私の履歴書 安斎正一(計量士)-その7-
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私の履歴書 安斎正一(計量士)-その7-寺岡精工へ入社
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寺岡精工へ入社
不思議な僧侶の占いが百パーセント的中
話は数カ月さかのぼり、大学卒業まで三カ月余りの年の瀬、大学卒業後の仕事について悩んでいたとき、大家さんが占いのお坊さんが来たので私に占ってもらうように勧めるのです。
聞いてみたら、お寺の名前は忘れてしまいましたが相当な幹部のお坊さんだそうで、「透視」という占いとのことで私の占いが始まり、次に箇条書きした事項を言われたのですが、今でも百パーセント的中し続けていると不思議に思いながら、時々このお坊さんのことを思い出しているのです。
イ、あなたは、節分までは人生で最悪の年にあるため、今は何をしても決まらないのです。
ロ、しかし、節分を過ぎると一転して最良の年となり、二月中旬にはあなたのお嫁さんになる女性が現れます。
ハ、更に、三月には素晴らしい就職先が見つかり将来は世に出て安泰です。
ニ、新しい就職先は南の方になります(占い場所は中央区、就職先は大田区で南方でした)。
ホ、将来、仕事上で上司の妬みによる嫌がらせが生ずるが、賢いあなたは上手にかわします。
ヘ、歳月を重ねるほど夫婦円満の楽しい生活が続きます。
大学卒業一週間前のこと
卒業式は3月20日、ところが三月初めに寺岡精工の社員が築地市場に営業に来ていたとき、私は、何の気なしに「寺岡には計量士は十人ぐらい居るのですか?」と質問したのでした。
「会社では、社員計量士を養成しようと必死なのだが、若い社員が嫌って逃げ回って困っているのですよ。そのため東京都計量検定所を定年になった稲垣政信計量士が週二日ほど来て計量士業務をお願いしているのです」と、考えもしなかった社員計量士空白の話を聞きました。
私は間髪を入れずに「あのう、私が寺岡へ就職して、もし計量士の資格を取ると言ったら、採用していただけますか」と言うと「あなたなら、鬼に金棒、今日会社に帰って取締役に話してみます」と弾んだ声で言われました。
そして翌日、一日も早く会社に面接に来て欲しいという吉報が入ったのです。
大学卒業日の一週間前の昭和43年3月13日に初めて寺岡精工の門をくぐり、当時の林幸信取締役・技術部長の面接を受けました。
既に、4月1日に25名の新入社員が決まっているが、君は計量経験者として無試験で合格とするので、4月1日に新入社員として入社し、最短時間で社員計量士第一号として資格を取ってほしいと言い渡されたのでした。
当時の築地市場協会の職員の皆様へ感謝のお別れ
あと二週間後の4月1日に寺岡精工への入社が決まりました。五年七カ月勤務した築地市場協会の皆様から恨まれてしまったら、後味の悪い退職になってしまうが、もう時間が無いので今日は心を決めて退職、と寺岡精工入社を話したのです。
当時の恋塚寿郎事務局長と安田一計量士は、君にここで計量士になってほしいと考えていたが、君は寺岡へ行った方が出世すると言って連名で当時の寺岡武治社長宛の「推薦書」を書いてくださったのです。私は、このとき将来このような太っ腹な人間になろうと感謝の気持ちでいっぱいになりました。
寺岡精工・計量教習所・計量士資格取得
入社して最初の仕事は、検査規程作成
寺岡精工へ入社して配属されたのは製品検査課でしたが、最初は現場の仕事ではなく「検査規程」という社内検査の規格書を作成する仕事を与えられたのです。
つまり、当時計量法が改正され、社内検査が義務づけられたためその社内検査の規格と検査基準書を作るということです。毎日、計量法の計量器検定検査規則の条項と社内製造製品とを調べて上司に相談しながら、三カ月ほどで目的とする「検査規程」を完成させ、東京都計量検定所へ届出したように記憶しております。
計量教習所へ入所
入社試験を免除された代わりに計量教習所は一回で入所試験に合格しなければなりませんでした。私は計量教習所の所在地が新宿区河田町に在った最後の第三十三期の入所を目指したのです。
東京都内在住であったことから計量教習所の場所確認もあって、入所試験願書を持って直接出向いて行って受付で応対してくれた方が矢作先生だったと思う、私の提出書類を見て、「理科大卒のあなたには入所試験を免除にしたいのだが、免除規定がないので一応入所試験を受けてください…申し訳ありません。」と冗談を言われて、願書提出は楽しかったです。
私たちが計量教習所へ入所したころが最盛期だったようで入所試験で落ちる人がいると聞いていたので少し心配もありましたが、会社との約束通り一回で入所試験の合格通知を受け取ることができたのです。
(つづく)
私の履歴書 安斎正一 目次
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その1-本欄の執筆をなぜ私が?
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その2-私の職場
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その3-私が生まれた日と父母兄弟について
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その4-夜間高校生と計量士との出会い
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その5-大学進学と空腹の日々
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その6-妻との出会い
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その7-寺岡精工へ入社
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その8-計量教習所と計量士資格取得
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