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私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その42-
東京本社のエンジニアリング部門に転勤を命じられ家族と一緒に転居



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私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その42-
東京本社のエンジニアリング部門に転勤を命じられ家族と一緒に転居

私を支えてくれた家族

子供の笑い

 今まで述べて来なかったが、私には4歳年下、1940(昭和15)年生まれの家内と1966(昭和41)年生まれの長女、1969(昭和44)年生まれの長男がいる。2人の子供は神戸・西宮工場勤務の時代に生まれ、当時宝塚在住の家内の両親や、引退後、丹波(かって私が育った疎開先の田舎)に移り住んだ私の両親にも囲まれて育った。私や家内関係の従兄弟、姉妹も周辺に十余人いて、わりあい賑やかな環境であった。

 仕事の休みが取れた折には一家4人で、行楽地にも行った。そんな時ふと気がついたのは、子供達の見事な「笑い」であった。本当に楽しく、心の底から溢れてくる「笑い」、それは他ならぬ子供の無邪気さ、純真さから来るものだと思った。

 我々大人はいつの間にか忘れ去ってしまっているが、本当に取り戻せないものなのか。

 愛読するドストエフスキーの『未成年』の中で、主人公アルカージイは、笑いを「最も正確な、魂の試金石」と規定し、巡礼のマカール老人の笑顔に理想的な無邪気さ、善良さを見出す。そして、マカール老人が持つ精神の「端麗さ」を憧憬する。

 私もまた、この「端麗さ」を追い求め、当時の年賀状にも目標として掲げた記憶がある。

子供の成長

 1975(昭和50)年の欧州出張の時は、子供達もまだ小学生と幼稚園児であったので、3週間の長きにわたって留守にすることをよく話しておかねばと考え、近くの緑地公園に出かけて話し合い、しばらくの別れを惜しんだ。留守中には、家内が2人の子供を連れて、ゴールデンウィークの混雑した列車で丹波での法事にも出てくれたことを聞き、私の子育ても1ステップ完了したと実感したものである。

 息子が小学生高学年の頃には、私と共に丹波に行き、春先の山で椎茸の原木を切り倒して運んだり、父が催す謡会の舞台で子方として謡って父を喜ばせたりもした。

 今、私も当時の父と同じ年頃になり、同じ年恰好の孫が来てくれた時の喜びは、父も同じものであったろうと実感する。

東京転勤
 
 1984(昭和59)年、東京本社のエンジニアリング部門に転勤を命じられたときは、息子がまだ中3であったので、単身赴任をするか否かで迷うところもあったが、率直に家内と子供2人に決断を迫った。「日本には関西と関東に2つの異なった文化圏がある。奈良・平安・室町時代は関西が主導的であったが、今は関東である。お父さんと一緒に東京に行かないか」と。そして約1月後には、家内から2人共行く決心が付いたようだと聞いた。この時には“もう子供たちも立派なものだ”という気がしていた。

 ところがである、それから12年後の1996(平成8)年、単身赴任の赤穂で最後の仕事を終えた時、父の要請もあり一時期関西に帰ろうかな?と思った時があった。その事を千葉に帰った時、家族に相談したら、今度は「お父さん一人で帰れ」と冷たく言われた。千葉の人と結婚した長女、関東の会社に就職した息子、子供たちと共に生活し多くの知己を得ている家内にしてみれば今更関西に!と思うのは当然であろうが、皆一人前になったことを喜びながらも一抹の寂しさを感じたものであった。

気遣い

 話は少し昔に返るが、ソ連への長期出張に際しては、すぐ外に出たがる私の行動を予期してか、娘が防寒の体操着を買い求めて持たせてくれた。これはワカサギ釣りや、クロスカントリーの際に実に役立った。この娘は現在、3児の母である。

 また、当時東京理科大学物理学科在学で、就職を控えていた息子には、行く気はないかも知れないが、祖父から私まで3代にわたって世話になった会社であるから、一度は訪問しておくようにといい、計測の後輩に案内も頼んでおいた。就職には至らなかったが、親の顔は立てておいてくれた。素直なところが嬉しかった。今では2児の父となっている。

(つづく)

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その42-
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私の履歴書 高徳芳忠 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録(日本計量新報デジタル版)

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その1-はじめに
西宮高校から神戸大学の計測工学科に進み川崎製鉄千葉製鉄所で計量の仕事を始める

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その2-我が家と計量の係わり
祖父の高徳純教が「はかり屋」を始め社名に「メートル」を用いた気概に敬服

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その3-「異人さん」と「神戸メートル協会」
母は大阪の船場の商家の生まれで、“こいさん”(末娘)として育った

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その4- 父(忠夫)のはかり屋「高徳衡機(株)」
裕福な青年期を過ごした父は祖父が始めた「はかり屋」の跡を継いだ

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その5- 私の誕生は1936(昭和11)年9月である
私が誕生したのは神戸の御影という阪急とJRに挟まれた静かな住宅街であった

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その6- 1943(昭和18)年、私は魚崎小学校に入学した
疎開列車は家族揃って城崎温泉に湯治に行ったときと同じ流線形の蒸気機関車

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その7- 1高徳家の由来
酒醸造や両替商を営みかつ庄屋でもあったのが我がご先祖、姫路藩ご用達となり苗字帯刀を許されたらしい

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その8- 疎開地・丹波での小学生時代
疎開先で雑音と音声の途切れる玉音放送をラジオ屋の前で聞き後で戦争に負けたのだと教えられた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その9- 田畑を耕し薪採りをした中学時代
高校1年生になる1952年までの10年疎開地に居着くことに 1949年に湯川博士のノーベル物理学賞

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その10- 父のはかり屋への復帰
私は京都府立福知山高校入学後の3学期に編入試験を受けて兵庫県立西宮高校に転校した

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その11- 西宮での高校生活
2・3年生の担任は英語教師である「英語は丸覚えなり」と指導され、これに従って何とか様になった

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その12- 文学への傾倒
浪人時代お金はない。参考書代が小説代に化けていった。父は「芳忠には小説を読ませるな」と。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その12-2- 牧師と教会の人々
私を育ててくださった他大学の関西学院小林信雄氏ほかの偉い先生方

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その13- 楽しき神戸大学での学生生活
ボート部では艇が走る水音とスピード感、漕ぎ疲れ艇庫に戻る時の疲労感と達成感に浸る

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その14- 国立大初の神戸大学「計測工学科」に進む
J・トムソン(英国)の言葉「科学は計測に始まる」に感激、「科」とは禾(か)(稲・麦などの穀物の総称)を斗(容量の単位)るに学をつけて科学

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その15- 時代の要求で生まれた「計測工学科」の名が消えた
神戸大学「計測工学科」は「システム工学科」に、今では「情報知能工学科」になっている

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その16- 3年夏休みの工場実習は川鉄千葉工場へ
「石を投げれば37(昭和37年入社)に当たる」学卒大量採用の年度に川鉄に採用決定

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その17- 千葉製鉄所管理部熱管理課に
「千葉製鉄所管理部熱管理課に勤務を命ず」という辞令をもらい、「特急つばめ」で東京に向う

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その18- 川崎製鉄(株)最初の職場は計量整備掛
「始めは現場で人と計測機器に接するのが一番の近道だよ。これ程恵まれた仕事の与えられ方はない」

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その19- 消耗型熱電対の導入
計量整備掛に就いて1年も経っただろうか、次は消耗型熱電対が入ってきた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その20- ドイツ人と計測技術の導入
端子台に及ぶまでドイツ独特の技術レベルの高さに敬服したものであった。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その21- 仲間達との交わり
何の為に仕事をしているのか」と問われ、私は「金を儲ける為でない、隣人の為だ」と答えた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その22- 電子計算機による制御
千葉でのプロセス用コンピューターとの初めての出会いは忘れることができない

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その23- 計量士の誕生
口頭試問は何を答えたのか全く記憶にない。試験官に「お父さんはお元気ですか」と聞かれびっくり。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その24- 日本学術振興会製鋼第19委員会と計測部会
学術振興会19委員会と共同研究会計測部会で鉄鋼各社の計測担当者が調査・研究の成果を発表していた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その25- 計量管理委員会に若手技師としてデビュー
製品の歩留まり・品質・生産性・環境保全・安全等の計量・計測は確実か成果を報告をして指示を仰ぐ

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その26- 計測器をあえて設備しなくてすませる
「ハス切り」になるという原因は装置がさずかに横に動くとだったのでラインと装置のセンターを取り確かな据付をして対応

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その27- QCサークルができて活動がはじまった
計量中に排出ゲートからわずかな漏れが原因の誤計量が重役まで聞こえてしまった。それが失敗が教えた知恵になった。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その28- 西宮工場にて掛長を拝命し計量と熱管理を担当する
「作業長や班長さんの査定は、あなた方が言っている事を信用しては行わない。あなた方の部下の仕事振りや日々の表情をみてあなた方の査定を行う」

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その29- 表面傷検査装置が開発課題であった
始めての海外出張 ヨーロッパの連中が何を考えているかが知たかったし、またお互いに議論もしたかった

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その30- 欧州鉄鋼業の表面形状検査を調査
ドイツでは鉄鋼業を訪ね、パリではゼンジミア社の人に会い、ロンドンでは形状検出機の発明者のDr.ピアソンに面会する

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その31- 煙を建屋外に出さない厳しい制約
製鋼工場から発生する多量の煙や粉塵を建屋内にて吸い取ってしまわなければならない

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その32- 私は父に似てきたらしい
私は父に似てきたらしく、近所の人は「よく似てきなはった」と言う

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その33- 私の習い事 謡と仕舞い
観世能楽堂で開かれた上田観正会では地頭を宗家に『隅田川』の渡し守を演ずるワキを謡わせていただいた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その34- 父は論文を遺書として引退
父は「計量器工場の経営はいかにあるべきか」を書き上げ、それを遺書として引退した

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その35-
オーストラリアの製鉄所BHP社への技術援助

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その36-
1986(昭和61)年からはカラーラインのプラント輸出でソ連と日本を行き来する

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その37-
モスクワでの仕事とモスクワの町並み、そしてドストエフスキー博物館

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その38-
ソ連への輸出機器とロシアに長期滞在しての現地指導・調整

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その39-
ロシア滞在と余暇そして人との交流(冬のワカサギ釣りとクロスカントリースキー)

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その40-
レニングラードへの旅行とわが心の師ドストエフスキーの墓参り

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 
-その41-
自動車用電気メッキ鋼板を製造に関してフランスへの計量管理技術の輸出

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 
-その42-
東京本社のエンジニアリング部門に転勤を命じられ家族と一緒に転居






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