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紀州犬と日本在来犬の保存(040925横田俊英) (041106追加)

紀州犬はどのようにして残されてきたか

縄文期に日本列島にいた犬

 犬は人間の最も古い家畜であることが判明しております。これは今から約2〜3万年前の旧石器時代の遺跡であるシベリアのクラスノヤルスカ遺跡から出土した犬骨によって証明されております。現代は考古学の発見の時代ですから、人間の活動がいま判明しているものよりももっと古い時代にさかのぼることがあり得ますし、犬についても同じです。
  日本における犬の骨の出土は、最も古いものでは約9000年前の神奈川県にある夏島貝塚からのものです。縄文時代早期に日本犬の先祖ともいえる犬骨が発見されております。
 縄文期発掘の犬骨43例の体高は、最低のもが35cmで最高は48cmであり、平均値は41cmでした。平均体高は弥生期42cm、中世45cm、近世47cmと徐々に向上しております。縄文期の犬の中に48cmの体高のものがありますから、これは現代日本犬の中の小型犬(柴犬)の標準体高オス39.5cm、メス36.6cmよりはるかに大きいですから、これを現代日本犬の中型犬(紀州犬、四国犬など)と考えても行き過ぎではないでしょう。

犬と人との関係

 人と犬の関係ですが、人は犬の能力を利用し、犬は人により添うことによって生きていくことができるという相互の利益が共有されることになって、人と犬の密接な関係ができあがったことになります。この関係ができて以後、人と犬は一緒に生きてきました。人は犬を切り離しても生きることができますが、犬は人がいなくては生きていけないことになりました。人の移動に犬が伴っていることが想定されます。したがって犬を調査することによって、日本列島にいた人がどのような人であったかの手がかりがつかめることになります。日本列島には旧石器時代人そして新石器時代人の縄文人をはじめとして弥生人など様々な人々が住んでおりましたが、それぞれの時代の犬を調べることによって、縄文人や弥生人のルーツを探ることができると考えられます。実際にそのような調査・研究が行われており、考古学の分野で貴重な資料が提供されております。

純粋日本犬と紀州犬の保存

 日本人はどうしたわけか日本の在来犬の保存という意識を強く持つことがありませんでした。日本の在来犬の繁殖は自然に任せてしまっていましたから、純粋と思われる日本在来犬は大正時代の末年頃には交通不便な山村部に狩猟用としてわずかな数が残されている程度になっていました。ほとんど根絶の状態にあり、危機一髪のところから日本犬を救い出したのが斉藤弘吉氏を中心とする人々でありました。現在のこの人々によって日本犬保存会の前身の組織ができるのですが、斉藤弘吉氏は山村部に調査に入り、長野県川上村産の小型犬「十石号」などを見つけて、在来に本件の保存運動を進めました。
  日本犬保存会(正式名称はこれとは違ったかも知れませんが)設立されたのが昭和3年です。そして文部省に社団法人として認められたのが昭和7年でした。古い昔のことではありません。斉藤弘吉氏は20代の若さで日本犬保存の運動に全身全霊で打ち込んだのです。斉藤弘吉氏のことは戸川幸夫氏が『犬ばか物語』などで書いております。戸川幸夫氏は他界しましたが、斉藤弘吉氏ともどもついこの前まで存命しておりました。日本犬保存運動が始まったのは古い古い時代のことではないのです。
  日本犬には大きなもの、中程度のもの、小型のものがありましたから、保存にあたってこれを大型犬、中型犬、小型犬と3つに分類したようです。大型犬の代表は秋田犬です。中型犬には紀州犬、四国犬、甲斐犬、北海道犬などがあります。小型犬は柴犬です。保存開始当初は体のサイズに基づいて大中小のどれかに入れて保存したようでありますが、詳しくは調べておりません。

中型日本犬の紀州犬

 在来犬としての日本犬はそれぞれの地域で特有の個性をもった犬として残存しておりました。「地犬」とも呼ばれていたようです。  紀伊半島の和歌山県、三重県のほか奈良県の3県で狩猟用に用いられていた地犬が、日本犬保存運動その他の結果、昭和9年に文部省から天然記念物として指定を受けるのですが、このときに付けられた名称が「紀州犬」でありました。
  それまでは紀州犬という呼び名は用いられなかったようです。一般には「和犬」と呼ばれたり、和歌山県、三重県のほか奈良県の3県では山稼ぎをする狩猟用の犬ということで「山犬」と呼ばれたりしていたようです。また猟師の間ではその犬の出所の地名を用い、たとえば熊野犬、太地犬などと呼ばれておりましたが、文部省から天然記念物の指定を受けるときに用いられた「紀州犬」の名称がその後一般的に用いられるようになりました。ただし、紀州犬は地元ではその後長いこと産地名で呼ばれることが多かったようです。

中型日本犬の解説

 日本犬保存会では日本犬のことを規定した「日本犬標準」を定めております。これの純粋な抜粋では長くなってしまいますから、平岩米吉氏の解釈を折り込んで中型日本犬の概要を以下に示します。
  日本犬の根幹をなすのが中型日本犬です(平岩米吉氏『日本犬を飼う知恵』より)。
  体高(肩までの背丈)はオスが49〜52cm、メスが46〜52cmです。オスの体高と体長の比率は10対11です。メスに関しては体高に比して体長はやや長いとありますが、これはオスの体高と体長比10対11よりも体長が長いという意味として受け止められます。
  気性に関する規定は次のように受け止められます。気魄(きはく)があってなおかつ素朴であることとされております。感覚は鋭敏でまた動作は機敏であることが求められます。動作は軽快であることとされております。そして体格は強く引き締まっていることとされます。
  次のような規定に関しては解釈のための添え文が必要だと思われますが、それはせずにそのまま掲載します。
  耳は小さな三角形で、やや前傾して立っていること。目は濃い茶褐色であること。額(ひたい)は広いこと。鼻梁(びりょう)は直であること。唇(くちびる)は締まっていること。歯の噛み合わせが正しいこと。前胸が張っていること。胸が深いこと。四肢(しし)の踏ん張りが強いこと。足先が締まっていること。尾は差尾または巻尾であり、短尾は望ましくないこと。被毛は剛い直毛であること。尾毛はやや長く開立(かいりつ)すること。被毛色は胡麻(ごま)、赤、黒、虎、白など。  

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