私の履歴書 安斎正一(計量士)-その10-
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私の履歴書 安斎正一(計量士)-その10-計量士会入会から役員35年間続く
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計量士会入会から役員35年間続く
東京計量士連合会へ28歳で入会
私が計量士の資格を取得したという情報が会社の営業部門を通して各百貨店の計量士に伝えられたため、銀座松屋の奈良部尤さんという計量士の方から至急来るように呼ばれ、早速計量士会へ入るように言われ、東京計量士連合会へ入会すると同時期に新年交歓会が開催されたため新人入会の紹介をされたのです。
次々と名刺交換が続き、東京の百貨店は皆が君の会社のハカリを使っているんだから君は入会と同時に役員の見習生だというようなことを言われて、次の例会や役員会のときには早目に会場へ行って机と椅子をならべたりしたのでした。
このころの会場は、日本橋兜町の日本穀物検定協会会議室で、つい最近までお元気に活躍されておられた中山敏雄計量士が新人の私と一緒に親切に会場準備をやってくれたことを覚えております。
社団法人日本計量士会東京支部へ
私が計量士会へ入会したその年に、社団法人日本計量士会が発足し、私達の東京計量士連合会は日本計量士会東京支部になったのです。
最初の支部長は原善造さんで、次が岩瀬茂雄さん、榎本貞一郎さんそして奈良部尤さんと続いていったのです。
この間の前半約二十年間は奈良部尤さんと中山敏雄さんの指示のもと、私は総務関係を続け、私より一年ほど後輩の斉藤和義さん(現在東京計量士会副会長)が会計を行い二人で力を合わせて会務を続けてきたのです。
計量士会通知宛名書きにパソコン登場
昭和55年ごろ、秋葉原電気街で若者の間でマイコン(当初パソコンをマイコンと呼んでいた)人気が高まっているというテレビを見て、私もコンピューターに激しく心を惹かれたのです。
勿論、まだ一般家庭どころか会社でも開発技術関係者しかコンピューターを知らない当時、妻に無理を言って、「本体27万円、ソフト5万円、プリンター14万円、合計46万円」もした夢のコンピューターを購入したのです。
コンピューター雑誌を見ながらベーシックという言語で自分でプログラムを作ることに食事も後回しにするほど夢中になったころがありましたが、このころの努力が10年後に会社の社員全員がパソコンを持たされ、50歳でもスンナリと社員間でのメール交換も出来たことに繋がったのです。
計量士会の役員の私は、例会や総会などの会員への通知発送担当であったため、至急の通知は妻にも手伝わせて夜中の2時ごろまでかかって宛名書きをして、朝一番に投函していたのでした。
そこで、自宅のパソコンに百数十名の会員住所氏名をインプットして、ハガキやラベルへの宛名書きを始めたのです。暫くはカタカナでしたが当時は銀行からの通知などもカタカナ印刷でしたので計量関係では画期的な出来事だったと、よく奈良部支部長から褒められたものでした。
東京計量士会会報創刊号の編集責任者拝命
平成に入って間も無く計量法大改正の作業が始まり、私は勤務する寺岡精工から会社代表として計量法改正会議に出るようになり、この作業部会などが増えて忙しくなってきたため計量士会へ出席することが出来なくなり、奈良部支部長に頼んで計量士会役員の会務を大内英夫さんに代わっていただきました。
年月は飛びますが、東京計量士会の奈良部会長が思いもしなかった病に倒れられ、後任に白石清会長になったとき、会報を創刊することになり私が初代会報部長を拝命したのです。
会報部員は、書き物の記事も編集も素人ばかりでしたが、皆で協力して何とか曲がりなりにも創刊号から三号まで一年間の編集責任者を務めさせていただき、会員の皆様有難うございました。
(つづく)
私の履歴書 安斎正一 目次
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その1-本欄の執筆をなぜ私が?
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その2-私の職場
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その3-私が生まれた日と父母兄弟について
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その4-夜間高校生と計量士との出会い
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その5-大学進学と空腹の日々
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その6-妻との出会い
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その7-寺岡精工へ入社
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その8-計量教習所と計量士資格取得
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その9-計量士資格取得
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その10-計量士会入会から役員35年間続く
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その11-寺岡精工CIは「新しい常識を創造する」
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私の履歴書 齊藤勝夫(元千葉県計量検定所長、元流山市助役)(日本計量新報デジタル版)
私の履歴書 齊藤勝夫(元千葉県計量検定所長、元流山市助役)(日本計量新報デジタル版)-その1-
第一章 私の歩んだ道-公務員として信念を持って 第1編 公務員人生を歩みだす
千葉県中の「ハカリ」を検査を一人でする。新品は係長が検定をやる。日曜もなしだ。
私の履歴書 齊藤勝夫(元千葉県計量検定所長、元流山市助役)(日本計量新報デジタル版) -その2-
第一章 私の歩んだ道-公務員として信念を持って 第2編 度量衡法末期の実状
「国敗れても度量衡行政は敢然として実施する」難行を経験者として語り継ぐ
私の履歴書 齊藤勝夫(元千葉県計量検定所長、元流山市助役)(日本計量新報デジタル版) -その3-
第一章 私の歩んだ道-公務員として信念を持って 第3編 新しい夜明け、計量法の歩み
1960年代以降、人口急増と工業県に変遷していく中での千葉県の計量行政に全身全霊で取り組む
私の履歴書 高徳芳忠 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録-その1-はじめに
西宮高校から神戸大学の計測工学科に進み川崎製鉄千葉製鉄所で計量の仕事を始める
私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その2-我が家と計量の係わり
祖父の高徳純教が「はかり屋」を始め社名に「メートル」を用いた気概に敬服
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