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散文、随筆、随想、小論文
JR草津駅の周辺は中山道草津宿であった(旅行家 甲斐鐵太郎)
(副題)向かい風が吹くと渡し船(矢橋渡し)を使より歩くのが速い。
(副副題)余程の感銘があったのだろう「急がば回れ」の言葉が生まれた。
草津宿の田中七左衞門本陣は現存し国の史跡になっている。
一般公開されているが現在は補修のための工事中だ。
JR草津駅南にある旧中山道。草津宿のく面影がここにはある。
草津宿には道祖神が祭ってあった。旅の無事を祈願するのだろう。
中山道草津宿のあるJR草津駅近くの時計と音楽のお店が店を畳む。
草津宿の渋川地区の昭和30年代の風景の記憶絵だ。
子供はチャンバラをし農耕馬が飼われている。どんど焼きも。
草津宿の渋川地区の昭和30年代の風景の記憶絵だ。
お寺の境内で野外映画が上映されている。農耕に機械はない。
(タイトル)
JR草津駅の周辺は中山道草津宿であった。
(副題)向かい風が吹くと渡し船(矢橋渡し)を使より歩くのが速い。
(副副題)余程の感銘があったのだろう「急がば回れ」の言葉が生まれた。
(本文)
滋賀県でもっとも賑やかになった街である草津市のJR草津駅付近を散策した。正月明けに年賀状をここの郵便局で投函して散髪をしたついでのことであり晩飯は餃子の王将で弁当を買った。草津市界隈には京都と大阪の企業が工場を建てた。大阪までの通勤にも便利だからマンションが建った。京都の大学がこの地に大きな学舎を建てるようにもなった。
JR草津駅の南口の周辺は中山道草津宿であった。草津宿は三条大橋、大津を経てここで東海道と中山道に分かれるということで草津宿は追分なのである。ここには貫目改所(かんめあらためじょ)があった。宿場には「問屋場」があり旅人に人足や馬を手配する。扱われる荷物の重さ(質量)を検査するのが貫目改所(かんめあらためじょ)の仕事である。貫目改所は正徳2年(1712年)に草津宿、東海道の品川宿と府中宿、中山道の板橋宿と洗馬宿の全国5か所につくられた。公正のためか税をとるための組織が貫目改所であるかどうかは知らない。
草津宿の宿内家数は586軒、うち本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠72軒で宿内人口は2,351人であると天保14年(1843年)の『東海道宿村大概帳』に記載されている。『東海道宿村大概帳』にある中山道の奈良井宿の宿内家数は409軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒で宿内人口は2,155人とあるから、草津宿は大きな宿場であった。
馬に乗っても籠に乗っても旅は疲れる。旅は歩くことであったから草臥(くたび)れる。だから宿場町には和菓子屋がある。草津宿のそれは「うばがもち」である。矢橋道(やばせみち)との分岐点に姥餅屋(うばもちや)があった。現在の「うばがもち」屋は移転して営業している。
矢橋(やばせ)から大津へ向かうのに琵琶湖に乗り出す渡し船(矢橋渡し)を使うと、陸路の瀬田の唐橋経由より速い。向かい風になると漕いでも船は前に進まない。そのときは歩いて瀬田の唐橋を渡った方が速い。なぞられて「急がば回れ」といった。瀬田は勢多と書いていた。地名はよく変わる。軽々と変わる地名であるから漢字をみて意味を探ってはならない。瀬田の唐橋は「勢多のなかはし」と書かれていた。
二つあった本陣は田中七左衞門(七左衞門本陣、別名は木屋本陣)と田中九蔵(九蔵本陣)であり、田中七左衞門本陣は現存し国の史跡になっている。一般公開されているが現在は補修のための工事中だ。田中七左衞門本陣の大福帳には浅野内匠頭、吉良上野介、土方歳三などの名がある。
草津駅近くの宿には7泊て京都と大阪にでかけた。京都と大阪の宿は高いが草津駅周辺は安い。物見遊山をしているのではないから安い宿にする。スーパーマーケットで食料を求めて宿で食べる。草臥れているから一缶のビールで目を回す。
(文章と写真は旅行家 甲斐鐵太郎)
(文章を読み返しておりません。誤変換と表現のまずさを補ってお読みください)
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ブログの問題点そして本式のweb本体の利点-その1-
(私はFacebook、mixi、Twitterは好きでない)
ブログの問題点そして本式のweb本体の利点-その2-(執筆 横田俊英)
(副題)楽天ブログの「日記の編集・削除」見たまま編集でコピーしてweb本体に貼り付ければ完成。
(副副題)本式のweb本体をコンテンツ掲載の本体として、ブログは本体とリンクするなどして連動させて運営する。
フィルムカメラとデジタルカメラの発展の速度の違い。
(副題)フィルム写真の像はデジタル写真にはない趣(おもむき)を2017年現在では残していると思われる。
(副副題)フィルムを使ったカメラの時代であればフィルムの発展は化学方面の発展と歩調を合わせる。
タクシーの料金改正は計量検定所のメーター検定と連結する。
(副題)新しい考え方を導入したタクシー料金の改定が東京都の京23区と武蔵野市および三鷹市からなる東京地区で2017年1月30日から実施された。
(副副題)初乗り後は新運賃では237メートルごとに80円になった。これまでは280メートルごとに90円だった。
フィルムカメラのミノルタXG-SとMDロッコール50mmf1.7
(副題)ミノルタ「XG-S」は1979年に発売された絞り優先EEの横走り布幕フォーカルプレーンシャツターのカメラ。
(副副題)シャッターボタンを押すとシャッター膜がパーンと走るXG-Sに対してもたつくXDです。
オリンパスペンEED(1967年発売)というハーフサイズのフィルムカメラです。
(副題)画質はフィルム面積相当比、つまり2倍荒れてしまいます。これがハーフサイズカメラがもっている宿命です。
(副副題)オリンパスペンEEDはプログラムオートの露光をセレン光電池を使わずにHDタイプの電池を用いております。
コーヒーを飲み一息吐いて窓を開けると白い世界が広がっていた、雪の朝だ。(旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №28)
(副題)2017年1月10日夕刻に雪が降りだした。積もりそうな気配があったので雪への準備をしていると月が出てきてた。
(副副題)5センチメートルほどの積雪ではあっても樹木は雪に覆われて土色の冬景色が白一色になっていた。
2017年のフキノトウは3月5日の日曜日に目にしました。フキノトウは香り高い春一番の山菜です(旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №29)
(副題)子供たちにもがれるか心配でしたが3月7日夕刻に写真を撮るまで無事でした。
(副副題)フキノトウを撮影したのは2004年発売のデジタル一眼レフカメラ「ニコンD70」です。
ライカM5への思いを残してCanon EOS 5DとNikon D70で風景を撮る。(旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №30)
(副題)買った品物をそこそこの値段で売るという中古カメラの売買の楽しみは消えました。
(副副題)ニコン F6 ボディは新品273,330円、中古79,980円から(キタムラネットショップ2017年3月9日付け)
「富士山や月は東に日は西に」2017年3月11日午後6時。(旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №31)
(副題)蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」の富士山版で「富士山や月は東に日は西に」。
(副副題)撮影カメラはEOS 5D。35mmフィルムカメラの画面と同じ大きさの撮像素子のカメラだ。
陽光に輝く雪の日(2月11日)の大きな木の枝を思い出していた
(副題)2017年2月11日、9:00:12の風景。窓の南の木にキジバトが留まっていた。
(副副題)仕事をするための机回りとパソコン操作がらみで改善をした。
JR草津駅の周辺は中山道草津宿であった。
(副題)向かい風が吹くと渡し船(矢橋渡し)を使より歩くのが速い。
(副副題)余程の感銘があったのだろう「急がば回れ」の言葉が生まれた。
「春風そよふく」春一番が吹いた2月17日です。「菜の花畠に入日薄れ」とは色彩豊かな高野辰之の言葉です。
(副題)フレディ・ハバードのジャズピアノが流れ出しました。タイマー予約がしてあったのです。
(副副題)ジャズのジョージ・ベンソンが好きです。ソングライターのジョージ・ベンソンも好きです。
2017年は2月17日に春一番が吹きました。『早春賦』は儚(はかな)さを歌い、『朧月夜』は春を喜ぶ歌です。
(副題)『早春賦』の歌詞のどこにも春はありません。春を待つ心になぞらえて人の儚さを歌っております。
(副副題)高野辰之の『朧月夜』(おぼろづきよ)は春の歌です。春風そよふく、菜の花畠に、蛙(かはづ)のなくね、とあります。
2017年は2月25日に冬の郡上八幡を散策しました。
(副題)1月12日は赤い南天玉が吊してあった旧八幡町庁舎には本染めの展覧の垂れ幕が下がっておりました。
(副副題)天空の郡上八幡城の城下町では郡上おどりが舞われます。
2017年は2月28日に八ヶ岳美術館を訪れて常設の清水多嘉示の作品を見ました。
(副題)企画展の「小宮のおんばしら写真展」と「モボが写した原村」写真展を面白く見ました。
(副副題)八ヶ岳と霧ヶ峰高原がつくりだす景色はそこにいなくても私を癒します。
沢渡に泊まり晴れたら上高地の見物にでかける、5月8日の沢渡。
(副題)市営第二駐車場まえにある宿は素泊まり三千円。贅沢はできないがくつろぐ。
(副副題)沢渡バスターミナル付近の5月8日春の盛りであった。上高地の緑は未だだ。
山梨県の道志村を富士山に向かって走る。4月27日のことだ。山中湖は桜の見頃であった。
(副題)奥道志の民宿が見える一風呂浴びて日本酒を飲みたいと思う。
(副副題)多摩丘陵は4月12日には青く萌えていた。それから2週間、奥道志は緑であった。
山の向こうに五箇山を感じる5月5日の城端曳山祭。
(副題)春は遅い。街の向こうに壁のようにそびえる山の先は五箇山なのだ。
(副副題)五箇山は絹織物で栄えた町であるが今はその工場跡をわずかに確認できる。
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