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人と犬とは心によってつながっている(執筆 横田俊英)

【副題】

飼い犬をシツケは飼い主の愛情としての根気そのもの(犬は人の愛情が途切れたときに生きる希望を失ってしまう)


 私は日本犬の紀州犬と四国犬と柴犬を飼っております。これら日本犬と付き合っていて思うことは犬は気性の良いのが一番であり、同じように健康であるのが望ましいということです。そして犬種の特徴を良く備えているとうれしくなります。さらに良い子孫を残すことができる犬であればこれもまたうれしいということです。

 犬はその性格ををみると判で押したように同じ犬はほとんどおりません。元気は溌剌(はつらつ)のやつもいれば、気弱な者もおります。

 散歩にしてもぐずるヤツがいることも悩みです。引き綱を付けても嫌々をして思うように歩いてくれないと飼い主は途方に暮れてしまいます。

 犬が飼い主と一緒に散歩ができるようになることは当たり前のように考えている人が多いと思いますがとんでもない、犬にとっても飼い主にとっても革命的なことであります。散歩中にほかの犬に向かって吠えない、飛びかからないという犬は私のみているところ私の周囲ではそれほど多くはありません。

 このようなことをみますと犬は上手く仕付けられないということだと思います。犬のシツケの本を読むとどんな犬でもシツケができるように錯覚させますが、とんでもない世の中の多くの犬は犬のシツケの本とは裏腹の行動をする犬のです。

 犬のシツケの基本は飼い主を信頼させることです。犬が飼い主を信頼するためには飼い主が信頼に足る人である必要があります。犬は飼い主が犬を虐待するとなつくことなどしません。だからと言って人が犬の召使いになってはなりません。人は犬を「友」(とも)(「共」と同語源、1 いつも親しく交わっている相手。友人。朋友(ほうゆう)。ともだち。2 志や目的を同じくする人。仲間。同志。3 ふだん好んで親しんでいるもの。)とはしますが、人は犬を主人にしてはなりません。

 気性のことについては初めから万全とか完全という犬はおりません。気性の面で素質の良い犬というのは確実におります。素質として気性の良い犬でも飼い主が犬を虐待したり、非常にいい加減な対応をつづけていると、その良いはずの気性はねじ曲がってしまいます。

 犬のシツケは犬のシツケのための基本に従わなくてはなりません。その基本を学習するのが飼い主のつとめです。犬のシツケには一定程度の法則がありますから、それを学ばなくてはなりません。

 犬のシツケの基本的な事項を列挙しますと、人と犬との関係は主人はどんな場合でも人であり、犬は人の友の地位から上には上げないことです。犬の行動様式は人の行動様式とは違っていて、犬とオオカミは行動様式が同じであることがわかっておりますから、その習性を利用することであり、それは縦列の地位関係の序列社会が犬の社会であることです。地位関係の頂点には飼い主がいなくてはならないので、どんなことがあっても序列社会の頂点に犬を置いてはなりません。こうした理屈はアルファシンドローム理論と言って、これが現代の犬のシツケのための基本理論の背景になっております。

 アルファシンドローム理論があるからといって何でもかんでも絶対的に序列を強要するということではありません。序列配置を基本において人は犬をほめることもしなくてはなりません。

 人は人を慈(いつく)しみ、別の言葉でいうと愛情を注ぐことで生きている生き物です。人が犬を飼うのは多くの場合には愛情を注ぐ対象としてのものであります。人は犬に愛情を注ぐことを喜びとして犬を飼うのです。だから人は犬に愛情を注がなくてはいられないのです。

 犬に飼い主が愛情を注ぐなということになったら、ほとんどの人が犬を飼うのをやめてしまうことでしょう。人はどのような形で犬に愛情を注いで、そしてシツケをし飼育をしていったらいいかということがシツケ理論になります。

 序列のことばかり考えてのアルファシンドローム理論で押していっても中には思うように仕付けられない犬がおります。シツケは根気を要します。同じ事を100編でも200編でも繰り返す根気なくしてシツケはないのです。これほどの根気はもはや愛情以外の何者でもありません。シツケは愛情でもあります。

 弱気な犬が私のところにやってきました。私はこの犬に愛情をもって接しようと思います。人をみるとビクビクとおびえ、尻尾(しっぽ)を下げていることが多いのです。何故こうなのかと言うと気性がこのようであるということなのです。この犬は生後6カ月のときに私が求めて連れて育てました。紀州犬のメス犬です。

 紀州犬は気性が優れているのが一番だということになっております。気性が優れているということの内容として、強い気性というのがあり、優しさというのがあります。優しくはあるけれど強くはないというのが私が連れてきて飼った(飼っている)紀州犬のメス犬です。

 この犬の名は「夏」(なつ)と言います。夏の7月20日に生まれたからこのように呼んでいるのです。生後6カ月の紀州犬メス犬の「夏」はとにかく手をかけて育てました。朝に晩にいつでも声を掛けて、喉のしたを機会があればなでてやって、「夏は良い子だ、素晴らしい紀州犬だ、大きくなれ、強くなれ、立派な犬だ」と声を出してほめるのです。

 そうすると「夏」は私に寄ってきて身をよじって喜び、そして甘えるのです。内気で弱気で自信なげだった「夏」は飼い主の私に何時しか自分を自己を表現するようになったのです。

 私は「夏よ、お前は素晴らしい紀州犬だ、良い犬だ、格好良いぞ、自信を持て」と語りかけるのです。そして喉のしたから頬(ほお)にかけてを撫(な)でてやるのです。

 犬は飼い主の愛情に励まされて生きているのです。飼い主の犬への愛情が消えると犬の生気はウンと弱まります。愛情のない飼い主は犬を死へと追い込みます。

 紀州犬メス犬の「夏」は飼い主が注ぐ限りない愛情によって生きる元気をエネルギーを生み出すのです。「夏」は飼い主の愛情によって生きる勇気や生き物としての誇りを呼び起こすのです。飼い主の私は情熱を注いで「夏」に接します。

 弱気な犬、気性の甘い犬など、ある時点で性格が十分でない犬でも飼い主が愛情を注いで、励ましたやれば犬はそれに応えることが多くあります。生まれてくる犬のすべてが気性の良い犬ということではありません。弱気な犬、強気な犬、普通の犬と犬はさまざまな性格をもって生まれてきて、その犬を誰かが飼うのです。

 だから少しぐらい普通から外れた犬であっても飼い主は頑張って普通の犬にしてやりたいものです。私がみるところ世間の犬の多くは決して良い犬ではありません。散歩途中で出会う犬たちの多くは決して十分な犬だとは思えません。道を行き交うときに相手の犬に吠えかからない程度の犬に自分の飼い犬を育てたいと思うのです。オズオズとして尻尾を下げてしか散歩ができなかった飼い犬を堂々と尾を上げて散歩ができる犬に育て上げることができた私は、私自身の頑張りとそれに応えてくれた飼い犬に誇りを持ちます。

 犬は飼い主の愛情なくして生きていくことができません。飼い主が愛情が途絶えたときに犬は生きる希望を失ってしまうように思います。飼い主と犬とは愛情でつながっております。人と人との関係も愛情によってつながっているはずなのですが、社会の仕組みはどこかでこんがらかってこれが途絶えます。そのために様々な不幸が発生してくるのです。

 だからこそ人は飼い犬に十分ではなくても不十分ではないだけの愛情をもって接して行かなくてはならないのです。私の友人の多くはこうした愛情に満ちた人々であり、私はこのことを誇らしく思っております。

(文章を十分に読み返しておりません。変換ミス、打ち間違え、その他不十分なところは斟酌していただきますようお願いします)

(文章読み返ししていないので不都合の部分はご容赦のほどを)

(横田俊英 Shunei Yokota)

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