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私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その39-
ロシア滞在と余暇そして人との交流(冬のワカサギ釣りとクロスカントリースキー)



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私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その39-
ロシア滞在と余暇そして人との交流(冬のワカサギ釣りとクロスカントリースキー)

ロシア滞在と余暇そして人との交流(冬のワカサギ釣りとクロスカントリースキー)

ロシアでの友好 ユーラーさんとの交流

 ユーラーさんは、計測屋のビクトル君が紹介してくれた、彼と同じアパートの住人で、土建屋さんであった。ユーラーさんもビクトル君も、インドの製鉄所の建設指導で一緒だったらしい。また奥さん同士も学校の先生で、家族ぐるみで付き合っていたようだ。従って2人とも少し英語が話せたのが幸いであった。

 ビクトル君に誘われてユーラーさんを訪問したのが最初であり、彼のお父さんがドストエフスキーの愛読者であったらしく、ここから話は進んでいった。彼がロシア語の『未成年』をプレゼントしてくれたので、ホテルで日本語のものと読み比べ、次に会ったとき、「この3カ所が最も気に入っている箇所だ」と言ったら彼も大いに同感してくれた。風変わりな読書会であったが、意見の交換ができて嬉しかった。

冬のワカサギ釣りとクロスカントリースキー

 ロシアでは冬に湖や川に氷が張ると、馬でも馬車でも走れるので交通の便が良くなるという。また、どこでも魚が釣れるらしい。ビクトル君とユーラーさんが最初に誘ってくれたのがワカサギ釣りであった。

 上は日本ミズノ製のスポーツ着、足は現地の防寒靴を借りて、ウオツカを飲み飲みワカサギ釣りを試みたが、あいにく天気が悪く風が強くて2時間程でお手上げとなった。釣り上げた魚がすぐに凍るのだからしょうがない。ユーラーさん宅で、釣った魚を煮込んだスープをいただいたら、途端に酔いがまわってきた。

 次にはクロスカントリースキーに誘ってもらった。仲間を募ったら十余名となったが、スキーの板は、学校の先生をしている奥さん達が学校のものを借りてくるから何人でもよいとの事、「公のもの」は「皆のもの」、全く大らかである。この日は晴天に恵まれて快適であった。ビクトル君が先導し、その後を我々が歩いたり滑ったり。小高い丘に立てば景色を見渡して小休止を取り、また駆ける。ユーラーさんは後尾でフォロー。野生の兎も歓迎の挨拶に顔を見せてくれたりして、ロシアの広さをつくづく身に感じた一日となった。

ドン河のカヌー下り

 もう一つ遊びの話を読んでいただきたい。なにぶん日本から出かけた監督者の生活は8時~4時で残業なし、春先からは金曜日は半ドンで土・日は全休。これを有効に使わない方はないと、よく戸外に出かけたものだ。特に夏は日が長く、一面の緑に囲まれて、風は 爽やか、そんな時にユーラーさんが息子さんまで動員してプレゼントしてくれた素敵な一日があった。

 カヌーは3人乗り、ユーラーさんは上流で我々を見送り、終着地では車にて出迎えてくれた。誠に念の入った接客振りである。今、想いだすだけでも親切に付き合ってくれたロシアの友に大いなる感謝を贈りたい。この辺りはドン河も上流、水は凄くきれいで人影もなし。

 古い教会や小高い丘を左右に見ながら、ゆっくりと下っていく、途中で泳いだり網で魚を採ったり、昼はバーベキュー。私も特製の“おにぎり”を持参していた。大自然の中での昼食もまた格別であった。

私のお返し

 謡曲の『隅田川』は、人商人にさらわれたわが子を訪ねて京都から隅田川まで下ってきた母親が此処でわが子の死を知らされる。渡し守の語りの中に、この川岸でただ独りで亡くなった幼子の様子と、母への心残りが見事に語られている名曲である。当時、日本映画の『寅さん』がロシアでも人気があるらしいとの噂を耳にしたこともあり、これに勇気百倍。この日本の芸術性を何とかして伝えてみようと努力してみた。ロシア語への翻訳にあたっては、もちろんロシア人の通訳にも手伝ってもらった。謡はもちろん日本語であるが、少しオーバーな表現をとった。着物と袴、白足袋もつけ、扇も持った。

 ユーラーさんとビクトル君夫妻とも目を赤くして聞いてくれた。民族と言葉の障壁を越えて解ってもらえたと思っている。悔やまれるのは能舞台の写真を1枚も持って行かなかったことである。

(つづく)

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その39-
ロシア滞在と余暇そして人との交流(冬のワカサギ釣りとクロスカントリースキー)


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私の履歴書 高徳芳忠 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録(日本計量新報デジタル版)

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その1-はじめに
西宮高校から神戸大学の計測工学科に進み川崎製鉄千葉製鉄所で計量の仕事を始める

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その2-我が家と計量の係わり
祖父の高徳純教が「はかり屋」を始め社名に「メートル」を用いた気概に敬服

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その3-「異人さん」と「神戸メートル協会」
母は大阪の船場の商家の生まれで、“こいさん”(末娘)として育った

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その4- 父(忠夫)のはかり屋「高徳衡機(株)」
裕福な青年期を過ごした父は祖父が始めた「はかり屋」の跡を継いだ

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その5- 私の誕生は1936(昭和11)年9月である
私が誕生したのは神戸の御影という阪急とJRに挟まれた静かな住宅街であった

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その6- 1943(昭和18)年、私は魚崎小学校に入学した
疎開列車は家族揃って城崎温泉に湯治に行ったときと同じ流線形の蒸気機関車

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その7- 1高徳家の由来
酒醸造や両替商を営みかつ庄屋でもあったのが我がご先祖、姫路藩ご用達となり苗字帯刀を許されたらしい

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その8- 疎開地・丹波での小学生時代
疎開先で雑音と音声の途切れる玉音放送をラジオ屋の前で聞き後で戦争に負けたのだと教えられた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その9- 田畑を耕し薪採りをした中学時代
高校1年生になる1952年までの10年疎開地に居着くことに 1949年に湯川博士のノーベル物理学賞

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その10- 父のはかり屋への復帰
私は京都府立福知山高校入学後の3学期に編入試験を受けて兵庫県立西宮高校に転校した

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その11- 西宮での高校生活
2・3年生の担任は英語教師である「英語は丸覚えなり」と指導され、これに従って何とか様になった

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その12- 文学への傾倒
浪人時代お金はない。参考書代が小説代に化けていった。父は「芳忠には小説を読ませるな」と。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その12-2- 牧師と教会の人々
私を育ててくださった他大学の関西学院小林信雄氏ほかの偉い先生方

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その13- 楽しき神戸大学での学生生活
ボート部では艇が走る水音とスピード感、漕ぎ疲れ艇庫に戻る時の疲労感と達成感に浸る

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その14- 国立大初の神戸大学「計測工学科」に進む
J・トムソン(英国)の言葉「科学は計測に始まる」に感激、「科」とは禾(か)(稲・麦などの穀物の総称)を斗(容量の単位)るに学をつけて科学

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その15- 時代の要求で生まれた「計測工学科」の名が消えた
神戸大学「計測工学科」は「システム工学科」に、今では「情報知能工学科」になっている

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その16- 3年夏休みの工場実習は川鉄千葉工場へ
「石を投げれば37(昭和37年入社)に当たる」学卒大量採用の年度に川鉄に採用決定

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その17- 千葉製鉄所管理部熱管理課に
「千葉製鉄所管理部熱管理課に勤務を命ず」という辞令をもらい、「特急つばめ」で東京に向う

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その18- 川崎製鉄(株)最初の職場は計量整備掛
「始めは現場で人と計測機器に接するのが一番の近道だよ。これ程恵まれた仕事の与えられ方はない」

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その19- 消耗型熱電対の導入
計量整備掛に就いて1年も経っただろうか、次は消耗型熱電対が入ってきた

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その20- ドイツ人と計測技術の導入
端子台に及ぶまでドイツ独特の技術レベルの高さに敬服したものであった。

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その21- 仲間達との交わり
何の為に仕事をしているのか」と問われ、私は「金を儲ける為でない、隣人の為だ」と答えた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その22- 電子計算機による制御
千葉でのプロセス用コンピューターとの初めての出会いは忘れることができない

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その23- 計量士の誕生
口頭試問は何を答えたのか全く記憶にない。試験官に「お父さんはお元気ですか」と聞かれびっくり。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その24- 日本学術振興会製鋼第19委員会と計測部会
学術振興会19委員会と共同研究会計測部会で鉄鋼各社の計測担当者が調査・研究の成果を発表していた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その25- 計量管理委員会に若手技師としてデビュー
製品の歩留まり・品質・生産性・環境保全・安全等の計量・計測は確実か成果を報告をして指示を仰ぐ

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その26- 計測器をあえて設備しなくてすませる
「ハス切り」になるという原因は装置がさずかに横に動くとだったのでラインと装置のセンターを取り確かな据付をして対応

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その27- QCサークルができて活動がはじまった
計量中に排出ゲートからわずかな漏れが原因の誤計量が重役まで聞こえてしまった。それが失敗が教えた知恵になった。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その28- 西宮工場にて掛長を拝命し計量と熱管理を担当する
「作業長や班長さんの査定は、あなた方が言っている事を信用しては行わない。あなた方の部下の仕事振りや日々の表情をみてあなた方の査定を行う」

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その29- 表面傷検査装置が開発課題であった
始めての海外出張 ヨーロッパの連中が何を考えているかが知たかったし、またお互いに議論もしたかった

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その30- 欧州鉄鋼業の表面形状検査を調査
ドイツでは鉄鋼業を訪ね、パリではゼンジミア社の人に会い、ロンドンでは形状検出機の発明者のDr.ピアソンに面会する

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その31- 煙を建屋外に出さない厳しい制約
製鋼工場から発生する多量の煙や粉塵を建屋内にて吸い取ってしまわなければならない

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その32- 私は父に似てきたらしい
私は父に似てきたらしく、近所の人は「よく似てきなはった」と言う

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その33- 私の習い事 謡と仕舞い
観世能楽堂で開かれた上田観正会では地頭を宗家に『隅田川』の渡し守を演ずるワキを謡わせていただいた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その34- 父は論文を遺書として引退
父は「計量器工場の経営はいかにあるべきか」を書き上げ、それを遺書として引退した

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その35-
オーストラリアの製鉄所BHP社への技術援助

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その36-
1986(昭和61)年からはカラーラインのプラント輸出でソ連と日本を行き来する

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その37-
モスクワでの仕事とモスクワの町並み、そしてドストエフスキー博物館

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その38-
ソ連への輸出機器とロシアに長期滞在しての現地指導・調整

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その39-
ロシア滞在と余暇そして人との交流(冬のワカサギ釣りとクロスカントリースキー)




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