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計量計測データバンク ニュースの窓-469-
News material content collection of metrology databank №469

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計量計測データバンク ニュースの窓 目次
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計量計測データバンク ニュースの窓目次 3

計量計測データバンク ニュースの窓-469-
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├計量計測データバンク ニュースの窓-469-ある資料集次のために 見ていた青春「神田学生街の一九七〇年」-改訂版4稿-2026年9月27日・@森夏之
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├見ていた青春「神田学生街の一九七〇年」-改訂版4稿-2026年9月27日・@森夏之
├真似ごとをしない 私にだけできることをして生きる-2026年3月11日(水)の日記- 森夏之
├子どもの蝉とりと大人の労働
├どろどろに溶けたサナギの身体から蝶がでてくる不思議な世界 甲斐鐵太郞「成虫原基 せいちゅうげんき」とは越冬の方法だったのではないか。「蛹が凍らないかという女児は素朴であり事実に即して考えている」
├エッセー「見ていた青春」(夏森龍之介)を書き進める決断した日-2026年3月12日(木)-森夏之
├ペンネーム図鑑(近代日本文学)~あ行
├共通理解が通用しない変な人 甲斐鐵太郞
├見ていた青春-その1-東大教養学部自治会副委員長の二戸左登志の場合 夏森龍之介
├ヤマナシの秋 野辺山 甲斐鐵太郎 ((539) うたとえ2022『夏・二人で』及川恒平 - YouTube)
├経済学者宇沢弘文氏の旧制第一高等学校の盟友、弁護士後藤昌次郞氏との友情
├1940年代に生まれた人々の行動とある事例
├卒業記念にボブ・ディラン全詩集を渡された男のその後 甲斐鐵太郞
├庭に来る野鳥と心がずれることはない 甲斐鐵太郎
├AIは意識を持つか、養老孟司は否定し、福岡伸一も動的平衡論でそれを否定する 森夏之
├1970年 ある活動家の学生生活
├学生街の喫茶店 サイフォン・コーヒーと神田ミズノ裏の喫茶店ダボスのこと 甲斐鐵太郎
├アラジンの青い炎が静かにゆらぐ日曜の午後 森龍之
├「ハッピーエンド」を聴く 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
├八ヶ岳を静かに見ていたヤマナシの木 甲斐鐵太郎
├クマも鳥も虫も神である国の寒山の森の暮らし 甲斐鐵太郞
├ソローの森の生活と寒山の森の田渕義雄さん
├安岡章太郎が描く軍隊と現代の人々の生への現実 甲斐鐵太郎
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├恵まれないのに明るく生きている日本人の素朴さ・生真面目さ 夏森龍之介
├現代の人には死はない 甲斐鐵太郎
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├ソローの森の生活と寒山の森の田渕義雄さん
├川上村の5月の青空は八ヶ岳を背にして夏色であった 甲斐鐵太郞
├春未だ浅い野辺山と川上村のレタス畑 甲斐鐵太郞
├白い雲と青空と太陽の輝きは誰のためにあるのか 甲斐鐵太郞
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├死霊はわが姿なり(副題・女の深い悲しみの表情が人の心の闇を照らす)森龍之
├相手は常人ではないと警戒していることが大事
├よく働くことを喜びとする 渋沢栄一の論語と算盤
├素直でない人は嘘をつく 素直とは正直者のことだ
├人の言葉の基(もとい)は教養である
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現代における教養と教養主義「教養は一部の人に属するのではない それぞれの教養とそれぞれの教養人の生き方-現代の組織がかかえている大きな矛盾としての知識の集合と知性の発揮方法-」(本文は省略)
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英語は日本語に翻訳できない理由(森夏之)
単語となっている言葉(ランゲージ)としての英語はどこまでも英語のままである。
英語と日本語は直接に対比することができない。
文化(カルチャー)の濃密な繁栄、あるいは単語に組み込まれた濃密な文化としての言葉に、日本における似たようなそうした状況を考慮すれば対比できない。
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福島悠子 東京高等検察庁検事
AI モードの会話: 福島悠子 検事福島悠子 検事福島悠子(ふくしま ゆうこ)検事は、日本の検察官です。2025年7月より、東京高等検察庁検事を務めています。近年の主な経歴・異動履歴は以下の通りです。2023年7月14日:横浜地方検察庁検事から出向し、厚生労働省 大臣官房参事官(法務担当)兼 大臣官房総務課法務室長に就任。2025年7月2日(または7月1日付):厚生労働省(官房参事官=法務担当)から出向解除となり、東京高等検察庁検事へ転任。検察官が他省庁(厚生労働省など)の法務担当や法務室長に出向し、官僚組織のリーガルサポートを行うケースは一般的であり、福島氏もそのキャリアを経て検察庁(東京高検)に復帰しています。
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├加藤望美 見ていた青春「神田学生街の一九七〇年」-改訂版4稿-2026年9月27日・@森夏之
加藤望美は、空しさを抱えたまま卒業後の一年を過ごしていた。収入のないまま司法試験に挑み続けることには、罪の意識があった。国家公務員になっていた同級生が、同じ職場の臨時職員になれるよう手立てをしてくれた。正規の職員になるために国家公務員試験を受けると、合格した。法律の勉強を積んできたので、ほかの科目に時間を割けたからである。こうして望美は国家公務員の職を得た。厚生省であった。霞が関の厚生省の職場には、自由と明るさがあった。望美はその仕事が好きであった。働くとはどういうことか、また仕事の内容によって分け隔てに似た感情が生じるのはなぜかと、考えてみたりもした。

 国家公務員の仕事をしながら、司法試験の勉強は続けていた。職場には法曹資格を持つ上司がいた。厚生省から検察庁に出向する人事交流があることも知った。二年ほど検察庁へ出向して、どのような業務をするのかは聞くことができなかった。検察事務を補助する程度なのか、特捜検事や重大刑事事件に関わる業務なのか、望美は知らない。出向しては戻ってくる身近な先輩職員を見ているうちに、法曹への憧れが別の方向へ移っていくようで、望美は恐かった。霞が関の職務の繁忙と労働組合の活動が重なり、それぞれに責任を負ううちに、司法試験の勉強のための時間は消えていった。とくに労働組合の重要な役職に推されてからは、その時間は皆無となった。七年間の霞が関での勤務の後半四年は、このようであった。そうした状況のなかで、法曹への願望は、公務員としての業務と組合活動への情熱に変わっていた。卒業後の一年と、そのあとの国家公務員としての七年は、そのようにして過ぎていった。

 隅田肇は県庁の一室で書類を作る日々を送っていた。氷の世界にいるはずの加藤望美のことが、いつも心のどこかにあった。一九八〇年の夏、その加藤望美から、予想もしない電話がかかってきた。司法試験がどうなったのかは分からないが、いまは趣味で芸術写真を撮っているという。川上村に滞在して、牧畜や高原野菜づくりの暮らしを撮影しているとのことだった。牧畜農家は輸入牛肉に押されて苦しい時期にあった。働いた時間がそのままお金になる暮らしとは違うのだと、加藤望美は言った。都会の人間が勝手に思い描く農村の姿を、私は写しているだけではないか。彼女は自分の写真をそう疑ってもいた。なぜ自分の電話番号を知っているのかと一瞬戸惑ったが、N県庁の職員なのだから、県庁に電話すれば分かることであった。隅田肇の心に火が灯った。隅田は、自分をいつも襲う寂しさが何なのかを、うすうす知るようになっていた。それは、深夜喫茶で二人のウール地のコートを重ねて肩から膝に掛け、朝まで話したあの夜のことが心から離れないせいであった。

 あのときの加藤望美の心情はどうであったのか。十分な好意を隅田肇に寄せていたはずだ。あれは氷の世界に飛び込む決心をするための、彼女なりの儀式であったのか。そのように考えても納得は行かない。あのことが心の底に沈んだままでいた。加藤望美はあの時、確かに何かを求めていた。このことへの確信が隅田にはあった。しかし彼女の決心を挫くことはできなかった。心に澱を抱えたまま、隅田は過ごしてきた。

 野辺山高原の北西の空には、赤岳を主峰とする八ヶ岳連峰が聳えていた。真上から降り注ぐ真夏の太陽は、八ヶ岳連峰を平板に見せていた。稜線は光で満ちていた。その空の下に隅田肇と加藤望美の姿があった。加藤望美は恥じらいをみせたが、それは一瞬だった。憂いを見せた微笑みをするのが望美であり、隅田の心をゆすった。幼さの残る二十二歳での別離から、二人はあの時のことを心にしまったままでいた。野辺山高原の明るい太陽は、加藤望美を素直にさせるのに十分であった。素直な加藤望美の振る舞いと、その微笑みに隅田は八年の空白が消えたのだと思った。
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├国家公務員最卒一般職 本省霞が関勤務 厚生労働省 係長までの昇進 事情
国家公務員一般職(大卒程度)として厚生労働省の本省(霞が関)に勤務した場合、係長への昇進は採用からおおむね10年前後(20代後半〜30歳前後)が標準的なスピードとなります。昇進の事情とキャリアパス到達年数:係員・主任:採用後数年間は係員や主任(8年目前後)を経験し、標準的な成績であれば10年目付近で係長級(行政職俸給表一の3級等)に昇格します。本省勤務の特徴:地方支分部局(地方厚生局など)に比べて業務量が非常に多く、国会対の調整に追われますが、その分人事評価や本省での経験が考慮され、人手不足の状況なども相まって円滑に昇進しやすい環境にあります。その先の昇進(課長補佐級以降):係長からさらに上の課長補佐級(本省の係長から補佐へのステップ)へ進むには20年以上の経験が必要となり、個人の能力や評価による選抜の度合いが強まっていきます。もしよろしければ、以下についてお知らせください。現在の検討状況(これから試験を受ける段階か、すでに内定・配属が決まっているかなど)知りたい具体的な内容(残業時間の実態、地方局との異動・キャリアの違いなど)さらに詳しい実態やキャリアの歩み方についてお答えできます。
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├加藤望の娘と厚生労働省 見ていた青春「神田学生街の一九七〇年」-改訂版4稿-2026年9月27日・@森夏之
娘は、大阪大学工学部で化学を学び、大企業に就職したあとで米国の大学に留学したことがある、いとこ(従姉妹)に、就職のことを問われた。娘は就職活動をしていなかった。いとこは「お嫁に行けば済むことだ」と言った。仕事への欲は何もないまま、娘は大学を卒業した。最初の仕事はクロネコの配達で、リヤカーや手押し車で、東京都江東区住吉の狭い区域を回った。錦糸町のダンス教室に通うためであった。映画『フラガール』のモデルになった人が運営するフラダンスのスクールである。そのうちに講師の資格を得た。講師をしていたとき、教え子の一人がプロのダンサーになった。その後に娘は、フラダンスの道を捨てた。勤めは派遣会社を通じてのものに変わっていた。一緒に働いていた若い女性の同僚が、簡単に解雇される世界であった。娘は幾つかの派遣先で働いた。ある派遣先では、天下りしてきた官僚に代わって文章を書いていた。いつしか、その人に劣らない力を身につけた。やがて、大阪大学の大学院を修了した先輩が、厚生労働省の社会人経験者採用試験を受験する手続きをしてくれた。その国家公務員の係長級の採用試験を受けると、何事もなかったように通った。三十倍の競争率だったと知ったのは、何か月も後のことである。派遣の仲間があっさりと職場を去っていくのが、いちばん悲しかったと娘は言った。派遣労働に従事する身分の不安定さや報酬の低さなど、日本社会が陥っている悪しき状況を嫌というほど知っていた。

 母親の望美は厚生省に勤務していた。厚生省は労働省と統合されていて、娘の勤務先は厚生労働省の名称になっていた。採用試験の手続きで世話した先輩が、娘の母親の勤務先が厚生省であったことを知っていたかは不明である。採用に際しては親のことのほか、プライバシーに関わることは不問になっている。同じ霞が関勤務となった望美とその娘である。望美のことを知る者が何人かいた。定年後に勤めていた人たちであり、(そして、)一目見るなり口々にそっくりだと言った。
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 隅田肇と望美の子どもは女の子であった。娘は中学生になるころには、ませた態度で外からの電話の応対をしていた。高校生になるとそれは冴えた。望美の母親、つまり祖母をそっくり真似ていた。意識していたのではなく、そうなってしまった。娘は中学校から善光寺平で二番手とされる学校を選んで通い、高校を経て運営母体の大学に進んだ。小学校のころにはピアノを習い、高校生になると知り合いのギター教室に通った。水泳ではN県(では)の平泳ぎ競技二〇〇メートルで二位になった。水泳競技の実績だけで進学できると担任に告げられていたが、競技参加者数の規定を満たさないことが分かり、統一試験をうけての進学となった。卒業まじかになって急な試験対策だった。特待生の友人は法学部への推薦入学が決まっていた。皆が受ける統一試験の成績はその特待生を上回っていた。普通自動車の運転免許をこの間に取得していた。大学ではサッカー部のマネージャーをし、フラダンス教室に通った。大学四年の後半には、東海大学医学部付属東京病院に入院した祖父、つまり望美の父親のもとに毎日顔を出し、話し相手になった。
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├AIは意識を持つか、養老孟司は否定し、福岡伸一も動的平衡論でそれを否定する 森夏之  図書の内容を積極的に記憶すること、特に教科書を記憶することを私は中学校時代から拒否するようになった。馬鹿なことであるが数学の入試問題を解くときに定理などをその場で導いてからにするなどしていた。最低限の記憶力を備えて社会と付き合わないといけないのであるが、積極的には記憶力は働かせない。だから難しい資格試験は敬遠した。敬遠というよりも挑むほどの能力は持ち合わせていなかった。それでも法学部、経済学部の教養科目に選んだ物理や数学は授業には出ずに、10分で仕上げた。出席点を取っていたために結果は「可」の評価である。

 アインシュタインは「教育とは、学校で学んだことをすべて忘れてしまった後に、なお自分の中に残っているものだ」と言ったとされる。個別の知識や公式を忘れてしまっても、物事の本質を考える力や、学びによって養われた人間性・知性そのものが本当の「教育」(学びの成果)であるという。暗記した情報ではなく、自ら思考する力や生きる姿勢が身につくことの重要性を説く。本当であるかどうかは知らない。知識獲得に汲々とすることから私は逃げた。

 動的平衡について。分子生物学者である福岡伸一は動的平衡を説く。生命が絶え間なく分解と合成、つまり自己破壊と再構築を繰り返しながら、全体としての秩序やバランスを保ち続ける。この状態が動的平衡であるとする。分子や細胞は常に流れのように入れ替わり、一年前の自分とは物質的に別物である。エントロピーの増大に先回りして自らを壊し作り変えることで、生命を維持する。生命の本質は固定された実体ではなく、要素間の絶妙なバランスや相互作用にある。生命はその流れにただ従っているわけではない。エントロピーに先回りするように自分自身を積極的に壊し、その壊した時間的な余裕を使って、新しいものを合成し続けている。

 秩序あるものは、やがて秩序を失っていく。熱い珈琲はぬるくなり、壮麗な建築物も長い時間の中で風化していく。それが宇宙の大原則であるエントロピー増大の法則。福岡伸一は動的平衡とエントロピー増大の法則を関連付けて物事を説く。

 AIは意識を持つか、が話題になる。養老孟司は否定する。福岡伸一も同じである。福岡伸一はそれを論理化する。その内容が上のようなことであり、「古いものが新しいものに置き換わるだけではない。新しいものさえも、絶えず壊しながら作り変えていく。その自己破壊と再構築の営みこそ、AIには真似できない生命の特性」なのである、という。

 東京大学定量生命科学研究所の小林武彦教授は、講演や著書『生物はなぜ死ぬのか』の中で「生物が死ぬのは、次の世代(子孫)にスペースや資源を譲り、命のバトンをつないで進化を続けるためである」という生物学的な意義を解説する。その内容は次のようなこと。親世代がいつまでも生き残り続けると、限られた食料や生息場所(スペース)がなくなってしまい、若い世代(子孫)が生き残れなくなる。死によって世代交代が行われることで、環境の変化に適した新しい特徴を持つ子孫(多様性)が残り、生物集団として進化を続けられる。個体としての命は有限であるが、遺伝子は死を乗り越えて次世代へと引き継がれていく。
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├英語は日本語に翻訳できない理由(森夏之)
単語となっている言葉(ランゲージ)としての英語はどこまでも英語のままである。
英語と日本語は直接に対比することができない。
文化(カルチャー)の濃密な繁栄、あるいは単語に組み込まれた濃密な文化としての言葉に、日本における似たようなそうした状況を考慮すれば対比できない。
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├庭に来る野鳥と心がずれることはない 甲斐鐵太郎 人はどのように働き、何を楽しみどのように生きていけば良いのかを考えている。ある人は生き方に対する考え方のすれ違いから、相方が生きにくくなった。心は普通ではなくなり相方と離れないと暮らせなくなった。妥協で折り合いをつけられる状態ではないから一緒に暮らせない。

 人と仕事。仕事と自分の関係。能力と仕事とそこからもたらされる満足。人と人との関係と同じように人と仕事の関係も良い折り合いがあってのこと。

 アユ釣り名人で半ばタレントであった村田満は大学受験で学校歴頂点を達成できずに折り合いをつけてしまった後に悟りを開いた。つまり開き直って「人生は釣りをしていればいいのだ」と決めたのであった。

 私が敬愛するナチュラリストで作家にして薪焚き人の田淵義雄はドングリが屋根に落ちてコロコロ転がる音を聞きながら薪ストーブに暖まってその炎のゆらぎを見ていればいいのだと伝える。薪をつくることに大きな労力を割き、野菜をつくり、少しの養蜂、岩魚を釣って食卓に上らせる。自分のために造った椅子など家具はその後に他人のためにつくるように様子が変わり、生活費に組み込まれることになった。

 田淵義雄は言う。ドングリがコロコロ転がった三角屋根の寒山の山小屋は増築などで少しずつ形を変えて、薪ストーブのための煙突の数が増えた。大きな会社の役員を退職した昔の仲間が羨むようなドイツ車で訪れて一緒にフライロッドを川上村川端下の川で振ったときに釣果がなかったことと重なって心のずれが大きいことに悲しみを覚えた。それは 都会に暮らし、成功者として世を生きる者と、高冷地でささやかな暮らしをする者との間に生じた自然への向き合い方の埋めがたいずれであった。

 亜高山帯のシラビソやミズナラ、シラカバ、カラマツの林が創りだす四季の彩りを映し出すテラスの椅子でくつろぐことを歓びとして生きていれば良いのあると考える。庭に来る野鳥とは心のずれが生じることがない。
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├「春の日と一人娘はくれそでくれない」ので5月は午後7時まで遊んでいられる
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