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ある計測技術者外伝 後日譚(2) 矢野耕也
戦争の記憶
A Certain Measurement Engineer: Sequel (2) by Koya Yano

昭和20年3月10日の東京大空襲の経験である。中学1年生だった当時、3月9日に夜間行軍と称する軍事教練のようなものがあり、23時頃に都内の学校を発ち渋谷を抜けて多摩川までの徒歩行がメニューであった。

ある計測技術者外伝 後日譚(2) 戦争の記憶 矢野耕也


(計量計測データバンク編集部)

ある計測技術者外伝 後日譚(2) 戦争の記憶 矢野耕也

ある計測技術者外伝 後日譚(2) 戦争の記憶 矢野耕也

ある計測技術者外伝 後日譚(2) 戦争の記憶 矢野耕也

(タイトル)

ある計測技術者外伝 後日譚(2) 戦争の記憶 矢野耕也

(本文)


国民服に戦闘帽(右) 弟と親の疎開先の男衾にて(昭和20年9月)

 計量計測に関する法体系は、明治8年太政官達第135号による度量衡取締条例(1891年(明治24年)3月24日公布に始まり、1893年(明治26年)1月1日から施行されているという非常に長い歴史を持つことから、計量計測に関わった人の数は星の数ほどいるであろう。関係した個人にもさまざまな背景があるとはいえ、今回の内容も新聞という公器で取り上げるものではないかも知れないが、戦後80年の現在、太平洋戦争を挟んだ世代の声として残すことをご容赦願いたい。

 計量研究所時代に硬さ制定に関わった矢野宏は両親がともに教師という家庭環境の下に生まれたことは前号で記したが、生き物を飼ったり理科の工作をするのが好きだったと話していたことから、広い意味で理系タイプであったのだろう。

 夏休みは母方の出身地である小田原へ避暑に出かけていたが、軍靴の音が高まるにつれ、父方の実家である宮城県の鳴子に場所を変えたというから、当時の生活水準からしたらやや優雅な部類に属していたのかも知れない。また時期は定かでないが、幼少期のチャンバラごっこの最中、相手が振りかざした棒が片目に刺さり、以降片目の視力をほとんど失い、父親は泣いて悔やんだという。

 また母親の弟(矢野宏の叔父)は当時早稲田大学の建築学科の学生で後の東京タワーの設計で有名な内藤多仲に師事していたが、ご子息が矢野宏の小学校の同窓で、入学式か何かで恐れ多い師の内藤多仲と同席をする羽目になり、かなり緊張をしたと聞かされたという。

 子供だから仕方がないが、6歳になる昭和12年12月の南京陥落の提灯行列に出かけたことは記憶していたが、幼少期の話はほとんど出てこない。また常に自然科学以外の法則は一切信じないと強く主張しており、子供が興味を持ちそうな迷信の話は一切聞こうとしなかったが、幼児期の思い出としてトイレでの用足しの際、窓際で人魂を見たと話していたことがあった。子供相手だから誇張もあるとは思うが、オカルトの話は頭ごなしに否定する人物がまじめに言っているのがおかしかった。

 次によく聞かされたのが、昭和20年3月10日の東京大空襲の経験である。中学1年生だった当時、3月9日に夜間行軍と称する軍事教練のようなものがあり、23時頃に都内の学校を発ち渋谷を抜けて多摩川までの徒歩行がメニューであった。空襲が始まった10日未明、ちょうど現在の赤坂警察署~旧港区赤坂公会堂のあたりで焼夷弾が降り出して道路端にあった防空壕に逃げ込み、その場で夜間行軍は中止になったという。

 平成の末の話になるが、品質工学会での仕事を終えてタクシーで帰る際、青山通り沿いの同じ場所を通過すると必ずその話が出てきたものである。なお出発をした校舎は空襲で焼け落ちたらしく、学校で被災したと思い込んでいた母親がかなり心配をして探し回っていたと聞かされた。

 以降本土への空襲が激しくなってきたためか、2歳下の弟と避暑先であった宮城県の鳴子に疎開をしたが、仙台へ向かう列車が常磐線経由であったため、風船爆弾で有名な勿来近辺で米軍の艦砲射撃に遭い、乗客一同、弟と共に列車から逃げ出したという話もよく聞かされた。運よく当時の国鉄に親族がいたようで、仙台駅の手前にあった長町の車掌区に泊めてもらい、無事に疎開ができたという。

 また疎開先で何をしていたかはわからないが、裸馬によく乗っていたといい、「馬は怖がるとそれに気づいて舐めてくるから恐れてはだめだ」とよくいわれた。しかし現地の学校との授業進捗の差を気にしてなのか、戦後早々に帰京したと聞いている。とはいえ、教育的に皇国主義の影響を受けたせいか、終戦後は気が抜けたというよりかは不機嫌になり塞ぎ込んだと親が証言していて、戦争世代にありがちななんとなくの皇室嫌い、右寄り否定のスタンスはこの辺に端を発するのも止むを得ないのだろうか。

 仕事の匂いを嗅ぎつければ何でも飛びつく性格ではあったものの、個人的な交流は極めて少なく、小学校時代の友人の田中君という方とは矢野宏が病に倒れる寸前まで交流が続いていた数少ない幼馴染であったが、近所で幼稚園を兼ねた教会の牧師さんをしていた彼の父親がある時米軍のジープに跳ねられて亡くなってしまい、相手が相手だけに泣き寝入りのままであったと聞いた。当時はそういった無謀な話が山ほどあったのであろう。(続く)

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ある計測技術者外伝 後日譚(2) 戦争の記憶 矢野耕也
ある計測技術者外伝 後日譚(1) 計ると測る 矢野耕也

目次 官僚制度と計量の世界 執筆 夏森龍之介

官僚制度と計量の世界(24) 戦争への偽りの瀬踏み 日米の産業力比較 陸軍省戦争経済研究班「秋丸機関」の作業 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(23) 第二次大戦突入と焦土の敗戦「なぜ戦争をし敗れたのか」 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(22) 結核で除隊の幹部候補生 外務省職員 福島新吾の場合 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(21) 戦争と経済と昭和天皇裕仁 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(20) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(19) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(18) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(17) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(16) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(15) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(14) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(13) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(12) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(11) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(10) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(9) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(8) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(7) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(6) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(5) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(4) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(3) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(2) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(1) 執筆 夏森龍之介

ほか

[資料]国立研究開発法人産業技術総合研究所:役員および執行体制 (aist.go.jp)
https://www.aist.go.jp/aist_j/information/organization/director/director_main.html

[資料]

人の平均寿命は伸びてきたが絶対寿命は120年 夏森龍之介

銀行券・貨幣の発行・管理の概要 : 日本銀行 Bank of Japan

財務省が第153次製造貨幣大試験を実施 令和6年10月28日、大阪市の造幣局で

第153次製造貨幣大試験を実施しました : 財務省

貨幣大試験 - Wikipedia

貨幣として機能した麻薬のアヘン

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計量計測トレーサビリティのデータベース(サブタイトル 日本の計量計測とトレーサビリティ)
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