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私の履歴書 安斎正一(計量士)-その4-
夜間高校生と計量士との出会い

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私の履歴書 安斎正一(計量士)-その4-夜間高校生と計量士との出会い

 夜間高校生と計量士との出会い

(本文)

四年遅れ、19歳で定時制高校へ入学

 福島県安達郡(現在、二本松市)上川崎中学校同級生105名、当時高校への進学率は15%程度でした。

 中学を卒業すると同時に兄二人が居る東京へ出て働きながら夜学することを計画していた私は、中学卒業を控えて東京の兄に東京行きを頼んでみました。ところが、夜学を条件にしたため兄から予想もしなかった「俺達のところへ来ては駄目だ」という返事が来たのです。

 つまり、兄達の仕事は現場であり、働く場所が変わるのと労働することから、夜学は不可能と判断されたのです。そのことが私の15歳の夢を破り、お先真っ暗な時間が暫く続いたのです。

 その後は、長兄の農作業を手伝いながら、密かに東京へ出るチャンスを待つことにしたのです。

 二年後の17歳の春、遂にチャンスが到来して昭和33年3月7日、汽車で一路未知の大都会東京へと旅立ったのです。

 当時、中央区佃在住の遠い親戚の紹介で築地市場青果部の仲卸店梅村屋にお世話になることになったのです。

 この当時、築地市場から南西の高台に大きい台形のような建造物が見え、誰もが〝芝に電波塔を立てているんだ〟と言っていたのです。これが完成後に「東京タワー」になったのです。

 ところが、朝5時起床で夜8時ごろまで働き休日は一ヶ月に一日程度のため、とても夜学できる環境に無いため、またまた密かに夜学できる職場を探し始めたのです。
 築地市場での仕事は一年三ヶ月ほどで辞め、次に石川島造船所の下請会社に入ったのです。

 この会社の勤務時間は午前8時からで夜学生は定時の午後4時で帰って良いということなので、入社を決意したのですが、最初の社長訓示は造船所の現場は危険と騒音を伴うので十分に注意してほしい、しかし、怪我と難聴は付きもので聴覚障害になったら一人前と恐ろしい口調でした。

 兎に角、どんどん年ばっかり取ってしまうので早く夜学をと気ばかりが焦ってしまうのでしたが、ようやく翌年19歳の春に待ちに待った東京都立墨田工業高校定時制機械科(現在、江東区森下)に入学できたのです。

 危険の中での造船所の仕事は、大きな貨物船や防衛庁の護衛艦の製造現場で部品取り付け溶接などを行いました。夏は汗びっしょりでの作業なので皮の手袋でも電気溶接の電気がビリビリ来て、周囲では鋼板を大きなハンマーでガーンガーンと叩き、まさに耳栓を突き破って鼓膜が破れそうな環境にありました。

 もちろん、この仕事は早く辞めなければと考えるのですが、次の働き先を見つけるまではお金が無くて食べられなくなってしまうので絶対に辞められなかったのです。その後、間も無く造船所近くの石川島技術本部で夜学生アルバイト募集があったので、そこへと逃避したのですが私は18歳から20歳にかけて働いた造船所で職業的難聴をお土産にいただいてしまい、今でも小さい声の方との会話や虫の音を聞くことは苦手です。

計量の仕事との巡り会い

 昭和37年夏、突然、石川島技術本部で働く夜学生全員解雇の告知があり、私も途方に暮れておりましたら、運良く築地市場自治会というところで市場内のハカリの検査事業を始めるので助手になる若者を募集しているとの情報を得て、工業高校生とハカリどちらも機械だなと真っ先に面接に駆け込んだのです。

 9月1日から勤務してほしい、ハカリ検査官の計量士の手配を東京都計量検定所へ頼んでいるので、暫くあなたは市場内のハカリ実態調査をして計量器台帳を作るようと、初仕事を告げられました。

 国鉄下関機関区を定年になった計量士の安田一氏が私より6カ月遅れで来たのです。私の上司となる計量士が就任するまでの半年間に計量器台帳は出来上がり、東京都計量検定所や計量に関した情報などをかなり勉強していたように記憶しております。

 このとき、私は22歳、定時制高校三年生から四年生になろうとしていたころですが、自分がこの計量の仕事を一生涯続けようとは全く考えていないあどけなさの残る若者であったのです。(つづく)

私の履歴書 安斎正一 目次
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その1-本欄の執筆をなぜ私が?
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その2-私の職場
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その3-私が生まれた日と父母兄弟について
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その4-夜間高校生と計量士との出会い

私の履歴書 安斎正一(計量士)-その6-妻との出会い
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その8-計量教習所と計量士資格取得



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私の履歴書 安斎正一 目次
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その1-本欄の執筆をなぜ私が?
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その2-私の職場
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その3-私が生まれた日と父母兄弟について
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その4-夜間高校生と計量士との出会い

私の履歴書 安斎正一(計量士)-その6-妻との出会い

私の履歴書 安斎正一(計量士)-その8-計量教習所と計量士資格取得


私の履歴書 齊藤勝夫(元千葉県計量検定所長、元流山市助役)(日本計量新報デジタル版)

私の履歴書 齊藤勝夫(元千葉県計量検定所長、元流山市助役)(日本計量新報デジタル版)-その1-
第一章 私の歩んだ道-公務員として信念を持って 第1編 公務員人生を歩みだす
千葉県中の「ハカリ」を検査を一人でする。新品は係長が検定をやる。日曜もなしだ。

私の履歴書 齊藤勝夫(元千葉県計量検定所長、元流山市助役)(日本計量新報デジタル版) -その2-
第一章 私の歩んだ道-公務員として信念を持って 第2編 度量衡法末期の実状
「国敗れても度量衡行政は敢然として実施する」難行を経験者として語り継ぐ

私の履歴書 齊藤勝夫(元千葉県計量検定所長、元流山市助役)(日本計量新報デジタル版) -その3-
第一章 私の歩んだ道-公務員として信念を持って 第3編 新しい夜明け、計量法の歩み
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私の履歴書 高徳芳忠 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録(日本計量新報デジタル版)

神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録-その1-はじめに
西宮高校から神戸大学の計測工学科に進み川崎製鉄千葉製鉄所で計量の仕事を始める

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その2-我が家と計量の係わり
祖父の高徳純教が「はかり屋」を始め社名に「メートル」を用いた気概に敬服

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