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私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その47-
2010年秋、神戸市が主催する計量管理強調月間で講演させていただいた



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私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その47-
2010年秋、神戸市が主催する計量管理強調月間で講演させていただいた

東京都計量管理研究会

研究会での大いなる出会い

 日東製粉に行き始めて間もなく、「東京都計量管理研究会」なるものがあることを知った。縮小の一途を辿っていた当研究会ではあったが、99(平成11)年頃は、まだ盛況時の影が僅かに残っていた。秋にはバスを仕立てて(株)荏原製作所の藤沢工場、東芝機械(株)の御殿場事業所経由月ヶ瀬温泉で、一泊の研修旅行が行われたので参加したが、これが最後のバス旅行であった。(株)荏原製作所の小澤典夫氏、白石誠一氏、藤倉電線(株)(現・(株)フジクラ)の石野昇氏、(株)石川島造船所(現・(株)IHI)の野々宮裕海氏、(株)オーバルの山路隆夫氏らが懐かしい。

 しかし、ここでの一番の出会いは、1950(昭和25)年9月に出された通産省の通達であった。たまたま研究会の会報が50号を迎える記念号として、研究会創設当時の様子を書き残しておこうとした時、総務委員長の先輩に当るミヨシ油脂(株)の田崎さんが出してこられた1通の文章(通達)であった。

 この通達には1951(昭和26)年6月に出される旧計量法の真髄が述べられているように思われる。全面に渡って“計量管理”の重要性が述べられ、これを行う者として“計量管理士”(のちに発表された法には計量士)を置くと書かれていた。

 この通達が発端となって、更に強力に推し進めるために、各都府県に計量管理協会が設置された。特に東京には「東京都計量管理研究会」が置かれ、当時石川島重工業(株)(現(株)IHI)社長であった土光敏夫氏が初代会長になった。当時の通商産業省が我国の産業界を如何に大きな力でリードしていたかが図り知られる。我国の戦後の復興は、正にこのような優れた官僚の力に支えられていたのであろう。

 この通達とその後の計量業界の動向を知り得たのは、東京に帰り、東京計量士会や東京都計量管理研究会に属するようになったからであればこそで、この50余年に及ぶ自分の計量活動の原点に立ち返らせてくれた偶然の出来事のうちに、必然性を感じるのである。

会員会社が東京から流出

 私がこの研究会にお世話になった1999(平成11)年の5月からの会長は(株)荏原製作所取締役の酒井氏であった。ちょうどこの時の総会で、長年にわたって活動してきた6つの分科会が廃止になり、技術研修、普及啓発、総務の3つの委員会にまとめられた。この頃の会員会社数は50社前後であったろうか。

 しかし、東京から近隣県への流失は止まることなく、(株)フジクラ、ライオン(株)に続いて(株)荏原製作所が千葉に、遂には初代土光会長の石川島播磨重工(株)が横浜に移転した。このような有力な大手製造業の流失は、会運営にとって致命的なものとなっていった。

 そしてついに、当研究会も解散し、後は(株)東京都計量協会の部会となって活動を続けることが決められた。2005年5月の最後の定期総会後には、OB会員も招いて盛大に「さよなら懇親会」を催した。なお当総会時の会員数は30社であった。

されど東京

 東京都計量管理研究会に出入りするようになって早10年、メンバーはどんどん替わっていったが、計量士という人種は変わらないためか、お互いにすぐに親しくなり、手を取り合って戦えることには少しも変わりはない。

 この団結と融合性、一見不思議な現象とも取られるかも知れないが、このバックには計量検定所がある故だと思っている。検定所の建物の中に東京計量士会があり、(一社)東京都計量協会があり、そして我が研究部会がある。この生活環境が在ればこそであろう。本当に得がたい環境である。その上、(社)日本計量振興協会にも近ければ、経済産業省の計量行政室だって目の前である。

 2010年の秋には、遣わされて神戸市が主催する計量管理強調月間の講演会で講演させていただいた。その前後には、地方に散らばって苦闘している計量士達にも会い話を聞くことが出来たが、かつて私が活動していた時代との状況の差に唖然とさせられた。

 こんなに恵まれたところにいるのだから、何か世のために、いや計量士のためにお役に立てることはないのだろうか。私を育てて下さった多くの先輩にお返しすること、すなわち後輩のお役に立てることは何があるのか。繰り返し考える昨今である。

(つづく)

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その47-
2010年秋、神戸市が主催する計量管理強調月間で講演させていただいた


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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その1-はじめに
西宮高校から神戸大学の計測工学科に進み川崎製鉄千葉製鉄所で計量の仕事を始める

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その2-我が家と計量の係わり
祖父の高徳純教が「はかり屋」を始め社名に「メートル」を用いた気概に敬服

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その3-「異人さん」と「神戸メートル協会」
母は大阪の船場の商家の生まれで、“こいさん”(末娘)として育った

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その4- 父(忠夫)のはかり屋「高徳衡機(株)」
裕福な青年期を過ごした父は祖父が始めた「はかり屋」の跡を継いだ

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その5- 私の誕生は1936(昭和11)年9月である
私が誕生したのは神戸の御影という阪急とJRに挟まれた静かな住宅街であった

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その6- 1943(昭和18)年、私は魚崎小学校に入学した
疎開列車は家族揃って城崎温泉に湯治に行ったときと同じ流線形の蒸気機関車

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その7- 1高徳家の由来
酒醸造や両替商を営みかつ庄屋でもあったのが我がご先祖、姫路藩ご用達となり苗字帯刀を許されたらしい

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その8- 疎開地・丹波での小学生時代
疎開先で雑音と音声の途切れる玉音放送をラジオ屋の前で聞き後で戦争に負けたのだと教えられた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その9- 田畑を耕し薪採りをした中学時代
高校1年生になる1952年までの10年疎開地に居着くことに 1949年に湯川博士のノーベル物理学賞

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その10- 父のはかり屋への復帰
私は京都府立福知山高校入学後の3学期に編入試験を受けて兵庫県立西宮高校に転校した

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その11- 西宮での高校生活
2・3年生の担任は英語教師である「英語は丸覚えなり」と指導され、これに従って何とか様になった

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その12- 文学への傾倒
浪人時代お金はない。参考書代が小説代に化けていった。父は「芳忠には小説を読ませるな」と。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その12-2- 牧師と教会の人々
私を育ててくださった他大学の関西学院小林信雄氏ほかの偉い先生方

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その13- 楽しき神戸大学での学生生活
ボート部では艇が走る水音とスピード感、漕ぎ疲れ艇庫に戻る時の疲労感と達成感に浸る

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その14- 国立大初の神戸大学「計測工学科」に進む
J・トムソン(英国)の言葉「科学は計測に始まる」に感激、「科」とは禾(か)(稲・麦などの穀物の総称)を斗(容量の単位)るに学をつけて科学

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その15- 時代の要求で生まれた「計測工学科」の名が消えた
神戸大学「計測工学科」は「システム工学科」に、今では「情報知能工学科」になっている

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その16- 3年夏休みの工場実習は川鉄千葉工場へ
「石を投げれば37(昭和37年入社)に当たる」学卒大量採用の年度に川鉄に採用決定

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その17- 千葉製鉄所管理部熱管理課に
「千葉製鉄所管理部熱管理課に勤務を命ず」という辞令をもらい、「特急つばめ」で東京に向う

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その18- 川崎製鉄(株)最初の職場は計量整備掛
「始めは現場で人と計測機器に接するのが一番の近道だよ。これ程恵まれた仕事の与えられ方はない」

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その19- 消耗型熱電対の導入
計量整備掛に就いて1年も経っただろうか、次は消耗型熱電対が入ってきた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その20- ドイツ人と計測技術の導入
端子台に及ぶまでドイツ独特の技術レベルの高さに敬服したものであった。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その21- 仲間達との交わり
何の為に仕事をしているのか」と問われ、私は「金を儲ける為でない、隣人の為だ」と答えた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その22- 電子計算機による制御
千葉でのプロセス用コンピューターとの初めての出会いは忘れることができない

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その23- 計量士の誕生
口頭試問は何を答えたのか全く記憶にない。試験官に「お父さんはお元気ですか」と聞かれびっくり。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その24- 日本学術振興会製鋼第19委員会と計測部会
学術振興会19委員会と共同研究会計測部会で鉄鋼各社の計測担当者が調査・研究の成果を発表していた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その25- 計量管理委員会に若手技師としてデビュー
製品の歩留まり・品質・生産性・環境保全・安全等の計量・計測は確実か成果を報告をして指示を仰ぐ

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その26- 計測器をあえて設備しなくてすませる
「ハス切り」になるという原因は装置がさずかに横に動くとだったのでラインと装置のセンターを取り確かな据付をして対応

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その27- QCサークルができて活動がはじまった
計量中に排出ゲートからわずかな漏れが原因の誤計量が重役まで聞こえてしまった。それが失敗が教えた知恵になった。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その28- 西宮工場にて掛長を拝命し計量と熱管理を担当する
「作業長や班長さんの査定は、あなた方が言っている事を信用しては行わない。あなた方の部下の仕事振りや日々の表情をみてあなた方の査定を行う」

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その29- 表面傷検査装置が開発課題であった
始めての海外出張 ヨーロッパの連中が何を考えているかが知たかったし、またお互いに議論もしたかった

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その30- 欧州鉄鋼業の表面形状検査を調査
ドイツでは鉄鋼業を訪ね、パリではゼンジミア社の人に会い、ロンドンでは形状検出機の発明者のDr.ピアソンに面会する

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その31- 煙を建屋外に出さない厳しい制約
製鋼工場から発生する多量の煙や粉塵を建屋内にて吸い取ってしまわなければならない

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その32- 私は父に似てきたらしい
私は父に似てきたらしく、近所の人は「よく似てきなはった」と言う

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その33- 私の習い事 謡と仕舞い
観世能楽堂で開かれた上田観正会では地頭を宗家に『隅田川』の渡し守を演ずるワキを謡わせていただいた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その34- 父は論文を遺書として引退
父は「計量器工場の経営はいかにあるべきか」を書き上げ、それを遺書として引退した

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その35-
オーストラリアの製鉄所BHP社への技術援助

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その36-
1986(昭和61)年からはカラーラインのプラント輸出でソ連と日本を行き来する

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その37-
モスクワでの仕事とモスクワの町並み、そしてドストエフスキー博物館

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その38-
ソ連への輸出機器とロシアに長期滞在しての現地指導・調整

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その39-
ロシア滞在と余暇そして人との交流(冬のワカサギ釣りとクロスカントリースキー)

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その40-
レニングラードへの旅行とわが心の師ドストエフスキーの墓参り

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-その41-
自動車用電気メッキ鋼板を製造に関してフランスへの計量管理技術の輸出

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-その42-
東京本社のエンジニアリング部門に転勤を命じられ家族と一緒に転居

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-その43-
56歳の管理職定年となり耐火レンガを製造する川崎炉材(株)に移る

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-その44-
原料配合の計量にバーコードを用いた自動照合システムを採り入れる

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-その45-
60歳定年、休む間もなく東京計量士会で計量業務に従事

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-その46-
日東富士製粉東京工場で計量管理、ここで有終の美を飾ろうと秘かに決意

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