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私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その22- 電子計算機による制御
千葉でのプロセス用コンピューターとの初めての出会いは忘れることができない



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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その22- 電子計算機による制御
千葉でのプロセス用コンピューターとの初めての出会いは忘れることができない

電子計算機による制御

計測の目的は制御にあり

 昭和30年代の製鉄業は、平炉での酸素使用(高炉から出てくる銑鉄は炭素が多いので、それを酸素で脱炭する)が拡がり、後に転炉へと換わっていき、さらにその転炉が大型化・高速化していった時代であった。

 1962(昭和37)年に私が千葉製鉄所の製鋼地区計測担当になった時には、もちろん50tの平炉は6基が健在でフルに操業をしていたが、新しく150t転炉が2基設置され、注目のうちに運転を始めていた。精錬時間は、当初は30分弱であったろうか。

 転炉とは、高炉からの溶銑の炭素を取ると共に次工程に適した温度にするのが目的の炉である。当然のことながら、この精錬時間を短くしたい。温度が合わず、成分が外れたことによる再精錬も無くし、生産性を上げたい。そのためには、コンピューターを使うべきだ、との提案がなされた。今から思えば驚くばかりの小さなもの、不便なものだったが、当時は、大きな関心と興味を持って見られていた。

 もちろん静的モデル式でスタートした、物質収支と熱収支を基本とするモデル式で、使う計量値は溶銑温度・成分、スクラップ重量など。これらの値から、目的とする出鋼温度・成分を得るために使用する酸素ガス流量と副原料の投入量を計算する。

 計算結果通りに操作をして的中するか否か、グラフと計算尺を使って人間が行う制御との競争であった。外れた時は、式のあちこちの係数を変えてまた挑戦。的中率は次第に上がっていったのであった。

制御が次の計測を要求する

 後になって、投げ込み型温度計が現れ、精錬途中の温度と共に溶鋼の一部を採取してその凝固温度より炭素含有率が計測される「カーボンデターミネータ」が用いられるようになった。これまでの静的モデルに換わって動的モデルが採用されるようになり、的中率はさらに上がっていった。

 さらに、温度を測ると同時に溶鋼をサンプリングして分析装置まで届ける、文字通りのオンライン分析(サブランス)が取り入れられると、的中率は飛躍的に向上した。この頃のセンサーの開発とその利用装置の適用には、特に目を見開くものがあった。

通産省の通達の永遠性

 1950(昭和25)年に通商産業省より出された『計量管理』に関する通達には、当時のことゆえに「制御」という言葉こそ使われてはいなかったが、「測定結果を生かして……合理化を進めてゆく……」という内容は、制御と何ら変らない。計測と情報伝達の早さと制御技術、この3つが一体となって進められるところに合理化と品質向上が達成されるのだと、この頃より感じ始めていた。先述の通達は単に時を得たものとしてのみでなく、普遍性、いや永遠性をも持ったものとも受け取られる。

 これに反して、昨今の計量法に関する経済産業省の姿勢は、1950(昭和25)年頃の産業育成・ものづくりに熱意が込められていた姿は微塵もなく、ただ消費者志向のみに走っている感があり残念に思われてならない。

 先の通達に関しては後日紹介したいが、私の中ではこの『計量管理』が生き続けている。

驚異の電算機技術

 登場した計算機は、確か主記憶容量が16kw(キロワード、1ワードは8ビット)、補助記憶容量が256kwであったと記憶している。

 その後これらのプロセス用コンピユーターは32kw、64kwとレベルアップしていったが、いずれも機械語でプログラムを作り、パンチカードを用いて入力するものであった。

 その後は、コンピューターのプログラム言語にフォートランが出てきて、何事もずいぶん楽にできるようになった。昨今のウィンドウズのエクセルの計算能力や、小さくて大容量のH/W(ハードウェア)は、当時からすればまさに夢の世界である。

 私もその後、神戸の本社工場に帰って計量管理の本筋を歩むことになり、自らデータロガーやコンピューターを用いたシステム開発に携わったが、この当時の千葉でのプロセス用コンピューターとの初めての出会いは、今も忘れることができない。

(つづく)

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その22- 電子計算機による制御
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私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その1-はじめに
西宮高校から神戸大学の計測工学科に進み川崎製鉄千葉製鉄所で計量の仕事を始める

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祖父の高徳純教が「はかり屋」を始め社名に「メートル」を用いた気概に敬服

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その3-「異人さん」と「神戸メートル協会」
母は大阪の船場の商家の生まれで、“こいさん”(末娘)として育った

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その4- 父(忠夫)のはかり屋「高徳衡機(株)」
裕福な青年期を過ごした父は祖父が始めた「はかり屋」の跡を継いだ

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その5- 私の誕生は1936(昭和11)年9月である
私が誕生したのは神戸の御影という阪急とJRに挟まれた静かな住宅街であった

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その6- 1943(昭和18)年、私は魚崎小学校に入学した
疎開列車は家族揃って城崎温泉に湯治に行ったときと同じ流線形の蒸気機関車

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その7- 1高徳家の由来
酒醸造や両替商を営みかつ庄屋でもあったのが我がご先祖、姫路藩ご用達となり苗字帯刀を許されたらしい

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その8- 疎開地・丹波での小学生時代
疎開先で雑音と音声の途切れる玉音放送をラジオ屋の前で聞き後で戦争に負けたのだと教えられた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その9- 田畑を耕し薪採りをした中学時代
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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その10- 父のはかり屋への復帰
私は京都府立福知山高校入学後の3学期に編入試験を受けて兵庫県立西宮高校に転校した

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その11- 西宮での高校生活
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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その12- 文学への傾倒
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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その18- 川崎製鉄(株)最初の職場は計量整備掛
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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その19- 消耗型熱電対の導入
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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その20- ドイツ人と計測技術の導入
端子台に及ぶまでドイツ独特の技術レベルの高さに敬服したものであった。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その21- 仲間達との交わり
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