道路(尼崎-栗東間)
20、1960/12/20 川崎製鉄(3次)川崎製鉄 千葉工場
21、1960/12/20 住友金属(2次)住友金属 和歌山工場
22、1961/03/16 九州電力(2次)九州電力 新小倉火力発電
23、1961/05/02 日本国有鉄道 日本国有鉄道 東海道新幹線
24、1961/11/29 日本道路公団(2次)日本道路公団 高速道路(一宮-栗東、尼崎-西宮間)
25、1963/09/27 日本道路公団(3次)日本道路公団 東名高速道路(東京-静岡間)
26、1964/04/22 日本道路公団(4次)日本道路公団 東名高速道路(豊川-小牧間)
27、1964/12/23 首都高速道路公団 首都高速道路公団 高速道路(羽田-横浜間)
28、1965/01/13 電源開発 電源開発 九頭竜川水系長野及び湯上発電
29、1965/05/26 日本道路公団(5次)日本道路公団 東名高速道路(静岡-豊川間)
30、1965/09/10 阪神高速道路公団 阪神高速道路公団 神戸市高速道路1号
31、1966/07/29 日本道路公団(6次)日本道路公団 東名高速道路(東京-静岡間)


米国ワトキンス調査団が高速道路建設リポートに基づいて建設省が動く

 日本の道路網の整備を推進しようとする米国の意図のもとに調査が進み、ワトキンス・レポートが、1956年(昭和31年)8月8日に出された。これに基づいて世界銀行から日本高速道路建設のために資金が提供された。報告書から5年を経た1961年11月29日のことである。

日本の道路は信じ難い程悪い 工業国にしてこれ程完全にその道路網を無視してきた国は日本の他にない(ワトキンス・レポート)

 ワトキンス・レポートは、1956年(昭和31年)8月8日にアメリカのラルフ・J・ワトキンス率いるワトキンス調査団が建設省に提出した、日本の道路事情についての報告書である。正式名称は日本国政府建設省に対する名古屋・神戸高速道路調査報告書。日本国政府が、名神高速道路をはじめとする東京-神戸間の高速道路建設の調査のために招いた世界銀行のワトキンス調査団が発表した。経済調査報告書のお手本とも評されており、数十年経ってからも原文と翻訳文の双方とも再出版されている。一般的には、当時の日本の道路事情の劣悪さを指摘した報告書として知られている。「日本の道路は信じ難い程悪い。工業国にしてこれ程完全にその道路網を無視してきた国は日本の他にない。」というものだ。

道路が悪いために輸送コストが高くつき、ひいては国際競争力を弱め、日本経済の発展を妨げている(ワトキンス・レポート)

 日本国政府が名神高速道路の建設を実施するにあたり、借款を世界銀行に融資を求めた際に、当時積極的に関わったのが電源開発総裁だった高碕達之助である。高碕の運動の甲斐もあって、世界銀行から派遣されてきた調査団団長のラルフ・J・ワトキンスは、ニューヨークのブルックリン研究所に所属していた経済学者である。ワトキンス以下6名の調査団は、1956年5月から80日にわたり調査を行い、「日本国政府建設省に対する名古屋・神戸高速道路調査報告書」が作成された。調査報告書の内容は、「道路が悪いために輸送コストが高くつき、ひいては国際競争力を弱め、日本経済の発展を妨げている」と指摘した。東京-名古屋間の高速道路建設ルートの計画について、開発優先の中央道案(中央自動車道)と、経済効率優先の東海道案(東名高速道路)のどちらを選択するかで論争があったが、その比較については「比較すべき計画ではなく、それぞれ異なった根拠で有益である。」との見解を示した。

国民総生産(GNP)の2%程度を道路整備の財源にあてるべき(ワトキンス・レポート)

 1954年(昭和29年)に日本国政府により策定された「第一次道路整備五か年計画」についても言及しており、その計画規模が小さすぎることから、国民総生産(GNP)の2%程度を道路整備の財源にあてるべきで、東京-神戸間の高速道路を早急に建設する必要があると提言している。日本国政府は、ワトキンス・レポートを受けて、道路への投資額を大幅に拡大しており、ワトキンス調査団が初来日した1956年(昭和31年)当時の道路整備に対する支出が、GNPの0.7%に過ぎなかったが、その後10年足らずの間で2%台を突破し、その後も2%台が維持される。1969年(昭和44年)の東名高速道路の開通式に再来日したワトキンスは日本の道路の急激な発展を見る。

高速道路の建設と重なった日本のモータリゼーション

 昭和30年(1955年)に全国で15万台だった乗用車は、昭和40年(1965年)には190万台に増加した。モータリゼーションの到来である。市街地での砂煙や交通事故の増加など、悪路を原因とする問題も発生したため、高速道路を含む全国の道路網の整備が急がれた。昭和32年(1957年)4月、国土開発縦貫自動車道建設法が公布され、稚内から鹿児島に至る路線が計画された。日本高速道路公団による第一期工事として名古屋-神戸間の名神高速道路が建設されることになる。

経済学者宇沢弘文と自動車の社会的費用

 ここまでの文章では日本の道路網の整備と高速道路建設は肯定的内容になっている。経済学者として地位を得ることになる宇沢弘文が高速道路建設のための調査団の通訳として現場で見ていたその意図は、米国が日本の道路に米国車を米国の石油を使って走らせようというものであった。宇沢弘文はNHKラジオに登場して調査団の通訳として垣間見た米国調査団のことを上のように語った。日本の道路を走ったのは車輪の下が大きく空いた小型の車であった。日本の道路事情に適合したのは未舗装路も走ることができる本の自動車であった。米国の自動車は日本の道路事情や社会事情に適合しなかった。

数学を経済学で使おうとした宇沢弘文

 宇沢弘文は東京大学理学部数学科に学んだ。食うや食わずの日本で数学に没頭するよりも数学を生かせる経済学で世の役に立とうと学問分野を変えた。理論経済学あるいは数理経済学である。宇沢弘文は大胆に振る舞う。数学はときに仮説を立てて演繹的にそれを論証する方法をとる。宇沢の数理経済学も同じように動く。「二部門成長モデル」がそれである。経済成長のモデルを、消費財と投資財の2部門で構成する洗練された形にした。背景にマルクス経済学の概念がある。終戦直後の日本で受け入れられたマルクス経済学の考え方の一部を現代の経済学に取り込んだ。社会の不平等の研究に数学をどう活かすか、その道が理論経済学あるいは数理経済学であった。 宇沢弘文の経済学研究が成長理論へと進むにつれて、社会における不平等のことが取り扱われるようになる。経済成長とあいまった公害や環境問題がといった経済の外部性をを意識する。「不均衡動学理論」は生まれた背景だ。

宇沢弘文と著書『自動車の社会的費用』

 宇沢弘文が問題を世に問うたのが『自動車の社会的費用』である。自動車の社会的費用を具体的に算出し、その内部化の方途をさぐり、あるべき都市交通の姿を示唆する。自動車の社会的費用の算出項目は次のように設定される。(1)自動車通行が可能になるように、道路を建設・整備し、交通安全のための設備を用意し、サーヴィスを提供するために必要な費用。(2)自動車事故によっておきる生命・健康の損傷。(3)自動車交通にともなって発生する公害現象の結果生ずる都市環境の破壊。(4)観光道路については自然環境の破壊。(5)道路の混雑。これら5項目をどのように理解していくか、何時の時代にも問われることである。数学者の仮説を自らが演繹的に論理づける。

国際社会で大きな問題に発展している交通事故

 1990年代以降は日本の交通事故死亡者数は減少している。1991年に11,000人だった交通事故による年間死亡者数は、2013年には4,373人に減少した。交通事故による死亡者数の減少傾向は先進国に共通している。世界全体で見ると、交通事故による死亡者数は増加の一途だ。要因として途上国でのモータリゼーションがある。1980年代以降の途上国の経済発展が所得水準を引き上げたことにより、より多くの人々が自動車を手を使うようになった。急速な自動車の普及は、日本や他の先進国が経験したように、自動車の社会的費用の高騰をもたらす。中国やインドのモータリゼーションは急激に進行している。

交通事故による損失はGNPの1~3%

 交通事故により毎年130万人(毎日3,000人)が死んでいる。90%は低・中所得国の人々であるのが特徴だ。交通事故は死亡原因の9位である。15歳から29歳の死亡要因の一位が交通事故。交通事故による死亡者数は2030年に240万人に届く。交通事故による経済損失効果は、年間約5,000億ドルに達すると推計され、これは各国のGNPの1~3%(平均)に相当する。

中国とインドのモータリゼーションの進展はすさまじい 中国とインドのモータリゼーションは交通事故死の増大要因である比例関係で動く

 WHOが発表した2021年版の世界保健統計(World Health Statistics)は、1位の中国の人口が約14億4,186万人だった。 2位のインドは約13億6,641万人。 人口が10億人を超えている国は中国とインドのみで、両国とも前回の統計より少し増加している。中国は人口減少に向かう兆しがでているが、インドの人口は増え続けており中国を抜く。3位は米国で3億9,065万人。世界の総人口は約76億7,696万人で、毎年増加傾向にある。日本の人口は1億2,686万人で世界11位。 前回の統計では10位だったが、今回メキシコに抜かれ順位が1つ下がった。日本の男女別人口では、男性が約6,195万人、女性が約6,491万人となっており、女性の方が若干多い。

2021年日本経済の素描

 日本の経済はどのようになっているか。1985年に世界経済のGDPで18%を占めていた日本経済は2016年に6.5%に縮んだ。1985年に先進国会議の米国主導のプラザ合意によって日本の円高政策を恒常化させたために日本の輸出は不利になった。このとき対ドル相場240円が一年で120円になった。同じ自走車を米国で二倍の価格で売らないと同じ利益はでない。海外生産を余儀なくされる。1985年に海外生産比率が3%であったものが2020年には23.8%になった。日本の若年者はモノづくりをしないから驚くほどその能力は低い。現場でモノに触れないから工夫の発想がない。海外生産方式となって日本人が生産に従事しなくなると技術が失われて技術劣国に堕ちていく。株高になっていても日本人で株を買ったり持っている人は10%に満たない。3%あるかどうかだ。高所得層は株式市場の高騰現象の恩恵を受ける。海外資金が30%入っていると外資系企業であると規定される。この基準では日本の大企業のほとんどは外資系企業である。日本の大企業が海外資金によって支配されるようになった。日本のGDPはやがてインドに抜かれて第4位に下がる。

日本の人口減少の進行速度と定着点は7,000万人

 日本の人口減少の進行速度と定着点はどうなっているか。50年先、日本はどのような国になっているのか。人口の減少だけをとって推し量ると日本の人口は7,000万人だ。人口の増減には法則がある。一人の人間が大学を終えるまでの費用は日本では1,200万円だと算出される。非正規就労を余儀なくされる人々の年収は200万円になるかならないかの水準だ。子どもの教育費をまかなう余裕はうまれない。韓国の人々が子どもの教育費負担を日本よりも強く感じている。韓国もまた人口減少に向かっている。

炭酸ガス排出に占める影響は世界のなかでは5%

 日本の世界の経済に占める比率と人口比率を考慮すると炭酸ガス排出に占める影響は世界のなかでは5%である。すでに排ガス抑制のための手立てを打って効果がでている日本にできることは少ない。エアコンの高能率化とLEDによる証明によって夏場の電気代は20年前の半分に減っている。乾いた手ぬぐいを絞るような炭酸ガス抑制を日本国は本気でやるのか。それをしたときの世界への寄与は極度に小さい。

所与の知識は大丈夫か

 ヒジキに鉄分が多いのは鍋の鉄分が移ったからであった。ステンレス性の鍋で煮ると鉄分は少ない。セミの寿命一週間説はくつがえっている。高校生が実施した生態調査ではセミの多くは1カ月生きている。科学知識は突然にくつがえる。所与の知識は大丈夫か疑ってみることだ。

石油ショックとは石油価格の急騰というショックであった

 米国は自国産の石油で自国産業の石油需要を賄えなくなった。それがわかったのは1970年のことだ。米国は石油を輸入するようになった。原油価格が高騰したために石油ショックが1973年に発生した。国内需要の増大するなかでも価格をは据え置くことで米国は対応した。米国は自国の石油の石油産出を増やして価格を変えなかった。米国のこの政策は行き詰まった。米国は石油産出を増やせない。これが石油ショックの原因である。石油産出の世界の状況はどうか。中東などの産油国は埋蔵量のことを考え出した。産出量を減らす。需要に対して供給が不足する。需給関係が変動したことで石油価格が高騰した。石油ショックとは石油価格の急騰のことであった。背景にあるのは埋蔵石油の温存政策である。

米国人は一人当たりの石油の使用量は日本人の4倍だ

 米国は石油埋蔵量を減らしたくない。米国の石油を掘らないで済ます方法を考えた。中国とインドなど新興の途上国の石油消費が増大することは明かである。石油を使わせないために、炭酸ガス排出の増大が地球気象を温暖化させると言い出した。不都合な真実という真っ赤な嘘で塗り固めた地球温暖化論である。アル・ゴアの主張は米国の利益のためにあった。途上国に石油を使わたくないのである。それまでの地球温暖化への米国の冷たい対応が嘘のような手の平返しである。日本は炭酸ガス排出量で世界の5%しか占めていない。それでも日本国政府は自分が排出量を抑えれば世界の排出量は減ると考える。手練手管の大国が投げる噓のつぶてに打たれて行方を見失う。米国人は一人当たりの石油の使用量は日本人の4倍である。1970年ころの米国映画には大きな車が登場する。今でも大して変わりがない。このような米国文化を維持しようというの思いがあるのだ。

炭素排出量をゼロにするという2050年問題

 地球温暖化を防止する国際的な決めごとは米国の石油温存のために策略される。炭素排出量をゼロにするという2050年問題がそれだ。生産したりする人為活動で排出される二酸化炭素と吸収される二酸化炭素を同量にするというのがカーボンニュートラル (carbon neutral、炭素中立) である。

環境省のカーボン・オフセット制度

 環境省のカーボン・オフセット制度は「市民、企業、NPO/NGO、自治体、政府等の社会の構成員が、自らの責任と定めることが一般に合理的と認められる範囲の温室効果ガスの排出量を認識し、主体的にこれを削減する努力を行うとともに、削減が困難な部分の排出量について、クレジットを購入すること又は他の場所で排出削減・吸収を実現するプロジェクトや活動を実施すること等により、その排出量の全部を埋め合わせること」と定義する。

環境行政を原理主義、教条主義によって動かす日本の環境省

 環境省の行動と理念はキリスト教原理主義の酷似している。厳しい戒律が自らを規定するということではイスラム原理主義と同じである。環境行政を原理主義、教条主義によって動いている。カーボンニュートラルでは環境省の環境原理主義が見事なまでに貫かれる。それでどうした。世界の炭酸ガス排出量割合が5%の日本では乾いた雑巾を絞るのに、50%にもなると中国とインドなどは国が豊かになるためには石油が必要だということで事実上は意に介さない。これらの国々ではモータリゼーションが進行しているのだ。電気自動車だってハイブリッド車だった元になるエネルギーは化石燃料なのである。原子力発電におけるウランの精製にしても同じだ。核廃棄物は人類の重荷になっている。

燃料としてのウランは石油よりも遙かに埋蔵量が少な

 原発の燃料となるウランは希少資源であり、同じエネルギーを生むための原資としては石油よりも遙かに埋蔵量が少ない。加工して原子燃料にするには取り出せる発電量に倍する石油を使う。核廃棄物の処理のための費用こそ隠された真実である。核燃料を使うことで人類は恩恵を受けない。石油を燃やすと炭酸ガスが排出され、排出された炭酸ガスが地球を暖める要因になっている。この論理の帰結は石油産出を制限して石油を燃やせなくすることだ。元を断てば問題は解決をすることになる。実際には中国もインドも経済発展のために石油を使う。二つの国の経済発展と石油消費は比例する。石油産出という元を断つことができないから炭酸ガス排出量は減らない。それで地球気象が温現象を引き起こすのか、別の減少によって動かされて気象が変動するのか、科学が切り込むことになる。

縄文の暮らしはカーボンニュートラルが実現されていた

 薪(まき)ストーブの愛好家がいる。使う薪(まき)は大気中の二酸化炭素を取り込んで育っている。切り倒した薪(まき)材の樹木は循環して二酸化炭素つまり炭酸ガスを吸って育つ。慎ましやかな縄文の暮らしではカーボンニュートラルが実現されていた。排出される二酸化炭素(炭酸ガス)が吸収される二酸化炭素(炭酸ガス)を上回る場合は「カーボンネガティブ (carbon negative)」、排出される二酸化炭素が吸収される二酸化炭素(炭酸ガス)を下回る場合は欧米においては「カーボンポジティブ (carbon positive)」、前者は日本においては「カーボンマイナス」ともいう。日本の国土の7割は森林である。森林の7割が杉などの森林経済のための樹木として植えられている。この経済目的の樹木が経済原理の働きで費用的に見合わなくなっている。一斉に全部の樹木を切り出すという皆伐が日本では行われている。間引きしながら木材を切り出して山に気を残すのがよい。皆伐方式をとると山が崩れる。山の含水量も減るから少しの雨で洪水がおこる。幾つもの忌まわしき事柄が進行しているのが日本の山野である。

地球は寒冷期があり氷河期がり温暖期とが繰り返す

 縄文時代の中期は温暖期で日本列島に住む人は26万人になり、その後の寒冷化で5万人に減ったことになっている。地球は寒冷期があり氷河期がり温暖期とが繰り返す。太陽の活動の変動、地球の公転と銀河系の動きで気候が変動する。都市部で産業活動のために石油を燃やし、人が冷暖房に電力を使うと都市周辺の温度は高くなる。沖合の上空の気温はどうであるのか。北極の氷、南極の氷の量の増減の状態はどうか。減っている、増えているという二つの見解がある。地球全体の温度はどうなっているか確かめられていない。世間はそれでも地球温暖化なのだと決めている。2050年カーボンニュートラルの成否の帰結はどうであるか。失敗したとしても日本人には死活の問題ではない。キリスト教原理主義に立つと世界の見え方が違い、自分の行動規制も異なる。コロナ災害に対応するためのワクチン接種が一定数で頭打ちになるのは先に挙げた主義に似た思考方法一定数の人にあるからなのだ。

原子力発電は安全でもなく脱炭素でもなく安くもない

 原子力発電は日本の核武装のためのプルトニュームを抽出するためにある。原子力発電は安全でもなく脱炭素でもなく安くもない。上高地に近い梓川を堰き止めた人造湖の梓湖(あずさこ)は奈川渡ダム(ながわどダム)という。奈川渡ダムは高さ155メートルのアーチ式コンクリートダムで、下流に水殿(みどの)ダム、稲核(いねこき)ダムが造られている。三つのダムで東京電力が水力発電をする。奈川渡ダムの見学者に東京電力は主力は原子力発電だと説明し、ダムの水利権は農業の灌漑用に多く割かれているので、流下する水の全てを使えるのではないと説明する。水力発電所をみせていながら小学生の夏休みの作文に原子力発電のことを書かせようという魂胆がある。福島第一原発事故の前のことだ。蜜柑(みかん)畑をつぶして電気畑にすることの是非は考える対象になる。農業の採算が崩れると畑には草が生えやがて林になる。蜜柑(みかん)畑の電気畑への転換は蜜柑(みかん)農業が成り立たなくなったためにおきたことである。ブドウ畑、桃畑、リンゴ畑も電気畑への転換が何時起きても良い状態にある。

宇沢弘文は公共交通手段があっても歩けるところは歩く

 宇沢弘文は歩いて行動する。バスに乗ることが普通の移動手段でも歩く。筑波大学で特別講義するときには予定時刻に到着しなかった。宇沢弘文を招いた教え子の教授は集まった学生に今こちらに向かって歩いていることでしょう、と説明する。環境と経済にからんだ講義に宇沢弘文は出向いたのであった。宇沢弘文は公共交通手段があっても歩けるところは歩く。定刻になってもまだ歩いているところが晩年の宇沢弘文のキャラクターであった。

つくって、すてての繰り返しの経済が自動車産業

 ナチュラリストの田渕義雄は自動車が好きだ。四輪駆動のスバルレオーネを使っての長野県川上村での田渕義雄の暮らしは自然派雑誌の人気読み物であった。川上村の暮らしには軽トラが似合うと田渕義雄が言い出した。スバルの軽トラを手にいれて、これで俺は川上村のおっさんになったのだと悦に入る。軽トラの骨格は梯子式の鉄製である。丈夫にできている。車好きの田渕義雄は考えた。自動車は部品の供給がなされれば向こう100年分は新しい車をつくらなくとも間に合う。つくって、すてての繰り返しが自動車産業の経済になっている。欧州の人々は家具を子々孫々使うことを自慢する。使い捨てになる動車の経済は奇妙だ。

薪ストーブを使えば炭酸ガスの入出力はゼロだと田渕義雄は言う

 信州は川上村の川端下で薪(まき)ストーブを焚いて自給自足の生活をする田渕義雄の暮らしはヘンリー・D.ソロー「ウォールデン 森の生活」そのままだ。ナチュラリストを田渕義雄は自認する。椅子も机も、ほかの家具も自作する。蜂を飼って蜜を獲ることもする。家の増築や補修も自らの手で行う。薪(まき)を自分でつくる。知り合いに頼んで木材を仕入れこれが薪の半分を占める。木材から薪(まき)にする作業は大仕事だ。標高1,500mの高地では冬場の暖房を石油からとると大きな費用になる。薪(まき)を使ってストーブで暖を取り調理をする。費用は石油を使うときの三分の一以下だ。薪(まき)は育つ途中で炭酸ガスを吸い込む。それを燃やせば炭酸ガスの入出力はゼロになる。カーボンゼロなのだと田渕義雄は言う。

自動車の社会的費用とその負担と人の暮らし

 日本経済は自動車産業に背負われてできている。自動車産業は道路建設を要求し給油所をつくらせる。車検整備のための費用は所有者の家計には負担になる。道路建設は自動車の税金に付加される。自動車が壊れたときの保険負担がある。人を傷つけたときの保障費用が保険でまかなわれる。給油する石油の税割合は大きい。車両の更新費用は使い捨て経済そのものだから大きい。自動車による利便の獲得のために見えにくい隠れた費用が支出されている。2011年3月11日に発生して大地震では都心の自動車交通は機能を失った。経済とは人の暮らしである。人の暮らしは働くことで成り立つ。働いて得たものを消費する。自給自足の農業が人の暮らしをそのまま見せる。食を得て、衣を得て、住をえる。衣と住も縄文人は自分でまかなっていた。現代ではそれぞれが分離していて相互に依存する。100人でできている人の暮らしを想像するとよい。人はつつましやかに寄り添って暮らしているのが一番良い。自動車産業は、つつましやかな人の暮らしの循環と対比すると悪魔の経済によって動かされている。税制を含めた改革すべき事柄が多い。

(計量計測データバンク 編集部)

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交通事故などの裁判とその在り方
阿部恭子 犯罪加害者家族を支援するNPO法人理事長
走り、曲がり、止まるという車の機能にはさまざまな技術要素と交通事故(特捜検事部長のハイブリットレクサス「レクサスLS500h」の暴走事故)(計量計測データバンク 編集部)


2021年ノーベル物理学賞は物理法則により地球の気候を再現した真鍋淑郎氏ら三人

ロンドンを流れるテムズ川が1677年氷結したのを描いた絵画 犬と子供がはしゃいでいる
地球温暖化論争 部分を測ったことで全体を推し量る手法に誤りはないか

東京大学の考古学教室では現在を温暖化の最終期であり気候サイクルによってこれから寒冷化に向かうとあっけらかんに語る
気候力学とシステム図 北海道大学大気海洋物理学・気象力学コース
科学知識は突然にしてくつがえる 海藻のヒジキが鉄分含有率が高いのは煮る鍋が鉄性であったためであった

計量計測のエッセー 
( 2018年1月22日から日本計量新報の社説と同じ内容の論説です)

カーボンニュートラルという虚構政策

web情報総合サイト(計量計測データバンク)
原子力を知る
 ├原子力発電と福島第一原発事故がもたらしている被害の現実-その2-
 ├原子力発電と福島第一原発事故がもたらしている被害の現実-その1-
 ├放射線と健康被害 原発被害が及ぼす社会影響とどのように向き合うか(計測はモノをみる目である 計測からみた原子力事故と地球環境)
 ├東京電力が福島第二原子力発電所の廃炉を決定
 ├日本の原子力発電所の現状-その1-
 ├放射線の単位であるシーベルトとベクレルとグレイの関係
 ├福島原子力発電所事故と放射性物質そして放射線測定
 ├地震と津波と活断層などを知る-その1-地球物理学者島村英紀氏(元北大教授)の知見


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2020年度東大卒業者就職先 学部卒は楽天が院卒はソニーがトップ

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交通事故などの裁判とその在り方

和歌山毒カレー事件のことを調べておりました(計量計測データバンク編集部)

2021年 機械設計技術者試験 2021年11月21日(日)実施 全国17会場 日本機械設計工業会主催

砒素鑑定で計測値を100万倍して対数グラフで表示して似せる手法が使われた(犯罪の証拠とされた砒素鑑定の成否を検証する資料集)

テキスト文書に変換した文書「和歌山カレー事件ヒ素事件鑑定資料蛍光X線分析 河合潤」(2020年1月31日計量計測データバンクニュース)

和歌山毒カレー事件とその真相(犯罪の証拠とされた砒素鑑定の成否を検証する資料集)

砒素鑑定で計測値を100万倍して対数グラフで表示して似せる手法が使われた(犯罪の証拠とされた砒素鑑定の成否を検証する資料集)

鑑定の計測値を100万倍して対数をプロットして同一であると見せかけた(指摘したのは河合潤京大教授)

論文 和歌山カレー砒素事件鑑定資料―蛍光X 線分析 河合潤 pdf

テキスト文書に変換した文書「和歌山カレー事件ヒ素事件鑑定資料蛍光x線分析 河合潤」(2020年1月31日 計量計測データバンクニュース)

砒素鑑定の計測値を100万倍して対数をプロットして同一であると見せかけた(指摘したのは河合潤京大教授)

佐藤優氏によるカルロス・ゴーン事件の分析(2020年1月17日ラジオ放送より)

逃亡直前のゴーン被告が語ったこととは 郷原弁護士が会見(2020年1月22日)(動画・YouTube)
元東京地検特捜部検事の郷原信郎弁護士が、22日午前11時から日本外国特派員協会(東京・千代田区)で記者会見する。郷原弁護士は昨年11月から12月にかけて、日産自動車元会長のカルロス・ゴーン被告に5回面会し、計10時間以上にわたってインタビューを実施。ゴーン被告がレバノンに逃亡する直前に語った内容を明かす。

テレビ東京ニュース 2020年1月8日ベイルートでカルロス・ゴーン氏会見 2時間34分 動画・YouTube。

カルロス・ゴーン氏の2020年1月8日ベイルートでカルロス・ゴーン氏会見の要旨。

カルロス・ゴーン氏の動画声明の全文(2019年4月9日、弁護団側の翻訳)(計量計測データバンクニュース)(2020-01-08-full-text-of-carlos-ghosns-video-statement-translated-by-lawyers-on-april-9-2019-metrology-data-bank-)

計量計測データバンク2019年12月11日付けニュース(2019-12-11-weighing-data-bank-news-december-11-2019-

田中館愛橘とその時代-その13-(田中館愛橘と高野瀬宗則と関菊治)
明治24年から二年間だけあった物理学校度量衡科の卒業生68名のなかに関菊治がいた


田中館愛橘とその時代-その12-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
関菊治が修業した物理学校度量衡科と物理学校創立した東京大学仏語物理学科卒業の同志21名のことなど。

田中館愛橘とその時代-その11-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
物理学校の度量衡科を卒業した明治7年(1874年)生まれの長州人、関菊治(大阪府権度課長)

田中館愛橘とその時代-その10-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
高野瀬宗則の権度課長着任と度量衡法制定(メートル条約締結と連動する日本の動き)

田中館愛橘とその時代-その9-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
高野瀬秀隆と肥田城の水攻め(高野瀬宗則とその先祖の高野瀬秀隆)

田中館愛橘とその時代-その8-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
彦根藩主の井伊直弼(大老)による安政の大獄

田中館愛橘とその時代-その7-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
井伊直弼の死を国元へ伝える使者の高野瀬喜介、子息は高野瀬宗則

田中館愛橘とその時代-その6-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
日本の近代度量衡制度を築き上げるために農商務省の権度課長に指名された高野瀬宗則

田中館愛橘とその時代-その5-(東京大学の始まりのころと現代の高等教育の実情)
日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その5-

日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その4-

日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その3-

日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その2-

日本物理学の草創期にその後日本の物理学を背負う多くの偉人を育てた日本物理学の祖である田中舘愛橘(たなかだて あいきつ)をさぐる。-その1-田中舘愛橘が育った江戸から明治にかけての日本の状況(執筆 横田俊英)

初版 物理学者で日本人初の国際度量衡委員の田中舘愛橘-その1-(執筆 横田俊英)

計量計測データバンク2019年12月11日付けニュース
2019-12-11-weighing-data-bank-news-december-11-2019-

2019近畿計量大会2019年11月16日、びわこ大津プリンスホテルで開く(開催日時:2019年11月16日(金)13:00~19:00
2019近畿計量協議会YouTube(2019年11月16日滋賀で開催)。YouTubeの動画です。
現場の計測管理 第12回座談会(日本計量新報社 計量計測データバンク主催)
計量計測データバンクが紹介する計量計測技術センター)(計量計測データバンク・ニュース)(2019年10月28日現在)
吉野彰氏リチウムイオン電池の開発功労で2019年ノーベル化学賞(計量計測データバンクニュース)
ノーベル化学賞吉野彰氏2019年
売り買いの妥当性がネットオークションを成立させた
放射線の測定に関係する資料を渉猟しておりました 執筆 日本計量新報編集部 横田俊英
計量法の検定対象機種に新たに追加された自動ハカリに関係する法規定】(編集部)
東京都計量検定所が自動はかりの法規制の説明会2019年3月12日実施
2019年3月6日計量器コンサルタント協会第2回技術研修会「自動捕捉式はかり」の説明を受ける
(資料) 日本の地方の計量協会など【分類2】[a-1]「計量計測データバンク」社会の統計と計量計測の統計
新潟県計量協会が3月6日に13回指定定期検査機関の日の式典施行。役員ほか総参加者31名で指定定期検査機関推進宣言を唱和。
新潟県計量協会が平成31年3月6日(水)第13回指定定期検査機関の日の式典施行
2019年(第17回)計量士全国大会全国大会(2019年2月22日、福岡市の西鉄グランドホテルで開催)報道特集-総合編-
2019計量士全国大会写真集-その1-(2019年2月22日、福岡市の西鉄グランドホテルで開催)
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2019計量士全国大会写真集-その3-(2019年2月22日、福岡市の西鉄グランドホテルで開催)
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2019計量士全国大会写真集-その5-(2019年2月22日、福岡市の西鉄グランドホテルで開催)
2019計量士全国大会 ユーチューブ 動画集-その1-(2019年2月22日、福岡市の西鉄グランドホテルで開催)

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