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私の履歴書 安斎正一(計量士)-その5-
大学進学と空腹の日々

私の履歴書 安斎正一(計量士)-その5-大学進学と空腹の日々

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私の履歴書 安斎正一(計量士)-その5-大学進学と空腹の日々

 大学進学と空腹の日々

(本文)

大学進学と東京オリンピック開催

 昭和39年は私にとっても節目の年、高校卒業数ヶ月前の或る日職員室に呼ばれ、担任の高瀬清晃先生、数学の山本先生そして物理の江口先生から「君ならやれる」という強い進学への勧めもあって、自分には夢にも考えられなかった夜間大学へ進むことになったのです。

 私は、お金が無いので入学金も授業料も安い大学でないと行けないんですと言うと、物理の江口先生が“それじゃー私の大学なら夜間部でも良いし、授業料も安い方だよ”・・・先生の大学はどこですか?・・・飯田橋にある理科大だよ、気に入るかどうか一度下見に入ってみたらと言われたことを覚えております。

 それから約一ヵ月後、担任の先生が君の推薦入学願書を大学へ送っておいたから君は合格するだろうと告げられたのですが、心配で必死に受験勉強に取り組んでいたのです。
 一月下旬のある日に推薦入学合格通知が届いて、数年前まではせめて高校だけでもと思っていたのに、まさかの東京理科大学(Ⅱ部)理学部物理学科へ進めるとは夢のような心境の日が到来したのです。

 四月に晴れて23歳で大学一年生、何故か名簿の学籍番号で私が一番であったため数学、英語、ドイツ語、物理と先生が学籍番号順に問題解答や翻訳を指名してくるのですが、最初に当てられる私の問題や翻訳は簡単だったので、先生が“ハイ正解”と言うと、クラスの多くの生徒が一番は羨ましいと言うことしきり、ここでも私は皆から名前を覚えられるということがあったのです。

 丁度、この年は東京大阪間に夢の超特急新幹線が走り、10月10日には快晴の国立競技場で東京オリンピックの開会式が挙行され、日本国中が大発展の最中にあったのです。

空腹に耐える日々

 何しろ当時の月給は一万円そこそこなので、アパート家賃・授業料・電車定期代などはどうしても必要な固定費であり、切り詰めるのは食費しかない。そのため日曜日の休みは食事も休みと同じで、アパート三畳間でコッペパン一個を少しずつ分けて食べて水道の水を腹いっぱい飲んだりして空腹を癒していたのです。

 このころの私の体重はおそらく50キログラム未満だったと思うのですが、骨皮筋右衛門(ほねかわすじえもん)のような痩せ男だったので、体重を計ること及び写真を撮られることを嫌っていたため、二十歳代前半の私の写真は無いのです。

陰で支えてくれた義叔母の存在

 先に、17歳で東京へ出たとき、中央区佃在住の遠い親戚の紹介で築地市場へ就職したと記しましたが、この遠い親戚とは「私の青年期を陰で支えてくれた義叔母野地立代が居た」のです。

 私の母の弟野地忠の妻、つまり私の義理の叔母に当たりますが、夫に当たる私の叔父は海軍で出兵し、結核を患って帰還したため、昭和24年に東京で亡くなったとのことですが、この叔父についての記憶は私には薄々しかありませんでしたが、佃界隈で叔父を知っている方々は私の顔を見て“あなたは叔父様にそっくり”と異口同音で言われたことを忘れません。

 この叔母の小さなアパートに住むようになってから空腹が続く或る日、大家さんの叔母さんが日曜日なのにいい若い者が部屋に閉じこもって何しているんだと言うのです。お金が無いので休日はじっと空腹に耐えていることを話すと、若い者がそれじゃ身体を壊してしまうと心配して家へ来て食べなと、大盛りのカレーライスを腹いっぱいご馳走になった上、日曜日には家庭教師をして食費を稼ぎなさい、生徒は探してやるからと有難い提案をいただいたのです。

 そして、数日後に中学生と高校生各一名いずれも女子生徒が紹介されました。(つづく)

私の履歴書 安斎正一 目次
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その1-本欄の執筆をなぜ私が?
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その2-私の職場
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その3-私が生まれた日と父母兄弟について
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その4-夜間高校生と計量士との出会い
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その5-大学進学と空腹の日々
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その6-妻との出会い
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その7-寺岡精工へ入社
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その8-計量教習所と計量士資格取得

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私の履歴書 安斎正一 目次
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その1-本欄の執筆をなぜ私が?
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その2-私の職場
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その3-私が生まれた日と父母兄弟について
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その4-夜間高校生と計量士との出会い
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その5-大学進学と空腹の日々
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私の履歴書 安斎正一(計量士)-その7-寺岡精工へ入社
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その8-計量教習所と計量士資格取得



私の履歴書 齊藤勝夫(元千葉県計量検定所長、元流山市助役)(日本計量新報デジタル版)

私の履歴書 齊藤勝夫(元千葉県計量検定所長、元流山市助役)(日本計量新報デジタル版)-その1-
第一章 私の歩んだ道-公務員として信念を持って 第1編 公務員人生を歩みだす
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第一章 私の歩んだ道-公務員として信念を持って 第2編 度量衡法末期の実状
「国敗れても度量衡行政は敢然として実施する」難行を経験者として語り継ぐ

私の履歴書 齊藤勝夫(元千葉県計量検定所長、元流山市助役)(日本計量新報デジタル版) -その3-
第一章 私の歩んだ道-公務員として信念を持って 第3編 新しい夜明け、計量法の歩み
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私の履歴書 高徳芳忠 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録(日本計量新報デジタル版)

神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録-その1-はじめに
西宮高校から神戸大学の計測工学科に進み川崎製鉄千葉製鉄所で計量の仕事を始める

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