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私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その16- 3年夏休みの工場実習は川鉄千葉工場へ
「石を投げれば37(昭和37年入社)に当たる」学卒大量採用の年度に川鉄に採用決定



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私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その16- 3年夏休みの工場実習は川鉄千葉工場へ
「石を投げれば37(昭和37年入社)に当たる」学卒大量採用の年度に川鉄に採用決定

3年夏休みの工場実習は川鉄千葉工場へ

夏休みの工場実習は千葉へ、父に相談すると「千葉に行け」と一言で返ってきた

後列右から4番目が筆者。

川崎製鉄は国内で初めての「臨海一貫製鉄所」を千葉に建設している途中。
実習は最も近代的な計量・計測設備が導入されていた川鉄千葉に。

 私が通っていた神戸大学工学部では、3年生の夏休みに工場実習が行われていた。どこでもいいから好きなところを選んで、先生に推薦状を書いてもらうというシステムであった。

 父に相談すると「千葉に行け」と一言で返ってきた。父の勤めは、川崎製鉄の中でも計測機器を使う製鉄所ではなく、計量器を作る計量器工場であったが、当然の事ながら川鉄の各製鉄所・工場が最大のお得意さんであったために、そこに設置されている計測機器の事情には精通していた。また、全社で構成された計量管理組織に名を連ねていた事もあり、知人も多かったのだろう。

 その父が、千葉にはありとあらゆる新しい計測器が揃っていると言い、おまけに良く知っている人にお願いをしておくので歓迎してもらえるともいう。

川鉄千葉には全国から実習生が集まる

 1961(昭和36)年当時の川崎製鉄は、国内でも初めての「臨海一貫製鉄所」を千葉に建設している途中であったから、最も近代的な計量・計測設備が導入されていたのであった。

 7月始めに約3週間の実習目的で千葉に行ってみると、他大学の4年生と共に過ごすことになっていた。この人たちは皆就職を川鉄に決めている人達で、就職を決めていない私が入っているのは何だか気が引けたが、あまり気にせず、仲間に入れてもらった。この人達にいろいろ教えてもらい、大いに刺激を得た。特に夕食後、北大から九大に至るから各地から集まった人達による会社の評価や各大学の実態の話を非常に興味深く拝聴したものであった。

 一方、職場に行けば、父の知り合いが多く、中には家庭にて夕食をご馳走してくれる人もいて、恐縮した。

 1961(昭和36)年の川鉄・千葉には、電子管式自動平衡計器を始め、300tまで計ることのできるハカリ、1600℃を計る温度計、調節計でのフィードバック制御等、学校では見かけない装置があり、目を輝かせたものであった。

 結局、この3週間の体験とその驚きが “この世界が最も面白い”という印象となり、卒業後もここに就職することにした。

「石を投げれば37(昭和37年入社)に当たる」学卒大量採用の年度に川鉄に入社決定

 私が大学を卒業する頃は、どこの企業も引く手あまたで、希望するところはどこでも行けた。

 しかし、我が神戸大学の計測工学科は、柴田圭三主任教授の方針で「一社一名」となっていた。創設後初めての卒業生を送り出すので、出来る限り多くの企業に行って欲しいということであった。同じ川鉄志望の友達が1人いたが、彼とは話し合って席を譲ってもらった。

 1962(昭和37)年4月1日、入社式は川崎製鉄(株)神戸本社で行われた。壇上に上がった西山弥太郎社長が、一同を見渡して驚いた表情になり、脇の人事部長に「ようけやな! 何人取ったんだ」と尋ねた。後にも先にも川鉄で大卒の採用人数がこれほど多かったのは、この年だけと聞く。

 後々には「石を投げれば37(昭和37年入社)に当たる」と言われたものだ。しかし我々にとっては、どこに行っても「同期の桜」がいて心強かったし、何をするにも同士がいて重宝であった。

 この頃は、私にとっては最も恵まれた日々であったと言えよう。

(つづく)3年夏休みの工場実習は川鉄千葉工場へ

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その16- 3年夏休みの工場実習は川鉄千葉工場へ
「石を投げれば37(昭和37年入社)に当たる」学卒大量採用の年度に川鉄に採用決定


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私の履歴書 高徳芳忠 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録(日本計量新報デジタル版)

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その1-はじめに
西宮高校から神戸大学の計測工学科に進み川崎製鉄千葉製鉄所で計量の仕事を始める

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その2-我が家と計量の係わり
祖父の高徳純教が「はかり屋」を始め社名に「メートル」を用いた気概に敬服

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その3-「異人さん」と「神戸メートル協会」
母は大阪の船場の商家の生まれで、“こいさん”(末娘)として育った

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その4- 父(忠夫)のはかり屋「高徳衡機(株)」
裕福な青年期を過ごした父は祖父が始めた「はかり屋」の跡を継いだ

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その5- 私の誕生は1936(昭和11)年9月である
私が誕生したのは神戸の御影という阪急とJRに挟まれた静かな住宅街であった

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その6- 1943(昭和18)年、私は魚崎小学校に入学した
疎開列車は家族揃って城崎温泉に湯治に行ったときと同じ流線形の蒸気機関車

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その7- 1高徳家の由来
酒醸造や両替商を営みかつ庄屋でもあったのが我がご先祖、姫路藩ご用達となり苗字帯刀を許されたらしい

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その8- 疎開地・丹波での小学生時代
疎開先で雑音と音声の途切れる玉音放送をラジオ屋の前で聞き後で戦争に負けたのだと教えられた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その9- 田畑を耕し薪採りをした中学時代
高校1年生になる1952年までの10年疎開地に居着くことに 1949年に湯川博士のノーベル物理学賞

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その10- 父のはかり屋への復帰
私は京都府立福知山高校入学後の3学期に編入試験を受けて兵庫県立西宮高校に転校した

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その11- 西宮での高校生活
2・3年生の担任は英語教師である「英語は丸覚えなり」と指導され、これに従って何とか様になった

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その12- 文学への傾倒
浪人時代お金はない。参考書代が小説代に化けていった。父は「芳忠には小説を読ませるな」と。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その12-2- 牧師と教会の人々
私を育ててくださった他大学の関西学院小林信雄氏ほかの偉い先生方

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その13- 楽しき神戸大学での学生生活
ボート部では艇が走る水音とスピード感、漕ぎ疲れ艇庫に戻る時の疲労感と達成感に浸る

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その14- 国立大初の神戸大学「計測工学科」に進む
J・トムソン(英国)の言葉「科学は計測に始まる」に感激、「科」とは禾(か)(稲・麦などの穀物の総称)を斗(容量の単位)るに学をつけて科学

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その15- 時代の要求で生まれた「計測工学科」の名が消えた
神戸大学「計測工学科」は「システム工学科」に、今では「情報知能工学科」になっている

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その16- 3年夏休みの工場実習は川鉄千葉工場へ
「石を投げれば37(昭和37年入社)に当たる」学卒大量採用の年度に川鉄に採用決定

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その17- 千葉製鉄所管理部熱管理課に
「千葉製鉄所管理部熱管理課に勤務を命ず」という辞令をもらい、「特急つばめ」で東京に向う

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その18- 川崎製鉄(株)最初の職場は計量整備掛
「始めは現場で人と計測機器に接するのが一番の近道だよ。これ程恵まれた仕事の与えられ方はない」

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その19- 消耗型熱電対の導入
計量整備掛に就いて1年も経っただろうか、次は消耗型熱電対が入ってきた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その20- ドイツ人と計測技術の導入
端子台に及ぶまでドイツ独特の技術レベルの高さに敬服したものであった。






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