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散文、随筆、随想、小論文

フィルムカメラとデジタルカメラの発展の速度の違い。(執筆 横田俊英)


(副題)フィルム写真の像はデジタル写真にはない趣(おもむき)を2017年現在では残していると思われる。
(副副題)フィルムを使ったカメラの時代であればフィルムの発展は化学方面の発展と歩調を合わせる。

フィルムカメラの「トプコンREスーパー」に「トプコール RE.58mm F1.4」の組み合わせ。


フィルムカメラのキャノンVT。(レンズ交換式レンジファインダーカメラ)


フィルムカメラのオリンパスOM-2N。


フィルムカメラのニコンF2(Nikon F2)


フルサイズのデジタル一眼レフカメラのキャノンイオス5D。


(タイトル)
フィルムカメラとデジタルカメラの発展の速度の違い。
(副題)フィルム写真の像はデジタル写真にはない趣(おもむき)を2017年現在では残していると思われる。
(副副題)フィルムを使ったカメラの時代であればフィルムの発展は化学方面の発展と歩調を合わせる。


(本文)
 写真撮影の心得のためにいろいろ調べているうちにデジタルカメラの発達の様子を垣間見ることになりました。

 一年経てばそれより良いデジタルカメラが登場して5年経てばすべてがひっくり返る。トップモデルの電池の消耗が激しいことが市場でばれてしまったり、あれやこれがあるからカメラ雑誌がつくる評判をそのまま受け入れることができない。

 デジタルカメラに完成された状態はない。あれとこれとということで新しい機能が登場する。撮像素子の発展は半導体素子の発展であるからムーアの法則がそのまま当てはまっている。この先どこまで進むのかわからないが、とどまることもまたない。

フィルムを使ったカメラの時代であればフィルムの発展は化学方面の発展と歩調を合わせるから、振り返ってみると確かに良くなったという程度のものである。

 35mmフィルムは映像の鮮明度ということではその面積が限界になるので限界点を突破しようとするとフィルムサイズを大きくしていくしかない。フィルムサイズが大きくなるとフィルム面の平面の度合いが保てない。写真は大衆のものであるから商業として成立することが求められ、そのためにフィルム写真は35mmフィルムとそれを使うカメラがフィルムカメラの主流となった。特別に繊細な画像が求められる分野で大型のフィルムを使うカメラが用いられた。

 フィルムカメラの時代は映像の鮮明度の発達は緩やかであり、ほとんど進まないといってよいほどなのでレンズの性能のわずかの差異を蒸し返すことがなされた。フィルムカメラではボディーの手触りだとか機能部品の配置などを詮索して優劣が論じられもした。そうしたこともあってフィルムカメラは写真撮影機材であってもその造形は芸術を思わせる領域に達することになった。

 フィルムカメラ時代は長くつづくように思われた。露光と焦点合わせが自動になり、フィルム巻き上げも自動になった。フィルムカメラ時代の末期は同時に最盛期でもあった。現像代0円、低額のプリント代の設定で、いろんな所にプリントショップができたのであった。

  市場へのデジタルカメラの浸透は恐る恐るというものであった。デジタルカメラの値段は高かったが大衆向けの供給体制ができあがると一気に低価格が実現して、普及は急であった。その後はフィルムカメラによる写真撮影の市場はデジタルカメラによるものへと置き換わった。

 写真市場がデジタルカメラによるものになった後にも撮像素子の進歩が進んでおり、これに連動して新しい機種が登場する。

  手持ちのデジタルカメラを何時までどこまで使って次に乗り換えていくかということが問題になる。電池の充電が効かなくなったときがその機会になる。私がニコンのデジタル一眼レフカメラの旗艦ともいうべきD1xを使わなくなったのこの時であった。このカメラは満杯の充電状態でも撮影枚数は少なかった。

 それにもまして少なかったのがオリンパスのズームレンズを固定した一眼レフカメラで単3乾電池を入れて使うのであったが8枚も撮影するとそれで終(しま)いであった。カメラの故障ではないかと想定されたのでもう一台用意したが同じであった。

 市場への参入を急ぐあまりに不具合な商品を投入したというのが一眼レフのデジタルカメラであり、私は上の二つのカメラでその事例を経験した。カメラメーカーは自らの力不足をそのままユーザーに押しつけて知らぬ顔をする厚かましさであった。

 写真撮影はデジタルカメラによってなされる時代になった。撮影の基本はデジタルカメラである。その一方でフィルムカメラによる撮影ができる状況が残されている。印画の最終の状態は小さな点を打ち付けるものであるからデジタル写真もフィルム写真もプリントすると同じようになる。フィルム写真はフィルムに塗りつけた化学物質を感光させる手法であり、できあがる像の原版はデジタルカメラのデジタルデータとは異なる。難しいことはわからないがフィルム写真の像はデジタル写真にはない趣(おもむき)を2017年現在では残していると思われる。

  仕事がらみの写真はデジタルカメラで撮影する。これ以外はない。思い出を愛着のあるカメラで記録するというときにフィルムカメラを使う。できあがった写真にデジタルカメラとフィルムカメラによる撮影に大きな差異を見いだすことは難しいが何となくフイルムカメラで撮影した写真には柔らかみがあるように思うのは何故であろうか。

(文章を読み返しておりません。誤変換と表現のまずさを補ってお読みください)

(関連文書です)
ブログの問題点そして本式のweb本体の利点-その1-
(私はFacebook、mixi、Twitterは好きでない)


ブログの問題点そして本式のweb本体の利点-その2-(執筆 横田俊英)
(副題)楽天ブログの「日記の編集・削除」見たまま編集でコピーしてweb本体に貼り付ければ完成。
(副副題)本式のweb本体をコンテンツ掲載の本体として、ブログは本体とリンクするなどして連動させて運営する。


フィルムカメラとデジタルカメラの発展の速度の違い。
(副題)フィルム写真の像はデジタル写真にはない趣(おもむき)を2017年現在では残していると思われる。
(副副題)フィルムを使ったカメラの時代であればフィルムの発展は化学方面の発展と歩調を合わせる。


フィルムカメラのミノルタXG-SとMDロッコール50mmf1.7
(副題)ミノルタ「XG-S」は1979年に発売された絞り優先EEの横走り布幕フォーカルプレーンシャツターのカメラ。
(副副題)シャッターボタンを押すとシャッター膜がパーンと走るXG-Sに対してもたつくXDです。

オリンパスペンEED(1967年発売)というハーフサイズのフィルムカメラです。
(副題)画質はフィルム面積相当比、つまり2倍荒れてしまいます。これがハーフサイズカメラがもっている宿命です。
(副副題)オリンパスペンEEDはプログラムオートの露光をセレン光電池を使わずにHDタイプの電池を用いております。


コーヒーを飲み一息吐いて窓を開けると白い世界が広がっていた、雪の朝だ。(旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №28)
(副題)2017年1月10日夕刻に雪が降りだした。積もりそうな気配があったので雪への準備をしていると月が出てきてた。
(副副題)5センチメートルほどの積雪ではあっても樹木は雪に覆われて土色の冬景色が白一色になっていた。


2017年のフキノトウは3月6日の日曜日に目にしました。フキノトウは香り高い春一番の山菜です(旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №29)
(副題)子供たちにもがれるか心配でしたが3月7日夕刻に写真を撮るまで無事でした。
(副副題)フキノトウを撮影したのは2004年発売のデジタル一眼レフカメラ「ニコンD70」です。


ライカM5への思いを残してCanon EOS 5DとNikon D70で風景を撮る。(旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №30)
(副題)買った品物をそこそこの値段で売るという中古カメラの売買の楽しみは消えました。
(副副題)ニコン F6 ボディは新品273,330円、中古79,980円から(キタムラネットショップ2017年3月9日付け)


「富士山や月は東に日は西に」2017‎年‎3‎月‎11‎日午後6時。(旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №31)
(副題)蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」の富士山版で「富士山や月は東に日は西に」。
(副副題)撮影カメラはEOS 5D。35mmフィルムカメラの画面と同じ大きさの撮像素子のカメラだ。


陽光に輝く雪の日(2月11日)の大きな木の枝を思い出していた
(副題)2017年2月11日、9:00:12の風景。窓の南の木にキジバトが留まっていた。
(副副題)仕事をするための机回りとパソコン操作がらみで改善をした。


JR草津駅の周辺は中山道草津宿であった。
(副題)向かい風が吹くと渡し船(矢橋渡し)を使より歩くのが速い。
(副副題)余程の感銘があったのだろう「急がば回れ」の言葉が生まれた。


「春風そよふく」春一番が吹いた2月17日です。「菜の花畠に入日薄れ」とは色彩豊かな高野辰之の言葉です。
(副題)フレディ・ハバードのジャズピアノが流れ出しました。タイマー予約がしてあったのです。
(副副題)ジャズのジョージ・ベンソンが好きです。ソングライターのジョージ・ベンソンも好きです。


2017年は2月17日に春一番が吹きました。『早春賦』は儚(はかな)さを歌い、『朧月夜』は春を喜ぶ歌です。
(副題)『早春賦』の歌詞のどこにも春はありません。春を待つ心になぞらえて人の儚さを歌っております。
(副副題)高野辰之の『朧月夜』(おぼろづきよ)は春の歌です。春風そよふく、菜の花畠に、蛙(かはづ)のなくね、とあります。


2017年は2月25日に冬の郡上八幡を散策しました。
(副題)1月12日は赤い南天玉が吊してあった旧八幡町庁舎には本染めの展覧の垂れ幕が下がっておりました。
(副副題)天空の郡上八幡城の城下町では郡上おどりが舞われます。


2017年は2月28日に八ヶ岳美術館を訪れて常設の清水多嘉示の作品を見ました。
(副題)企画展の「小宮のおんばしら写真展」と「モボが写した原村」写真展を面白く見ました。
(副副題)八ヶ岳と霧ヶ峰高原がつくりだす景色はそこにいなくても私を癒します。


沢渡に泊まり晴れたら上高地の見物にでかける、5月8日の沢渡。
(副題)市営第二駐車場まえにある宿は素泊まり三千円。贅沢はできないがくつろぐ。
(副副題)沢渡バスターミナル付近の5月8日春の盛りであった。上高地の緑は未だだ。


山梨県の道志村を富士山に向かって走る。4月27日のことだ。山中湖は桜の見頃であった。
(副題)奥道志の民宿が見える一風呂浴びて日本酒を飲みたいと思う。
(副副題)多摩丘陵は4月12日には青く萌えていた。それから2週間、奥道志は緑であった。


山の向こうに五箇山を感じる5月5日の城端曳山祭。
(副題)春は遅い。街の向こうに壁のようにそびえる山の先は五箇山なのだ。
(副副題)五箇山は絹織物で栄えた町であるが今はその工場跡をわずかに確認できる。





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