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私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その23- 計量士の誕生
口頭試問は何を答えたのか全く記憶にない。試験官に「お父さんはお元気ですか」と聞かれびっくり。



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私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その23- 計量士の誕生
口頭試問は何を答えたのか全く記憶にない。試験官に「お父さんはお元気ですか」と聞かれびっくり。

計量士の誕生

副工場長の「君は計量士を受けろ」の命令

 1965(昭和40)年千葉から郷里の神戸にある葺合工場への転勤は、私にとって計量士の第一歩を踏み出させる結果となった。父と旧高徳衡機を既知の尾上副工場長が、当時の兵庫県計量協会の管理部会長をしておられたから堪らない。廊下で出会い頭「君は計量士を受けろ」とやられた。

 千葉時代にも、課内にはたくさんの計量士がいて、「君もその内に受けるが良い」とは言われていた。しかし、当時の会社の制度では会社はお金を一銭も出さず、合格して計量士登録をしても会費すら戴けない、全てが自己負担であり“それぐらいの事はすべて給料の内”とされていたようである。しかし、若くて新婚間もない私にしてみれば大事であった。講習会の費用は到底出して貰えないので、先輩に問題集を借りて自習、運良く合格はしたものの、会費の負担を考えてまた躊躇していると、またもや副工場長「登録はしたか」と問われた。心安く声をかけて下さらずとも良いのに!かくして計量士誕生となったのである。

 やはり、郷里に帰って来たればこそというべきか。

学振第2分科会(高温測定)

 この副工場長、本当に気さくな方であったが、今から考えると「あの高徳の息子だから、自分の所にいる間に計量士にしておかないと」と思われたのかも知れない、そう思えばありがたい親心である。

 数年後には、この副工場長の名代で、学振第2分科会(注1)に出席する事になった。当時は計測研からは高田さんが、横河からは小川さんが、各製鉄会社からは熱電対の専門家が、神田の学士会館に集まり議論を戦わせておられる姿に接して私もファイトを燃やしたものであった。この葺合工場では、K熱電対の還元性雰囲気での劣化についても研究報告を行った。熱電対の表面が劣化し、これによって寄生熱起電力が発生するという発生のメカニズムも教えて頂いた。

 それから約40年経って日東製粉(株)(現日東富士製粉(株))に計量士として勤めるようになった後、この東京工場が通産大臣賞を戴いた。このような時こそと思い立って、老工場長を神戸の御影の自宅に訪ねて、昔お世話になったお礼を申し上げた。計量士の試験の話をすると「そんなことがあったかなぁ」と笑っておられた。

(注1)産業育成のために設けられていた「日本学術振興会製鋼第19委員会」で、第1分科会は分析、第2分科会が「高温測定」で『パラジウム線溶融法による高温検定』は有名である。当時東大の菅野猛先生が主査をしておられた。

面接での思い出

 もう一つ、計量士の試験に関して書き留めておかねばならない事がある。

 筆記試験が終わり、次に面接試験があるから出頭するようにとの通知がきた。書くことは何とか書いて合格したようだが、面接となると小さい頃から話すのに自信がなかったので、最大の苦手だという気がしてきて、思案にくれた。

 当日は早くから出向いて行き、通産省の階段に腰をかけ、あの分厚い計量法をあちこち紐解いていたのを思い出す。いよいよ呼び出された時は正に緊張も絶頂に達していた。何を答えたのか全く記憶にない。そして終わりに近づいたとき、一人の試験官に「お父さんはお元気ですか」と聞かれびっくりした。すっかり気が抜けてしまい、その方のお名前を聞くのも忘れて、後から“しまった”と思ったのであった。初めにそれを聞いて下さったら良かったのに!

 家に帰って、父に聞いたら「高田さんだろう」との事であった。

(つづく)

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その23- 計量士の誕生
口頭試問は何を答えたのか全く記憶にない。試験官に「お父さんはお元気ですか」と聞かれびっくり。


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私の履歴書 高徳芳忠 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録(日本計量新報デジタル版)

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その1-はじめに
西宮高校から神戸大学の計測工学科に進み川崎製鉄千葉製鉄所で計量の仕事を始める

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その2-我が家と計量の係わり
祖父の高徳純教が「はかり屋」を始め社名に「メートル」を用いた気概に敬服

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その3-「異人さん」と「神戸メートル協会」
母は大阪の船場の商家の生まれで、“こいさん”(末娘)として育った

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その4- 父(忠夫)のはかり屋「高徳衡機(株)」
裕福な青年期を過ごした父は祖父が始めた「はかり屋」の跡を継いだ

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その5- 私の誕生は1936(昭和11)年9月である
私が誕生したのは神戸の御影という阪急とJRに挟まれた静かな住宅街であった

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その6- 1943(昭和18)年、私は魚崎小学校に入学した
疎開列車は家族揃って城崎温泉に湯治に行ったときと同じ流線形の蒸気機関車

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その7- 1高徳家の由来
酒醸造や両替商を営みかつ庄屋でもあったのが我がご先祖、姫路藩ご用達となり苗字帯刀を許されたらしい

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その8- 疎開地・丹波での小学生時代
疎開先で雑音と音声の途切れる玉音放送をラジオ屋の前で聞き後で戦争に負けたのだと教えられた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その9- 田畑を耕し薪採りをした中学時代
高校1年生になる1952年までの10年疎開地に居着くことに 1949年に湯川博士のノーベル物理学賞

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その10- 父のはかり屋への復帰
私は京都府立福知山高校入学後の3学期に編入試験を受けて兵庫県立西宮高校に転校した

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その11- 西宮での高校生活
2・3年生の担任は英語教師である「英語は丸覚えなり」と指導され、これに従って何とか様になった

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その12- 文学への傾倒
浪人時代お金はない。参考書代が小説代に化けていった。父は「芳忠には小説を読ませるな」と。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その12-2- 牧師と教会の人々
私を育ててくださった他大学の関西学院小林信雄氏ほかの偉い先生方

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その13- 楽しき神戸大学での学生生活
ボート部では艇が走る水音とスピード感、漕ぎ疲れ艇庫に戻る時の疲労感と達成感に浸る

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その14- 国立大初の神戸大学「計測工学科」に進む
J・トムソン(英国)の言葉「科学は計測に始まる」に感激、「科」とは禾(か)(稲・麦などの穀物の総称)を斗(容量の単位)るに学をつけて科学

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その15- 時代の要求で生まれた「計測工学科」の名が消えた
神戸大学「計測工学科」は「システム工学科」に、今では「情報知能工学科」になっている

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その16- 3年夏休みの工場実習は川鉄千葉工場へ
「石を投げれば37(昭和37年入社)に当たる」学卒大量採用の年度に川鉄に採用決定

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その17- 千葉製鉄所管理部熱管理課に
「千葉製鉄所管理部熱管理課に勤務を命ず」という辞令をもらい、「特急つばめ」で東京に向う

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その18- 川崎製鉄(株)最初の職場は計量整備掛
「始めは現場で人と計測機器に接するのが一番の近道だよ。これ程恵まれた仕事の与えられ方はない」

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その19- 消耗型熱電対の導入
計量整備掛に就いて1年も経っただろうか、次は消耗型熱電対が入ってきた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その20- ドイツ人と計測技術の導入
端子台に及ぶまでドイツ独特の技術レベルの高さに敬服したものであった。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その21- 仲間達との交わり
何の為に仕事をしているのか」と問われ、私は「金を儲ける為でない、隣人の為だ」と答えた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その22- 電子計算機による制御
千葉でのプロセス用コンピューターとの初めての出会いは忘れることができない

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その23- 計量士の誕生
口頭試問は何を答えたのか全く記憶にない。試験官に「お父さんはお元気ですか」と聞かれびっくり。

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