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学校歴は人の仕事能力の表現形式ではない
人の能力測定の不確かさ 三割三分三厘で分布する試験の結果

キャリア官僚がする仕事を代行しているうちに似たことができるようになった女
School history is not a form of expression of a person's work ability
学校歴は人の仕事能力の表現形式ではない

学校歴は人の仕事能力の表現形式ではない
School history is not a form of expression of a person's work ability

学校歴は人の仕事能力の表現形式ではない

学校歴は人の仕事能力の表現形式ではない

写真は日比谷公園側からみる霞が関の官庁街。


写真はノイマン型コンピュータとジョン・フォン・ノイマン

特別な頭脳の持ち主であるジョン・フォン・ノイマン。アインシュタインも認める天才、ジョン・フォン・ノイマンとはどんな人物だったか。ジョン・フォン・ノイマンは、1903年12月28日、ハンガリーのブタペストで生まれた。幼い頃から神童と呼ばれていた。電話帳を1冊暗記できるほどの記憶力の持ち主であった。8歳の時には微分積分をマスターしていた。ジョン・フォン・ノイマンはどんな学問でもできた。自分の好きな数学を選び、ブタペスト大学、スイス工科大学、ベルリン大学の3大学に同時に在学し、数学と化学の学位を取得。大学卒業後、ドイツのゲッチンゲン大学に職を得た。1920年代のゲッチンゲン大学は量子論の世界でも屈指の研究期間であり、ノイマンも量子論の研究をした。ノイマンは新しいものが好きのだった。当時のヨーロッパの古い体質が合わなかったこともあって、ゲッチンゲン大学大学の教授の地位は得られなかった。チャンスを求めてアメリカに渡った。ノイマンはプリンストン大学で仕事を得る。そこでアインシュタインらとともに研究に従事する。ノイマンはアメリカの市民権を得る。このころドイツではナチスが第一党となっていた。ユダヤ人であるノイマンはドイツには戻れないのでアメリカで働くことにした。最初の仕事は弾道計算を行うためのコンピュータを開発することであった。ドイツ軍のエニグマと呼ばれる暗号作成機の解析を行うなど軍事研究に携わる。エニグマの暗号解読には英国のアラン・チューリングらが成功し、その機械がチューリング・マシンである。ノイマンは原子爆弾開発プロジェクトであるマンハッタン計画に参加する。アインシュタインは、自らの発明や仕事に対して、自ら責任をもつ必要があると言い続けていた。ノイマンは、科学者は生み出したものの使い道を考えるのには適さない、と言ってる。自分の研究結果がどのように使わるかにイマンは口を出さなかった。コンピュータや核兵器の開発に携わっていたが、ノイマンは穏やかで人に好かれた人物だった。天才と言われていたノイマンはあくまで一人の科学者、一人の人間だった。フォン・ノイマン型のコンピュータこそが今のコンピュータのスタンダードである。現在のコンピューターは、プログラムをデータとして記憶装置に格納し、実行する方式をとっている。この方式がノイマン型コンピュータと呼ばれる。世界最初のノイマン型コンピュータは1949年にイギリスで開発されたEDSACである。1942年に世界最初のコンピュータABCが開発されたが、計算をするたびに真空管の配列や配線を変更しなければならなかった。世界最初のコンピュータABCは汎用性のないコンピュータであった。イマンは、プログラムからハードウェアを独立して実行させる方式を考え出した。ソフトウェア(プログラム)という概念をこの時に誕生させた。ノイマン自身もノイマン型コンピュータEDVACの開発に加わっていたが開発が遅れたために、イギリスのEDACが世界初のノイマン型コンピュータとなった。EDVACの基本設計はジョン・エッカートとジョン・モークリーによって考案された。ノイマンは途中から参加していた。ノイマン型コンピュータといわれてるのは、EDVACは軍事機密として開発されていたためメンバーを公表しなかった。ノイマンがEDVACの論理的側面をまとめた論文を発表したことで、その機械がノイマン型コンピュータとして周知された。ノイマンはノイマン型コンピュータの着想をまとめて数学的に裏付けを与えた人であった。実際の開発者は別だった。

(タイトル)
学校歴は人の仕事能力の表現形式ではない

(本文)

第一章 学校歴は仕事の能力を表示はしない

第1話 学校歴、学部歴、学科歴は人の仕事能力の表現形式ではない


 ある学校のある学科を卒業していれば所定の仕事ができる、というのは社会のがわの誤った認識ではないのか、という疑問が拭えない。ある学校のある学科に入学し卒業するということは入学試験に通って、単位を取得したということである。このことによってその学科にまつわる世間に配置された仕事ができるということが想定されている。

 ところがどうだろう。その学科に見合う職に就いている優秀な者には、後輩たちの未熟さが眼に余る。何という馬鹿な者たちだ。入社試験の予備面接を任された優秀な者の同門の後輩を見る眼だ。予備面接者は旧帝大の数学・情報系修士を終えて昔は三公社であった企業で何年か働いている女である。500人にもなる新入社員の代表として会社への誓いを立てる役割を充てられた。新人研修では腰に工具を吊したベルトを巻いて電柱に登った。幹部候補の職歴を踏んでいて研究分野の仕事にも関わる。その女は同門の後輩の品定めをする業務をする。女は言う半官半民の会社であり会社の要職の一部には天下り官僚が座る、と。親は安定した仕事が良いと考える。

 理数系が得意で好きな女は修士課程を終えて職を選ぶときに製鉄の分野にするか、情報通信か、考え半官半民企業の情報通信企業を選んだ。親の意向が働いていた。修士課程修了者には入社のための試験は事実上はなく、好みによって就職先を選ぶことができた。職をこなすことができている女の眼には同系統学科の学部新卒者は幼くみえた。話すと新卒者の能力の怪しさがわかる。予備面接を通過させて人事担当に回した者は三分の一であった。学部と学科が想定する卒業者の能力は、仕事の現場の立場からは三分の一の者を容認するに留まる。学部の学科が鍛えるはずの訓練は多くの場合には成果を収めていない。女は生意気にもこのように結論づけた。

 回りくどい言い方をしているが世のなかには駄目な者が多いということである。学校歴、学部歴、学科歴は人の仕事能力の表現形式ではない。多くの場合それに見合う能力を備えていない。

第2話 人の能力を評定する試験制度と不確かさとしての三割三分想定

 世の中は能力の判定のために問題を作成して試験をする。試験の点数の順に優劣を付けて、高得点者を優秀者として採用するのが公務員試験である。にわかには解き難い択一式の試験問題を解き明かして胸を張る人が、公務員として配置された職場で仕事が出来るかというと三分の一は駄目である。三分の一はまずまずであり、三分の一はいなくてもよい者だ。これが公務員のようすである。同じことはさまざま職場で普通に起きている。公務員試験の択一式問題の意図をにわかに判断して正解を選択するには訓練が要る。過去問を繰り返し解いて慣れることが公務員試験で高得点を取る方法だ。この訓練を積んだ者が国家公務員総合職に合格した者たちなのだと古賀茂明氏は言う。

第3話 韓国の天才少年のその後の人生

 人の能力は賢くもない人が設問した試験問題によって計れるものではない。1960年代にマスコミをにぎわした韓国の天才少年は米国の教育機関で特別な扱いを受けていたが大学に進学するころには韓国に戻って特別ではない大学を選んだ。卒業後は韓国の国立研究機関に勤務し取り立てた業績を挙げるでもなく平凡に暮らしている。一時期、年齢にそぐわない優秀な頭脳を示しても何時しか集団のなかの普通の状態に沈んでいく。飛びぬけた少年の才能は得てしてそのようである。韓国の天才少年のその後の人生だ。特別扱いが苦痛であった少年は平凡であることを望むようになっていた。

第4話 その1 一つずつ踏みしめて登っていく能力は才能の最たるもの

 目の前にある課題なり仕事なりを一つずつ何とかこなしてある高みまで登っていくのは才能といえる。学問にしても仕事にしても、いきなり高度なことはできない。一つずつ踏みしめて登っていく能力は才能の最たるものである。アインシュタインであってもそれまでの物理学、電磁気学を学んでいなければ相対性理論を考案することはできなかった。エジソンは1%のひらめきと99%の努力の結果の発明だと言った。新制の中学校をでたたけでその後は努力らしい何事もしないでノーベル物理学賞の領域まで能力を高めることができる人はいない。インターネットの普及で東京大学の授業を普通の人が見ることができるようになったから今後のことはわからない。その場合であっても人は学ぶことへの努力なしにはその道の能力を高めることはできない。

第4話 その2 時間限定の試験によって人の能力をはかることは難しい

 日本では何時のころからか人の能力を理系と文系とに分けるようになった。米国をはじめとして諸外国では理系と文系を一人の人が行き来して学問をし、仕事をすることが希ではない。数学の学習能力が備わらないために文系に進路を取るのが日本の一般の人々である。数学は段階を踏んで高みに登っていく学問である。数理に特別な才能がなくても訓練すればそれなりに力を付けることができる。算盤(そろばん)は数理なのかどうか定かではないが習えば皆ある程度まで能力を高めることができる。算盤式の暗算ができないために答案作成に倍の時間を要して全問の回答をできない者がいる。公式の暗記を怠ったために試験会場で公式を導き出す作業をする者もいる。時間限定の試験によって人の能力をはかることは難しい。

第5話 数学から数理経済学に転身した宇沢弘文氏

 数学の階段を登っていた人が数理経済学に転身することがある。宇沢弘文氏は東京大学数学科を卒業した後に、戦後日本の苦境にあえぐ国民経済の役に立ちたいと考えて経済学に移った。米国ではミルトン・フリードマン氏がその代表である。フリードマン氏はラトガーズ大学で学士号を取得後、数学と経済学のどちらに進むか迷う。世界恐慌の惨状を目にしたため経済学を選んだ。シカゴ大学で経済を専攻し修士号を、コロンビア大学でサイモン・クズネッツ氏(1971年ノーベル経済学賞受賞)の指導を受け博士号を取得した。フリードマン氏は宇沢弘文氏の先輩格でシカゴ大学で教鞭を執っていた。新自由主義の経済学を打ち立てて米国政府の政策に大きな役割で関わった。宇沢弘文氏は数理経済学でノーベル賞級の業績を挙げていた。大学の同僚であるフリードマン氏の血も涙もない経済学を嫌悪した。ベトナム戦争に反対していた宇沢弘文氏は東京大学に移ってやがて経済学部長に推されてその職に就任した。米国の経済学者が類似の業績でノーベル賞を贈られたから宇沢弘文氏の業績は相当なものであった、のちに宇沢弘文氏はフリードマン氏の経済学の反対方向に向かう。その重要なきっかけは水俣病患者救済への関わりであった。

第6話 その1 数学から数理経済学に転身した宇沢弘文氏が打ち立てた社会的公共資本概念

 経済学者となったフリードマン氏は、義務教育、国立病院、郵便サービスなどは、公共財として位置づけるのではなく、この部門にも市場を通じた競争原理を導入する政策を説いた。小泉純一郎内閣は郵政民営化などでフリードマン氏の新自由主義政策を実行する。大阪府では大阪維新の会の知事が公立病院を解体した。後に新型コロナウイルス新型コロナウイルス感染症COVID-19の猛威に対して医療が対応力を失うという事態を招く。大阪府知事、大阪市長には弁護士経験を売り物にする人物が就任して新自由主義に基づく政策運営をしてきた。政治の世界に踏み出す弁護士たちの社会観形成に危うさがある。社会を総体としてどのように理解するかは大事だ。人は流行の論理に惑わされて意識を決定する。自己の意識が絶対となるとその意識だけで突っ走る。

 人格修養と学識や知性を育むための教育課程として重んじられたのが旧制高等学校におけるリベラル・アーツであった。教養や知性を鍛えないままに専門課程に進み、そのうちの一つとしての法曹資格を得るために司法試験に合格して弁護士になる者が多い。弁護士というだけで世間はその人を高く評価する。高い評価は選挙にでると大きな票につながる。弁護士試験は公務員採用試験と同じで択一式で行われ加えて論文試験がある。公務員採用総合職試験にも論文試験がある。採用された公務員におけるできる者とできない者と普通らしい者との三分の一分布は弁護士にも当てはまる。人権感覚が欠落した法曹関係者は多い。学校教育における人格陶冶は大事であるが、これは家庭教育で形成されるようだ。偏差値偏重、点数主義の受験環境は情けも容赦もない弁護士を生み出す。国家公務員における国民のためになりふり構わず尽くすという古賀茂明氏が分類するところの消防士型は弁護士にはいないか、絶滅状態だ。弁護士は検察と裁判所と一体になって犯罪者を創り上げる組織構造として組み付けられている。この枠からはみ出すことができる弁護士や裁判官はほとんどいない。

第6話 その2 数学から数理経済学に転身した宇沢弘文氏が打ち立てた社会的公共資本概念

 宇沢弘文氏はフリードマン氏と同じシカゴ大学で経済学教授として勤務していた。フリードマン氏らの血も涙もない冷血な新自由主義経済学の姿を目の当りにする。一方で大学院大学であるシカゴ大学の少なからず学生が殺戮の現場であるベトナム戦争に兵士として駆り出さる恐怖から精神を崩壊させていた。宇沢弘文氏は米国の戦争政策に幻滅したために米国での経済学の教職に留まることができなかった。旧制高校で医学部への道を歩んでいた宇沢弘文氏は経済学者として水俣病にかかわるうちに医学を目指したころの意識が再度芽生えた。公害を起こさない起こさせないための社会政策として社会的共通資本の概念を打ち立てた。大気や水道、教育、報道など地域文化を維持するために欠かせないのが社会的共通資本である。フリードマン氏の主張する効率重視の過度な市場競争は、格差を拡大させ社会を不安定にする。日本の現代の社会格差と貧困の背景には新自由主義を元にした派遣労働と非正規雇用の蔓延がある。国家公務員や地方公共団体の職場でも派遣労働と非正規雇用の比率が高い。社会的共通資本の概念に立つ経済学と社会政策は、自由民主党の新自由主義経済政策への対抗軸になっている。

第6話 その3 宇沢弘文氏の旧制第一高等学校の盟友、後藤昌次郞氏との友情

 後藤昌次郎氏はある事件の弁護活動に関わったことから収入が途絶えがちになって四畳半一間で妻子と暮らしていた。1949年(昭和24年)8月17日に福島県の日本国有鉄道(国鉄)東北本線で起きた列車転覆によって運転手3名が死亡した松川事件の労働者被告の弁護活動期間中のことである。後藤昌次郎氏は松川事件の弁護団に加わっていた。1950年(昭和25年)12月6日の福島地裁による一審判決では、被告20人全員が有罪(うち死刑5人)、1953年(昭和28年)12月22日の仙台高裁による二審判決では17人が有罪(うち死刑4人)、3人が無罪となったが、裁判が進むにつれ被告らの無実が明らかになった。松川事件はGHQのキャノン機関が仕組んだ謀略であることが事実に近いようだ。後藤昌次郎氏は宇沢弘文氏と旧制第一高等学校の仲間であり、宇沢弘文氏が敬愛する人であった。後藤昌次郎氏は旧制第一高等学校文科および理科卒業、東京大学法学部を経て、1954年に弁護士登録。松川事件、八海事件、青梅事件などにかかわった。後藤昌次郎氏の著書に『冤罪』(岩波新書、1979年4月)がある。

 宇沢弘文氏はTPPつまり環太平洋パートナーシップ協定(英語: Trans-Pacific Partnership Agreement、略称: TPP)反対の運動を体調不良の状態にあった後藤昌次郎氏から頼まれて引き継いだ。宇沢弘文氏は不平等極まりないTPPを第三の開国だと述べている菅直人首相の無知ぶりに呆れかえる。黒船来襲にともなう日米修好条約、第二次大戦後の米国支配に次ぐのがTPPであり、これが第三の開国だという菅直人首相の言葉に憤(いきどお)る。枯れ葉剤が大量に撒かれたベトナムの農地における農業と、撒いたがわの米国の農業が区別なく同じ市場で競争するという理不尽に我慢がならなかった。米国は自己都合で2017年1月TPPから離脱したことで日本の農業は平穏を保たれる。後藤昌次郎氏は岩手県和賀郡黒沢尻町(現・北上市)生まれ。旧制黒沢尻中学校(現岩手県立黒沢尻北高等学校)から旧制第一高等学校文科に進み、東京大学法学部を経て、1954年に志をもって弁護士になった。黒沢尻町は北上川が緩やかに流れる穀倉地帯にある。現在は工場が多く建つようになったが農業地帯であることに変わりはない。氷河期のの地下水まで汲み上げて耕作する米国の農業と日本の農業を同じ土俵に載せることはできない。緑たやけき北上の景色は日本の農耕文化の産物なのだ。後藤昌次郎氏の消息は共同通信社、2011年2月14日付の記事「後藤昌次郎氏死去」が最後となった。 近ごろの日本の宰相は深い知識や知性を持ち合わせない。人品卑しき宰相が多い。

第7話 池波正太郎を徹底して真似て売れっ子作家になった人

 池波正太郎に憧れ敬服して池上正太郎になろうとした男がいた。高知県から上京して定時制高等学校を卒業したこの男は池上正太郎の文章を徹底して真似た。文章を真似ているうちに池上正太郎に類似する筋書きをつくり文章をそれにのせて売れっ子作家になった。

 真似ることは学ぶことでもある。日本語の学ぶは真似ぶからでているというが本当かどうか。真似ぶうちに真似ぶ対象に似るようになる。仕草はうつる。バカもうつる。賢い人に学べば賢くなる。真似ぶにはそのような原理がある。小説の世界で売れっ子になるためには夏目漱石に学ぶとよい。

第8話 キャリア官僚がなすべき仕事を代行しているうちに似たことができるようになった女

 ある女がいた。天下りしてくる旧帝大のキャリア官僚に代わって文章を書いているうちにその人に劣らない文章力と知識を身につけた。キャリア官僚は学校歴からは想像できないほどに能力が低かった。女は大学時代は文章を書けなくて苦しんでいたのに今では自信がついた、と言う。

 文章は書きこむほどにその人の能力を高める。文章力のみならず東大か京大かを卒業したキャリア官僚がなす仕事を引き受けているうちに類似する能力が備わることがある。高等学校卒業のノンキャリア職員が霞ヶ関の官庁に勤務し夜間大学を卒業して先輩の官僚の仕事を習い覚える内にキャリア官僚に負けない仕事ができるようになる事例には事欠かない。キャリア官僚がなすべき仕事を続けているうちに女はキャリア官僚の仕事を真似ることができるようになった。女は人の薦めがあって霞が関の国家公務員の係長級の採用試験を受けた。自らは期待もせず周囲もさしたる関心を寄せないなか女は、何事もなかったように試験に通って入省した。何カ月か後に10倍する競争者がいたことが内々に発表された。

第9話 霞が関の国家公務員係長として採用された女は派遣社員の身分を経験していた

 女は霞が関に勤めるようになったことを人には言わない。同じ大学の法学部を卒業して公務員試験を梯子して何年か後に東京都の中核市に潜り込んだ知り合いの女に霞が関勤務のことを話した。すると驚くほどに冷めた返答があった。女は同じ職場にいた別の女の知り合い二人と食事をした。今の生活を聞かれて霞ヶ関勤務を話すと出世頭じゃんと言われた。しかしその場の空気には刺(とげ)が混じった。二人のうち一人はその昔に派遣社員の仲間であり、一人は派遣先職場の正規職員であった。霞が関に勤務するようになった女の悲しみは、一緒に派遣されている仲間があっさりと職場から去ることであった。この悲しみは深い。世間を恨む気持ちが募るほどだ。友人と考えていた女友だちとの二つの事例があったあと、女は霞ヶ関の職場のことを口にしない。

第10話 霞が関キャリア官僚OBは女に貴女は頭が良すぎるよと言った

 霞が関に勤めるようになった女は会計を含めた四台のパソコンを同時に操作していた。配属は会計係であるものの予算と事業をも扱った。事業では論文に似たリポートの作成、解説図書の出版の仕事もした。渉外の仕事もキャリア官僚OBに代わってした。キャリア官僚OBには貴女は頭が良すぎるよ、もう少しゆっくりするように、と言われていた。それが揶揄(やゆ)なのかキャリア官僚OBの自己弁護なのか女にはわからなかった。

第二章 確かな学力、豊かな人間性、健康と体力の3つの要素で構成される生きる力

第1話 知性の持ち主は話しを聞き書いたものを見ればわかる


 茂木健一郎氏の言葉は脈絡がないので何を言いたいのか不明である。その茂木健一郎氏は知性を次のように語る。

 圧倒的な知性の持ち主は、紙のテストなしでも、話しを聞き書いたものを見ればわかる。面倒くさいことに粘り強く取り組んでいると脳の回路が活動し社会的感受性は上がる。大事なのは社会的感受性だ。組織の人員が互いに能力を補い合うと組織的感受性が向上する。

第2話 確かな学力、豊かな人間性、健康と体力の3つの要素で構成される生きる力

 文部科学省が述べることは胡散臭(うさんくさ)い。前川喜平氏は文部科学省事務次官の職を謀略によって追われた。前川喜平氏は初等中等教育分野で仕事をしてきた。事務次官になることは別にして初等中等教育分野の責任者にはなりたかったと述懐する。次の文章は前川喜平氏が関わってできた。確かな学力と生きる力の捉え方である。前川喜平氏が関わった文章であれば信用できる。

 生きる力とは、変化の激しいこれからの社会を生きる子どもたちに身に付けさせたい確かな学力、豊かな人間性、健康と体力の3つの要素からなる力である。確かな学力とは、知識や技能はもちろんのこと、これに加えて、学ぶ意欲や自分で課題を見付け、自ら学び、主体的に判断し、行動し、よりよく問題解決する資質や能力等まで含めたものである、としている。

第3話 自ら学び、主体的に判断し、行動し、よりよく問題解決する資質や能力が、確かな学力だ

 確かな学力、豊かな人間性、健康と体力の3つの要素は生きる力の基になる。知識や技能はもちろんのこと、これに加えて、学ぶ意欲や自分で課題を見付け、自ら学び、主体的に判断し、行動し、よりよく問題解決する資質や能力が、確かな学力である。このような力を備えている東京大学を卒業した人は優秀である。前川喜平氏は中高一貫校の麻布から東京大学法学部に進み、インド仏教の虜(とりこ)となったためにに二年余計に大学で過ごした。二年の留年は国家公務員の現在の総合職の受験資格を満たしていたために、受験すると一桁の順位で合格して文部省に入省した。知性と教養を備えた前川喜平氏に魅了される人は多い。古賀茂明氏も偶然ではあるが前川喜平氏と同じ経路で通産省に入省し、審議官で勇退した。

第4話 茂木健一郎氏が考える知性とその周辺

 茂木健一郎氏は知性とは何かを次のように語る。2012年02月27日の時点のことである。

1、才能とは「非典型的な知性」であり、これこそが国際社会で求められている。
1、知性のあり方、学力観を問い直さないと、日本の将来は危ない。
1、自然科学者が英語、文系学者が日本語で研究することが相互交流を分断している。
1、TOEICという検定試験のようなもので英語力をはかるのはおかしい。
1、英語を学ぶ真の意味は、世界の知の競争や現場の息吹を知るためである。
1、圧倒的な知性の持ち主は、紙の上での試験なしでも話してみて、書いたものを見ればわかる。
1、遺伝の相関係数は平均50~60%、あとは環境によって決まる。
1、スティーブ・ジョブズのように「欠落」が非典型的な知性をは育むこともある。
1、美人は収束進化、皆の顔を平均的にしたものである。天才は収束的でなく、脳の特定部位の部分最適による。
1、大事なのは社会的な知性であり、社会的知性は組織で互いに能力を補い合うことで、素晴らしいものを生み出す。
1、面倒くさいことを粘り強く追いかけていると、脳の回路がよく活動し、社会的な知性や組織全体としての知性が向上する。
1、非典型的な知性の育み方は事例ごとであり、脳科学的にも不明だ。
1、情熱(パッション)(受難が語源)は、苦しんだ人、欠落した人が持つものだ。
1、天才は、意識が押さえている無意識をうまく「脱抑制」できるた人に備わる。
1、何が起こるかわからない状況にも適応できる知性を如何に育むかが大事だ。

第5話 脈絡がない茂木健一郎氏の思考方式に翻弄される

 茂木健一郎氏の言葉は脈絡がないので何を言いたいのかわからない。茂木健一郎氏は知性を次のように語る。前述のことの繰り返しになるが次が茂木健一郎氏の考えている知性だ。

 圧倒的な知性の持ち主は、紙の上での試験なしでも話して、書いたものを見ればわかる。面倒くさいことを粘り強く追いかけていると、脳の回路が活動し社会的な知性あるいは組織全体としての知性は上がる。大事なのは社会的な知性あるいは組織全体としての知性であり、これは互いに能力を補い合うことで素晴らしいものを生み出る。脈絡がないことをいう人の言葉は話半分に聞いているしかない。半分聞いて半分聞かない。大概は嘘であろうと思って聞いていればよい。

第6話 紙上の設問への教科判定で人の能力は計れない

 その人はどのような仕事ができるのか。その仕事はどのような人がしているのか。人と仕事のことを考える。人と仕事の能力を考える。仕事に求められる人の能力を考える。

 教科判定で人の能力は計れない。能力を計れない教科評定で計った人の評定は間違っている。その正答率はどうか。三割三分駄目な人がいる。三割三分はどちらとも言えない人である。三割三分はまず大丈夫だろうという結果になる。教科評定と仕事への適正としての人の能力を観察するとこのような三割三分三厘という三つの割合がでてくる。

第7話 見込みがなければ親方が少年に引導を渡す

 仕事はやらせてみなければできるかどうか分からない。13歳で大工の仕事に就いた少年は鉋(かんな)かけの作業をさせられる。鉋で板面を綺麗に仕上げるには腰つきと腕との相互作用を会得しなくてはならない。切れる歯にするために歯研ぎをしなければならない。仕事の動作が板につくには5年、10年の年季が要る。大工仕事は13歳で修行を始めないとものにならなかった。

 仕込めば何とかなるものであるが少年に根気がなければ仕事は板につかない。見込みがなければ親方が少年に引導を渡す。引導が渡されるころには少年は成人(20歳)しているかもしれない。一人前と世間に認められた大工は修行を積んだ人である。棟梁には誰もがなれるのではない。駄目な大工をたたき大工という。家に戸板をはたき付けることぐらいしかできない大工である。

第8話 自然と遣り取りする行動が人の労働である

 1960年代の高校入試は9教科であった。数学と英語で点数が取れない人でも他の科目で補って大学進学率の高い学校に入学できた。現代の大学入試は私立大学では1教科というところがある。3教科が普通である。文系は英語、国語、社会であり、理系は三つのうちの一つに数学か物理が含まれる。

 上級学校への進路が教科学習の評定で決定される。人の能力は教科学習では評定あるいは判定できない。人の生活は家事労働、農業や工業などの生産労働、事務労働など多岐の労働からできている。人の生活とは食べ住まい纏(まと)うといった衣食住によってできている。狩猟や農耕の労働が主体であった時代の人の生活があった。ここには漁労も含まれていた。自然と遣り取りする行動が人の労働であった。

第9話 「教養とは相手を理解することである」という養老孟司氏への教え

 養老孟司氏が教養の定義を語る。養老孟司氏が尊敬する東大医学部教授に教わった言葉だ。教養とは相手を理解する能力だ、と定義する。にわかに意味を理解することはできないが含蓄に富む言葉であるから折に触れて反芻(はんすう)してみることだ。

第10話 学問・知識を基礎とした心の豊かさが辞書による教養の定義

 辞書風な教養の定義は、学問・知識を基礎とした心の豊かさ、である。一定の理想のもとに学問・知識をしっかり身につけることによって養われる、心の豊かさが教養であると定義される。

第11話 旧制高等学校におけるリベラル・アーツとしての教養

 横浜市立大学は教養の定義は問題解決能力であるとする。教養課程の意義と役割の解説を求められた教員があれこれの言葉を繋ぎ合わせて呻吟(しんぎん)する。この人は旧制高等学校におけるリベラル・アーツを知らない。将来は国を動かす要人になる人にふさわしい知識と知恵を身に着けることが求められ、この知識と知恵は教養の元をなす。国全体が同世代人口の0.5パ ーセ ントほどの人々(旧制高校まで進んだ比率)に命運を託し、託された者は教養を身につけるのにも必死であった、教養は暇学問と同義ではなく人として身に着けることが必至のものであった。人間性つまり情緒に富み慈悲深いことも教養に含まれる。

 横浜市立大学の教員は教養の説明に四苦八苦する。教養という言葉は大変に難しい言葉ですと前置きして、教養とは 問題解決能力であると結論付ける。このための説明に脈絡はない。教養を語る横浜市立大学の教員には知性も知識も備わっていないようであった。現代の高等教育の現場の貧困を物語る。

第12話 Wikipediaによる教養の説明

 教養の考察をするためにWikipediaを開くと書かれているのは当らずもと遠かららずであり読むのには根気がいる。2021年5月13日時点でのWikipediaによる教養の説明である。Wikipediaはある事例を証明として引用して投稿すると以前の説明が大きく変わる。正反対になることも珍しくない。ウィキペディア(Wikipedia)が言う。

第12話 その1 教養とは個人の人格や学習に結びついた知識や行いのこと

 教養(きょうよう)とは、個人の人格や学習に結びついた知識や行いのこと。これに関連した学問や芸術、および精神修養などの教育、文化的諸活動を含める場合もある。一般に、独立した人間が持っているべきと考えられる一定レベルの様々な分野にわたる知識や常識と、古典文学や芸術など質の高い文化に対する幅広い造詣が、品位や人格および、物事に対する理解力や創造力に結びついている状態を指す。「教養」に相当するギリシア語は“パイデイア”であり、意味は「子供が教育係に指導されて身につけたもの」のことである。英語ではcultureで「粗野な状態から耕された、人の手を経たもの」、ドイツ語ではBildungであって「つくられたもの」のこと。それぞれに教養の捉え方に差がある。

第12話 その2 教養はリベラル・アーツとしてもとらえられる

 「教養」は、伝統的に、西欧の高等教育で扱われてきているリベラル・アーツに相当するものとしてもとらえられる。この起源もギリシア時代の自由人のための学問に起源を発する。しかし、現代の日本では「パンキョウ」(一“般教”養)という語に代表されるように、大学の専門課程よりも前の課程で習得されるべき広範な一般的基礎知識を指すことが多い。「あの人は教養がある」というように口語的に用いられる場合は、人付き合いや社交の場において、洗練された会話や身のこなしができる能力を示すことが多い。これには多分に人間的評価の意味が含まれており、逆に、「教養がない」という表現で「常識のない人間」や「品位や人格に問題のある人間」をそしることがある。しかし、これらは必ずしも正確なものではない。

第12話 その3 教養は博識に留まらず人間性という実を伴う

 「教養ある人間」、すなわち、教養人が相応の尊敬を得るのは、単に知識が豊富な状態(博識)に留まらず、人間性という実を伴うためである。仮に、現状の知識が乏しいからといって、その状況は非難される性質ではない。知識を求めて学ぶことで品位と人格を高めようとする心構えが重要と考えられる。教養の内容は時代・社会とともに変化する。また教養が成立するには社会の一定の範囲に共通の価値観が存在していることが必要である。以下に近代以前の伝統的な教養の例を挙げる。ヨーロッパの伝統的教養観は上流階級同士の社交界において洗練された振る舞いや会話を楽しむ能力、およびそれに必要な知識や文化的素養であった。

第12話 その4 教養は中国では四書五経を学ぶことや漢詩に通じることであった

 バルダッサーレ・カスティリオーネの『宮廷人』がその規範とされている。中国では科挙の権威を軸として、四書五経を学ぶことや漢詩に通じることが教養とされていた。日本では古代中国の影響を強く受けて四書五経や漢詩は伝統的に重要視されてきた。やがて日本独特の諸文芸や和歌がこれらと並ぶようになった。文人画などの絵画を自ら描くことも教養の一部を担っている。上記のように、古典に通じ、ハイカルチャーを身につけることが伝統的な教養の重要な要素であった。これらはいずれも人格向上の一助とされてきた。

第12話 その5 明治初期に教育体系が創出されると欧米の文物を学ぶことが優先され漢学は軽視された

 近代以降は出版技術の発達に始まり、大衆の地位・経済力向上などによる普通教育制度の確立、マスメディアなどの普及により大衆が教養を身につける機会は増加していった。明治初期に学制が定められ近代的な教育体系が創出されていったが、そこでは欧米の文物(特に科学技術など)を学ぶことが最優先とされた。日本の伝統的な教養の中心であった漢学は軽視され、欧米の教養であるギリシャ・ローマの古典に対してもそれほど関心は寄せられなかった。日本で題名に「教養」と冠した書籍として、『国民の教養』(加藤咄堂、1901年)が古い例で『女子教育家庭教養法』(秋山七朗ほか、1902年)、『嬰児教養』(子女教養全書、下田歌子、1902年)、『人格と教養』(青年修養叢書、大原里靖、1907年)などがある。20世紀始めころに、子供を教え養う教育法という意味と、人格に結び付いた教養という意味と、両者の用法で使われていた。

第12話 その6 教養としてカントの『純粋理性批判』や西田幾多郎の『善の研究』などの哲学書が必読であった

 明治末から昭和戦前期の旧制高校では読書による人格形成を目標とする教養主義の傾向がみられた。西洋哲学が流行し、カントの『純粋理性批判』や西田幾多郎の『善の研究』などの哲学書、文芸書は当時の必読書であった。また、教養主義という学生文化の牽引には、総合雑誌が大きな役割を果たした。『中央公論』『改造』『経済往来(日本評論)』等の雑誌に載る論文が読まれた。こうした総合雑誌や難解な哲学書をときには原書で読み、学生同士で夜を徹して議論をすることもあった。全国から学生が集まり、寮で共同生活を送る旧制高校においてお互いに見栄を張る要素もあったが、共通の会話を成立させ、互いの向上を図るものでもあった。

第12話 その7 夏目漱石門下の阿部次郎、寺田寅彦らは大正教養主義の立場にあっ

 夏目漱石は日本・中国・イギリスの古典、文芸に通じ、俳句や漢詩、書画もたしなむ教養人であった。漱石の周囲で育った阿部次郎、寺田寅彦らは個人の人格を重んじる立場で大正教養主義と呼ばれた。1938年、「現代人の現代的教養」を目的とした岩波新書が刊行されたが、岩波書店創業者の岩波茂雄も漱石門下であった。河合栄治郎は軍部が台頭する暗い世相の中で、学生を教養主義に生きるべく、『学生に与う』『学生叢書』を刊行した。『学生叢書』は昭和戦前期の教養主義のマニュアル本とされた。第二次世界大戦後、旧制高校が廃止され、かわりに大学の教養課程(教養部)ができたが、一種の人格の修練場であったかつての旧制高校の雰囲気・傾向は1970年代ごろまで続いた。『世界』『中央公論』『展望』『思想の科学』『朝日ジャーナル』『潮』などの総合雑誌は、これを読む学生は半数を超えるわけではないが(3割程度という)、これらは規範文化の確認と形成という役割を担った。

第12話 その8 戦後は丸山真男、林達夫、桑原武夫などが教養人になった

 大学の教養課程の科目は、一般教育科目を中心に、俗にパンキョウと呼ばれ、専門課程を迎える前に消極的に履修する必修科目群という扱いを受けることが多くなった。1958~1960年に刊行された叢書『現代教養全集』(筑摩書房)から当時の教養観がうかがえる。全集の内容は、戦後の社会、戦争の記録、マスコミ、日本人論、友情・恋愛・結婚、文学、日本の近代、日本の文化、経済、教育、宇宙時代など諸般の事物におよぶ。ここでは、日本・欧米の古典に通じるとともに、現代の政治・経済・社会に及ぶ諸問題に一家言を持つような人(丸山真男、林達夫、桑原武夫など)が「教養人」と考えられていた。

第12話 その9 教養主義はホワイトカラー人口と農漁村人口が逆転したことで廃れた

 1960年代ごろまで大学でみられたこうした教養主義は、高等教育がマス段階になり大学が大衆化していった変化、ビジネス技術学などが導入され始めた変化、ホワイトカラー人口と農漁村人口が逆転した変化とともに廃れていった。それにともなって、文化が持つ3つの作用「適応」(適合や実用性)、「超越」(理想主義)、「自省」(自身の妥当性・正当性・正統性を自問すること)のうち、適応が肥大化し、超越・自省が衰退していった。

第12話 その10 大学がマス化したので高等な大学院・博士課程に教養を求めるようになった

 大規模な対話型講義は哲学や倫理などの学問に向いており、大学や高校、中学でそれが広く行われることになれば、学生は「自分自身で考える」ことを学ぶことになり、それは哲学的思考が広がっていくことを意味し、現在軽んじられていく一般教養の復興につながり、それは新しい「知」が生まれる可能性の期待と、「美徳」の再生の期待をはらむ。大学がマス化していった結果、より高等な大学院・博士課程に教養を求める結果となっている。
(上はある大学関係者が自分の考え方を論文にしたものを元にWikipediaに投稿したのであろう)

第13話 知性について

 辞書は知性を次のように理解する。知性とは、物事を知り、考えたり判断したりする能力。

第三章 知性とは何か

第1話 ある辞書の説明 知性とは


知性とは、
1 物事を知り、考え、判断する能力。人間の、知的作用を営む能力。「知性にあふれる話」「知性豊かな人物」
2 比較・抽象・概念化・判断・推理などの機能によって、感覚的所与を認識にまでつくりあげる精神的能力。

第2話 Wikipediaによる知性の説明

 2021年5月13日時点でのWikipediaは知性(インテリジェンス)(英語: intelligence)を次のように説明する。

第3話 認知科学・心理学的な意味におけるインテリジェン

 インテリジェンス(英語: intelligence)は、知能・知性や重要な事項に属する情報のこと。諜報のことを表すこともある。認知科学・心理学的な意味におけるインテリジェンス。インテリジェンスは、知能やそれの働き、あるいは知能が働く上で利用する情報群などを内包した概念であるが、物を考える能力があるからといって、或いは情報が集積されているからといって、それがインテリジェンスの概念に相当する訳ではなく、その双方が揃って正しく機能することがインテリジェンスであると解される。

第4話 昆虫や微生物が外界を知覚してそれに即した行動は知性の働きではな

 知性は感覚器官で知覚された情報を、内部情報や様々な経験といったものと照らし合わせて、客観的(→主体)に的確な判断を下すことである。これは生物学などの視点から見れば程度の差こそあれ昆虫や微生物といった極小な生物でも普遍的に行っていることであるが、より高次の哲学など精神性や抽象的概念を論じる分野に於いては、昆虫や微生物が外界を知覚してそれに即した行動を行ったからといって、これが知性の働きによるものだとは認識されない。

第5話 イカの脳機能をコンピュータは実現できない

 今日我々人間が利用しているコンピュータを含む様々な機械や装置は、その機能を詳しく知る者にとって、昆虫など単純な動物の脳機能程度の複雑さしかなく、しかも自然界に存在する脳神経回路と比較した場合には、極めて限定された機能しか持たない。イカの脳をコンピュータとしてみた場合に驚くほどコンパクトで高速演算機能を備えている。

第6話 コンピュータの能力はまだまだ原始的な動物の脳ほどにも賢くはない

 イカの脳に比して、高度・高速な処理能力を有する人間の作ったコンピュータは相応の容積を必要とするなど、道具としてのコンピュータの能力はまだまだ原始的な動物の脳ほどにも賢くはない。人間の道具として作られたコンピュータは利用者が操作しやすいヒューマン・マシン・インタフェースを備え、また人間が理解できる形で情報を出力する機能をもち、人間が求める機能に特化して設計されているため“インテリジェンスである”と認識される。

第三章 学力について

 辞書は学力を次のように理解する。学力とは、学習して得た知識と能力。特に、学校教育を通して身につけた能力。高等学校卒業程度の学力がその事例。

第1話 ベネッセ教育総合研究所がとらえる学力

 ベネッセ教育総合研究所が取り扱った学力という言葉への教育者たちの考えは次のようであった。

 普段、何気なく使っている「学力」について、読者の先生にもあえてその中身をきいてみました。びっしり書いていただいたアンケートの答えのなかから、一部を抜粋して紹介します。

1、レディネスと読む力・聞く力。その学年で学ぶためのレディネス、文章を読んで意味をとらえる力、話を聞いて理解する力のこと。これがないと、学習意欲が持てないし、人の意見に積極的にかかわっていこうという気持ちが持てなくなり、さまざまな面での関心が失われていく。(神奈川県・51歳・男性)。

1、聞く力と話す力が基本。a 他者の話を聞き、内容を正確に把握する力、b 自分の心情や考えを、口頭で他者に向かって適切に表現する力、c 文章を読み、正確に内容を把握する力、d 自分の心情や考えを文章にまとめる力、だと思うが、いちばん大切なのは、aとb。(東京都・40歳・男性)。

1、教科書を自力で理解すること。教科書を自力で読んで理解し、問題が解けること。さらに補助問題集も自力で解けること。学力のなかでもいちばん大切なのは、既知の知識を用い未知のことがらを咀嚼(そしゃく)して取り入れる力。そして、学習によって、自分の能力を新しいステージに上げること。(山梨県・54歳・男性)。

1、小・中学校の基本問題が解ける力。少し難しい字でも読み書きができ、二次方程式程度は解ける…といった、いわゆる小・中学校の基本問題くらいは解ける力を「学力」と考える。社会に出て、あることに興味・関心を持って調べたり応用したりするとき、その力が獲得されていないと、中途半端にあきらめてしまうから。(東京都・54歳・男性)

1、「なぜ?」「どうして?」と疑問を持つこと。a 疑問に思ったことの原因を考えたり調べたりする力、b 調べたことをほかの人にわかるように説明する力、c 自ら課題を見つけて取り組む力。なかでも、aが大切。内なる欲求が生まれたとき、子どもは大きな力を発揮し、変容する。(埼玉県・46歳・男性)

1、トータルな人間としての力。人間関係をつくる能力、困難に立ち向かう力、人前で話す力など、学習能力にとどまらず、トータルな人間としての力を「学力」という。とりわけ、人間関係能力が大切であると思う。(福岡県・43歳・男性)

1、社会のなかで生きていく力。広い意味では、「生きていく力」だ。学校を卒業したあと、社会で生活していけるだけの力、集団のなかで人とかかわりを持って生きていけるだけの力のことをいう。ただし、その力をつけるためには、読み書き、計算という「基礎学力」が必要で、とりわけ、学校生活では、「読む」力を身につけさせたい。(福岡県・53歳・女性)

1、総合力だが、知識があってこそ積み上げられる。知識と思考力を中心とした総合力。なかでもいちばん大切なのは、知識。そのうえにいろいろな「力」が積み上げられる。(大阪府・45歳・男性)。

1、国語がいちばん大切。事象を自分自身で受け入れ、解釈し、判断できる力だと思う。私の担当教科は数学だが、学校教育でいちばん大切なのは国語で、昔ながらの音読、書き取り、作文は、小・中学校のうちに徹底しておきたい。(東京都・42歳・男性)。

1、経験・体験という根っこ。学力は、木にたとえるならば、幹や枝に当たる。「自分自身で考えたり調べたりして解答を導き出す力」だと思う。ただし、地表の幹や枝が育つには、根に当たる経験や体験が必要。さらに根を張る土に相当するのが、社会。現実は、土壌は貧しく弱っているので、木は根を大きく張れず、その結果、幹も枝も大きくなれないでいる。(新潟県・37歳・男性)

第2話 文部科学省が考える学力

 文部科学省が求める学力は、確かな学力として規定される。確かな学力とは知識や技能はもちろんのこと、これに加えて、学ぶ意欲や自分で課題を見付け、自ら学び、主体的に判断し、行動し、よりよく問題解決する資質や能力等まで含めたもの。

第3話 文部科学省の学力についての、長い説明

子どもたちに求められる学力についての基本的な考え方(文部科学省初等中等教育局教育課程課教育課程企画室(平成21年以前の文書)

(1)子どもたちに求められる学力=[確かな学力]

 新学習指導要領のねらいの一層の実現を図ることが重要であり、そのために、まずは[確かな学力]の育成を進めるべきであるとの考え方を示したが、それは、以下のような理由による。

 これからの未曾有(みぞう)の激しい変化が予想される社会においては、一人一人が困難な状況に立ち向かうことが求められるが、そのために教育は、個性を発揮し、主体的・創造的に生き、未来を切り拓(ひら)くたくましい人間の育成を目指し、直面する課題を乗り越えて生涯にわたり学び続ける力をはぐくむことが必要である。

 このために子どもたちに求められる学力としての[確かな学力]とは、知識や技能はもちろんのこと、これに加えて、学ぶ意欲や、自分で課題を見付け、自ら学び、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力等までを含めたものであり、これを個性を生かす教育の中ではぐくむことが肝要である。

 また、昨今の学力低下に関する論議は、学力を単に知識の量としてとらえる立場、あるいは思考力・判断力・表現力や学ぶ意欲などまでも含めて総合的にとらえる立場など、学力をどのようにとらえるかの立場の違いにより議論がかみ合っていないと思われる場合もある。

 本審議会としては、これからの学校教育では、[生きる力]という生涯学習の基礎的な資質や能力を育成する観点から、上記の[確かな学力]を重視すべきであると考える。さらに新学習指導要領の下での学力の状況については平成16年1月、2月に教育課程実施状況調査が行われる予定であるが、平成13年度教育課程実施状況調査や国際数学・理科教育調査(国際教育到達度評価学会(IEA)調査)、OECD生徒の学習到達度調査(PISA)等の近年の全国的・国際的な調査結果などからは、それぞれの分野における達成状況とは別に、

 1.我が国の子どもたちには判断力や表現力が十分に身に付いていないこと、
 2.勉強を好きだと思う子どもが少ないなど学習意欲が必ずしも高くないこと、
 3.学校の授業以外の勉強時間が少ないなど学習習慣が十分に身に付いていないことなどの点で課題が指摘されている。

 また、学力に関連して、自然体験・社会体験・生活体験など子どもたちの学びを支える体験が不足し、人やものとかかわる力が低下していることなどの課題等も明らかになっているほか、若者の勤労観・職業観についても各方面から課題が指摘されている。それゆえ、本審議会は、[確かな学力]、豊かな人間性、たくましく生きるための健康や体力までも含めて構成する[生きる力]がこれからの子どもたちに求められる力であることを前提とし、その育成を行っていくために、まずは[生きる力]を知の側面からとらえた[確かな学力]の確実な育成を、当面取り組むべき課題として考えたのである。

(2)[確かな学力]をはぐくむ上で重要な視点、特に、学習意欲の向上。

 言うまでもなく、知識や技能と思考力・判断力・表現力や学ぶ意欲などは本来相互にかかわりながら補強し合っていくものであり、[確かな学力]をはぐくむ上で,両者を総合的かつ全体的にバランスよく身に付けさせ、子どもたちの学力の質を高めていくという視点が重要である。また、[生きる力]が生涯にわたり実社会を主体的に生きていくための力であることにかんがみ、子どもたちが、
 1.知識や技能を剥落(はくらく)させることなく自分の身に付いたものとする、
 2.それを実生活で生きて働く力とする、
 3.思考力・判断力・表現力や学ぶ意欲などを高める等

 の観点から、知識や技能と生活の結び付きや、知識や技能と思考力・判断力・表現力の相互の関連付け、深化・総合化を図ること等も[確かな学力]の育成に当たっての重要な視点であろう。その際、未知のものに積極的かつ主体的に興味・関心を抱き、理解を深めたいと思うなどの好奇心を持たせることや、子どもたちと実社会とのかかわりという観点から、社会の仕組みと個人のかかわりに関する理解を深めさせ、勤労観・職業観を育成し、生き方・在り方を考えさせることなども重要となろう。

 中でも、子どもたちの学習意欲、学習習慣に関連しては、平成13年度教育課程実施状況調査の結果では、前述のような課題が指摘されているほか、基本的な生活習慣を身に付けている場合や、教員が創意工夫を生かした指導を行っている場合には得点が高い傾向がみられるところである。

 また、これからの生涯学習社会においては、生涯を通じて主体的に学び続けることができる学習意欲を持つことが重要であり、学校と家庭とが連携しながら学習習慣を身に付けさせることが必要である。

 このため、各学校において、「総合的な学習の時間」等を通じて学びへの動機付けを図るとともに、子どもの実態や指導内容等に応じて「個に応じた指導」を柔軟かつ多様に導入することなどの工夫を行うことにより、「わかる授業」を行い、子どもたちの学習意欲を高めることが、[確かな学力]をはぐくむ上でもとりわけ重要な視点であると言えよう。

文章 夏森 龍之介(文筆家)

計量計測データバンク編集部)

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