ローマ時代の鉄の価格 新井宏(日本計量史学会理事)
写真は高原の大きな気になる木(本文とは関係ありません)
(タイトル)
(本文)
三十年以上も前から、世界各地、各時代のいろいろな金属の生産量や価格の歴史を調べている。
基礎的で重要な歴史項目であるから、どこかに資料がまとまっているはずだと探しまくった。しかし、どうやら世の中にそんな表や資料を作った方はいなかったようである。
もちろん特定な金属、特定な地域、特定な時期の資料について纏め上げた資料は散見されたが、それらを集成したものは全く見当たらない。思うに、それらをただ収録しただけでは、空白部分があまりにも多く、とても一覧性のある資料にはならないからであろう。
学者は専門分野に忠実かつ微視的であり、論証できないことまで手を広げない。しかも、生産量や価格と簡単に言っても、よほど計量史や考古学に精通しないと手も足も出ない。当時の重量や容量、通貨の単位が判っても、それが現代に換算するといくらになるのかさえ難しい問題なのである。
それなら私がやってみようとライフワークとして取り組んでいるが、遅々として進んではいない。
しかし、永年にわたって集めた文献や史料はかなりな水準で、「浅く広く」と言うならば、おそらく他に類例を見ないであろう。
もちろん、「最大のネック」は古代にある。例えば、ローマ時代の「鉄の価格」を示す史料は、つい最近までどうしても見つけることができなかった。
一言で「鉄」と言っても、種類も多いし、用途、形状も種々雑多で、その当時の通貨単位で価格が分かったとしても、金銀や穀物、労賃、生活費との関係が簡単に分かるわけではない。そんな困難な状況の上に、ローマ時代を通じて「鉄の価格」は一件も知られていなかったのである。
ところが最近、ついに一件だけではあるが、ハドリアヌス帝(一一七~一三八年)が英国の北部平原に築かせた一二〇キロメートルの長城跡から鉄価格を示す貴重な史料が見つかった。
それはイギリスのくびれた部分、西部カーライルから東部ニューカッスル・アポンタインに至るハドリアヌス長城の中間点にあるヴィンドランダ要塞から出土した八五三枚木片の第一八三番に「鉄九〇ポンドが三二デナリウム」と読み取れる内容が記されていたのである。
当時のポンドやデナリウムを調べて、解釈して見ると、「鉄三〇キログラムが銀貨重量で一二五グラム」、すなわち、鉄は銀の二四〇分の一の価値となる。ちなみに、中国の前漢期には二四〇分の一、日本の奈良時代には二八〇分の一、英国の十三世紀には三八〇分の一と推定していたので納得できる値である。
賢帝と称された皇帝ハドリアヌスが、ローマ帝国の最果てに築いたヴィンドランダ要塞からは、実に様々なものが発掘されているが、そこからは、最果ての辺境で、想像を超えて優遇されていた兵士たちの日常と、肥大化した軍事大国の姿がうかがえると言う。
さあ、永年探し求めていた史料が一件だけではあるが、見つかった。
そして、昨年末『たたら研究』に一三頁にも及ぶ長文の論文を載せた。たった一件の史料から、十三頁の論文を書いた筆者の心意気を評価して貰いたい。
(執筆 新井宏 前韓国国立慶尚大学招聘教授、元日本金属工業常務、金属考古学、計量史、日本計量史学会会員 2017年7月)
ローマ時代の鉄の価格 新井宏(日本計量史学会理事)